廊下
5日目です
ここまで脱落せずに書けているのはいいすね
そんな自分は昨日対話系の
主催イベントがありまして
やり終わりながら成功だったなと思いつつ
もっとやれたなと反省をしております。
昨日のイベントでも話したんですが
主催者側の成功の定義は参加者に終わりの際に
「まだまだやりたい、もう時間なんですか」
「時間足りない」
と言わせたら成功だなと思っています。
自分が用意したコンテンツに時間を忘れるぐらい集中してくれる、これ以上に主催者冥利に尽きる事はないなと思っています
実際昨日のイベントはそれがあったので
良かったなぁと思いながら締めました。
自分のイベントが成功するのは嬉しいし
参加者から感想を聞くのもちろん好きなんですが今日はそれと同じぐらい良いなと思った話しを
今回やったイベント
それを話す前に自分がやった対話系イベントは哲学対話というイベントです。ざっくり言うと
「当たり前の事、立ち止まって考えないこと
みんなで対話して深掘りしようの会」
でございます。
今回は「働くとは?」で対話しました。
具体的に哲学対話ことはまた書くとして
哲学対話には様々な特徴があります
その中でも特に面白いのが
・自己紹介なしで対話が始まる
ここが結構異質ですよね
哲学対話には肩書とかバイアスとかがかかって話しにくくなるというのが良くないというのと哲学対話の場に〇〇所属の△△です。
というのは必要ないからしないです。
そういった哲学対話を円滑進めるための
仕掛けでやってたんですけど
別の効果があったという話です。
それが今回話したい良かったことです
廊下の時間
対話が終わってから話足りない人が
話すことを哲学対話では「廊下」といいます
自分はこの時間が
すごく好きで良いなと思うんです
こう今まで素性を知らずに話してた人の
半生が垣間見えると言うか
さっきまでの対話にグッと深みが出たり
はじめましてで話すより奥まった話ができる
「え!こんな事やってたんですか?」
「実は自分〇〇しようとしてて」
「やっぱ働くって〇〇ですよねー」
テーマや話してる内容も様々でしたし話してる人達の属性もバラバラでした
皆さん時間的にも内容的にも良い話されてらっしゃるなと思って
自分はお茶を飲んでました
「多様な人々が隔たりなく
対話できる場を作る」
自分の理念の一つです。
なんで
そんな理念なのかはまた今度話すとして
哲学対話は
それが実現できる場だなと思っていますし
実際にそうだと思います。
しかしそれを通して生まれた
なんでも話せる、聞ける、問える場
を使ってやる「廊下」こそ自分が真に作りたい場なのかなと思った次第でございます。
これからはリアルイベントだけじゃなく
オンライン哲学対話も始めようと画策中です
そんな時も「廊下」ガッツリ取りたいな
と思ったっていうお話で今日はおしまい
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