打ち上げ花火は嫌い
就眠中は iPad でずっと雨音を再生させています。
そうしないと、私の耳にいろいろななじり、嘲り、意地悪な質問が聞こえてくるから。
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昨日、地元で花火大会がありました。私はさっぱり興味がありません。しかしその近くに昨夕はいて、あの爆発音の連発に少々へきえきでした。
ひとにどやしつけられているような気になる。
私は割と小声で、ふくみ声です。肺活量がそれほど大きくない(かもしれな)せいでしょうか。声質がいいひと、大声のひとといっしょだと、嫌になってしまいます。語る内容よりも声質でひとは耳を傾けてしまうものだから、どうしても私のような者は不利になります。
それに、打ち上げ花火はどうしても空爆や高射砲を連想させます。日本の戦争責任ガ~とか加害者意識ガ~とかの進歩のない主張には前から違和感と不快感を抱いています。そこを刺激されるのです。
自分が社会性に欠けるとは思っていません。いろいろ酷い目に遭ってきたことや、当時の私はそれをうまく言語化できず、ひとりで抱え込んだり、違う方向に解決策を探したりしていました。できればもうああいう苦しみとは距離を置き続けたいです。
しかし何かのはずみで、安全装置がいっとき緩んで、私の自我に大電流が流れ込んでくることがあります。
花火大会は、自分にとってそういう怖さがあります。
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