擬古SF物語 橋になった娘
この村は度々起こる水害にたいそう困っておりました。この村に流れる川は、三里ほど離れた大河の支流にあたり、姥女がうっかり洗濯物を流してもそのまま歩いて取り行けるような穏やかなのでした。しかし一度雨が続けば大河の方から水がどんどんやってきて、村人がやっとのことでこさえた堰や水門なぞ簡単に壊して村を水浸しにしてしまうのです。
どうして村人はそんなところなのに住み続けるのかは、我々の価値観では測りかねる部分もありましょう。しかしあえて村人の立場にあるのなら、遥か前のご先祖がお上より安堵された土地をそう安安と離れられるものではありません。
そしてこちらが本音というべきでしょうか、他に行く宛が全くないのでした。
この時代でも人であれば誰しも税を納めねばなりません。いわゆる人頭税というやつです。仮にこの村土地を離れたとしても、税を納める物を作れなければたちまちその身を以てして税を払うしかありませんでした。
ある冬の日のこと一人の旅僧が村へやってきました。長くて大変な遍路だったでしょう。村人たちはなけなしのものをこしらえては、旅僧にそれを振る舞いました。
村人たちは決して豊かではなく到底客人をもてなすほどの余裕はありませんでした。それでもこの真摯な饗しと素朴ながらも美しいその純心に旅僧は大層感動しました。今までにいくつものところを廻って来たもののここまで迎えてくれたのはなかった、なにかこの村にできることはないか、と旅僧は饗してくれた村人に言いました。
ここの村人は元来欲は少ない方でした。いえいえ、あなた様が来てくださるだけで、この粗末な村にも阿弥陀様のありがたいご加護が得られるというものです、それだけでも大変に勿体ないのです、と言うばかりでした。
いやそれではせっかくの貴方がたの恩義に報いることはできない。ここで寺を開き、そなたたちの為に読経に身をやつすにしても私はまだ修行中の身だ。私は京で仏学のみならず、唐や南蛮様々の舶来の技術を多く学んできた。それをここで活かす事はできると思う。先程聞いたところによると、毎年雨の降る時期になるとここでは水害が度々起こるという。私が学んできたもののうちに治水に使えそうなものもある。
村人たちにとってこの僧の来訪はまさに阿弥陀の救いに違いありません。村長は、それならばぜひともと、ああ我々はまさに貴方のような方を待っていたのでしょう。これもきっと何かの御利益に違いません。是非ともそのお知恵をお貸しください。いや、我々こそこの身でなにかできることがあれば何でもおっしゃってくださいと言った。
「よろしい。ではまず人足をいくらかと、、、できるだけ若い脳髄を一つ、それでいて健康で聡明なものを用意していただきましょう。」
2.
旅僧は村で何人か見繕うと、その者たちを筆頭にこれまたいくらかの人足を従えて水門の工事に当たらました。冬の間は村として何もすることのない、力を持て余した若者たちは力いっぱいに体を動かしました。そしてついに春が始まる頃までに大体の工事が終わったのでした。
「基礎の土木は完了してあとはそれを動かすための命令制御文を夏が始まるまでに私は書き上げよう。ただそれを実際に読んで理解し、必要なときに判断してくれる脳髄は決してなくてはならない。すぐにとは言わぬ。雨が降る時期までには一人決めて欲しい。」
村長は大変に悩みました。この僧の言う条件に当てはまるものはすでに一人、村長の胸の中では決まっていました。ただ条件を満たすものであれば実は村に何人もいます。ただその一人を除いては、後継であったり、京都へ奉公に出る予定のものだったのです。もちろん村長の立場でその者たちに、仕方のないことだと言うことはできないわけではありません。しかしそれをしてしまったのなら、自身の呵責に耐え得るだけの心持ちはありません。それならいっそそれが少しでも軽くなるような者を、そう思いつつ庭先の花が散る様子をこの先の自分自身と重ね合わせるのでした。
早乙女が村の全ての水田に苗植えが終わった日の夜、村長は大変に暗い顔で自分の娘である菊代を呼びつけました。
「お前にこんなことを、親が子にこんな頼みをしなければならないなんていったいどのような業を前世で積んでしまったのだろう。しかしこれはこの村のため、今後のこの村に住むものたちのためでもあるのだ。どうか、頼みを引き受けてくれやしないだろうか。」
菊代は少し俯き、口をきっと結びます。そして夜も更けてしまうかのようなぬばたまの静寂が二人の間で流れたのでした。
再び菊代が顔を上げると同時に口を開きます。
「それが村のみんなのためになると仰るのなら、喜んで私が水門の制御装置となりましょう。ただ、それまでの間私に幾分かの自由と、そして三郎様との契りを認めて欲しいのです。」
ここで少し、菊代と三郎について話をしておきましょう。二人は村でも評判の仲睦まじい間柄でした。いつからそうなったのかは誰もはっきりとその瞬間のことを覚えているわけではありません。幼い頃から遊んでいたら、ただ自然とそうあるようにいつの間にかそうなっていたのでした。しかし残酷なことにこの時代においては、好いた相手と最後まで共に過ごすということは難しい話でした。大抵、それは身分であったり、家と家の問題であったりというものです。もちろん村長の娘と三郎の間でも例外ではありません。三郎も次の家を継ぐ嫡男でありましたし、なにより菊代の家も村の代役です。今まで幾度となく三郎も菊代も、二人の契りを希ったものの、それは決して叶うことはありませんでした。
村長は娘に人柱になるように言った明る日の朝一番に三郎の住む家に行きました。
「私の娘の最後の願いだ。今までは身分も世間のせいにして、そうもいかないと儂の娘との婚姻は決して許さなかった。そして事情が事情となれば、君を無下に扱った過去を無かったことにしてくれと言うのもを恥知らずにも程があることは分かっている。ただ、どうにか君には、後生の頼みとして、村のためにも、最後まで娘をよくしてやってくれ。」
三郎は黙って村長以上に頭を下げました。
三郎は代わってやれるなら菊代の立場を代わってやりたかったのです。しかしそれはもうどうにもならない話でありました。それをどうにかするよりも、菊代が水門になるその日までを一緒に過ごしてやりたいと考えるようになりました。気持ちは他の村人も同じでした。菊代が制御装置としてその身を御されるまであと幾月もありません。それならば、折角ならばと村人総出で三郎と菊代の結納の義をあげようとなったのでした。
菊代は三郎の胸の中で月を見上げておりました。
「もし私が物言わぬ水門となったとしても、貴方様がこれからも愛してくださるのなら今生に未練はありません。」
「ああ菊代、私の可愛い菊代よ。俺が毎日水門のところへ行ってはお前のために話しかけよう。お前のために毎日変わらぬ愛を言葉を水門の前で捧げよう。」
小雨が降る朝、結納の儀列はしんしんと進んでいきます。そしてその列は二人の家を回ったあと、川の向こうの社へ続く橋へと差し掛かりました。
この橋は今は渡れるようになっておりますが、必要があれば真ん中のところより分かれるようになっており、連動して水門が開くようになっております。大水の時になればこの水門を閉じて村へと溢れる水をここで止め、逆にそうではない時は門を開けておいて田作に必要な水を貯めておくものでした。ただ今まではそれをするのに直接ここへ赴かなければならず、また細かい調整ができないために、門自体の強度が耐えられず決壊してしまうこともしばしばでした。
そこで制御装置をここに繋ぐことによって開くことも閉じることも、水流の強さの機微を見てをすることも全て人をここへやることなく自律して制御することができるのです。そしてこの制御装置は、人が数を数えたり物事を合理で考える部分、すなわち脳髄を組み入れることで成り立つのです。制御装置に使用する脳髄はなんでもいいというわけではありません。命令文があるとはいえ、これを理解し、誤った解釈をしないだけのものは必要です。また脳髄は適切な管理をしていれば長持ちはさせられます。とはいえ年月が経てば劣化しそれだけ誤りも多くなります。だから若いものを使うのに越したことはないのです。
列は橋を渡ってゆきます。
「ああ、私はあと少しでここで水門となって村を守り続けるのですね。とても誇らしいことではありますがしかし私が壊れる最後の時までここにいなければならないことは、やはりとても淋しく思います。」
「菊代よ、私は今後の生涯も誰ともお前以外に契ることはないだろう、春になればここへお前の好きな花を飾り、秋になればお前の好きな餅をここへ持ってこよう。雪が降れば寒いだろうから凍えないように温かいものを持ってこよう。」
山藤が青々としてきた頃、菊代の脳髄は旅僧によって摘出され、保存液に浸された硝子の瓶に慎重に詰められました。この硝子の瓶にいくつか金属線が伸びていてそれらは精密に制御装置に繋ぎ組み込まれました。
水門はこうして梅雨が来る前に完成したのでした。
この年幾度か大雨がきました。しかし秋が終わっても一度も水門は正確に誤りなく作動し、ついに村を長年悩ませていた水害は治められたのでした。
菊代の残った体はこれまた旅僧によって荼毘に付されました。村人たちによって菊代の体は壮大に送り出され、そして灰は三郎と結納の義を挙げた社へそのまま納められました。
3.
旅僧が村から去って三年が経ちました。
三郎は、菊代の水門へ毎日通いました。花や餅、そのほかにもさまざまな食べ物や美しいもの、そして寒い時には布を掛けに行ってやり、雪が降れば傘をさしてやりました。
三郎ほど健気な若者、そして情に暑いものは村にいません。村長もそのような男と契りをあげた娘はたいそうな幸せ者だと思うのでした。
菊代は真っ暗な制御装置の中でただただ処理を実行しておりました。処理に必要な情報は金属線の先に繋がっている様々な検知器によって菊代の脳髄に伝えられます。処理に必要な電力は水流によって常に得られるようになっておりました。
菊代はもはや見ることも聞くこともできません。しかし不思議と、三郎が毎日来てくれることを知ることができたのでした。ものの考え方はもはや生身だった頃とはだいぶ違ったものだったに違いありません。しかし三郎が来てくれていると感じていればこそ、不思議と淋しさを感じることはありませんでした。
村人もはじめの二年は今まで毎年のようにやってきた水害が起こらないことを大層喜んでおりました。三郎と同じように菓子や花を供えにいったものも多かったですが日が経つにつれてその数は少なくなり、そして三年目となるともう水害がないこと自体が普通のこととなっていたのではじめの時ほど菊代に感謝するものは、父である村長と三郎以外にいなくなりました。
五年が経つと三郎が菊代のところに行く回数は徐々に減っていきました。三郎が持ってくる供物も段々と少なくなり、そしてなんだか粗末なものへと変わってゆきます。しかしそうであったとしても、菊代を愛する気持ちは少しも変わっていないと三郎自身はそう思っておりました。
三郎は父より家督を受け継いでから間もないときでした。
「三郎さん、あなたはもういい歳だ。そりゃお前にとって菊代さんのことは大事に違わないし私らだって感謝しておる。ただお前はまだ若いのだし、これからの人生もある。そして家督を継いだものがなんの理由もなしに後継を作らないのは世間からして尋常じゃないことはわかっているだろう。」
「そうだ三郎、もういなくなったものにいつまでも執着していてはこの家の当主としてみっともない。もちろんお前の気持ちを蔑ろにはしたくない。しかしお前のことを同じように大切に思っていた菊代も、きっとお前が後嫁をとったとしても仕方のないことだと分かってくれるに違いない。」
「三郎、お前は菊代に立派に尽くした。だから今度はお前が家に尽くしてくれ。」
三郎はどうしても菊代以外に嫁となるものを思い浮かべることはできませんでした。しかし皆のことをおもいこそすれ、三郎の親のいうことを聞かぬわけにも行きません。
雪がしんと降る日でした。
「菊代よ、俺が来るのもこれが最後になるかも知れない。つい先日、分家の者との婚姻が決まった。親父の家督を継ぐものがこのようなことを続けるわけにはいかない。許して欲しいとは言わぬ。ただこのままならぬ事情をわかって欲しい。」
三郎は持ってきた餅をおいて手を合わせました。
「ただお前のことはこれからも心の中で愛するつもりだ。」
この頃になるになると橋を通るものはいても、その下にある水門に気をかけるものはいなません。菊代はただ一人、水門を制御し、村を守り続けていました。
菊代は、三郎が再び自分のところに来てくれるのを待っていました。しかし待てどもまてども検知器は何も感知をしません。それでも菊代は命令文の通り、水の多い時には水門を閉じ、水の少ない時には水門を開けます。水があまりにも多ければ少しだけ開けて、水門自体が壊れないよううまく調整してやります。
菊代は時々処理を誤まるようになりました。いくら保存液に浸されているとはいえ、だれも整備をするものがいなければ劣化する一方です。
菊代は淋しいと感じるようになりました。
三郎は分家の娘と正式に婚姻が決まり、結納の義を川の向こうの社で行うことになりました。村人はしばらく独り身だった三郎に嫁ができたこと、そして三郎の家に後継ができることを大層喜びました。村長も三郎が幸せになることを大変めでたく思い、婚姻の立ち会いを申し出たのでした。結納の列は浮かれた両家と村人たちによって、それは大いに盛り上げられました。村人は紙吹雪を撒き、太鼓や笛を鳴らします。かつて三郎と菊代が結納をあげた時とは比べ物にならないほど豪華なものでした。
儀列は両家を回ったあと川の向こうの社へ向かいました。そして儀列の先頭が橋の真ん中に差し掛かります。
いきなり水門は音を立てず開き、橋が二つに分かれたのでした。三郎も嫁も、村長も川へ落ちて溺れ死にました。運良く落ちなかったものたちは皆呆気に取られしばらくそこへ立ち尽くすばかりでした。
水門はそれから二度と閉じることがなくその後に来た大雨によってこれまでにないほどの水害が村を襲ったのでした。
n.
かつて水門と橋のあったところに小さな祠が建てられております。水害から生き残った村人がきっと菊代を偲んで立てたものに違いありませんが今となってはそれは誰も知るよしはありません。
pixivにもあげたやつをここにも投稿してみました