20240105.無邪鬼
2024年が始まりました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。登録したものの、なかなか使う機会が無かったnoteですが、拙い文章なりに観劇や観た映画等、手記を残すことに使っていけたらなと思います。
さて、2024年最初の観劇は扇町ミュージアムキューブにてZsystemプロデュースの舞台『無邪鬼』を観劇して来ました。年末にチケットを取ってずっと楽しみにしていたので足取り軽く会場に向かい、席について最初に驚いたのはなんと最前列だったんですよ!その時点でテンションは上がっていたのですが、舞台の内容も涙あり笑いありでとても楽しかったです。
『無邪鬼』――猫のような姿をした魔法を使う『バケモノ』。ある年齢になると大人になるための儀式を受けなければならない。
あらすじを見て、現代だけどもファンタジーみたいな話なのかな?と思っていました。物語の始まりは空き地の野良猫がうるさいと神経質な近所の女性 太田垣の苦情が役所に届き、役所の安井と吉岡が現場を見に行くところから始まる。いやいや、めっちゃ現代やん!?なんなら吉岡さんちょっと思ったりしちゃうかも知れないけど、声を大にして言いたい事言ってない?大丈夫?と思いそうなコミカルなやり取りが続きます。いや、ファンタジー要素よ。熱意溢れる若手の安井さんに対して、まったくやる気のないベテラン吉岡さん。太田垣さんと安井さんが猫追走する中、一服し始める始末。そんな時に出会ったのが猫のような、猫にしては大きすぎる不思議な生物、ヨロズが姿を現わす。己を『無邪鬼』だと名乗るヨロズは魔法が使える。吉岡さんの願いを叶えて見せる辺りヨロズ無邪気だなぁと思うし、願いの内容が薄汚れていて吉岡さんほんっと大人って奴ぁよ。ただまぁ魔法が使えるなんて思うといーなぁなんてちょっと思っちゃいますよね。ヨロズの魔法によって『無邪鬼』に変態する吉岡さんの演出に城内爆笑。いや、あんなん笑うて。
耳はあるし長い尻尾もあるし姿は立派な『無邪鬼』なんだけども、魔法が使えない吉岡無邪鬼。いやもうただのコスプレの残念なおっさんやないか。その姿を目の当たりにしてしまった相棒 安井さんの心境は如何に。「もぉ!!!」ってすぐ怒る太田垣さんがヨロズの魔法で牛になってしまった事で混沌と化す舞台。牛になった太田垣さんの母性に包まれたい……。実際に包まれたのは吉岡無邪鬼なので、愛に芽生え慈愛に満ちた太田垣牛の胸に吸い付く吉岡無邪鬼……私たちはいったい何を見せられているのか。
物語の勢いがあり過ぎてちょっと曖昧になりましたが、無邪鬼 ヨロズは実は追われているのです。包丁を持った怪しげな爺ちゃんこと包丁爺。包丁爺はいつまでも逃げ回って一向に儀式を受けようとしないヨロズの尻尾を切ろうとしています。その魔の手から逃れるヨロズと、かつて自身も無邪鬼だった幼馴染の少女 ツグミは包丁爺を押さえつつ、なんとかヨロズに儀式を受けさせようと説得を試みますが、ヨロズは耳を貸しません。そりゃそうだよな。かつては一緒に魔法を使って駆け回っていたのに、今では自分とは違うものに勝手になってしまった……言い方はアレだけども、置き去りにしたんだもんね。そもそも、尻尾切られるとか痛いやん怖いやん。包丁爺ちゃん怖すぎやん。ただ、ツグミちゃんが必死になるのは幼馴染だからこそ。無邪鬼は尻尾を切る儀式をしなければ悪魔になってしまう。ヨロズを悪魔にしたくない一心ではあるけど、その思いはヨロズに伝わらず。
儀式を受けるということは、尻尾を失うだけでなく魔法が使えなくなるということ。魔法が使えないということは、今までの自由気ままな世界が失われて、つまらない世界に堕ちてしまうということ。大人になんてなりたくないよね。悪魔なんて言われても実感が湧かないし、そんなことよりも願えばなんでも叶う魔法が使える事が如何に魅力的であるか。
ただ、無邪鬼は知りません。魔法には真実があるいという事。種も仕掛けも無い不思議な事象なんてこの世には残念ながら存在しないのです。魔法の正体は『職人』さんでした。たぶんあの世界にはそういう組織が複数あるらしく、無邪鬼の願いを受注して突貫で作り上げてくれる職人さんたちが居るのです。いやもう妖精さんやないか。黒子みたいな職人さんたちの姿は無邪鬼には見えません。子供には舞台裏を見せないもんですもんね。彼らは粛々と担当の無邪鬼が儀式を経て大人になるまで『魔法』を実現し続ける存在。子供の夢を守ってくれてるんだなぁってこの辺りでじんわりした気持ちに。
役所の安井さんには実は職人さんたちが見えるんですよ。なぜならば、彼もかつては無邪鬼だったから。儀式を経て、大人になった今はちゃんと見えるし、きっと彼はそういう愛情をちゃんと受け取って、だからこそ今熱意を持って、夢を持って生きているのかなって。ヨロズは変化を恐れて踏み出せずにいますが、すべてを知った時にその深い愛情を知るのでしょう。安井さんはその未来の姿といっても過言ではないのでしょうか。実際に安井さんはヨロズを説得してくれます。もちろん、来るべき日をヨロズが迎えるまで大まかなネタバレはしませんけど。
無邪鬼の舞台を見て感じた既視感は、変化を恐れる心なのかな、と。物語の中では無邪鬼から大人になること。魔法が使えなくなること。今まで見えていた世界が一転してしまうこと。それをヨロズは恐れていました。儀式を受けたら一人になってしまう、と。変わる事は怖ろしい。成人した今でも思います。その変化がどう転ぶか分からず、そのすべてを受け入れられるとも限らない。ただ、不変のものなんて世の中存在しなくて、自身は変わらなくてもいつだって世界は移り変わっていく。変わっても変わらなくても独りになってしまう。だったら一歩、自分から踏み出して、変化に身を委ねていくのもありなのかも知れない。失うものものあるけれど、新たに出会えるものもきっとある筈だから。
最初は怖くても、不安でも、一歩進んだ先には必ず何かがある。ツグミちゃんはその不安な世界の中で最愛の人に出会った。代わりに最愛の友人だったヨロズを失ってしまったけれども、だけど、彼女の中には思い出として楽しかった日々は存在するし、ヨロズを大切に思う心が今もある。魔法は使えないけど、魔法を使わせてくれた人の存在は知る事は出来た。彼らはずっとその日が来るまで自分たちを見守ってくれていた。その温もりを知ったから、怖くてもまた踏み出す事が出来る。悪魔になるよりももっと素晴らしい事がたくさんあるということを知っているからこそ、ヨロズにもそれを知って欲しいんですよね。ヨロズの事が大切だから。
包丁爺さんが儀式は『痛い』と執拗に脅すのは当然なのかも知れない。物理的な痛みもあるけれど、持っていたものを捨てる事は痛いし辛い。わざわざ不安に身を堕とすと分かっているなら尚更。だけどいつまでも無邪気なままでは居られない。現実を知って生きていく事が命の在り方だから。爺さんは命を紡ぐ役なのかなぁと。おっかないけど一番『生きろ』と訴えて来る存在だなと思いました。だけど、飴ちゃんが好きだったりちょっと信じやすかったりして、アンタこそ無邪気だよ!!!ってちょっと思いました。包丁爺さんかわいいんだわ。
最後にいやだいやだと言いつつも尻尾を切ったヨロズ。尻尾を長くしてまで抵抗する姿にどんだけ嫌やねんと思わなくも……まあ、めちゃんこ痛いって言われたら嫌だわな。ただ、ツグミちゃんと別々の道を進む事になったのが相当堪えたのかな。でもツグミちゃんめちゃくちゃ待ってくれたと思うよ。現実で考えると二十歳過ぎたええ歳した大人がいつまでも子供みたいなこと言いまくっていて駄々こねてるわけですからね。早々に捨てられても文句言えないとちょっぴり思います。
儀式を終えて、最後のお勤めを果たす職人さんたちのヨロズに向ける慈愛に満ちた表情が優しすぎてもう……一仕事終えて打ち上げしようぜのノリとか知った味過ぎて笑ってしまった。大人になったヨロズが最初に接する人間が濃ゆすぎるの本当に可哀そうなんだけども笑ってしまった。太田垣さんと吉岡さんにロマンがうまれる事無く元通り過ぎて。戸惑いまくりのヨロズ…尻尾を切られてパンイチで飛び出して来たのでこっちもめっちゃ戸惑ったのはここだけの話である。ヨロズはこれから不安なことも一杯あるんだろうけれども、新たな出会いだとか無邪鬼の頃の優しい思い出とかそういうのを頼りに前に進んでいくんだろうなぁと温かい気持ちにさせるエンドでした。
終盤めっちゃ端折った感想になってしまったけど、年初めに見る舞台としてはすごく心地好くて、観劇後もなんだか満たされた気持ちでいっぱいになりました。サインも頂きホクホクです。すごく楽しい時間でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?