無免許だが違法ではない整体師たち
いろいろ嫌になっているので思い出話に逃避する。
カイロ整体の学校に通っていたとき、丸々はつらつとした男性が生徒にいました。
二十代半ばか後半だったか。スポーツジムのトレーナーさんで、そういう仕事柄か人当たりのいい方でした。
私と級友(5つ下)に、喫茶店で何か奢ってくれた覚えがあります。
私はその後この道が自分に向いていないと思い知るできごとがあって、色々あって大学病院で重症判定されて、自宅療養を言い渡されたのをきっかけに、以後その整体学校にはいっさい顔を出さなくなりました。
学校からはとうとう一回も心配の電話ひとつなかったそうです。
いろいろな方たちが通っていました。
定年退職して、手に新たに職を付けたいという方、会社勤めが嫌になって整体師として自立したい方、花嫁修行としてやってきた方、武道家さん、主婦、それに高校出たてで日本の大学進学代わりに北京の医科大留学という奇妙なコースがあると知ってあちこちからやってきた男の子たち。
みな経歴はいろいろでしたが、当時の日本社会で居場所のない思いをしていた方々という、緩い共通項がありました。
院長さんはそれをよく知っていて、そういう人たちを広告で呼び寄せては、カイロ整体師を即成していました。自動車学校のようと言えなくもない風に。
私はというと、そういう場所でさえ居場所のない思いをつのらせていました。
大学病院心療内科(精神科ですね)で重病人として扱ってもらえたのが、ギリギリの救いとなりました。
その3年後に別の大学病院関係者より、私は酷いハラスメントを受けることになるわけです。今も脳裏で再生されます。