やる気のない旅行(タイ)の記録③ーインドラ神の宝石
旅の三日目の朝は、トラブルから始まった。つまりは、昨日タイスキを一緒につつき、仲良くなったはずのガイドさんに二日目も三日目もガイドを頼もうと思っていたけど振られたのである。中国語のガイドさんは日本語より安いですね。それなら、2−4日まで頼んでねと言っていた。しかし、主人は2日は会社を通して予約するけど、3−4日は仲介を通さず個人と交渉するといって聞かなかった。
で、昨日、タイスキを一緒に食べて仲良くなったと思ったガイドさんに他のお客さんいるからと振られた。そりゃ普通に考えてそうじゃないですか。労働節は中国人でタイに来る人も多いよね。行き当たりばったりでガイドが見つかるわけがない。
中国人はね、事前に予約したり詳細を計画するのを嫌がる人が多い。うちの主人は特にひどい。深圳にいる時に私は日本のHPでオプショナルツアーに申し込みしようとしていて「そんなん高い、いらない」とやめさせたのは主人だし、事前にちゃんと予約してと言ったのに現地交渉すると言ったのは主人だし、そして、中国語も日本語もわからず土地勘もないところに放り出された。これでまた奥さんにバカにされる……。
いろいろなことが一気に押し寄せてきて、主人はトイレに篭りました。(おそらく結婚されている男性の方は、気持ちがわかるだろう。男性というのは妻から責められるのがとっても堪えるのである)
「お父さん、トイレでduolingoやってる」
「やってるね」
Duolingoというのは、語学学習アプリで、窮地に立たされた主人は突然トイレで日本語学習を始めた。意味ありませんよ。今はそれ。
それで、ワタクシである。参ったなと。しばし私も呆然とした。昔は英語を使って個人旅行してた人だけど、なんか勘が鈍ったよね。しかし、家族四人でバンコクで路頭に迷ってもな。とりあえず休暇に入ってから開いたガイドブックで、ガイドに連れて行ってと頼んで振られたスポットが六つあり、王宮、ワット・プラケオ、ワット・ポー、ワット・アルン、ワット・サマーン・ラタナーラーム、ダムヌーン・サドアク水上マーケット。このうち、前の四つはバンコクの中心部に密集して存在するので、タクシーで行って徒歩で歩き、帰りにもう一度タクシー呼べば大丈夫で、自力で行けそうだなと。ワット・サマーンはピンクの巨大象の像があるマーケットなのですが郊外、そして水上マーケットも郊外。やっぱ水上マーケットだろうと思ってピンク象を却下。
それなら水上マーケットは今からオプショナルツアーを申し込もう。ホテルのフロントデスクにツアーデスクがあるだろう。ここまで決めてまだ籠っている旦那のトイレのドアを叩く。
「行くぞ」
「え?」
次にゲームしてる息子の尻を叩き、いつでも出発準備OKのおばあちゃんに声をかけ、ホテルのフロントへと行く。ここで私は家族の中で英雄になった。と言っても、家族四人の中で私だけが英語が話せただけだが。英語というのも不思議なものである。勉強してても使う経験をしていないと口が動かない。うちの息子は中国語と日本語のバイリンガルだが、英語は出てこない。主人も日本語が話せるが、英語は出てこない。私ははっきり言って中国語を勉強したら英語を忘れた人で、使っていないしかなり話せないのだが、全然話せないわけではない。
とにかく自分は度胸が違う。言葉なんて片言でも伝わりゃいいという経験だけは積んできてるからな。で、ホテルのフロントデスクでオプショナルツアーについて聞いて話をまとめた。旦那が金を払った。
「今晩は暇か?」
「ん?」
そして、いわゆるLady Boyのショーを見るかと聞かれる。うちの息子が見ても平気なものかと聞いて、ノープロブレムと言われた。カクカクシカジカで、あなたが見たがっていたLady Boyのショーだ見るかと旦那に尋ね、見たいと言ったので買うと言って旦那が金を払った。苦い顔でこんなこと言った。
「あなた、交渉係、わたし、お金払う係」
理想的な関係である。そして、私はこの自分の背中を息子、ではなく、おばあちゃんに見せていた。
どうだ?おばあちゃん、外国人の嫁ももらって良かったと思ったろう?太極拳仲間のおばあちゃんに是非自慢してくれ。
それからタクシーに乗り、王宮に行く。着くと、もう、人でごった返してて、そして、五月でもタイは殺人的に暑いのである。しかし、自分は久しぶりに英語を話して通じた快感と、自分の足で旅をしてる感で高揚していた。ワット・プラケオは王宮の守護寺院なのだが、その壁に延々と王家の神話が絵物語で描かれている。
「なんか人間みたいな顔と猿みたいな顔とか妖怪みたいなのもいるね」
そう言ってふと脇を見ると、うちの息子の顔が死んでいた。
え、まだ、本日の予定1件目なんだけど……
金をかけて遠いところまで来て、世界的な観光地に来て、王家の神話を見てて、こりゃ昔の漫画だなと思っていたわけですが、そんなの息子にとってはどーでも良かったらしい。つまり言いたいのは、
暑い……
「おばあちゃん、昨日は廃墟だったけど、今日のはめっちゃキラキラしてるでしょ?」
「そうだね」
おばあちゃんはまだ生きていた。そして、主人は……。この人、文化や歴史に興味ない人、代表。旅に一緒に来ては行けない人かもしれない。
この家族の中で、私だけが、文化と歴史に興味がある人だった……。特に息子がひどかった。本日の予定1軒目から、何時に帰るのかと聞き始めた。本当はハリーポッターばりの魔法で逆さ吊りにしてやりたかったが、自分は魔法使いではないのでできず、また、親子関係がおかしくなるのでやめておいた。
本当は半人半鳥のキンナラも見たかったし、ラーマヤナに登場する悪魔と猿神もゆっくり見たかった。もともと美術が好きな人間だから、建築も好きなのである。そう、私は昔から美術館や博物館で家族の下手したら二倍の時間をかける人なのである。
しかし、家族!!
家族がいると、自分が思うようには旅ができないものである。一番わがままじゃなかったのは、70過ぎてるのに疲れたとか暑いとか言わないおばあちゃんである。我が家の男子はエアコン男子。暑いところに置くと、役に立たない。そして、自分もはちゃめちゃにエアコン好きなのだが、意外と自分は強かった。
「それではこちらでございまーす」
ほにゃらら王朝の年代記は、こう言っては失礼だが、アッチョンブリケなほどに延々と続いた。それは屋根のある屋内の回廊になっているので、炎天下の中庭を本堂に向かってゆくより涼しいのである。本来なら回廊沿いに進まず中庭のものも見なければならないのだが、我が家の男子達が発狂寸前なので断念した。そして、年代記をコツコツと見る。大体が、すけべな男と美女、こまる民、妖怪と凛々しい王様、人魚?すけべな男と美女、サル顔の人たち、カジキマグロ?ところどころ不思議な海産物を交えながら、続く絵巻ものだった。
「なんか大事なことが描いてあるんだろうけど、わたしから見ると同じことが続いているように見える」
おばあちゃんはそんなに学がある人ではないのだが、この時ばかりは哲学的なことを言っていて、私も同感だった。息子は相変わらず目も死んでいて顔も死んでいた。暑さのために1ミリのユーモアも消し飛んでいた。旦那がその時どこにいて何をしていたか覚えていないのだが、まず間違いなく何も見ずにスタスタ進んで、一番先のところで家族を待っていたに違いない。
そして、やっと絵巻物が終わっていよいよ炎天下に乗り出した。ここで息子のスイッチが入った。
「さ、出よう」
いや、ちょっと待て。絵巻物しか見てないぞと。チケット代を払ってメインを見ずにどこへ行く?
「あそこ、行かないと。あそこ」
本堂を指差した。すると暑さでいかれたエアコン男子はこう宣った。
「あそこは今、観覧禁止で誰も入れないんだよ」
「何をいうてますねん」
ゾロゾロとフライパンで焼かれたソーセージのような人たちが、激アツの石の上を靴脱げと言われて、アチアチ言いながら歩いているではないか!(これは何かの修行だろうか?)階段を登って本堂へ向かっているではないか!あそこが観覧禁止ならどうしてあんなにたくさんの人が向かってるんだよ!
キンナラも見られなかった。おそらく自分がもう一度バンコクに来ることはないから、本物を見るチャンスは永遠に失われた。しかし、本堂まで見ずに帰ってたまるか!そして、靴を脱いで激アツの石の上を歩いてあんなとこ登ったって意味ないとぶつぶつ言ってくるエアコン男子を引きずり、やはり、寺ばっかり見るのやだと文句を言い、しかし、他にじゃあどこに行きたいのだというと、結局はどこにも行きたくない旦那も引きずり、おばあちゃんだけは粛々とついてきて、見たよ。ご本尊。翡翠でできているのだけど、エメラルド仏と言われている緑色の仏様。正式な名前はラタナーコーシンといい、意味はインドラ神の宝石と言われる。
実はこの仏様、ラオスからの戦利品として持ち帰ったもので、もともとはラオスの首都ビエンチャンにあるワット・プラケオ(王家の守護寺)の本尊だったそうなのですよ。
昨日のワット・マハータートの仏頭といい、このラタナーコーシンといい、人間の身勝手さに翻弄されている仏様だなぁと思う。
このエメラルド仏を見た時にね、あ、もう今日はこれで事足りたなと思いました。そのくらい、昨日の仏頭と同様、見る価値のあるものでしたね。そして、この凄さは写真ではわからないと思うんですよ。(ちなみに本堂の中で写真を撮るのは禁止)
岩手県の平泉、中尊寺に金色堂というのがあるのですが、そしてまた日本の各地にも様々なお寺があり、仏様や人間の信じる極楽浄土の様子が描かれる、あるいは彫刻により表現されていますね。ラタナコーシンは非常に大きな空間の中央に据えられているのです。あの空間の大きさを感じなければ、どれだけ大切にされている仏様なのかが伝わらないのですよ。だから、直接見ないとわからない。そして空に浮いているから、宇宙の中心にいるような表現になるんです。宇宙の中心にいる人が、ありがたい神々しさを放っていて、それを中心にたくさんの守護の像が置かれているんです。
自分はキリスト教の宗教画もイタリアで本物を見たし、仏教のお寺もいくつか見ていますね。自分は宗教に興味があるというよりは、宗教を信じる人間に興味があるのです。そして、その表現は国によってまた違う。
違うのだけど、神秘的なものに力を感じ、また、極楽浄土を信じたいという思いはどこかに共通点がある。その点と点をつなぐような旅がしたいのです。宇宙とは何か、生と死とは何か、そんな感じでしょうか。
ものすごい混んでいて、また、我が家のエアコン男子たちが、まるでこの暑さは旅に連れてきた私のせいだとでも言わんばかりに睨んでくるので、その神秘さをじっくりと味わうこともなく通り過ぎた。ただ、ほんの一瞬でしたがあの広い空間の中央に据えられた仏様の神秘さは忘れないと思います。
どうして人は他国の魂とも言えるようなものさえ略奪し、そして、あんなに大切にしているのだろう?本来は仏は愛と平和の象徴であるのだろうに、奪われてあそこに鎮座し、それはそれはたくさんのものに守られて、仏に気持ちがあるのかどうかわからないのですが、どんな気持ちでいるのでしょうね?
「これからどうするの?いつ帰るの?」
「……」
お金をかけてタイまできて、エアコンの効いたホテルでゲームをすることに、意味があるのか?多少暑くとも、もう少し、世界の叡智というかなんというかに感じ入りなさいよ!君!
「さ、とりあえず、頭から湯気が出てるので、次の目的地に行く前にランチにしますよ」
「まだ行くのー」
行くだろ、そりゃ。何のためにタイまで来たんだよ!と喧嘩してはなりません。ガイドブックに載ってるマンゴーほにゃららの有名な店まで、歩かせてはなりません。どこでもいいからエアコンの効いた店にとりあえず入って仕舞えばいいのです。
家族と歩くというのは、そういうことです。自分の思うようには生きられない。やりたいことのいくつかは諦めなければならない。そうやって相手に合わせていかなければうまくいかないのが家族です。
それなら、一人の方がいい?
どうでしょうか。それでも、ブツクサ文句いいながら旅に同行した我が家族が、もう二度と旅行なんてしたくないなんて言わないように今回の旅が終わるまでに何かちょっとでも残ればいいのですが……。
写真を見ながらこの時は暑くて大変だったねと、思い出話に浸りたい。出来事の価値なんて、思い出になるまでわからないものです。
2024.05.03
(乙女、お笑い芸人 共著)