私はスーパーALT
この数日、目覚め気分が「学校行きたくないよ~」に近いものになっています。中学生活を裏テーマにした書物を書き綴っている影響でしょうか。昨日おとついに引き続き今朝も頭がぼーっとするし。先ほど風邪薬を吞んだところです。
あの頃、とっとと不登校児になってしまっていたほうが良かったんじゃないかと今でも思います。
まわりのおとなたちが変わらないで、どうやって(あの頃の)私が救われるというのか。
『僕はビートルズ』というまんがが人気でした。現代のバンド四人組男子が、ビートルズのコピーバンドとしてそこそこ実力をつけてきたところに、半世紀前の東京にいきなり跳ばされて、つまり戸籍も何もかもなくなってしまった状態より人生スタート。ビートルズの曲で売れっ子になっていきます。
あの四人組については逸話がこれでもかと揃っているので物語化も評伝化もいっぱいされています。しかしこの話はひねりが効いていました。ビートルズのコピーバンドがビートルズの代打を始めたらビートルズが解散しちゃって、その後代打どころか本物として続投しないといけなくなるなか、ビートルズとは何だったのかを代打の四人組が必死に考え、探っていくのです。
作者さん(作画のほう)いわく「間接話法でビートルズを描きたい」。
今私が連日のったりくったりとラストに向かって進めているブツも、間接話法で私の人格形成期を描けるかというテーマが裏にあります。テーマというか課題。Assignment。
「ReLife」のように露骨に人生再起の物語ではなく、転生ものというジャンルのなかに逃げ込むのでもなく、もっと何重もの隔壁によって間接話法化したナラティヴで、どこまで〈わたし〉を描けて、そして大勢それもうんと大勢の人々の心を掴めるか、おそるおそる、きわどいバランスの上を綱渡り歩き中。