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④ 砂漠の楽園オアシス と 城砦の町カスバ

オアシスとは、砂漠の荒涼とした茶色の世界に、慄然と緑豊かな楽園が現れるものとイメージしていた。
モロッコの砂漠は、サハラの高峰である大アトラス山脈から流れ出るドラア川によって、顔を出し、
水量に恵まれたときには、1100km先の大西洋にまで注いでいくが、大抵はサハラの広大な砂の中に姿を消してゆくという。

行く先々で、オアシスがあった。
荒涼とした広大な、360度同じ景色の中を走っていると、突然と緑の街が現れた。

砂漠の中のオアシス


街の大きさは、オアシスのその大きさに比例していた。
水の流れに沿って、豊かなヤシの緑が連なっていた。
その周りには、畑があった。
そして家もあった。
だが、お花が咲き乱れて、鳥が飛び回っているわたしのイメージの世界とは違っていた。
人々の生活の場であった。
アラビアのロレンスの時代のオアシスが、オアシスと思っていたからだ。
街道筋に井戸が、何列にもずらっと掘られていた。
何百物の数であった。
人間が住み始めてから掘った井戸で、村ごとに井戸を掘ってあった。
何十年かで井戸が枯れると、その水脈に沿って別の井戸を掘るとのことだ。
重機などない時代は、すべて手堀だ。
手掘りがはっきりとわかり、どこでも生きていく人間の能力の素晴らしさに感服。

そんな街道中には、カスバも至るところにあった。
カスバとは アラビア語で国または都市の域内をカスバといい,そこから軍隊の駐留する城砦や城 ..とくに城砦の部分を呼ぶ場合と、モロッコのように地方の小さな砦や地方官の邸またはそれらのある町全体をさす場合とがある。
エルラシディアからティネリールを経てワルザザードまで続く道を「カスバ街道」になっていた。

カスバ街道


昔の交通手段は、らくだだった。
らくだは1日20キロしか歩けない。
そこで20キロごとに、宿場でもあるカスバが作られたとのことだった。
カスバは完全に周囲を、砦で囲われていた。
カスバには四隅にタワーがあり、下は倉庫、上は見張り台になっている。
基本的に2階建てで、1階は倉庫・家畜を飼い、2階は生活空間になっている。
川の近くにあり小高い丘の上に建てることが多く、古いカスバは今ではもう無人となっていた。
外壁は泥で出来ているので、冬は暖かく夏は涼しいという。
がっちりした城門があり、朝の開門・夜の閉門と門限時間もあり、夜間の出入は厳しく制限されていたようだ。
無法者や賊などから、町や民を守るためのものだ。
わたしは『カスバの女』という歌を知っていたので、勝手に売春婦の館だと思っていた。
宿場町でもあるので、その要素もあったであろうが。
現在のカスバは、色んなものに活用されていた。
ホテルや、観光見所や、レストランや、役所など・・・
使われなくなったものでも、最近は人が戻ってきて住み始めているのもあった。
昔ながらの容貌が復元されているカスバは豪華で美しかった。
日本の城や城跡と同じ道を辿っているようだ。
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