思春期にさしかかる前夜に
小学校にあがって、一年生から二年生にかけては、同じ学級、同じ担任教諭でした。
三年生で教諭が変わって、クラス替えも多少ありました。四年生もです。五年生から六年生にかけては、同じ学級、同じ担任教諭でした。
てんさいとしてスタートを切った私は、その役を何とか卒業式まで果たすというか保ちました。
とはいうものの小6のとき、亀裂が走りました。
学校とは別に、いくつかの塾に私は通わされました。姉の通っている習字の塾だったり、姉といっしょに英会話教室に通ったり。そろばん塾は私ひとりで通っていました。水泳教室は妹といっしょでした。従姉妹ふたりが水泳選手で、それを母が妬んで、私たちを水泳教室に通わせたのです。おかげでそこそこ上手にはなったのですが、私は息が詰まることに恐怖感があったのか、ターンで鼻血が逆流するようなあの感覚が苦手で、毎週二回の地下プール通いは本当に憂鬱でした。
学習塾通いは小5からです。小6で上位クラスと下位クラスに分かれます。上位はBクラスと呼んでいました。下位がAクラスです。小6進級前に試験があって、私は上位クラスにまわされました。二回ありました。一回目で多少不調でしたが二回目のは割と腰をすえて挑んだおかげで、悪くない得点だった覚えがあります。(順位は忘れました)
しかし夏の試験(たしか毎学年で二回)でどういうわけかさっぱり問題が解けない、そもそも何が書いてあるのかわからないことに震撼しました。結果が出たら母は怒りだすだろうと覚悟していて、実際そうなりました。彼女は私の順位と点に大激怒して、その後自分で試験問題を解いてみて「あたしでも解けるのになんであんたこれ解けへんの!?」と癇癪をおこした覚えがあります。
以後、私は中3課程修了まで、この塾でとうとう上位クラスに復帰することはありませんでした。
小学校のほうでも、小6のときあまり愉快ではない目にあっています。この学年のとき転任してきた、私と同じ姓の中年男性教諭より、ハラスメントを味わったのです。
[続く]