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邪道作家第三巻 聖者の愛を売り捌け!! (ハーフ版) 上

新規用一巻横書き記事

テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)

縦書きファイル(グーグルプレイブックス対応・栞機能付き)全巻及びまとめ記事(推奨)

縦書きファイル版


簡易あらすじ
聖人は金になるか? 答えはイエスだ。
いや、別にかけるつもりは無かったが───まあいい。大工手伝いに興味は無い。さて、このたびは偉業を成した聖人候補、その素晴らしい精神性はそれはそれとして作者取材に丁度良いという訳だ。
聖女など、表紙に貼り付けるだけで金になりそうだしな──────いいものだ。
無論神も仏も「個人的に私を嫌っているのは間違い無い!!」と断言出来る私にはどうでもいい。大体、生まれついての悪だからって差別して恥ずかしくならないのか?
差別主義者め、地獄へ堕ちろ!!!
愛? 相手が良ければそれで良いだと?
ならばその頬を殴らせろ!! これはそういう物語だ。違っても特に反省も保証もしないが、別に構わないだろう?
無銭通読に人権無し!!
以上だ。大体が読んで判断しろそんなもの。



邪道作家第三巻 聖者の愛を売り捌け!!



 その女は悪魔だった。
 人を惑わすわけではない。
 人を騙すわけでもない。
 ひたすらに健気で、神を愛し、それでいて脇目もふらず、好意を向ける男にさえ目もくれなかった。
 その女は悪魔だった。
 というのも、その女は人間を愛していたからだ・・・・・・これ以上の悪はどこにもない。そう思えるほど女は人間を愛していた。
 女は許した。
 罪も悪も背徳さえも、これ以上気高い聖人はいないと、誰もがそう思っていた。
 許されることで人々は自分たちの罪を忘れ、女に罪を告白することで、自分たちの罪を無かったことにしようとしたのだ。
 何という滑稽な喜劇だ。
 これを笑わずして何を笑う。
 問題は、その女に自覚が足り無かったところにある・・・・・・これは愛の物語。
 つまり嘘八百であり、馬鹿馬鹿しい虚像の物語だ。読者ども、騙されるな。
 愛など幻想だということを。
 

   0

 女の話をしよう。
 
 その女は惨劇に揺るがなかった。
 多くが死んだ。
 その女の家族も、親族も、数えるのが馬鹿馬鹿しいほどの「多く」その中には彼女自身が含まれてはいなかった。
 これは天啓だと、
 ここで生き残れたのは神がお守りくださったからだと彼女は信じた。馬鹿馬鹿しい話だ。あえて主観である私の言葉は挟まないが、しかし、あろう事か神ときた。
 神、そして愛。
 これほど見栄えがよいくせに、現実に何の影響も及ぼさないモノはない。信じるは自由だ。しかし助けを求めるなら不自由だ。
 この世に生を受けて足し算を覚えた辺りで人間は考えるだろう。曰く「なぜこの世は不条理なのか? 神はいるのか? 死とは何か?」人それぞれなどと誤魔化すのはしない。
 神がいたとして、役には立たない。
 ならば心の支えにしようという人間は多い。多いが故になのか、彼らは気づかない。
 心とは、誰かに支えて貰うものではないのだ。 人任せにしたツケを払わざるを得ない、あらゆる人間に降りかかる「不条理」という怪物は、いともたやすく心の支えを取り外す。
 なぜ私が。
 口にすることは簡単らしいが、答えを出すことは出来ないらしく、彼ら彼女らはあっさりと支えを捨てて、この世全てを恨み、こんな世界は違っていると声高に叫ぶだろう。
 だが、その女はしなかった。
 信じたからだ。
 意味はあると、生き残ったからにはなさなければならない使命があるのだと。
 馬鹿馬鹿しい。
 これが作品なら駄作も良いところだ。何にせよ女は「これは神が与えた試練である」と納得することで、愛と信仰と純潔と市の恐怖から逃れる心を会得した。
 人のため、人のため、人のため。
 聖者の末路はそんなものだ。だが、違ったのは物書きの一人が彼女に心を奪われたことだ。
 同じ物書きとして正直理解し難い出来事ではあったが、まぁその男は物書きとしても三流だったので、私のようにネジが足りない部分は極々一部であり、人間をやめてはいなかったのだろう。
 昔は良い作品を出していたようだが、現状は酷いモノだった。読者に媚び、メディアに媚び、媚びることで作品を売り出したら終わりだと、端から見ている私が思うほど、作家として落ちるところまで落ちていた。
 しかしそれでも心があるのなら、愛か恋かはしらないが、人に思いを抱くことはあるらしい。
 その男は聖女である女に心奪われたのだ。
 しかし現実は残酷だ、女は「人間を愛するから」と断った。

 愛は愛されることを望む欲望だ。

 神はすがりつくための道具だ。

 死はさらなる旅路だ。

 たかがその程度のことにすら気づかなかった、いや私が察していないだけで他の答えを出したのかもしれないが、甘酸っぱい物語、つまりは駄作と言うことだ。
 愛、神、そして死。
 これほどつまらない題材もない。共通点がある以上、簡単に答は出せるだろう。
 答えに懊悩する若者の物語というわけだ。あんともチープでつまらないがしかし、関わるのが他でもない邪道作家、この私で有れば結末も変わってくるモノだろう。
 悲劇か喜劇か、いやどちらも見せ物という点では同じだろうが。
 では、語りだそう。
 人間に出せる答えは知れている・・・・・・・・・・・・自分自身の確固たる意思で答えを作り、道しるべにしなければならないという共通の問題だ。
 答えは出たか?
 まだ出ないと言うなら始めよう。せいぜい苦悩しろ読者共。作家は読者を導き、騙し、語り、そして道を示すのが仕事だからな。明かりを忘れるな、準備は良いか? さぁ
 
 物語の幕を上げよう。

   1

 私は神の家にいた。
 恥ずかしげもなく神と愛と説教を垂れ流すこんなところに、私がいる理由は単純だ。
 作者取材である。
 愛というモノが真実「この世の幸福」であるならば、とりあえず見て調べておかなければという判断からここへ来た。
 ステンドグラスは礼拝堂を神々しさで埋め、光に満ちた神の聖域を演出していた。だからといって神がご加護をくれるかどうかと言えば、そうでもないだろう。用は説得力の有る無しだ。
 その女の祈りは儚く、そしてそれらしかった。 それらしく、聖女のように見え、そしてまるで祈りが届いているかのように見えた。見えるだけで、この女の経歴から考えれば、見捨てられたといって差し支えないのだが。
 金の髪は聖女のイメージを彷彿とさせ、白く潔白な修道女としての姿は節制を主とする人間の見本のようだった。人間の正しい在り方を前進で表現しているように見て取れた。
 私から言わせれば、そんなものは価値のないモノでしかないのだが・・・・・・万人の正しさの基準ほど曖昧ですぐに変わり、かつ役に立たないモノはない。
 だが、圧倒されたのは事実だ・・・・・・どんな在り方であれ、極めれば人間、それ相応の雰囲気を放つのだろう。
「お待たせしました」
 振り向かずに祈った姿勢のままで、そんなことを女は言った。シャルロット・キングホーンという名前、キングホーンというのは地元の貴族の名前らしいが、まぁ私からすれば貴族であろうが義賊であろうが同じに見える。
 問題はただ一つ、金になるかだ。
 違った、作品のネタになるかだ。
 人間性など、どうでも良い。そんなモノの判断は偉そうな公僕にでも頼んでおけばよい話だ。
 とはいえ、この女の人間性は、世間的には棄権しされているから殺しではなく破壊の依頼が綿足に舞い降りたのだろう事を考えると・・・・・・・・・・・・いや、その話はまた今度だ。
 作者取材のため。
 大抵のお題目はこれで何とかなる。
「取材の依頼を申し込んだものだ。とりあえず、話を聞かせて貰って良いだろうか?」
「ええ、構いませんよ」
 そういうと、恐らくは普段信者たちが祈りを捧げるために座っているであろう横長い椅子に、座った。私は無神論者ではあるが(神と何回も取り引きしておいてどうかとは思うが)存在自体はともかく、その有無はともかくとして、別に敬ってはいないので、少し間をあけてもたれ掛かるように座った。
「だらしないですよ、神の御前です」
「それについては、今更どうしようもない話だ」「・・・・・・?」
「なんでもいい。話を聞かせて貰いたい」
 そうは言ったものの、何を聞こうか?
 物語に流れのようなものがあるならば、この場では何か、今後の壮大な前振りを聞くのだろうが・・・・・・何度も言うが、私は主人公ではない。
 この世に物語があったとして、せいぜい語り手に過ぎないだろう。そうでなくては作家などやってはいられまい。
 何かセクハラじみたことでも聞いて惑わせようかと思ったが、やめた。ふん、そうだな。
 ここは珍しく王道でいこう。
「恋人がいるという話だったが」
 そう切り出すと、彼女は飲もうとしていたらしい紅茶を吹き出した。私が座っている間にわざわざ二人分、持ってきて先に飲もうとしていたらしいが、しかしそれは台無しとなった。
「どうなんだ? 神に身を捧げつつ、他の男とも縁を持つというのは。女という生き物は恐ろしいよな、神ですら男で有れば手のひらの上だ」
「いません」
 彼女はそう言った。そして「居てはいけないのです」とも。
 元々、大した興味もないのに私がここに来た理由は、主にそれが原因だったからな。
 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ぬと言われるが、しかし馬のいないこの惑星ならいくらからかっても何の咎もないはずだ。
 あったとしても、知らないが。
 だから追求することにした。
 神は愛を肯定しても、恋は否定するのか? それは物語のテーマになるし、傑作を生む肥やしになるだろう。などと教会の中で考えているのだから、今更神におべっかをつかったところで仕方有るまい。
 だから聞くことにした。
「それは何故だ? 成る程神を愛することは汚れがなくて美しいのかも知れないが、しかし美しくあるために個人の幸せを食いつぶすような存在を神などという、大仰な名前で呼べるものか?」
 少し躊躇したが、彼女は、
「私は、皆の期待をこの背中に背負っています。何億という信徒たちが、私に期待しているのですから、私個人の幸福を優先することは、神の教えに背きます」
 聖人、というものをご存知だろうか。
 教会の機構の象徴みたいなものだ。簡単に言えば国家が分かりやすい威光を求めるように、宗教だって分かりやすい「結果」自分たちの成果を欲しがるのは無理のない話だ。
 死後、2回も奇跡を起こさなければ認定はされず、本来は誰もが知る、聖人たちを称えるものだったらしいが、組織が大きくなり欲望が肥大していくに連れて、聖人判定はそういった人間たちの欲望にまみれていった。
 その聖人になる可能性。
 そんなものを内包する女がいれば、当然の事ながら期待はする。メジャーリーガーとして活躍するに足る実力を持つ若者に、まさか自身の幸せを優先して田舎で過ごせと教える奴はいないだろうと思う。
 これはそういう類の物語だ。
 だが、そんな目に見えない奇跡、居るのかも分からない神、その他大勢の人間の期待、そんな有るのか無いのか分からないものに、人生を左右される事があるという事実に、私は我慢があまり効かない人間だ。
 だから言ってやった。
「馬鹿馬鹿しい、神の教えという言葉を、言い訳に使っているだけだろう」
「・・・・・・何ですって?」
 おお怖い。
 女の怒りは手に負えない。相手が男であれば切り捨てれば済む話だが、相手が女ならあの世の果てまで呪われそうだ。
 男は怒りの元をすぐ忘れるが、女は日々の記念日から大昔の諍いの理由まで、全て忘れたりはしないからな。
「事実だ。そもそも、神の教えといえば聞こえは良いが、そも神が教えたからと言って服従する理由など人間にはない。仮に神がいたとして、人間では思いも付かない、素晴らしい教えを説いたとしよう」
「説かれました。その教えは脈々と受け継がれ、この遠い未来にまで聖書は存在します」
 それは正しい。
 しかし、間違っている。
 それを教えてやらねばなるまい。実に面倒ではあるが。
「我々は神の分身では無い。神がどれだけ素晴らしい結論を出そうが、能力的に優れた者が自分たちの結論を教えているだけだ。神が真に全能であり全知だったとしても、我々人間は従わなければならない理由などどこにもない。奴隷ではないのだからな」
「神は我々をお作りになった造物主です。そういう考え方は不敬ではありませんか?」
「何か悪いのか?」
「だって、それは・・・・・・」
 私はため息を付いた。
 宗教はこんな科学の果ての世界でも、あまり進歩はしていないのだろうかと。何の変化も無く遙か未来まで受け継がれたことは賞賛に値するのかも知れないが、だからといって、変化しないで良いわけがないのだ。
 変化しない宗教など、ただの化石だ。
 人間の意思で手を加え、いつか追い越した上で「人間の答え」を出さなければ意味がない。それも組織としてではなく、各々が個人として、その答えを出せなければ、神の教えは活かせていないのでは無いだろうか?
「例え神が全知全能だとしても、その答えを盲目的に信じて良いわけがないだろう。神が間違えるかも知れないし、絶対的に正しいとしても、それは神の目線から見た正しさだ。我々人間がそんな事ばかり考えてどうする? 自分自身の心の答えが、結局のところ真実なのだからな」
 心があるのかどうかも私がこんな事を言うのは皮肉でしかないが。
 だが、神の答えよりも心の答えを優先するのが生き物の在り方ではないのか? 自身の心に嘘をついてまで貫くモノが、本当に正しいのか?
 一作家として気になる話題だ。
 私は私の作家としての業に従って、その答えを突き止めるべく、彼女に追求するのだった。
 が、しかし。
「今日はお帰りください」
 と門前払いを受けることになった。踏み込みすぎたか。何にせよおとなしく帰る(帰る場所など無いのだが、まぁ何処かに泊まろう)ことになった私を、その男は待ちかまえていた。
 貧相な男だった。
 背は低く、目は腐っている。
 だが、見覚えはないが私は知っていた。なぜならその男は私と違ってメディアに露出し、作品をデジタルな媒体で売りさばいている、所謂売れっ子作家、つまりはいけ好かない輩というカテゴリの人種であるという事を、私は事前の調査で調べ終わっていたからだ。

   2

私は結構な金額を寄付しているので、この程度では罰は当たらないはずだ。少なくとも、貰った金を返せない神とやらに、あれこれ言われる覚えもないだろう。
 それでも少年少女、少なくとも心がそうである連中に手を出せば、神の罰はなくてもあまり良いことはない。恋は盲目であり、愛は傲慢だ。
 つまりロクなモノではない
 ではそのロクでもないモノについて語ろう。
 愛について。私が言うと何とも滑稽だが、私が言うからこそ野説得力もあるはずだ。
 最近私が思うのは、例え、心の底から尊敬し、愛する者がいたとしてもだ。そのために自分が犠牲になったり、へたを掴まされたりする事を私は許容しない。
 そんなモノが愛だというのならば、愛とはただの搾取でしかないからだ。
 真実それが尊くて美しいのだとしても、絶対に認めてたまるか。自分自身を犠牲にして手に入る幸福などたかだかしれている。男も女ももっと強欲になるべきではないのか? 幸福を手に入れることに何かしらの制限やそのための代償が必要であるかのような風潮が人間の「正しい倫理観」にはあるが、正しさもどきのために犠牲になることで、人間が幸福になれるはずがないのだ。
 それは妥協でしかない。私のような非人間が諦めから選ぶ道と大差はない。つまり見た目幸せそうに見えるだけ、見栄えが良いだけだ。
 そんなもので満足してたまるか。
 だが、目の前の青年はそんなもの、そんな自己犠牲精神で満足、いやそれこそが正しい道だと信じ、自ら犠牲になり、満足しているようだった。 馬鹿な奴だ。
 我々はカフェで相席になり座っていた。私はコーヒーが高かったので勝手にチョコ菓子を持ち込み、ミルクを目一杯いれ、優雅なひとときを楽しんでいた。
 対して、その青年は違った。
 腐った目で世の中を見ながら、恐らくは私が何か少年少女の色恋沙汰を手助けしようと(私が人を手助けするのは大概が興味本位、あるいは作品のネタになるからだが)する事を拒むため、心の中で理屈をこね回しているのだろう。
 彼女のためにならないと。
 自分はここで断らなければならないと。
 馬鹿馬鹿しい。
 誰かのため、などというお題目そのものが自身の内から沸き上がった欲望ではないか。欲望に忠実なのは結構だが、それを勘違いして、つまりは世のため人のため、あるいは愛する女のために、自身を犠牲にするしかない、と思いこむ。
 自分はそんな道を選びたくはないのだけれど、仕方がない。それしか道はないと。
 頭の軽い奴だ。
 その頭には何が入っているのか。何も入っていない方がマシな中身しかなさそうだが。
「用件は何ですか?」
 そう、場を征するように言った。
 私はテーブルから落ち掛けたチョコに神経を取られていたので、あまり聞いてはいなかったが。 チョコを摘み、コーヒーで流し込み、幸せな気分になったところで面倒になってきたので、私はそのまま眠ろうかと思ったが、財布のこともあるし、とりあえず表面上は取り繕った。
「人を呼びだしておいてどうかと思いますよ」
 そんなかわいげのないことを言うので、私はチョコレートを摘み、コーヒーを飲んでから「この良さが分からない内は、まだまだお子さまだな」と言ってやった。その上で、
「ああすまん、私より年上だったな。確か、情報によると30代半ばだ」
 実際には亀もかくやというくらい私は長生きだったが、しかし樹木ではないのだから年齢など、どうでも良い話だ。
 つまり完全なる悪ふざけ、相手をからかうためだけの言動である。
「悪かったな、年長者、つまりは年寄りに対する礼儀がなってなかった。年を取った人間は敬わなければ失礼だからな」
「・・・・・・僕はそこまで年を取っていないし、むしろ周りには子供っぽいって言われる方ですが」
「そうか、老けているのは見た目だけか」
 ますます腐った目を黒くして、私を恨めしそうに見るのだった。面倒だから目潰しでもしてやろうかと思ったが、面倒なのでやめた。
 睨んだくらいで、いや相手が猛獣ならば別だろうが、どれだけ凄みのある人間でも、私のような非人間を眼力なんてモノで動揺させられると思うのは、正直どうかと思う。
 私はコーヒーを飲み、余裕の姿勢を崩さなかった・・・・・・感情豊かな人間ならばこの青年にはきっと、内面を見透かされたかのような恐怖、を感じるのかも知れないが、私にそんな情緒のある反応を望むのは無理がある。
 作品に活かすとしよう。まぁ、そんな感情豊かな人間が彼のような内面の腐った、自分を傷つけることに躊躇せず、他人の罪に対してごまかしを許さない癖に、自身の罪は背負い込む姿勢を見せる変人、つまりはハーレムモノの主人公みたいな優柔不断、判断基準が残念な男の登場など、そうそうあるものでもなさそうだが。
「それで、あの女とはいつやるんだ?」
「ぶほっ!」
 と、漫画のように吹き出した。残念な男だ。女に対してもそうだが、もう少し要領よく生きることを良しとすれば、人生楽だろうに。
 あるのか無いのかも分からない罪、そういった目に見えない罪悪感に人生を左右される人間というのは、全てを持っている癖に、それを手にする資格がないとか、なら資格を取りに行ってこいと言わざるを得ないような、うじうじとした戯れ言を繰り返し、自分は立派な人間ではない自分はそんな良い人間ではないと思いこむ。
 くだらない。
 こういう男の話を総合すると、要は「女を抱きたいけれどその勇気がない」ということを延々と遠回しに話しているだけなのだ。面倒な連中だと思う。
「・・・・・・僕と彼女はそう言う関係ではありませんよ」
 と、先んじて私が言った。面食らっているようで、つくづくチョロい内面しているなぁと思わざるを得なかった。
「で、どうなんだ? やるのか」
「原始人じゃないんだから、そんな欲望のままに生きてられませんよ」
「そうか、私は何をやるのか、具体的には話していないが、やはりあの女、お前の女で間違いないようだ」
「人間は誰かの所有物じゃありませんよ」
「妻であるなら所有物で、共有物だ」
「・・・・・・・・・・・・ぼくは結婚はしていませんが」
「そうなのか? なら、あの女が誰かに取られても構わないのだな?」
「それは」
「私がこれからあの家に行って、押し倒してしまっても構わないわけだ。あの女は泣くかもな」
 殺気というよりも、焦りが見えた。
 あるいは、本能的な反応か。
 ブラフだとバレバレであっても、この男は愛しの彼女が罵倒されたり、危機に陥るのが我慢できないのだ。だからこんな会話一つで動揺し、目の前の私を殺害するかどうか間で頭の中で話が飛躍している。
 忙しい奴だ。
「・・・・・・友達ですからね。無理に、というのなら当然止めますよ」
「友達ではないだろう。お前達は友ではない」
 言っては見たものの、具体的に何か考えがあったわけではない。友情など私も知らない。
「そんなことありませんよ。僕たちは親友ですから。彼女もそう公言しています」
 正直言うとこの程度の戯れ言、いやどんな戯れ言であろうが私に切り崩せないものなど無いのだが、焦らず行こう。
 変に恨まれて夜道で刺されてはたまらない。
「あの女にお前が言わせているだけだろう」
 だというのに、私はいちいち相手の心をえぐりそうな言葉を発するのだった。まぁ口に出てしまったものは仕方あるまい。
「お前はあの女にそう言わせ、そして今の関係を続けようとしているだけだ。そして、何だろうな・・・・・・お前は恐怖している。今の関係が崩れることは勿論だが、ふん、そうだな、自分のような人間が彼女と共にある資格があるのか? 彼女は自分自身を否定しやしないだろうか? と、そんなところか」
 おおむね当たっていたらしく、「あなたにいったい何が分かるんです?」とべたな台詞を返されるのだった。
「わかるな、作家に分からないことなど無い。人の心なんてパット見で分かる。お前の心などお見通しだ」
 実際にはこいつの心など別に視認しているわけではないのだが、少年少女の思い悩みなど大昔から変わらないものだ。考えるまで、心を読むまでもない話でしかない。
 だというのに、それを信じたのか納得したような顔で青年は落ち着くのだった。こんなチョロい男と一緒になってあの女は大丈夫だろうかと思ったが、まぁ男がだらしない分女はしっかりするものだろう。バランスは取れている。
「人に知られたくも無いことだけは知っている。それでいてその事実を突きつけ、金を巻き上げる・・・・・・それが作家と言うものだ」
「ぼくも一応、作家ですけど」
「そうだったな。昔は面白かったが最近はつまらない話をかいて大儲けしていると聞いたが」
 ほとんどやっかみ半分、悪ふざけ半分だったがしかし、またそれをまじめに受け止めて暗い顔をしているのだった。
「まぁいいじゃないか、売れてはいるんだろう」「確かにそうですけど、昔の方が面白いってのは聞き逃せませんね」
「そうなのか? 事実昔のに比べて、最近の話はドラマの台本なのか小説なのか、よく分からなくてつまらなかったが」
「メディア展開を考えると、愚直に小説を書いてもいられなくなるんですよ」
「ただ単に天狗になって、本分を忘れただけだろう。頭の中をメディア展開で一杯にしながら画策品が、傑作になるわけがない」
 などと、適当なことを言った。
 売れる作品と良い作品は違う。とはいえ私はその筋の専門家ではないし、傑作を書く条件など知ってはいるが、いるだけだ。
 結局のところ作品とは心を打つものではなくてはならない。私が言うと空しさすらあるが、とにかくだ。
 人生の半身を書くこと。それが作家の個性を出すと言うことなのだろう。
「じゃああなたには、傑作を書けるんですか?」「書けるな、そんなもの造作もない」
 と、答えたものの、そんなことは判断するのは読者であって、私ではない。まぁ自己満足であるという事を考えれば、私に傑作以外は書けないし書くつもりもないということになるのだろうか。 まぁどうでもいい。
 書けるに越したことはないが、作家である以上に一個人なのだ。読者共の判断など、金になればどうでもいい。
 逆に言えば、どれだけ傑作だと表されようと、金にならなければ空しいだけだ。
 邪道作家のこの私が、世のため人のため読者を勇気づけるために、作品を書くわけがないだろう・・・・・・そんなものはついでだ。私個人の幸福以上に大切なものなどあるわけがなかろう。
 そのあたり、この男は私とは真逆で、金や裕福さ、豊かさを得るに足る人間ではないと、モノはあるのに自身を肯定できず、私が毛嫌いする「世間的な道徳」に肯定される、あるいは認められることの方が、優先順位が高いのだ。
 贅沢な男だ。
 その他大勢のどうでもいい意見に、よくそこまで敏感になれるモノだ。暇であるからこそ、持つ側の人間だからこそ、持てる余裕と言うべきか。「あなたは、自分を肯定できる人なんですね」
 と青年、いや中年は言う。見た目は若いのだが、中身はさらにお子ちゃまだが、まぁどうでもいいだろう。肉体的な年齢も精神的な年齢も、若いに越したことはない、はずだ。
「自身を肯定することなんて簡単だろう」
 と答えたモノの、実際大した考えはない。そうだな、私の場合作品の品質よりも見る目のある担当に当たるかどうかを、気にする質だしな。
 まぁ、肯定しようがどうしようが、そんなもの結果が全てという気もするが。
 自身を信じる行為には、価値はあっても意味はないのだ。この男のように、自己満足がしたいだけなら話は別だが。
「自分を信用できないと?」
「ええ、自分なんて、簡単に移ろうものです。感情ほど左右されるものは、この自然界にはありません」
 面倒な思考回路だ。
「ならアドバイスをやろう。とりあえず信じるだけ信じて、ダメだったらまた次の策を考えろ」
「そんな適当な生き方できませんよ」
「なぜだ?」
「何故って・・・・・・無責任じゃないですか。自分を信じた結果、周りに迷惑をかけたら」
「お前は予言者ではないだろう。信じようが信じまいが結果は誰にも分からない。お前はただ単に成功しようが失敗しようがどちらでも応対できるように振る舞っているだけだ」
「・・・・・・・・・・・・」
 図星だったのか心に刺さるものでもあったのか知らないが、天を仰ぐ、そう、カフェの中で妙な行動ではあるが、天井を仰いで、そしてつぶやくように男は言った。
「それの何が悪いんです? 最善のの方法を使うことの何が、悪いんですか?」
「悪いかどうかと言えば、この世に悪い行動など無い。そんなモノは後付けでどうにでもなる。問題なのはお前が自分を騙しながら要領よく生きていることだろう。悪くはないかも知れないが、まぁ個人的に見ていて不愉快だったのと、あとはお前の言う感情の移ろい、私の機嫌がたまたま良くなかっただけだ」
 実際、機嫌が良ければ適当に肯定していた可能性だってあるのだ。とはいえ、自分を信じるだけなら金はかからない。無料でできてそれなりに気分も良くなると言うのだから、損はない。
 そして私個人の損得勘定が合えば、そんな道徳的な正しさなど紙も同然だ。
 風が吹けば消える程度のモノでしかない。
「・・・・・・・・・・・・は」
 納得したのか、結論を出したのかは知らないが何かしらの形で答えは出たようだ。
「大体が、全てお前の自身の有る無しが原因ではないか。お前があの女を抱けばそれでつまらないハッピーエンドだ。つまらない恋愛がつまらない結末を迎えるだけだ。そうそう、言っておくと、私はあの女の始末を依頼されている」
「何ですって?」
 恐怖と怒りで顔をない交ぜにする。
 最初から言った方が良かったか。
「それも含めて、おまえ次第だ。私は面白い方につくからな、あの女を始末した上で、お前とあの女のくだらない恋愛に手を貸しても良い」
「どういうことです?」
「殺しはしない。私にお前が手をかすなら、そこは保証してやる。いずれにせよ断る理由はないはずだ。お前が断れば私はあの女を依頼通り始末する。お前が手を組めば私が手を貸し、生き延びた上で情報をごまかし、手を貸そう」
「どうして、いや、貴方の目的は何です?」
 そんなモノ決まっているだろうに。
「作品のネタ探しさ。作家だからな。それ以上に優先すべき事柄は、いまのところ私にはない」
「・・・・・・いいでしょう」
 言って、非人間二人は手を組むのだった。
 私が関わったおかげで、物語は歪み、恋愛モノからサスペンスホラーに、奇妙な方向へと結末を向かわせてしまった感は、否めなかったが。

   3

 権力者について。
 世間的な「立派さ」のようなものは、個人の自己顕示欲を肥大化させ、そのためだけに生きる生き物に変える。
 その点は、安心して良い。アンドロイドが自我を持つこの時代ですら、不変の法則だ。
 権力なんて一定以上持てば気苦労が増え、仕事も増え、あまり良い事はないに決まっているものだが、しかし見栄や知ったかぶり、あるいは先ほど記述した自己顕示欲。ある意味彼らは自分を認めることが出来ないのだ。あの陰気な男とは違って、つまり金や立派さがあれば自分を肯定できるのだろう。
 それを剥いでしまえば、薄っぺらな自分たちには何もないと、無意識下で恐怖しているのかもしれない・・・・・・・・・・・・宗教も同じというわけだ。
 聖人。
 ある意味、いや間違いなく戦略兵器よりも国や組織といったモノは、こういうモノを欲しがる。 信心を集め、金を集め、自己満足を深める。
 私は神なんているかどうかはともかく、いたところで私を助けてくれるわけではないことは明白なので、そんな赤の他人に何かを期待することはない。
 しかし聖人は奇跡の象徴だ。
 その奇跡があれば、自分たち無関係な人間、信者である自分たちも、救ってくれるのではないのかという欲望。それが人々が聖人を求める心の正体だ。大体が、そうでないのなら聖人が何人国の墓に納められたところで、関係のない話だろう。 死した聖人が自分たちを救ってくれる、おこぼれを欲しがる心構えだからこそ、死んだ立派な人間に奇跡なんてモノを求める。
 聖人だろうが何であろうが、遺体を後生大事に特別扱いして、奇跡を祈り、一度も話したことのない人間に救いを求める。
 これが欲望でなくて何が欲望か。
 自分たちは都合良く救われたいだけなのだと素直に言えば良さそうなものだが・・・・・・組織であれば体面上、そうできない。
 大昔から自分たちの宗派の聖人を集め、容認できない宗派は弾圧し、それでいて神の愛を説き、民衆の心を一つにする。
 質の悪い洗脳儀式だ。勘違いするな、私はその神の教えとやらを否定しているわけではない。信仰は個人の勝手だ、しかしその個人の勝手を組織単位で脚色し、利益を求め、それでいて自分たちは清廉潔白な「良い人間」出あろうとする輩に関しては、不潔で汚らしいとしか思わない。
 そう言う意味では、あの修道女は本物なのだろう。私は宗教に関して詳しいわけでも何でもないが、ああいう人間が、前述したような腐った組織から民衆を解放してきたのだろうな、と私にしては割と素直にそう思った。
 さて。
 問題は、その聖人本人の意思を周りが一切汲み取らないところにある。聖人であることを、あの女がこれから先も聖人であることを望むのは勝手だが、そのためにあれこれ清廉潔白でいさせるためだけに恋路に口を出し、愛を神への一方通行で済ませようとするのは、ただの悪行だ。
 自覚するつもりも彼ら彼女らにはないのかも知れないが、ただの鬱陶しい嫌がらせでしかないだろう。聖人であることが仮にだが、絶対的に正しいとしても、その聖人になれるわけでもないその他大勢があれこれ言うのは見ていて醜悪だ。
 宗教とは、あくまで個人のためにある。
 神を信じる心も、神を崇める心も、神を見捨てる心も、全て当人の選択で選ばれるモノだ。
 他人の意思で決定づけられては、本当にただの洗脳でしかない。したとして、それは無理矢理教え込んだ人間の自己満足でしかないものだ。信者を増やすのは勝手だが、信じるモノが自発的にやるものであって、街頭で人を捜すのは、自分たちの所に信者が増えてほしいという、欲望でしかないだろう。
 私はそんなことを考えつつ、ホテルのシャワーを浴び、モーニングを食べていた。納豆ご飯に味噌汁、あとは卵焼きと食後のチョコレートだ。質素ではあるが、朝から贅沢なモノなど食べたところで胃が疲れる。
 シンプルなモノは良いものだ。
 私には人間の欲望が本質的には感じられないからかも知れないが、しかしブランド品や高級車を買いあさったところでどうせ捨てるのだから、見栄や自己顕示に金を使わなければ、基本的に人間金に困窮することはない。無論、多くあった方が安心は出来るので、私は多めに欲しいが。
 何にせよ人間は見栄や自己顕示で人生を無駄にする輩が多いと言うことだ。今回の件も下らない自己満足につきあわされたという所から始まっているのだしな。
「先生よ」
 テーブルに置いてあった携帯端末から、そう呼びかけられた。人工知能には「朝の作家に声をかける」という気遣いの出来ないやり方しか、今のバージョンでは出来ないらしい。
「何を悩んでいるんだい? さっさと殺しちまえばいい。依頼は聖人の破壊だろう?」
「破壊であって、殺人ではないさ」
「またそんなことを言う。手に入らないモノを眺めるのは良いが、彼らのしょうもない恋愛物語なんて、眺める側は空しいだけだぜ」
「そうも行くまい。私は作家なのでな・・・・・・・・・・・・売れる作品を要求されるのは当然だ。そして編集部というのは売れれば何でも良いものだ。金融が人類の判断基準になって以来、科学も技術も発展したが、何事も「金融」が中心である限り、そこに「幸福」は存在し得ない。しかし、「金融」がそこにあればそれは大きな力になる。つまり人類は中身よりも実利を求めているのさ」
「そんなことを気にする人間でも、ないだろうに・・・・・・ただ憧れているだけだろう?」
「いいや、憧れは無い。一切な。憧れを感じる心がないのだから当然だ。しかし、そうさな、
強いて言えば」
「強いて言えば?」
「見ていて面白くはある。暇つぶしには丁度良い娯楽だ」
「けど、その娯楽が手に入らなくて、遠くから眺めている子供とかわらねぇな」
 口の達者な人工頭脳だ。
 自分で自分をアップデート(違法だ)する人工知能は、どうやら私よりも人間らしさらしきものの獲得を、容易としているらしかった。
「だから何だ? 無い物ねだりをしても仕方あるまい。あるもので勝負をし、満足行くまで求め続ける。人間に出来るのはそれくらいだ」
「やれやれ素直じゃねぇなぁ。あいつらの輪の中に混ざりたいって、言えばいいじゃねぇか」
「普段から言っているだろう。それを仮に手にしたところで、私はやはり何も感じない。どころかそれらをあっさり、実利のために捨てるかも知れない。手に入らぬモノを無理して手にしたところでやはり、私が得るものは何もない」
「家庭を持ったり、幸せな人間関係を結んだところで、先生は満足できないのか」
「しないだろうな。するにしても、今更遅い話だろう。何にせよ手に入らぬモノに関してあれこれ言っても何も変わらない。なら、せめて実利はキチッと確保しておくのが豊かな人生のためだ・・・・・・・・・・・・ところで、お前はどうなんだ?」
 私は椅子に座って、コーヒーを煎れることにした。執筆用の文房具(もはや骨董品だろう)を開き、右手側にコーヒーを置いて、飲みながら執筆するのだ。人間一つのことに集中した方が効率が良さそうなものだが、私はアイデアに困ったり、執筆速度が落ちることも一切無いので、コーヒーを飲んでチョコを摘みつつ、オールディーズのSPレコーダーを回しながら、大体2〜3時間で10ページを書く。無論私は真面目な人間ではないので、書けるからといって無理はしないが。
 理屈の上では3日で一冊位だろうか・・・・・・とはいえ実際にやれば間違いなく指が痛むだろう。
 最近は徐々に早くなってきているので、その内半日くらいで書けるペースを手に入れられそうではある。早ければよいわけではないが、私は馬車馬のようにこき使われるのも御免なので、ある程度豊かな生活を送りつつ、作家業を続けていきたいモノだ。
 ジャックはくつろぐ私に向かって、
「俺が? 何のことだ?」
 と、意外そうな声を上げた。無論、携帯端末の合成音声ではあるが。何気に有名映画のハードボイルド主人公の吹き替え声である。変なところに見栄を張る奴だ。
「お前から見て、今回の騒ぎはどう見える」
 機械には宗教はないのだろうか? いや、アンドロイド達の活動にも宗教じみたモノや、そう呼べる活動は存在する。なら、機械は神を信じるのか、気になる話だ。
 だが、
「どうもないさ。俺たちにはそういう概念がない。だから今回の騒ぎも、異民族の風習って感じさ」
「神や悪魔は存在しないか」
「実際にいるかどうか知らないが、けれど人間の言う「神」って奴は、人間にとって都合の良い神や悪魔でしかないだろう? 都合が悪い存在もあるように見えるが、それだって人間が望んで分かりやすく責任転嫁する対象を求めただけだ」
「自然災害を神の仕業として、納得するようなものだな」
「mさにその通りだ。人間は物質世界に生きている。俺たちみたいに平面じゃない分、自分たちの想像も及ばない世界、理解を超えた存在の助けや災いがあって欲しいと、そう願った」
 干ばつがあれば、恵みの神がいて欲しいと願うのは必定だ。そしてその干ばつの原因も「理不尽」という一言ではなく、そういう神がいるのだと結論づけることで納得した、ということか。
「勿論本当に神なんて存在がいる可能性もあるだろう。だが、人間にとって都合の良い、人間が望むような神ではないだろうさ。神は全能かも知れないが、別に人間のために全能になったわけではないだろう」
 確かに。
 私は、宗教というモノに懐疑的だが、神の存在に関しては(実際に取り引きしているし)懐疑的ではない。ただ、彼らが人間のためだけに救いを出して、人間のことをもっとも愛してくれていると思いこむのは、傲慢も良いところだろう。
 神の愛はあるかもしれない。
 だが、別に人間に向いているとは限るまい。
 そもそも人間ほど惑星の資源を食いつぶし、殺し、裏切り、悪魔も真っ青な悪行を成し続けて敵国を食い物にし、自分たちのことは棚に上げ、特に反省もせず、そのくせ悲劇があったら祈りを捧げて救いを求める生き物だ。正直、神がいたとしてもこんな生物を無償で愛するというのは、それはそれで悪だと思わざるを得ない。
 人間などを愛する時点で罪悪だ。
 というのは飛躍しすぎでもあるまい。まぁ、罪悪の基準を決めるのは私ではないので、当人達が満足しているのであれば、そしてそれが法で許されるのであればこの世に悪は存在しない。
 なんて、戯れ言も良いところだが。
「俺たちには願うモノがそもそも無い。電子の海には手に入らないモノはないからだ」
「お前、以前生身の肉体で酒を飲みたいとか言っていたじゃないか」
「それはある。ただ、不足はしないだろう? 電子の世界の偽物でも、まぁ明日を恐怖するくらい何かが欠乏することはない。宗教は不安の中から生まれ、不安を安らぎに変えるために存在するものだ。然るに、不安がなければ神を信じようがないのさ。祈りとは、「明日が良くなるように」祈るものだ。結局は皆それを祈っている。だが、明日も何もない俺や先生には、そもそも祈りを抱くことすら許されない」
「勝手に私を巻き込むな」
「だが、事実だろう? 俺や先生に祈りはない。先生は祈る心が、俺には祈る理由がないからだ。だから俺達は救われないし、救われたところでそれを認識できない。だが、その分人生を人並み以上に謳歌することが出来るんだから、まぁおあいこって所だろうぜ」
「金に余裕があればな」
 コーヒーを飲んでいるときにいつも思うのだが何故、いつも気がついたら中身が減っているんだ・・・・・・それこそ神様とやらが、勝手に飲んでいるんじゃないだろうな。
 科学の恩恵があれば、人間は不自由しない。
 不自由しなければ不安もない。
 雑だが、まとめとしてはこんなところか。
「それにだ。人間は科学の力でこの世に楽園を作りつつある。いつの日か、あの世にある天国とこの世にある天国との違いは、なくなるだろうぜ」「私には、そうは思えないが」
「へぇ、どうしてだい先生?」
「科学の歴史は支配の歴史 支配することで人間は技術を高めてきたが、支配した先には、ダイエットを無理矢理こなした女にくるリバウンドのような理不尽な形で、自然災害が待ちかまえているだろう。我々は毎回そうだ。素晴らしい発明を作り上げる度にそれの繰り返し。あるままで満足できないのが人間の性ではあるが、あるままでなければならないのがこの世の摂理と言うものだ。摂理に意思はないが、容赦もない」
「そういえば、レーザー技術で天候を操作していた国が、今朝のニュースで凄いことになっていたぜ。なんでも、雨を集中させすぎて、オゾン層が薄くなった部分から放射能が降り注いだらしい」「何事にも反動はある。科学は便利だが、無理を利かせ続けると、大昔にコーンベルト、科学の力を過信して小麦を生産していた国が、そのしっぺ返しで滅んだのと理由は同じだろう。どんな経済大国、惑星すらも、自分たちの宿命からの取り立てには無力、ということだ」
 我々二人はむしろ、宿命から取り立てる側と言えるのだろう。宿命からの取り立てからは逃げられる人間はいないのに、宿命への取り立てはあっさり無視されるところを見ると、この世の摂理というのも人間と同じで無責任なのかもしれないが・・・・・・少なくとも歴史上、過ちを見なかった振りをして繁栄を押し進めた国は、例外なく滅んでいるのだ。
 歴史が進んだところで、やはり克服できない、いや克服してはいけない摂理のようなものか。
「何の話だったか、そうそう、宗教の概念は無いんだったな。なら、聖人の遺体、になる予定の女は、どう見えるんだ?」
 そうだな、とジャックは言って、
「遺体はエネルギー問題を集約したもの。わかりやすい「権威」「力関係の証明書類」みたいなものさ。それに、権威のある宗教組織の鑑別であれば聖人認定のゴマカシは容易だろう。鑑識ではなく鑑別だ」
「ずいぶんな言いようだな」
「だが、それを信じる信者次第だろうぜ。真贋よりも尊敬して祈りを捧げ、そして結果救われれば本物と違いないからな」
 成る程、確かにそうだろう。
 ルビーのように「鑑別」するという言い回しが正しいかどうかは関係ないのだ。この場合、多くの人間が尊敬の念を注げば、それが聖人になれるからだろう。
 聖人だから尊敬されるのではない。
 尊敬されるからこそ聖人になるのだ。
 そう言う意味では、やはりあの女はイレギュラーだ。死ぬ前から聖人になれる可能性を持つ少女・・・・・・それに目を付ける教会も教会だが、あの女が自分の意志を主張しなかった時点で、この結末は決まっていたのかもしれない。何にせよ私にはあまり関係のない話だ。
 私が興味あるのは彼らの人間関係や、愛と世間体という問題に対してどういう答えを出すのかであって、作家である私に彼ら彼女らを救う義務など無いのだから。
 それこそ聖人だ。まぁ、私なら現実的に金の力で人を救うだろうが。
「思うのは、聖人の遺体に素晴らしい力があったとして、成功し続けることが至難であるように、何事も上向きに向かい続けることは難しい」
 不可能ではないが。
 事実それを可能にした人間は多く、存在するのだから。
 ジャックは「どういうことだ?」と聞いた。
 私は、
「いや、聖人の遺体がどれだけ凄い力を持っていようがだ。それだけで全てが上手く行き続ける、なんてそんな、都合の良いことがあるものか?」「別に上手く行かなくても良いんだ。いや、救われなくたって意味はあるのさ」
 救われなくても意味はある。
 救いを求める信者を裏切るような存在ではないのだろうか?・・・・・・しかしジャックはそれでも意味はあると言った。
 どういうことだろう。
「神とは心のより所だ。そして聖人の遺体は「人間でも神と同じ清らかな存在になれる」という希望を人々に与えることが使命なのさ」
「そんな、誰でもなれたら聖人などと、呼ばれないんじゃないのか?」
「仮に聖人がどれだけパワーを持っていようが、人間を完全に幸せにするなんて不可能も良いところだろう? 生きていれば貧困があり、豊かであれば競争があり、競争に勝てば恨みが残る」
「救われないなら、信仰を捨てそうなものだが」「それは神を信じた、いや神にすがったことのない人間の台詞だな。神にもすがるほどの絶望の淵に置いて、人間はただ祈るしかない。無論解決できるなら自身でやるべきではあるが、だが手に負えないと判断すれば、そして事実人間の手で解決できない悩みであれば、人間は神に祈る」
 人工知能の癖に口も経験も達者な奴だ。人工知能差別だとか言われそうだが、相手が何であれ私は基本的に穿った目でしか見れはしない。
 こいつはそれ以上かもしれないが。
 ジャックは続けた。
「だが、完全に強い、祈りもせずに己の弱さと向き合える人間など、そうはいない。いたとして、それを人間と呼べるのかは怪しいものだ」
「・・・・・・・・・・・・」
 あえてコメントはしない。
 雄弁は銀、沈黙は金だ。
「だが、神というのは人間からすればだが、遠い存在だ。聖人は元が人間だからな。ああ成りたいと思うことが許される」
「相手が神では、ああなりたいどころか、そんなことは不敬でしかないということか」
 一呼吸置いて、ジャックは続けた。
「そもそも、神々の権能は絶対的だ。どうあがいても人間にはなれないからこその神々だ。そう言う存在を神として求めたのだから、なれるなれないではなく崇める対象にしかなり得ない。全知全能の神に欠点があるとすれば、そこだろうな」
 教えるという道に終わりはないらしいが、しかし神ですらその道は極めていないと言うことか。 人間は神になれない。
 神が素晴らしいのかどうかは知らないが、神の思う良い方向に人間を導きたいのであれば、最終的には人間が神と同じ存在になるしかない。だが人間は神にはなれない。
「成る程な、崇拝する対象と言う時点で、人間はそれが何であれ「越える」事は出来ないからな。確かにそれでは神を引き立てるためにも、人間は神に近く、神に届かない存在でなければならないわけだ」
「その通り」
 それが答えか。
「私からすれば、だが。人間も聖人も神ですらも当人の「個性」でしかない。全能の神は確かに凄いのかもしれないが、人間のように娯楽は作れまい。優れているとか、どちらが凄いかではなく、どちらも必要だと思うがな」
 何より神に物語は書けまい。
 これは重要なことだ。
 どれだけ全能でも物語のない生活など、退屈で仕方がない気もするが・・・・・・それとも神も悪魔も人間の物語を呼んだりするのだろうか?
 だとすれば金を支払って欲しいものだ。
 相手が何であれ、タダで読むのはどう考えても善行とは言えまい。神だから許されるはずもないだろう。
「人間はそれで満足できないから人間なのさ」
 話が長くなってきたので、私はコーヒーを煎れ直し、そしてまたソファに座った。
「人間は、簡単に言えば「自分よりも優れた存在に憧れて嫉妬する」生き物だ」
「・・・・・・? それなら「神に成りたい」と願うのは当然じゃないのか?」
「権力者とかならそうだろうが、信者は違う。彼ら彼女らは神の全能性をよく知っている。そして人間は、ここが重要なんだが、差がありすぎると追い越すことよりも、憧れて遠くから眺め、追い越そうという意思を無くすのさ」
 作家である私には、理解し難い話だ。
 しかしそれが仮にスポーツだとすればどうだろう。100メートルを0・1秒で走る相手に、50秒かかる奴が「ああなれればな」と憧れや嫉妬は抱いても「あれを追い越す」とは確かに、考えそうにもない話だ。
 尊敬も崇拝も同じだ。度が過ぎると追い越すことは頭から消えて、どう物真似するかになってしまう。聖人の遺体にしてもそうだが、結局の所は自分たちがそうならなければ(私は聖人になるつもりはないが、彼らはそうだろう)意味はないのに、「神に近づいた」聖人の遺体にすり寄ることで満足してしまう。
 価値観は随分、歴史と共に変わったものだ。
「それこそ西部劇の時代じゃないが、そういった困難を乗り越えることに、意義や価値を見いだそうとした時代もあっただろうにな」
「男の価値観は時代によって変わるが、信仰や拝金主義はほぼ不変だ。残った法が優先される。現代は科学で物事を済ませる時代だ。男の価値観や困難を望む姿勢よりも、科学は実利や数字、あるいは宗教なら分かりやすい救いなのさ。宗教もそうだが、皆がやっているからという流されて行動する人間が向かう先を決める。宗教は保守的な考えが多い、そうでなければ何千年も続きはしないだろうが・・・・・・・・・・・・いずれにせよ、聖書に頼っている内は、ダメだろうな」
「何がダメなんだ?」
「聖書はあくまでも神の指針だ。それに従っているだけでは永遠に自立しない。人間が、人間の目線で、人間が幸せに成るための方法を模索し、それでいて失敗を繰り返しながら、当人だけの「聖書」を自分で作らなければならないだろうな」
 私の場合、その聖書には「まず金、それから思想を抱け」とでも書いていそうだが。
 しかし、ジャックの言い分はおおむね事実だろう。しかし事実よりも優先されるのは人間の見栄だったりするのだ。力のある存在は何をやっても良いという「事実」が黙認され続けてきた人類の歴史の中で、そういう言い分はまず通らない。
 いずれにせよ神を信じる前にまず己を信じなければ、立ち行かないということか。それをどう取るかは当人次第だろうが。
 そろそろ待ち合わせの時間だ。
 私はコートを羽織り、外に出た。
 小うるさい携帯端末は放っておくことで解決した。

   4

 我々はレストランにいた。
 とはいえ、寒いので当然暖房の効いた店内だ・・・・・・しかし、相手が男であると、どうにも気分が盛り下がるというか、目の前のマルゲリータを摘みながら、気分を解消するのだった。
「美味いねぇ、これ。俺はイタリア料理ってあんまり食べたこと無かったんだけど、大昔の国でも料理はわりかし良かったんだねぇ」
 そこは失われた地球産の料理を再現する場所でもあった。しかし全てを機械任せで栽培した野菜を、アンドロイドが調理して昔の人間が食べていたとは考えづらい話だ。人間が作ったからどうという事はないのだが、しかしパスタの巻き具合からして全く同じ料理が並ぶ様は、はなはだ不気味であった。
 男は太っていて、カジュアルと言うよりはくたびれた古い衣服(恐らく、地球産の衣服の売れ残りだ。誰かが着ていたのかもしれない)オレンジの趣味の悪いジャケットに、ジーンズという古ければ古いほど良いらしいズボンを身につけていた・・・・・・・・・・・・サイズは合っていなかったが。
「縁結びの神としては、こういう料理とも縁を深くしておきたいもんだよ。でも、俺の専門は人と人だからね」
 断っておくが、この男が本当に神なのかどうかなんて、私は知らない。
 ただ、依頼があり、金が振り込まれれば私の客にはなる。たとえ少年少女のくだらない恋愛の応援でもだ。
「で、どうだい。順調かい?」
「相変わらず両者とも強情だ。男は勇気がなくて素直になれず、女は周りを気遣いすぎて自分らしさを忘れつつある」
「成る程ねぇ。いや参ったよ。彼らがどんな神を信仰しているのかは知らないが、俺みたいな下っ端が何を言っても無駄だろうからね」
「その「彼らが信仰している神」とやらに直談判したらどうなんだ?」
「無茶言うなよ、人間だって大統領に挨拶は出来ないだろう。神も同じさ。階級があり、権威の差があり、基本は人間とあまり変わらないかな」
「そうなのか?」
 意外だった。この男が本物だとするならだが。しかし人間と神がやっていることが同じというのは、どういうことなのか。
 私は作家であり、別に義侠心に導かれてここまで来たわけではない。あくまで取材になりそうな依頼だったからだ。そう言う意味では、私個人が得ることの出来る情報、作品のネタになりそうな言葉をこの男から引き出せなければ、仮にあの二人を救えたところで、本末転倒だ。
 だから聞くことにした。
「なら、神と人間には違いはないのか?」
「さぁね、長生きしていて権能は人知を越える。でも君も言っていたようにそんなモノは能力の差であって、あまり意味はない。考え方だって各地の神話を省みれば分かるだろう? 基本は夫婦喧嘩で国を滅ぼしそうになったり、権力争いで戦争をしたり、そら、神も人間も同じだ。やってることの規模が違うだけさ」
 そう言う考え方もあるか。
 神を盲信的に信じている人間が聞けば、怒り出しそうではあるが、しかし確かに各地の神話(宗教の聖地も地球ごと環境破壊でおしゃかになったため、データしか残ってはいないが)を見れば、神はそういう、よく分からない理由で行動していることが多い。
 世のため人のためよりも、単純に怒りだとか、諍いだとか、あるいは神の都合で人間に干渉する逸話は結構あるのだ。
 それが正しいのかは知らないが。
 私は運ばれてきたチーズを摘み、カプチーノを口に含みながら考える。
 神から見て人間はどう写っているのだろうか。 人間からすれば大概は、崇拝の対象であったりするが、それも全員ではないし、神の目線から見た風景も、種類があるのではないだろうか。
 少なくとも破壊神の見る光景と縁結びの神の見る光景では、違いがあってしかるべきだ。
「規模が違う、か。なら、その規模の大きい神から見れば、我々人間はどう写る?」
「そうだな」
 と、コーヒーを口にして考え込み、うなってから彼は言った。
「最初は。まぁ全員を俺が代弁するのはどうかと思うが、ともかく、小さくてよく分からない奴らだったんじゃないのかな。何せ、自分たちが作った世界にいて、自分たちには遙か及ばないのだから、最初から興味はなかったと思うぜ」
「それで」
 催促するのは気が引けるが、しかしこの話を聞かなければ、繰り返すが何のためにいらない苦労を背負ったのか分からない。
 縁結びの神か何か知らないが、洗いざらい話して貰うとしよう。
「でも、まぁ少しづつではあるが、彼らは進化していった。考えても見ろよ、人間の作り出した最新テクノロジーの数々、そうでなくとも戦争を繰り返し文化を新しくし、それでいて懲りずに同じ事を繰り返しつつも、少しづつ、進化する。テクノロジーに関して言えば、あんなもの神にだって作れはしなかったモノばかりだ。君が書く物語というジャンルにしたって、それを愛読する天使はいるし、物語という概念を作り出せない神や天使は、人間の作品を読むしかないんだぜ」
「そうなのか?」
「逸話は結構あるぜ。本当かは知らないが。物語に限らず、人間の作り出すモノは、神には作り出せないモノばかりだ。中にはろくでもないモノもあるが、娯楽も食事も文化にしたって、神や天使だけではどうにもならなかっただろうな。もし人間がいなければ、我々は相変わらず文化ごとに質素な食事のみで、いやそもそもそう言う文化も人間が作り出したんだから、天の楽園で花を見るくらいしか、やることはなかっただろうな」
「本当とは思えないな」
「なら、物語を書くなんて奇っ怪な役割を持つ神様の話を、あんたは知っているのか?」
 知らない、いくら何でもいないと思う。
 大体が神が行うのは規模が大きいことや人間には不可能なことばかりで、人間が普通に出来ることを真似する神なんて、いるはずがない。
 いたとして、物語を書く神、なんて奴が尊敬の念を集められるとは、到底思えない。なんだ作品を作る神って。見た目が芸術的だとかならありそうではあるが、新しいものを作り出すのは、基本的に神の役割ではないだろう。彼ら彼女ら? は基本的に秩序を重んじ、それを守るために存在するように見える。
 紙に嘘を並び立てる作家業なんて、間違ってもしそうにない。
「聞く限りでは、人間そのものよりも、人間が作り出す文化に興味があるように見えるな」
「確かにな。実際、人間の文化は認めても、人間そのものを評価する神なんて、少数派だろう」
 食べながら話すな。
 パスタを食べながら口を動かし、それでいて喋るとは器用な奴だ。これも神の能力なのか?
「人間そのものに評価を出来ない理由は単純だろう。言ったろ? 神も人間と根は同じ・・・・・・・・・・・・自分たちより「下」だと思っていた連中を、ごく限られた分野とは言え、認めるのはプライドが許さないのさ」
「生々しい話だな」
「実状は何事であれ、そういうものさ」
 言って、彼はパスタを口に放り込む。
 世界広しといえど、神にまで取材を申し込むのは私くらいだろう事を考えると、中々貴重な体験だった。もっとも、神にでもはぐれものはいて、そのはぐれものの意見と言うことを考えると、果たして他の神々がどう捉えるのかは、定かではないのだが。
「ところで、ここにはポルチーニ茸は?」
「あるんじゃないのか? もっとも、全てプラント保全技術で種子保存されたモノから、培養された養殖品だろうがな」
「嫌なこと言うなぁ。でも実際、人間って奴は極端だな。農業一つとっても、合理性をこじらせて大切なところを見逃している」
「大切なところ?」
「自然の恵みで神も人間も生きているって事さ。自然がなければ神だって息苦しくて倒れちまうと思うがね」
「自然と神は、別物なのか?」
 概念として同じ様なモノと考えていたが、どうやら違うらしかった。
「当然だろう? 自然は神よりも古くある。というかだ。神にだって歴史はあり、生まれる前はあるさ。人間からしたら大昔だが、でも最初からいたモノなんていないだろう。何もないこの宇宙に神々が生まれ、世のバランスを取ってきたとしても、自然は、宇宙が誕生する前からある概念だ。世界という概念がある時点でそこにある。何もない空間でもそれはそれで「自然」だからな。それを「摂理」と呼んでいる。世界のルールだな。我々は優れた存在ではあるが、しかしそれだけだ。世界は神がどうこうする前からすでにある。神の逸話に歴史がある以上、当然だろう?」
「だが、宇宙を作ったりしたのは神じゃないのか・・・・・・私はよく知らないが、創世神話とか、どの宗教でもあるだろう」
「それ以前から世界はあるじゃないか。もしそうでなければ、それ以前から世界がなければ、世界がないんだから神だって存在しようがない。別の次元に住んでいたとしても、それはそれで一つの「自然の存在する世界」だ。摂理ってのは誰が決めるわけでもないし、神なら変えられるだろう。事実いままで変えてきたのかもしれない。しかしだ、侮ってはいけないのさ。自然というのは誰に対しても平等であり、それは神でも同じだ。神だって神話の中でよく死ぬだろう? 死から復活する奇跡で摂理を跳ね返す奴もいる。だが、逆に言えばそれだけだ。神ですら死ねば蘇る奇跡が必要だ。奇跡、そう奇跡という名前の力でで神は摂理を克服できる。だからこその神だ。しかしそれでも摂理を無視は出来ない。神にも愛があり、愛があれば憎悪があり、憎悪があれば同胞と争い、そして死があれば復活し、復活すれば殺す方法を考え、そら、こういう心の動きこそが、世を動かしてきた摂理そのものだ」
「心の動きか」
 私にはよく分からない話だ。
 とはいえ、あちこちの神話をみる限りでは、確かにそう言った逸話は多い。少なくとも「争い」という一つの摂理からは、彼らが全能であり全治だと崇める神ですら、防げなかったし、防いで良いものでもないだろう。
 争いがなければ学習もないし進歩もない。
 争いを完全に無くすとはそういうことだ。全能であったところで、争いを完全に無くすのであれば、そんなもの究極的には自身以外を完全に消すしかなくなってしまうだろう。
 徐々に、進めるしかないのだ。
 そう考えてみると、神というのは意外と歯がゆい存在なのかもしれなかった。全能であればあるほど、干渉は出来ない。すれば、干渉して争いや問題を解決しても、それはそれで問題になる。
 まぁ、私のような人間からすれば楽ならそれで良いんじゃないのか? と思わざるを得ないが、私のように身軽ではなく、あれこれ人類の命運を背負っているのだとすれば、肩身の狭そうな職種だと感じた。
「このポルチーニ茸、本来の深みが無いな」
「無茶言うな、再現したにすぎない。昔食ったことがあるのかはしらないが、人間が身の程を知りわきまえた上で、地球にまた降りたち、質素な暮らしで満足できるようになるまで我慢しろ」
「それはいつだ?」
「永遠にこない」
「くそ」
 苛立っているようだった。・・・・・・そんなに美味しいモノなのか? 失われたとすれば、悲しいニュースだ。
「人間の農業はどうなっているんだ?」

「どうもないさ、便利になっただけだ」
「具体的には?」
「同じさ。まず外注、請負の仕事が多くなっている。それも星単位での外注だ・・・・・・危険な仕事は何処か遠くの惑星の奴隷に任せて、自分たちはクリーンさみたいな・・・・・・外面的な善良さを保っている」
「おかしくないか?」
 言って、彼は言うのだった。
「奴隷制度なんて、もう大昔に廃止されているだろう?」
「名前が変わっただけだ。「発展途上惑星」だとかそれらしい名前を付けて、経済力を盾にそういう仕事を振れば、誰も断れない。それに、どうせ民衆は自分たちに関係ない何処か遠くであれば、特に気にとめないだろうしな」
「それが、「奴隷」かい?」
「ああ、実際平和な惑星の殺人事件より、そういう環境下での過労死の方が数は多そうなものだが・・・・・・善良な一般市民っていうのはそういうものだ。倫理観、みたいなものさえ守れれば、何一つとして省みることはないし、自分たちは素晴らしい善良な人間だと思っているから、そういうのは政治家とか、現地の悪人とかのせいであって、関係はないと考える」
「事実、関係ないのじゃないのかい?」
「まぁな。だが、それらの生活を支えている労働・・・・・・いや奴隷たちの苦難のおかげで豊かな生活を享受していて、それなのにそういう人間たちがまるでいないかのように生きていける人間が、所謂善良さみたいなモノの象徴になる。みていて気味が悪くて仕方ないが、まぁ私が思うのはそんな都合のよい方法が、力さえあれば押し通し続けられるというのが、心配でならないな」
「でも、よくニュースとかでそういう、労働問題について取り上げられているじゃないか」
 最近の神はテレビも見るらしい。
 時代は変わったな。
 感想は的外れだったが。
「それが一番の問題だろうな。私は善人ではないのでこんな事を言う義理もないんだが、事実だけ言うと、だ。メディアで取り上げられれば、見ている人間は解決した気分になるんだよ」
「・・・・・・どういうことだい?」
 私は運ばれてきたサラミサンドをほおばり、小休止した。会話を食事中にするのは体力を使う。 味と言うより、歯ごたえがいける。
 新感覚だった。
 コーヒーを啜って落ち着いてから、私は話を続けた。
「高言った問題に我々は取り組んでいくべきですみたいなことを、メディアの人間が言うと、あたかも自分たちの意識が変わり、それに取り組んでいて、実践しているかのような気分になる。それで満足してしまって、他人とのおしゃべりで話したり、伝えたりすればそれでやりきった満足感を得てしまう」
「それの何が問題かな? このよは自己満足なんだろう?」
「そうだと思う。だが、この行動の流れには本人の意思が介在しないではないか。空気感、とでも言えばよいのか、それを人類全体が持って、解決していなくても解決した気になっている。これは事実だ。人権問題にせよ貧富の差にせよ、実際には未だかつて解決は一度もされていないが、革命が成功したり、貧困地帯の可哀想な差別されていた人間が保護され、本になったりしたモノを読んだりするだけで、そういう気分になる。それはいいがそれをずっと、有史以来ずっとそんなことを繰り返している気がしてならないな。人権問題も貧富の差も根底は人の意識の問題だ。意識が変わってないのに表向き変わったように受け止められて、それだけで、そんな薄っぺらい方法だけでやりきった気になってしまうから、人権も貧富も問題であり続ける。身勝手なのは勝手なのだが、こんな調子で人類の未来は大丈夫なのかと心配になるな。私は私個人がよければ他はどうでも良いがしかしだ。こんな解決の仕方ではしっぺ返しがくるのは当然で、あろうことかずっとそのしっぺ返しを金や権力で解決し続けている。なら、金や権力があれば別にいいのか? 殺しても奪っても事実彼らに罰はない。それとも、重要なのは人間の意思で、結果はそれについて回るものなのか?  どちらが正しいかは知ったことではない。だがどちらが正しいのか分からなければ方針に迷うと言うものだ。私は実利さえあえれば満足だが、しかし法則が不明なままでは、生きる「指針」を決める上で「邪魔」にしかならない」
 意外とよくしゃべるなぁ、君」
「まとめるのが下手なだけさ。で、おまえはどう思う?」
「そうだな、ええと、要は君は、世間一般の倫理観が、本当にそうなのか、悪行は結局「報いを受る」のか、それとも「金や権力という事実の前では、道徳は本当に何の意味もない」のか、詳しく知りたいという事かな?」
「そうだ」
「回りくどいがそうだな・・・・・・もし、俺にも計りかねることだから仮定で話を進めるけど、そうだな、そういったものに善も悪もなく、それこそ君の普段考えていることが単純に事実立ったのならば、君はどうする?」
「その場合、事実として金があれば何をしようが困らない。殺しても奪っても倫理観そのものを書き換えられて、それを事実どこの国も繰り返してきているのだろうしな」
「では、今回君が関わった信仰の方が正しく事実であり、因果応報、善行は報われ人の意思に価値があり、それこそが人間の正しい「道」だった場合はどうだい?」
「同じだろう。私は私個人の幸福を第一に置いている。どんな思想を持つにしろ、まずはそれがなければ話にならない。神の教えとやらに引っかからない程度に金を儲け、豊かで平穏な日々を送り平和に暮らしたい」
「君はぶれないねぇ」
「そうかな」
 あまり自覚はないが。いや、あったかな。
 事実として、金や権力がモノを言わせてきたことは「変えようのない事実」だ。どれだけ神の教えが素晴らしいのか知らないが、事実として世の中はそう回っている。
 金があれば、あるいはそれは権力と言うべきか・・・・・・殺人は国民を守るための戦争における勇者たちの行動となり、異国の地で殺人を侵し続けるという事実は兵隊としての「仕事」で済まされるというのだから、彼らはどう心の線引きを済ませて自分を騙し、平和な国での殺人事件に敏感になりつつも、兵隊の帰りを喜ぶのかが、不思議でならない話だ。
 道徳。
 倫理観。
 あるいは、法か。
 それらが、世間的なものと折り合いがついていれば「正しく」なったのはいつからだろうか。世間的な正しさと、自分の中にある正しい道は、無理矢理にでも合わさせられるようになった。
 それが「正しさ」となったのだ。
 人間の正しさは自身の心ではなく、そういった世間的な正しさや、あるいは神の教えだったり、大きい組織の意向であったり、あるいは上の人間の指示であったり、自分で自分の道を決める人間は社会悪でしか無くなった。
 人間の意思が管理される時代。
 まさにそんな感じだ・・・・・・人間の往く道は、「全体の意思みたいなもの」で決定され、そしてそれを決めるのは民主主義でも何でもなく、ただ上に立つ人間が決めていく。
 これで安心しろと言うのは無理な話だ。
 少なくとも、私のように作家などと言う因果な商売を生まれたときから決められていた、いや宿命づけられていた人間からすれば。
 そして、信じておきながら彼らはあっさり捨てられる・・・・・・危機の時に神の救いがなかったときに、あるいは組織に使い捨てにされたときに、あるいは法律が、社会が、自身の味方をしてくれなかったときに。
 そんな、当たり前のことに、気づかないまま。 神も法も組織も社会も、信じたからと言って助けてくれるとは限らない。仮に全能の神がいたところでそれは同じだ。神からすれば善意なのかもしれないが、善意という名の試練を与えられ苦悩する人間に、そんな話は通じないだろう。
 苦難を乗り越えれば幸福になれる、と神が思っていたとして、苦難を与えられる人間が挫折して自害してしまえば、それは自害した人間が悪いのか? だから勝手に苦難を与えて置いても神自身は罰せられず、自害は悪であると、地獄に落とされたりするのだろうか?
 私は神なんてあってもなくても別に信仰したりはしないが、気にはなる。
 もし全能の神がいたとして、じゃあ神自身は一体誰が裁くんだ? 誰も裁けないほど高みにいるとするならば、独裁者みたいなものだ。
 誰も逆らえない。
 誰も裁けない。
 誰も追い越せない。
 少なくとも、宗教における神はそういうモノが多いだろう。だが、そんな高いところから偉そうにあれこれ口だけ出して、現実には人間自身が何とかしなければならないのだろう。
 宗教を信じる人間だって、直接神に何か救われたという人間は少数派なのだ。当然だ。しかしだからこそ「聖人」だか知らないが、そんな一部の人間にしか恩恵を与えないのは、独裁者の与える勲章と変わらないではないか。信じるのは勝手だが、信じて結果を残した人間だけ愛すると言うことなのだろうか?
 少なくとも事実として、神に直接救われた人間なんて「聖人」くらいのものだろう。
「君はさ」
 彼は口を開いて、言った。どうでもいいが、曲がりなりにも、縁結びとは言え「神」を自称する奴が、口にソースを付けるんじゃない。
 威厳がないぞ。
「理不尽が許せないんだね」
 理不尽に憤る。まぁ正しい。
「許せないも何も、理不尽を許していたらキリがないだろう。何か理不尽な目に遭う度に、我慢しろと言うことか?」
「いや、そうじゃない。理不尽を笑って許せって事じゃないさ。ただ、彼らの説く「隣人愛」はそういうモノじゃないかと思ってね」
「理不尽を許容し、それでいて不条理を許し、成長しろとでも? 聞こえは良いが、それこそ邪悪そのものだ」
「なぜだい?」
「そうだな、仮にだが、聖人がその極みだとしよう。聖人が信者の分まで理不尽を許容しているとしてだ・・・・・・しかし、史実にある「聖人」はどれも悲惨な死を迎えている。それでいて死んだ後まで顔も知らない信者のためにこき使われ、結果が出せなければ「偽物」呼ばわりされるのだろう・・・・・・一人の人間に他の人間が嫌なことを押しつけているだけだ。例え彼らに聖人としての宿命があったところで、彼ら彼女らが人間らしい営みを手に出来なかった理由にはならん。相手が神でも同じ事だ」
 考えようによっては、それこそ神なんて、人間という生き物を作っただけなのに「救うのが当然」だと、信仰を押しつけられているともとれなくはない。
 神に救いを求める人間は数多いそうだが、神を気遣い救おうとする人間は、そうそういないだろうという事実もある。
 例え当人たちが満足していようが、そんな都合の良い、相手の善意に付け込んだ「救い」なんてものに、価値があるのか?
「君は優しいんだね」
「・・・・・・何が、だ?」
 意味が分からない。
 私には優しさなんて微塵もない。だが、不条理な思いをしてへたを掴まされ続けるのは、我慢がならないだけだ。
 私自身が、散々そういう思いをして堪忍袋を引きちぎってきたからだろう。
 虫酸が走る。要は好き嫌いの問題だ。
 好き嫌いで動くのは、男も女も神も悪魔も同じ事だろう。
「気持ちの悪い勘違いをするな。ただ、虫酸が走るだけだ。私は神経質なんでな。こういう世の中の仕組みも、キッチリ分かりやすくしていなければ、落ち着かないからな」
「そうかい。なら俺に言えることは依頼通り、俺があの二人をくっつける手伝いをして欲しいと言うだけだ。他はなんて言うか知らないが、俺は縁を結ぶ神として「役割」を持っている。正しいかどうかよりも、俺も自信の役割を果たしたいからな」
「なら、心配はいらない。とはいえ、いまはまだ材料が足りないがな」
「材料?」
「いや、なんでもない」
 今はまだ、使えるかどうかも分からない策だ。 案外、あの女を死んだことにして、遺体はバラバラになったとでも伝え歩いた方が、簡単かもしれないしな。
 何にせよ、私は基本行き当たりばったりだ。と言うのも綿密に策を練り、行動したところで、上手く行った試しがない。
「じゃあ頼むよ。ああそうそう、会計は済ませておくね」
 言って、私の依頼人は立ち去っていった。
 さて、どうするか。
 何事も根底にあるのは心だとすれば、今回の件もまず二人を素直な気持ちにさせて、上手い具合にくっつける必要がある。くそ、専門外だぞこんな話は。これなら「軍隊を滅ぼして欲しい」とか「軍事惑星を宇宙の塵に変えてくれ」とかの方が簡単そうではある。
 とはいえ、少年少女の恋愛劇。
 興味はある、今の私にはないジャンルだ。是非とも次回作のためにも欲しい。吸収して、作品を書きたい。
 そして言ってしまっては何だが、売れて欲しいものだ。
 私は席を立ち、風に吹かれながら外を歩いた。 世間はクリスマスムードなのか、みんな浮かれていた。美しいデジタル広告、ツリーの偽物、アンドロイドの飲食店、中にはアンドロイドを恋人扱いして歩いている奴もいた。
 私は特に気にせず、例の教会へと向かうのだった。勿論、作品のネタの為、ひいては私の為に。

    5

 シャルロット・キングホーン。
 彼女は人間として壊れている。
 そもそも聖人とは自分よりも他人を優先するからこその聖人だ。しかし、それが人間らしいあり方と言えるのかと言えば、そんなわけがない。
 産まれたとき、いやその前から名家と名家の配合の結果産まれることが決まっており、まぁその当時の彼らからすればきっと、聖人ほどではなくてもそれに近いモノを望んでいたのだろう。
 だからこそ産まれたのかもしれないが。
 何にせよ、そこに彼女の意思はなかった。足し算を覚える前から「聖人になる可能性」を期待され続けた人間が、マトモな思考回路を持つはずがないのだ。半ばそれが常識になり、子供らしい子供時代はなく、人間らしい趣味もない。
 ただの機械だ。
 組織や、あるいは何かの都合のために行動するとはそう言うことだ。それが聖人であれ、その機能が「自分とは関係ない赤の他人を救う」ことのみを求められ、それに従うならば、だが。
 事実、彼女は期待に答えてそうなった。
 彼女自身がいつ頃から意識し始めたのかは分からない・・・・・・だが、「必要は発明の母」であるように、求める心が多くあれば、それは奇跡を生むのだろう。
 信者の期待、周囲の期待、社会の期待。
 そういったモノにつぶされる人間は多いが、見事やりきった。彼女は過去に聖人たちが挑んだ苦行を実際にやり(この時点で彼女には「人々のために行動する」という基準しか無くなった)そして達成した。
 手のひらを返す、と言う言葉があるが、実際彼女は周りの都合にあわせて生きてきた女だ。そんな女に同情や哀れみをかける者もた。それが聖人になるという可能性を帯びるまでは・・・・・・。
 いくら聖人になる可能性があるといえど、だ。 実際にならなければ意味がない、そのためにも堕落するようなことがあっては「教会」の「沽券」(彼らの沽券がどれほどかは知らないが)に関わるとのことで、質素な暮らし、質素な生活の為に最低限の場所を提供した。
 聞こえはよいが、拒否権はなく、半ば強制的に籠の中の鳥と言うわけである。
 これには当然、彼女に思いを馳せる少年は抗議した。

 彼女には彼女の生活がある、と。

 だが、教会の答えは「我々は強制はしていない、彼女自身の選んだ道だ」と、答えた。当然そうであるように環境を操作した上での言葉だ。
 見栄や沽券。
 そういった形のないモノ。
 神に仕える人間も、人間でしか無いということだが、彼らはそれを認めないだろう。
 これは、ただそれだけの物語だ。

 そんなことを考えながら、私は、教会の近くにいた。レストランの評判が良かったのだ。私は昼からドリア(チーズとオリーブオイル、あとはライスをかき混ぜただけの奴だ)を食べながら、コーヒーを飲んでいた。
 コーヒーを飲むと身体から力が抜ける。
 思うのだが、昔の教会の人間が宗旨替えして飲む理由が分かると言うものだ。味と言うよりも、コーヒーは時間をかけて長く楽しめ、会話や読書を楽しめるからだ。
 これは良いものだ。
 今回関わっている連中は、どいつもこいつも見栄や沽券であったり、あるいは女に対して勇気がなかったり、いずれにせよコーヒー一つ楽しめない無粋な連中だ。
 私の敵ではない。
 とはいえ、強情さは一級品だろうことを考えると、神の愛とやらは人間を意固地にする効果があるらしいと感じざるを得ない。信じるのは勝手だが、柔軟さが足りないからこうなるのだ。とはいえ、彼らを説得する以上、彼らのことを考え、彼らの立場を考慮した上で対策を練らねばならないだろう。
 聖女を好いているあの男はどうだろう?
 相手の立場を考えるとうかつな高度は取れないみたいな事を言っていたが、あれはそれを言い訳にしているだけで、ただ勇気がないだけ、自分を信じられないだけだ。
 思うに、神を信じるのは勝手だが、彼らは自分を信じることを諦めているように見えてならない・・・・・・人間の可能性よりも、奇跡を望む。
 その気持ちは分からなくもない。人間の可能性とは産まれ持った能力、環境、持っている金や人脈といった、およそ本人の意思とはあまり関係のないモノで決まるからだ・・・・・・人間は才能に人生を左右され、その有無で豊かさはある程度決まってしまうし、それらを総合して運不運、運命とでも名付ければよいだろう。
 運命。
 宿命とは違う。己のやってきた道を信じ、そしてその果てに在り方や生き方に染み着いて離れなくなるモノが「宿命」だ。過去の過ちから宿命に追われる者もいれば、過去の積み重ねから宿命に取り立てようとする者もいる。私は後者だが、とにかく人間の意思で動かせる者が宿命だ。
 だが、運命は違う。
 もし、運不運で全てが決まり、あるいは人生の終わりまで、報われるか報われないか、幸せになれるのかなれないのか、勝利するか敗北するかが「決まっている」のだとすれば、我々の意思も、執念も、積み重ねてきた時間も、全てが意味を無くすだろう。
 あくまで仮定でしかないが、もしそれらを変えることが出来るのが「神」のみなのだとすれば・・・・・・・・・・・・人間は信仰心からではなく、ただ自分たちの「悪い運命」を変えられる神に媚びを売っているだけじゃないのか?・・・・・・人間は「自分たちに訪れる悪い運命」を「良い運命」に変えて貰うために神を信仰して救いを求める。だが、そもそもが運命を切り開く力を神とやらが独占しているだけならば、それは信仰と呼べるのだろうか。 その答えはもうじき出る。
 だが、「答え」を人間の執念で出したところで「結果」が伴わなければ空しいだけだ。結果が出なくても仮定に価値があるなどとは言わせない。例え相手が神でもそんな「汚らしい綺麗事」で私の人生を済まされてたまるか。
 心が乱れた。
 やはり、緊張、というか不安があるのだろう。私の本の売り上げがどうなっていくのか、いままでの総決算、私の魂を形にしたものが結果を出せるのか? そのことばかり最近、考えていたからな・・・・・・。
 聖人の遺体、か。
 それがもし、そういった不条理な運命を覆すものだとすれば、忌々しい限りだ。人間はそういうモノに、神の加護みたいなモノに頼らなければ、幸せになってはいけないし、何より前提として、加護がなければ幸福の権利が無い、ということになる。
 幸福になりたいという意思に権利は必要なくても、実際に幸福を手にするには結果が必要だ。
 だが、結果を求める道筋には「不条理」が待ちかまえているものだ・・・・・・そして不条理とは、努力や人間の意思などお構いなしに、全てを奪っていってしまう。
 打ち勝ったところで、また別の不条理がある。 まぁ人間が打ち勝てないから「不条理」と呼ぶのだろうが・・・・・・もしその「不条理」を覆せる力が、人間の意思ではなく、神の奇跡のみだと言うのならば、我々は神の奴隷になるしかないのだろうと、私は感じた。
 私は今レストランにいるので、何か注文を出さなければならないのだが、あまりそういう気分になれなかった。カプチーノ単品を頼む人間は珍しいのか、露骨に嫌な顔をしなかったが、客商売としてはやや問題のある態度を取られた。
 仕方がないので私は新聞でも広げて世情を(私はテレビも何も見ないので、どんなテクノロジーが世に出回っているのか、よく知らない)知ることにした。
 散発的な犯罪、薬物、人身売買、アンドロイドの非合法取引、労働問題、貧富の差、あとは華々しい世界に住んでいる人間たちのニュースや、あるいは平和な国の政治家がまた税金を着服しただとか、そういったものだった。
 科学は発展したが、こういう所は変わらないようだ。少なくとも数十万年前から、あるいはもっと前の地球に人類が住んでいた世界とも、変わらないのだろう。
 搾取する側される側。
 それによって発生するテロリズム、事件、不満や憤り、平和な世界のために寄付をする財団達の自己満足。思うのだが、何故いつの時代でも自分たちの国の労働者から散々搾取して国家規模の金を手にするようになった個人が、まるで「良いこと」をしているかのような顔で善人ぶって、ワクチンだとか食料支給だとかを行うのだろう?
 そもそも、そういう人間がいなければ貧富の差による問題も起こらないはずだし、何より自国民から資本主義を盾に金を巻き上げ、使いきれないほどの金を手にした人間が、自分がさんざん搾取してきた労働者よりも、わかりやすく「悲劇のヒロインらしい」途上惑星、途上国の人間を助けることで「正しい金の使い方」をしたから賞賛すべきだという流れが、どの時代でもある。 
 意味不明だ。
 彼らは分かるつもりもないし、自分たちは正しい善良な人間だから、関係ないと思うのだろう。だがそもそも資本主義では、所謂「文化的な」生活というモノは、「文化的でない」人間達の労働無くしては成り立たないものでしかない。
 そういう所謂「文化的な」人間に限って、散々戦争をして殺しておきながら、そんな事実はなかったかのように振る舞い、武力で威圧し逆らえば「仕方が無く」制裁を与えるのだ。
 今回の騒動も、そういう人間達のおかげで起きていると言って良い。
 私は新聞を畳み(目が疲れる)代金を払って神の家への道のりを歩きながら、考えることにした・・・・・・思索にふけるのも丁度良い。私は元々作者取材で来たのであって、この物語に主人公がいるのだとすれば、それは私ではなくあの少年少女二人だろうしな。
 始末屋家業は副業であって、あくまでも私は作家なのだ。作品を書いて金になるのであれば、それに越したことはない。
 歩きながら考える。
 このあたりは科学の恩恵があまりないらしく、昔ながらの街頭があるだけで、天候によっては遭難してもおかしくなさそうだった。昔ながらの田舎風景と言うことか。もっとも、教会もこの世界を維持するために莫大な金を必要としているらしいが。寄付金で計られてしまう教会も、中にはあるのだそうだ。
 信仰には金が必要だ。
 聖人の遺体もそうだが、大昔には宗教を通じて資金洗浄を行う事が大流行したらしい。大昔の歴史を紐解けばわかることだ。今更どうでも良いことかもしれないが、歴史を見る限りそれらを明確に解決した宗教はない。
 いまでも似たようなモノなのだろうか。
 神がいくら全知全能でも、奉る人間は欲望の固まりだというのだから、いかんせん無理な話なのだ。信仰する神は完全で信じるに足るものでも、それを信じる人間にまで同じ要求をするのは無理がある。だが、宗教には完璧以上を求める教えが求められることが多い。
 無いモノを求めたがる。
 それはそれとして坂を上るのは結構体力を消費するので、途中で帰ろうかなと何度も思った。辺鄙なところに立てずとも良いだろうに。だが聖地というのは不思議と世間の喧噪から離れた場所にあることが多い。
 考えている内に歩は進み、神の家、即ち教会へと私は再びたどり着いた。
 中には相変わらず女がいて、それは以前も会ったシャルロット・キングホーン女史だった。
 相変わらず何かに祈りを捧げている。
 何を祈るのだろう?
 偶数崇拝とか言う、要は本物ではないのだが、神を模したレプリカに、彼ら彼女らは祈りを捧げる。神に見守って貰うことを祈る人間が多いらしいが、見守られるだけでは何の役にも立たないのではないだろうか。
 役に立つ立たないではなく、尊敬し祈りを捧げることが大切だ・・・・・・などと言われても、そんな意味の分からない理由で納得できるわけがない。「また来ましたね。答えは同じです」
「実は」
「お断りします」
 まだ何も言っていないのだが。
「彼は確かに大切です。ですが、私には使命があります」
「使命だと? 誰かその辺の人間に「聖人」になれるからと、だから信者の役に立たなければならないと、思いこんでいるだけだろう?」
「・・・・・・確かに、そうかもしれません。ですが、私がどうあれ「選ばれた」以上、責任があります・・・・・・他の信者を導くという、役割があるのですから、彼には答えられません」
 正しい。
 だが、間違っている。
「それは違うな」
「? 何がですか。神のご意志は絶対です。違うことなどあり得ません」
「そうではない。「選ばれた」と言ったな。まぁ世の聖人は大体そうなんだが・・・・・・だが、選ばれたところで、そこに責任はない」
「何ですって?」
「仮に、おまえが聖人に選ばれたとしてだ・・・・・・聖人に選んだのはその「神」の都合でしかない。神であれ、崇拝の対象であれ、お前自身じゃないだろう?」
「それは、確かにそうですが」
「自分のことは、自分で決めなければならない。神に選ばれたとしても、だ。栄誉かもしれないがまず、「断るか」「断らずに受け取るか」を選ぶ責任があるのではないかな」
「そんな、これほどの栄誉を蹴るだなんてあり得ません。そんなのは神への冒涜でしょう」
「何故だ? いいか、よく聞け・・・・・・・・・・・・神が、まぁ私は神を信仰してはいないが、仮に全知全能の神がいて、人間を作り、神を信仰するのが何よりも正しい善行であり、この世のルールだとしてもだ。神は絶対かもしれないが、神のやることは絶対ではないんだよ。事実、その神は何回も反乱を起こされているだろう?」
「起こす側が間違っていたのでしょう」
 辛辣にそう言いきった。こいつは重傷だ。
 神の絶対性を信じすぎている。
 信じるのは勝手だが、盲信するのはただの依存でしかない。信じる相手を敬い、かつ間違っていると感じるのならば道を正す。
 これは人間同士でもよくあることだろう。
「そうかもしれない。だが、お前はその神ではあるまい。神の意思を計れない以上、神の正しい行動を盲目的に信じたところで、意味はない。理解が及ばない以上我々に絶対的に正しい道など有りはしないのだ。己を信じて結果を待つくらいしか人間に出来ることなど、しれている」
「ですが、事実私は選ばれました。選ばれた以上それに従って行動することは、間違いないはずです」
「もしかしたらお前達二人の中が余りにもまどろっこしいから、早くくっつけるためにしたかもしれないじゃないか」
「そんな馬鹿な。貴方の言っていることは無茶苦茶も良いところだ。神がそんなことをするわけがない」
「何故? お前にも、私にも、神自身以外に、神の意志など計れまい。だから、どうとでも解釈は出来る。お前は神に選ばれたという解釈が気に入っただけだ。何せ光栄な事だからな」
「・・・・・・何ですって?」
 声が怒気を帯びてきた。
 これだから女は面倒なのだ。神々でさえ「女」という生き物に翻弄されて、尻に敷かれた神話は結構あるというのだから、親近感のある話だ。
「そんなもの、そうに決まっているではありませんか。神は我々を見守ってくれている。ならば聖人に選ばれた者は、他の信者を導くために選ばれるのが、当然です」
 そんな当人達の私利私欲のために人を選び、生別することなどあり得ない、と。
 私からすればそこに「人間」が絡む以上、私利私欲のない結末などあり得ないとしか思えないがしかし、これ以上怒らせるのも面白そうだが、まぁ黙っているとしよう。
 女は怒ると、神よりも災いを呼ぶ。
 そう言う意味では女の神とは、いや、これは危険な考えだ、やめておこう。
「信者を導くことと、女の恋心は関係あるまい。選ばれたと言って、その責任があるなどと大仰なことを言う割には、お前はあのうじうじした男を好くことが出来ていないではないか。自分に惚れた男の面倒もみれないのに、どうやって信者の面倒を見られるのだ?」
「・・・・・・私は」
「責任があり、義務がある、か? しかしそれらと個人の望みは本質的に別物だろう。神とやらが直接恋愛禁止令を出したならともかく、別にそうではあるまい。神を信じるに足る立派な人間であろうとするあまり、気遣いが出来なくなっただけだ」
「し、しかし現実問題私は「聖人」になることを求められています。それは、私個人の意志とは関係がないことだ。私が役目を放棄すれば、それが原因で救われない信者が出てしまう」
「お前は、いうほど神を信じてはいないのか?」「どういう意味ですか?」
 返答次第では殺す、みたいな剣幕だ。
 だが、私は遠慮なく言った。
 そうでなくては、話が進まない。
「神が全能なら、お前の手助けなど無くても救ってくれるだろう。それとも、お前達の信じる全知全能の神は、聖人候補が一人、人間として当たり前の幸福を享受したくらいで、人間を救うことをサボるような奴なのか?」
「そんな訳ないでしょう! ですが、いや、しかしですね」
「まぁ、依頼を受けた以上私にも仕事がある。だから私が次にここにくるまでに、せいぜいあの男といちゃついて押し倒しておけ。貴様に出来る事など、せいぜいそのくらいだろうしな」
「い、いえ、待ってください。神に愛する事を我々は義務としています。そこに恋をすることは、神への裏切りにはならないのですか?」
 妙なことを言う女だ。
 別種のものだろうに。
「愛は無限にある。それこそ人間の数だけな。愛というのは幸福の形だ。恋というのは幸福を求める人間の意思だ。どちらも私にはあまり縁がないが、言えるのは、愛も恋も、神でさえ当人でなければ口を出す権利はない。もし口を出すような無粋な輩なら、そんな奴は神でも何でもない「人間のエゴ」そのものだろう。恋は祈りであり、愛は幸福だ。しかし幸福は人の数だけ存在し、愛もまた無限に存在する。当人達の中にだけある幸福に対する答えこそが、愛だろうさ」
 知ったような口を利いたが、これが正しいかどうかなんて私自身すら知らない。読者を惑わすのが作家の仕事であって、答えを出すのは読者の仕事だからだ。
 それが何であれ、答えを出すのは当人だ。
 神ではない。
「待ちなさい」
 言って、彼女は私を引き留めるのだった。
 だが、私は殆ど逃げるように、その場を離れた・・・・・・暴力的手段に訴えられてはたまらないと言う気持ちもあったが、思いの外神が狭量な存在で私に目を付けたりしたら、たまったものではないからな。
 私はとりあえず、言うことは言ったので借りているホテルに引き返すことにした。

   6

「よぉ、先生。女はどうだった?」
 我々はホテルのバイキングスペースにいた。調理場はほぼ全自動で、アンドロイドと人工知能の共同作業だ。人間はほぼ見あたらない。
 国策として大概の国は「機械を使用した労働の効率化」を進めている。この方法が「効率化」を進め、当然ながら人間の労働を奪い、管理は雑になり自然を破壊尽くしたことは言うまでも無い・・・・・・・・・・・・私の経験から言える言葉を述べよう。結果が出ないのは問題だが、結果を急ぎすぎると大概ロクな事にはならない。勿論、結果が出ないのは論外だ。積み上げたモノに対して積み上げた以上の報酬がなければ、何のためにやったのか分からないだろう。問題なのは人間の手を放れて数値ばかり見ることだ。労働もそうだが数値ばかり見ていると実体を計れない。非雇用者の地獄を見据えないから問題になる。それも、もみ消した後になって、「実は商品に欠陥があった」などと申し訳なさそうに謝られても、いい迷惑だ。
 農業も完全に機械が管理するようになったが、実際に土も触ったこともない人間がオーナーを勤める小麦産業は、害虫駆除のための薬漬けにしすぎて、もはや機械のオイルから出来ているのかと思えるくらい、人体に問題のある農作物ばかり出回っている。
 機械を使えば安いからだ。アンドロイドに高い報酬を与えない企業家は多い。この辺りは、大昔からの繰り返しだ。
 奴隷から他国の植民地に切り替え、そして発展途上国に切り替え、まぁそれの繰り返しだ。
 繰り返してばかりで、人間は成長しない。いや人間個人が成長しようが、社会構造に関しては、ここまで科学技術が進んだにも関わらず、何百万年も前から同じままだ。
 今回の事件も同じだ。
 教会の体質、あるいはそれに連なる人間の「保守的で盲目」の体質が変わらないまま、だからこそ「聖人候補」などというモノを求めている。
 社会も宗教も、進化はしても進歩しない。
 前に進む人間の意思は、なかなか億劫なモノらしい。
「顔を見れば分かるだろう。無駄足だった」
「そうは見えないね」
 ジャックは知ったように言った。
 しかし・・・・・・笑える話だ。
 幸福だの愛だのと言った可能性が0から存在しない、私のような非人間が、少年少女の色恋を応援し、理不尽を打破するために依頼を受けるとは・・・・・・見せ物も良いところだな。

 作家とは、何だろう?
 
愛も恋も下らないゴミでしかないどちらも元は
「都合の良い相手が欲しい」という欲望だ。夢も希望も幻だ。そんなもの、世界の果てまで探したところで、どこにも有りはしないものだ。
 そう、白状しよう。 
 私の世界には何もない。
 夢も希望も安らぎも、愛も恋も友情も勝利も全て、手にしたところですぐ消える。あったところで、私の世界からは消え失せる。
 私の世界には何もない。
 全てが全て、消し去られるモノでしかない。だが・・・・・・もし内なるこの「何一つとして存在し得ない世界」にあるモノがあるとすれば、それは人間の意思だろう。
 人の意思、だが、例えば私は作家として、意志を貫きここまで来た・・・・・・しかし、それに意味はあるのだろう。だが、価値はあるのか?
 価値がなければ、空しいだけだ。
 価値を伴わないモノが人の意思だとすれば、私の内から人間の意思は、全ての輝きを、完全に失うだろう。
 内にも外にも「何も無い」それが真実だとすれば、全てに価値は無い。ただのゴミだ。
 そうでないなら、そこに光は灯るのか?
 人間の意思が、美しくはあっても、意味があっても価値がないのならば、人間に意味はない。所詮全ては自己満足、それが世界の在り方だ。
 だが、

 そんな世界は、つまらない。

 善し悪しではないかもしれない。私には、どうしてもつまらないのだ。つまらないなら、終わらせるべきではないのか? 価値がないなら、それは惰性の物語だ。そんなもの、私の方から願い下げだ。
 それでも世界は美しいかもしれない。だが、私にはそんな美しさ、価値も意味もない。
 世界の都合など知らない。
 私はただ、ただ、なんだろうな。私は意外と子供っぽいのだろう。混ざれなかった腹いせに、私はそれ相応のモノを求めた。
 だが、そんなモノはなかった。
 あったところで、同じだろう。
 私は魂を物語に閉じこめた。だが、それで感動するのは私ではなく、読者の方だ。私には売り上げ以外、何の関係もない。
 私は求め続けた。だが、この世界には求めるほどのモノなんて、初めから無かったという事なのだろうか・・・・・・・・・・・・。
 答えは、まだ完全には出ていない。
 だが、じきそれも明らかになるだろう。
 事実として、この世界は残酷だ。「事実」でしか世界は計れない。それらしい言葉など耳障りで役に立たず、それこそ、幻、意味も価値も無いガラクタのような言葉だ。
 私の言葉に力があるか、それは私の計ることではないし、どうでもいい。私は、事実として計れる結果が欲しい。
 悪か善かなど知らない
 どう見られても構わない。
 目的を前にさまよう亡霊の真似事など、ばかばかしいことこの上ない。私は、
 私は、この世に産まれたい。
 私は死人だ。心もなく人格も借り物で、夢はつなぎ止めるためにすぎず、野望は自分のためだ。 「結果」が伴い、まだ見ぬ「人間としての幸福」を手に入れることで、私は初めて「産まれ」ることが出来、そして「生きる」事が可能になるのだ。そこから、私は前に進みたい。
 それこそが、人間ではないか。
 それでこそ、人間のはずだ。
 それこそが、人の意思が成す奇跡だ。
 大げさかもしれないが、やり遂げるか、あるいは初めから存在しないかのニ択しかない。
 私は少年少女の恋愛喜劇から、何かを得られるのだろうか・・・・・・・・・・・・。
 何にせよ、人の心が、その繋がりが「何よりも正しい答え」だとしたところで、手に入らないのであれば目障りなだけだ。
 適当に夢を見て、適当に使い捨てる。それ以外に何の道もありはしない。
「先生、おい先生ってば」
 声がした方をふと見た。少し、気を取られていたようだ。
「大丈夫か? 全く」
「何でもない」
 何にもならない、の間違いかもしれないが。
 ふと、化け物を見た。私は慎重にゆっくりとそれを見た。そこには鏡があり、私は笑って、いや口を広げて幸福を口にしようとしていた。
 腹が減っていそうな顔だった。
「・・・・・・いずれにせよ、邪魔さえ入らなければ簡単な話だろう。どれだけ背景が大仰であろうが、少年少女のつまらない物語だ。つまりどういう邪魔が入るかが問題だ」
「やっぱりそうなるのかね」
「当然だろう。「聖人」だぞ。宗教においては象徴であり、自分たちの見栄や誇りの拠り所になるものだ。私なら、始末屋の一人や二人、躊躇はしない」
「言っても、隣人を愛する組織なんだろう? 俺には宗教はなじみがないが、隣人を愛するなら少年少女の愛を応援しても、良さそうなものだが」「違うな」
 と私は断定した。
「連中の愛は、「隣人を愛する神に認められた姿勢そのもの」にある。実体はどうでも良くなってきているのさ。神の認める「素晴らしさ」あるいはその基準に従う姿勢を神そのものに「誉めて貰いたくて」やっている。そこに隣人を慈しむ心など、あるわけもない」
「熱心になりすぎるのも考え物だな。神を愛しすぎるあまり、神を崇めるあまり足下が見えないんじゃあ、本末転倒だろうに」
「人間とは、そういうものだ」
 結果を生き急ぐのは、当然のことだ。
 それというのも、この世界は努力をしたところで報われるかどうかは運不運、人間の手とは関係のないところにある。だからこそそれを手助けしてくれるであろう神に、人間は必死に祈るのだろう。祈ったところで何があるわけでもなさそうだが、しかし、それ以外にやれることもあるまい。 未来とは見えないものだ。
 そこに希望を持てればよいのだが、生憎この世界は優しくもなく残酷だ。この世界そのものに対する信頼度が、人間にはもうないのだ。少ないのでは無くないのである。信頼も信用も金と同じ、引き出し続ければいつかは枯渇する。
 人間はあらゆる残酷さを持って、この世界に嘆きをばらまいた。既にこの世界に「希望」だとか「夢」だとか「平和」だとかを望む、それに値する「信頼」や「信用」を、この世界は失っているのだ。
 だってそうだろう?
 私が寄っているこの惑星にも政治はあるが、誰も期待はしていない。ただ単に政治をする権利を持つ金持ちが、政治をしているから遠巻きに見ているだけだ。世界へ埋めや希望を求める心も根底はこれと変わらない。
 世界は残酷だ。
 そして残酷が過ぎただけだ。
 もう人間は誰一人として希望を心に持ち合わせてはいない。科学が発展し、アンドロイドが自我を持って尚、世界は残酷だったのだから。
 結局は持つ人間が勝利する。
 持たざる者では勝てない。無論、そういう人間が勝利を収めた「革命」は過去にあっただろうが・・・・・・「奇跡」というオプションがなければ、知恵や策略を労すれば労するほど、無駄になる。
 簡潔に言えば皆諦めたのかもしれない。結局はこの資本主義社会において、あるいは神を信じる宗教社会においてすら、「持つ者」か「持たざる者」かで勝敗は決まる。少なくとも、持たざる人間が聖人認定は受けないだろう。
 人に施しを与える人間だからと反論するかもしれないが、それも結局の所「運良くそれを認める人間達がいた」だけだ。何事においてもそうだがそれを認める存在と、それを祭り立てる存在が必要なのだ。
 そしてそれらは運で決まる。
 世界は公平かもしれないが、平等じゃない。だからこそまぁ、聖人などという奇跡がもてはやされるのだが・・・・・・
 話がそれたが、要は神を信じたところで「結果」がどうなるかは誰にも分かるまい。救われるのか救われないのか、それが分かるのは神だけだろう。
 どんな行いをしても救いがあるのか分からないならば、その可能性を上げようとするのは当然だろう。それが「聖人」というわかりやすい奇跡の正体だ。
 聖人ならば救ってくれる、と。
 勝手に期待を寄せた結末が、過去そうであったように、戦争を起こして人を殺してでも聖人の遺体を確保する、という人間らしい所行だ。聖人は素晴らしいかもしれないが、それを手に出来るのは争いに勝った側だというのだから、全く持って三流の喜劇だ。
「人間は聖人を求める。そこに救いがあると信じているからだ。だが、救いの幅は有限だ。聖人であろうとも、あるいはその遺体であろうとも、何処か遠くの関係ない奴は救ってはくれない。事実世界一有名な聖人は、生きている最中に人を蘇らせ救う奇跡を見せたが、別に関係ない場所の人間は何人死のうが救ってはいない。事実として神の救いは有限だと、あの逸話は裏を返せばそう言う意味でもあることに、無意識ながら皆気づいているのではないのかな」
「だから、取り合ったり0から作ったりしているわけか。難儀だな、人間って奴は」
「全く同感だ。だが、神がいるのかどうかはしらないが、もし奴らの信じる全能な神がいたとしてだ・・・・・・・・・・・・中途半端に救ったそいつにも、罪はあるのだろうな。なまじ奇跡を起こし、救ったは良いものの、全ては救えなかった」
「神は全能なんだろう? なら救えないのか?」 もっともな疑問だ。
 神が全知全能ならば、全てを救ってしかるべきだ。しかしそれはあり得ない話なのだ。
「全能であれば尚更だろう。大体が信者でもない奴らを救う神などいはしない。いたとして、そうだな。全てを救うと言うことは、この世の悪徳すらも救うと言うことだ。私には「救い」が何なのか漠然としているが、しかし奴らの信じる神にはルールがあり、罰もある」
「自殺がダメとか、そういうやつか」
「そうだ。神の基準で裁かれるならば、そこに人間の救いなど初めからありはしない。事実なら、それは神に従順に従い、教えを守った子羊だけだろう? 結局の所自分に従わない人間は救わないし罰を与える。どこの神話もそうだが、神は敵対した奴は必ず滅ぼしてしまう。人間には罰を与える。敵対した奴は滅ぼし、従うものには天国を与える。そら、救いなどあるまい。人間が人間を法に従って殺し、裁くことは暴君だという。神がそう言われないのは同じ事をやっていても、逆らえる存在がいないからに過ぎない」
 ただ能力がある存在が上に立っているだけだ。 独裁と何ら変わらない。
 どんなルールであれ、そこに救いがあろうが無かろうが、結果としては同じ事だ。
 神がいたとして、それに気づいたりするのだろうか・・・・・・・・・・・・それはないだろう。能力がある存在というのは省みない。これは人間も同じだ。 もしそう思ったとして、反省されても迷惑な話だ。いままで散々好き勝手していた暴君が、心を入れ替えたところで、最初からいなければ、そんな迷惑を被ることもないだろうしな。
 もっとも、神がそうであるかは分からない。
 前にも考えたが、別に神であるからと言って、能力は高いかもしれないが、自我は一つしかあるまい。複数あったとしても、考え、悩み、苦悩して尚前に進む心があるかどうかは、断定は出来ないだろう。
 どんな気分なのだろう?
 自身が作り上げた人間達が勝手気ままに救いを求め、そして救われなければ文句を言い、救いがあっても足りないと言う。こうして考えると、割に合わない生活だ。
 神が人間を見捨てたところで、別にそれは神の問題なのだから、我々人間の関知するところではない。
 神が罰を与えたところで、能力ある存在が能力のない存在を自身の都合で蹂躙するのは、動物と変わるまい。どんな崇高な理由、信仰、高潔さがあろうが、裁かれる側、悪と断定される側からすれば、そんなものは身勝手な正義にしか写るまいということだ。
「神は偉いのかもしれない。まぁ私よりは偉いだろう。全能で先を見通し、人間の未来を考えているとしよう。我々ではその考えを知ることすら罪深いと仮定しよう。だがそれでも、その正しさは当人の都合に過ぎない。神が絶対的な存在であろうが、それは変わるまい」
「先生は何でも「個人」として捉えるんだな」
「事実だからな。事実は事実として考える。神がいたところで、その考えが正しかったところで、その正しさを認めない、下らないと思う存在はいて当然なのだ。それを認めないで、神は絶対だと信じ込み、世界中に教えを無理強いしてきたのならば、それは間違いなく巨悪だよ。その辺りの殺人鬼では、及びもつかないくらいにはな」
 事実そうだろう。
 宗教を巡って人間は何度も何度も戦争をしてきたが、後から平和になったところで、人を殺して信じさせたという事実は変わるまい。
 神が絶対だったところで、他ならぬ神自身だって罪人であることには間違いがないのだ。神にそぐわない悪魔を殺し、戦争に勝利して支配体制を築いた神ならば当然だ。戦争を経験しない神など殆どいまい。位が高ければ高いほど、神は戦争を起こして勝利することで「正しく」あった。
 神が全知全能であるかもしれない。だが全知全能であったところで、清廉潔白であるというのはあり得ないのだ。いや、むしろそんなことはあってはならないことでしかない。だが、少なくとも人間は神に「絶対に正しい」ことを望む。
 神がいるとすれば、だが、むしろ私は心中を察し、お悔やみ申し上げるだろう。人間の勝手な期待に答え、戦争を起こしてでも政権を守り、邪魔者を殺し、しかし「神は絶対だ」と言われ完璧に清廉潔白な存在であることを要求され、全てを完全に救うことを求められる。
 肩がさぞ凝りそうな話だ。
 完璧に清廉潔白な存在、そんなものがあったとして、それがなんだというのか・・・・・・悪性のないものである以上、悪性の元となる自我は当然与えられず、戦争を挑まれれば良いように蹂躙されるという事だろうか。
「親が子を愛するように、神は人間を愛し、慈しみを与えているとしたところで、我々はペットではないし、聖人の遺体、死して尚利用される彼らと同じ、人間の信仰心に利用されているとしか思えないな。労働で言うところの「やりがい搾取」と対して変わらない」
「先生は卑屈だな。それは支え合って生きているとか、そういう考えでいいじゃないか」
「事実だ。むしろ私は楽観的だぞ。この世界は何一つとして期待できるものは存在しない。全てが全て、ガラクタだ。愛も希望も嘘でしかない。嘘で話を盛り上げ、この世界が素晴らしいものであるかのように演出する、作家という生き物が前向きでないわけがない」
 少し沈黙し、ジャックは、
「嫌な性格してるな。先生」
 と言った。
「お互い様だ」
 私はコーヒーを煎れ、飲んだ。この世界には価値も意味も無いかもしれないが、コーヒーの味の良さは認めても良い。
 やはり豆で挽いて良かった。
 味が違う。
 コクも違う。
 コーヒーに神がいるのかしれないが、個人的に感謝してやってもいい位だ。
 無論金など払わないが。
 払ったところで、神が役に立つかどうかは微妙な話だ。
「最大多数の最大幸福の悪だな。人を救うと言うことは、自身を救わないと言うことだ。事実、聖人の末路は悲惨の一言につきる。それを無視してやれ奇跡だの救いだの、よくまぁ恥ずかしげも無く求められるものだ」
「あんたみたいな非人間が言うと、奇妙な説得力があるな」
「私のような人間に指摘される時点で、手遅れの気はするがな。私のような人間が指摘せざるを得ないほどに、悪化してきていると言っても良い」 愛にせよ恋にせよ人間の幸福にせよ、眺めるのが楽しいのであって実際には疲れるし、争うし、い事は何もないと言うことか。
 やはり金だ。
 この世に、事実として大切なもの、大切にするべき価値のあるものは金くらいだ。金そのものがどうと言うよりも、利便性の高い金に比べて、恋だの愛だの幸福だのと言ったものが、大層な呼び方に反して中身の無い、空虚で無価値なものであるという事実がそうしているのだろう。
 事実、愛にも恋にも価値はない。実体は燃えないゴミより使えない無価値なモノだ。それが美しいと、大げさに嘘をついて世間が言い触らしているに過ぎないモノだ。
 崇高な愛も、
 情熱的な恋も、
 人間の間違いだ。
 そんな心は、間違えている。
 この世界にそんな美しいモノは存在しない。だからこそ作家というばかげた仕事が成り立つのだから。
 もし、こんな最果ての世界に「美しいもの」があるとするならば、人間の意思の向かう果てだ。 人の意思。
 人はそれを理想と呼び、執念と称え、あるいは信念だと声高に叫ぶ。
 人間に価値を求めるのならば、精々そのくらいしか、お前達には輝くものなどありはしない。
「聖人の遺体か。それそのものには意味はなく、結局の所どう扱うかが、重要なはずだがな。まぁ本質を見失い、肩書きに目をくらませるのはいつの時代も変わらないと言うことかもしれないな」
 そんなことを言って、私はコーヒーを飲みながら菓子パンを摘んだ。皮が餅で出来ており、何とも言えない奇妙な触感だった。

 椅子に座って、考える。
 これからどうするのか、いやそれは決まった。十中八九あの二人の恋愛を邪魔する人間は送られてくるだろう。そしてそいつは私を始末しようとするはずだ・・・・・・聖人にならず、小娘としてあの少女が人生を満喫しても、教会側からすれば何一つとしてメリットはないわけだからな。表向きどう言うかは建前であり、実際には人間一人の幸福を潰すことで「聖人の遺体」を得られるのならば「欲しい」と言うのが本音だろう。
 世の中そんなものだ。
 とにかく、対策を考えなければ。既にいくつか案はあるが、今後あの二人がどう動くかでこちらの動きも変わってくる。とはいえ、問題は一つしかないのだから、そこを解決すべきだろう。
 自身では釣り合わない、自身のような人間が隣にあるべきではないと言う青年。
 自身には使命があり、その使命の為には個人の幸せなどあってはならないと信じる少女。
 要は、それだけの問題だ。
 彼らの心が問題なのだ。心の問題を私が解決するなど笑える話だが、これが作品のネタになることを祈るばかりだ・・・・・・などと、祈る相手もいないのにそんなことを考えても仕方あるまい。
 どうするか。
「ジャック、お前なら、どうする?」
 人工知能は恋愛をするのだろうか? 少なくとも電脳アイドルに夢中にはなるらしいが。
「何言ってんだ、それが楽しいんじゃないか」
「どういうことだ」
「現実問題、恋愛は実らないだろ? 実るかもしれないと夢を見ている瞬間が楽しいのであって、実際に結婚したりすれば、折り合いがつかなかったりして、あっさり別の人間を捜したりするんだから、別に、今回の二人を無理にくっつける必要は、無いんじゃないのか?」
「確かにな」
 恋も愛も、当人の思いこみに過ぎないものだ。 現実という刃の前では、何の力も持たない。現実の前に力を持つのは金だけだ。人間の意思とかそういう小綺麗で美しいモノは、大概が何の役にも立ちはしない。
 しかしここで問題が一つある。
 私が作家だと言うことだ。
「そうしたいところだが、そうもいかんさ。何しろその愛だの恋だのと言ったモノがどういう答えを出すのか? それは私の眼鏡にかなうものなのか? それを知るために今回の下らない依頼を受けたわけだからな」
 あの自称「縁結びの神」にいいように使われた感じも否めないが、とにかく、私が作家である以上、人間の出す答えに対する興味は消すことが出来ないものだ。
 私は善意で動いているわけでもなければ、正義の味方でもないし、まして主人公でもない。
 主人公がいるとすれば、それはあの陰気な青年だろう。
 私は作家だ。たとえ周囲がどれだけの悲惨にまみれようが、作品のネタになり、そしてそれが売れれば何の問題もない。そう言う意味ではまだ情報が不足している。いくらなんでも、まだ手を引くには早すぎる。
 引いたところで、始末屋も待ってはくれまい。 少年少女は恋愛に、あるいはその愛とやらに一体どういう答えを出し、結末を導くのか? 駄作の臭いしかしないが、少年少女の恋愛など、あるいは愛などその程度のモノだ。
 考えても見ろ。
 恋は悲劇に終わり、叶わない思いを願い続ける物語だ。
 愛は届かず、報われない怪物の悲劇の物語に過ぎない。
 愛も恋も、物語としては三流だ。
 そんなつまらないモノを何故。私が題材として取り上げるのかと言えば、売れるからだ。ありもしない理想の恋愛、嘘くさい奉仕の心から生まれ出る愛の奇跡。そんなモノを人間は好んで読む。 現実にはそんな美しいモノは、存在しないからだ。いや、存在はするが、所詮人間の欲望に過ぎず、自身にとっての都合の良い存在を求める心に間の恋だの、小綺麗に言葉でまとめただけだ。
 愛とはそう言うものだ。
 恋とてそう言うものだ。
 だが、どんな形であれ、それが悪であれ、人間が人間の手に余るモノを求め、そのために道を切り開くとき、それは最高の物語になる。
 私には人間の「前へ進もうとする意思」こそが、尊い光に見える。だが人間の意思は報われないものだ。
 前に進んだところで、結果がなければ意味は無く、価値もない、そんなのは三流の悲劇でしかないものだ。
 人間の意思は力を持つのか? 未来を切り開く意思は現実に奇跡を起こすのか? それを知るための良い研究材料になるだろう。
 愛こそが最強の力であるのなら、その結末は必然であるべきだ。そうでないなら、見立て通り大したことのない人間の思いこみを美化したものという答えこそが、事実となる。
 私は実利さえあれば、彼らの行く末に興味もないしな・・・・・・精々稼がせて貰うとしよう。
「行くのかい?」
「ああ、とはいっても、少し外を見て回るくらいだが」
 今のところ、手がかりとっかかりはあまりないのだ。急いだところでどうにもなるまい。
「お前はそこで電脳世界のゲームにでもジャック・インしていろ。私は尾行者の調べがてら、作者取材にいく」
「お得意の人間観察か。すきだねぇ」
 見送る声を後目に私はドアから外へ出た。
 ホテルのフロントに鍵を預け、それからロビー内部で土産物だとか、特産品だとかを物色することにした。カフェスペースもあるし、また今度ゆっくりしていきたい。
 土産物を適当に見てから、すぐ外に出ることにしよう。そう考えて私は骨董屋(地球に人類が住んでいた頃のモノを、販売していた)に立ち寄ることにした。
「なんだこりゃ・・・・・・」
 そう思って手に取ったのは、お守りらしい人形だった。どこかの部族の信仰する神か何かなのかはなはだ不気味な姿だ。
 チップで購入し(現金取引は違法だ。大抵は脳内にチップを埋め込んでいるが、私は手渡しだった)外へと出た。
 お守りの人形はポケットに入っている。手を突っ込むところに入っているから邪魔で仕方がなかったが、とりあえずはこれで我慢した。
 そうして、私はホテルを出て、外を歩くのだった。

  6

 社会的背景。
 それはいつの時代にでも合るものだ。
 科学が労働をこなし、人間の価値観は「金」と「生まれ」そして「信仰」の三つに分類されるようになった。選民意識、という古く感じられる概念が復活したのは、アンドロイドというわかりやすい人間の奴隷が出来たことと、才能をデザインする事が可能になり、特権階級には常に優れた才能、優れた資質、優れた教育が集中するようになったからだ。
 いつの時代も変わらない。
 特権階級が肥え太るのは大昔から続いている。民主主義国家は「解決に向かっている」気分になることで問題を放置し続け、教会組織は「人類皆平等」という嘘くさいスローガンを掲げて何一つ解決はしなかった。
 実際、お題目を唱えて自分たちが困難に立ち向かい「解決している気分」になるのは勝手だが、政府も教会もそんな「ごっこ遊び」に集めた金を使い果たすというのだから、どちらも民衆の役に立たないと言う点では同じだろう。
 彼らは共通して「理想」は「立派」だ。だがそれだけでしかない。現実に何かを変えるのに必要なのは民衆の総意もどきでも、神の愛でもない。 資本主義社会において、何かを何とかしたいなら、そこには金が必要だ。
 貧民を救うのも。
 革命を起こし圧政を止めるのも。
 愛を説き、人々を救うのも。
 金がなければ汚らしい絵空事でしかない。私は今貧困街に来ているのだが、神の愛よりも金を使って食べ物を配り歩いた方が早そうな風景だ。
 建物は崩れ落ち、住む人間は死体か、獣じみた人間だ。こんな世界で、貧困という誤魔化しようのない世界では、綺麗事は通用しない。
 貧困に限らない。
 現実の残酷さの前では、政府の言い訳じみた方針も、教会の役に立たない神の愛も、等しくただの嘘八百でしかないのだ。
 現実とはそう言うものだ。
 チャリティというのか、そういう団体を見かけることもあるにはあるが、そもそもが豊かな国が繁栄するから貧困や差別が横行するのであって、豊かさを振りかざした人間がやったところで、何の説得力もない。かれらはただ「善行をしている自分自身」に酔っているだけだ。
 私の場合、運不運に関係あるのかと思ってそれなりの金額を出すこともあるのだが、何人私の金で救われようと、それによって私自身が救われたことなど一度もない。無意味だ。豚に餌をやっているのと変わらない。
 それが事実だ。
 いずれにせよ世の中は「因果応報」とは行かないものだ。悪行を働こうが、時代の法律によっては殺人こそが武勲になり、誉められる。あるいは殺戮兵器の基礎理論を書いたところで、被害者ぶれば咎は及ばない。
 あの世があるとして、そういう「生前の悪行」を裁く存在がいるから神の目は誤魔化せない、と言う輩も多いが、人間なんて生きているだけで罪悪ではないか。自然を壊し。動物を殺し、好き放題に他社を傷つけ、寿命が終わればほったらかしたまま消える。
 それとも、人間は人間の勝手な倫理観にさえ従っていれば、あるいは神とやらに媚びを売り、神のルールを破らなければ、何をやっても良いとでも言うつもりだろうか? 
 神のルールがあったところで、人間を裁く理由にはならない気もするが・・・・・・何にせよ、大して善人でもない、むしろ非人間の極みである私のような作家がこういうことを考えさせられるのだから、世も末と言うことか。
 作家とは因果な商売だ。
 こんなこと考えない方が気楽で幸せだろうということを、考えなければならない。
 考えた上で答えを出し、読者に問いかける。
 読者がどう取るかは分からないが、それが悪であれ善であれ導くのが、物語と言うものだ。
 町を歩いていると、意外な風景がいくつもあるものだ。まずこんな世界でも出店は出ていることだろう。無論、仕切っているサイバーギャングなりがいて、ならず者のサイボーグ達に、彼らの部品代として売り上げの半分はかっさらわれるのだろうが。
「一つくれ」
 そういうと、結構な金額をぼられることになった。まぁこういう場所では無闇に金の問題で揉めるのは得策ではない。もめ事を起こしに来たわけではないのだ。だから平和的に金額交渉をし、そこそこの妥協点で支払うことにした。
 恐らくは定価より高いだろうが、まぁ良いだろう。こういうのは雰囲気を楽しむものだ。
 皮に切り刻んだ肉を包み込んだ良くわからない食べ物を食べつつ、考えながら歩いた、我ながら器用なものだ。
 だが、私の食べ物は粉々に飛び散った。
「仕事に邪魔をされたことはあるか?」
 声のみが聞こえる。
 姿は見えない。
「私はね、政府の意向に従って生きてきた。愛国心という奴さ。聖人の遺体なんてモノがあれば、我々は更なる繁栄を手に出来る」
 周囲を見渡すが、人間が多すぎて誰が誰だかわかりはしない。どうする、考えろ、攻撃方法が分からないままではあっという間にやられる。
 肉が弾けるような音がしたが、それは私ではなく、とりあえず盾にしたその辺の人間だった。
「お前、今通行人を盾にしたな?」
 もしかして、何処か遠くにいるのか?
 しかし、遠距離からそんなことが可能なのだろうか・・・・・・例え最新式のプラズマ銃だって、私のサムライとしての能力があれば、反応できそうなものだが・・・・・・。
「それと同じだ。国からすれば全体に救いがあるかのように演出することが大切だ。遺体に力があるのか知らないが、私は国にあの女の死体を持ち帰り、栄光を手にする。それだけが全てだ」
 言って、銃弾のようなモノが飛んできた。前時代の鉄の銃と思ったが、そうではないらしい。
 飛んでいるはずの銃弾が見えないからだ。
 私はとりあえず逃げることにした。とはいえ、相手の能力を解明できなければ未来はない。何かしゃべっていたようだが、私を始末しにくる人間の素性など、考えたところで金にはならない。
 転がり込むように路地裏へと移動したが、しかし私の直ぐとなりにあった鉄パイプが破裂し、破片が刺さるのだった。
「ぐあああっ!」
 痛い、くそ、なんてことだ。慌てるな、おちつくのだ。落ち着いてなどいられるか、いやしかしこのままでは私が始末されてしまう。 
 私はとっさに幽霊の刀を構えた。敵がどこにいるのか分からない現状では、ただの頑丈な棒でしかないが、無いよりは精神的にマシだった。
「何のようだ、誰だお前」
「言ったはずだ。国家の意思のようなものだと考えてくれて構わない。いいかね、聖人の遺体だろうがなんであろうが、我が母国以外が手にするなどあってはならないのだ」
 我々は宇宙の支配者だからな、と傲慢な台詞を襲撃者が吐いてくれたおかげで、大体どこの惑星かは想像がついた。
 プライドだけは高い連中だ。
「いいか? 3秒数える。お祈りでもしていろ」 最悪で覚悟は必要だが、しかし、これで決まったぞ。
 私に逆らう奴は皆殺しだ。それがいけすかない国家の犬なら尚更な。
 私は身体を打ち抜かれる瞬間、身体をひねって傷を表面にとどめた。こんな避け方は一度しか通じないだろうが、これで理解した。
「空気銃」
「なんだと」
「貴様、何者か知らないが、形のない弾丸を撃つことが出来るらしいな」
「それが何だというのだ。分かったところで、私の技術の前には無意味なことだ」
 技術か。
 恐らくは科学で解明できなさそうな、私の刀と同じたぐいのモノかもしれない。人間は人間でそう言うモノを作っていたということか。
 言ってることからして、あの少女を始末して国に持ち帰るため、私が邪魔だと感じ、殺しに来たということだろう。
 やれやれ、だから聖人の遺体なんてロクなものではないのだ。聖人がいくら凄かろうが、扱うのはこういう人間なのだからな。
「いいかね? 私が言いたいのは」
「いや、言い、ここでお前の台詞は終わりだ」
「何だと?」
「いいか、私は戦闘が嫌いだ・・・・・・疲れるからな・・・・・・だから貴様の出番はここまでだ。瓦礫の底で考えていろ。お前みたいなモブキャラについて正体を暴く必要すらない。ここで消えろ」
「私の居場所も分からないのに・・・・・・おい、それは何だ?」
「気づいたか? でももう遅いぞ・・・・・・路地裏であれば狙撃に有効なポイントは二カ所しかないからな。両隣の建物の中。無論私はお前がその辺にいるであろうというおおざっぱな情報しか掴んでいない。しかしだ。私のこの幽霊の日本刀は、魂を切り刻み、腐敗させることが出来る」
 両隣の建物の基盤を、それぞれここに来た時点で叩き斬った。どこにいるのかはしらないが、建物が崩壊するのは時間の問題だ。
 私は急いで路地裏から出て、だめ押しにさらに建物の柱部分を叩ききった。当然支柱が崩れた建物は音を立てて崩れ落ち、どこにいたのかはしらないが、まぁ生きてはいないだろう。
「作家に肉体労働をさせやがって」
 私は疲れることが嫌いだ。
 戦闘のような命をかけて得られるモノの少ない行為は、大嫌いだ。
 だが、嫌いかどうかと、出来るかどうかは別物と言うことか。
 私は警察がくる前に教会へと逃げた。何よりこれで、あの女を説得する材料も整ったわけだ。
 命の危機でも逃げないだろうが、周囲に迷惑がかかるとあれば、あの女の考えを「曲げる」ことは出来なくても「曇らせる」ことは可能だ。
 やれやれ参った。
 私は少年少女の恋愛の為に、こんな割に合わないことも作品のためだと言い聞かせつつ、神の家に向かうのだった。

   7

 作家には自信が必要だ。
 己の作品に対する確固たる自信、誇り、そう言ったモノがなければ作家とは呼べまい。売れて天狗になれってわけじゃない。
 己の魂を切り売りし、表現し。個人の限界を追求するのが作家だとすれば、それそのものに自信を持てなくて、何に自信を持つのかという話だ。 傲慢くらいがちょうど良い。
 そうでなければ、面白い作品など書けまい。
 だから私は作品に大して絶対の自信を持っている。見る目がある奴ならば評価して当然、編集者は見る目がある人間なら私を立て、作品を涙を流しながら売れ、私という鬼才に会えたことを光栄に思いむせび泣け。読者は見る目があるのなら感謝感涙、短い一生で私の作品を読めたことを誇りに思って死ね、位には自信がある。
 作品とは己の誇りであり、白紙の世界に対する一枚の地図であるべきだ・・・・・・そこへいくと今回の「聖人の遺体」はオアシスか、あるいはゴールの書かれている地図だろう。
 作家である私からすれば、聖人の遺体も神の教えが書かれた聖書すら、商売敵だ。
 とはいえ、敵から学ぶのも人間だ。
 これはそう言う物語、であると願いたい。
 願わくば、だが。
「この傷はお前のせいだな。やれやれ、さっさとお前達が逃げ延びて、聖人などと言う妄言から脱却できていなければ、私はこんな怪我をせずにすんだのだが」
 そんな恩着せがましい台詞から、私は聖人候補の修道女に文句を付けるのだった。
 荒野には地図が必要だ。だが、聖人と言う奴は己で書いた地図ではない。そんなモノが現実に力を持ち、己で書いた地図よりも「実利」があるのだとすれば、ささくれた気分になるのも当然だという気はした。
 全く、力があれば何でも正当化される。
 嫌な時代だ。あるいは、人間の本質がそうなのかもしれないが。我々作家が、人生を賭して書き上げた傑作よりも、大昔のいるのかどうかもわからない、誰が書いたかも分からない聖書が重宝がられるというのは、皮肉な話だ。
 その聖書を指針に生き、自分の地図を必要としない人間達が、私よりも儲けているのだから、尚更そう感じられた。
 シャルロット・キングホーンという名前の女、その女は全てが平等であるという確信を、口に出さずとも、神に全てを捧げた修道女の儚い姿で、演出するのだった。
「それは・・・・・・失礼しました。しかし、ご用は何でしょうか? 貴方がただ文句を言うためだけにこの教会へ訪れるとは、考えにくいのですが」
「ああ、そうだな。貴様等の「神」とやらに関して、聞きたいことと言いたいことが、あったものでな」
「言いたいこと?」
 彼女ははて、と首を傾げ、心当たりはないかのように振る舞った。
 だがそんな訳が無い。
 この女は神にすがり、男を捨てるくらいには信心深いが、愚かで考えなしではない。
 だから真実を理解している可能性はある。
 無論、論理的な真実など、人によって変わりはするが、「誤魔化しようのない真実」は神にだって誤魔化されはしない。
 だからこそ、神の教えは世界に広まったのだろうからな。
「私からすれば人を救うなんてことは自己満足の偽善でしかない。ああ、とはいえ、寄付を繰り返して人を助けるのは楽しいぞ? その辺の「聖人」とやらより私の「金の力」の方が人を救っているのかと思うと、あの世があるとして、そこに聖人がいるとしても、そいつらは私に頭が上がらないだろうからな」
「隣人を愛せよ、というのは徳を貯めろと言うことではなく、そうあることそのものが美しい人の在り方だと、神は教えているのですよ」
「なら、これでどうだ?」
 私は札束を取り出し(現代では違法だ)それを牧師が立ち聖書を読むであろう台の上に、乱暴に置いた。
「そら、金だ。くれてやるさ・・・・・・お前の祈りよりも私の金が、多くの信者を救うという事実を、噛みしめながらこれから先、祈れ」
「あのですね、私は」
「だが、これで人が救えるのは曲げようのない事実だろう?」
「それは・・・・・・」
 悔しそうに、まぁ当然ではあるが、この事実の前に彼女は話しあぐねているようだった。

「お前のような人間を見ていると、いつも思うことがある」
「それは、なんですか?」

「その在り方は崇高だろう。気高く、そして真実を求め続ける人間の意志は、確かに正しく、美しい。この私をしてそう思う。だが、私は誉められたいわけでも、おまえ達みたいに気高い在り方であり続けることに興味はないんだ。ただ、私は幸福が欲しい。豊かさが必要だ。手段は問わない。それは「悪」なのか? だとすれば、一体、どうやって幸福になれるというんだ?」

「確かに、所謂「聖人」という生き方はその極みです。目先よりも正しい在り方を尊重している。ですが、それだけではありませんよ」
 どういうことだろう。
 他になにがあるというのか。
「幸福とは、心が満たされることです。貴方の幸福がどういう形かは存じ上げませんが、しかし、幸福とは愛と同じく培うもの。求めることは悪ではありませんが、あなたは急ぎすぎる」
「私は、死ぬ寸前になって「幸福」とやらを手に入れて、それで満足しろと言われるのはまっぴらなだけだ。「幸福は手に入らなかったけれど、君の在り方は崇高だったよ」なんて、誉められたところで嬉しくもない。何度も言うが、私は」
「ええ、自信の幸福のために生きている。それが人間と言うものです」
 偶数崇拝の為とはいえ、この教会にはそれなりの神々しさがあった。そして装飾も、それに必要な聖女のような女もいる。
 だが、私はそんなモノ欲しくない。
 私は小綺麗な理想などまっぴら御免だ。
「人間は試練で魂を輝かせるのかもしれない。だが人間は魂を輝かせるために生きているわけじゃない」
 私は作物ではないのだ。神の都合で「立派な魂」を得るためだけに生きているわけではない。 作家というのは物語を通じて、読者の精神や考え方、意志の力を成長させる手助けをすることが本分だ。しかし、だからといって、私は読者の人生のために自分を犠牲にするつもりは毛頭無い。 それと同じだ。
 神も、物語も、結末は同じ。
「それも人を思えばこそです。神は全能ですが、人間を直接助けることは出来ません」
「何故だ?」
 神がいるとして、真に全能ならば、全てを救ってしかるべき。そうではないか?
「いえ、神はいます、我々を見守ってくれてもいます。ですが、それとこれとは別です。全てを手助けしていては、人の子に成長はないでしょう」「その「成長」とやらのために、何人死んだのかな」
「確かに、この世界は理不尽です。ですが、神は見ておられます」
 見ているから何だというのか。
 見物するだけならば誰にでも出来る。
「いえ、だから神はあくまでも「手助けをするだけ」なのです。この世に生きるという業は、我々自らが克服しなければなれない「試練」です。ですがそれを乗り越えれば天国へ誘われます」
「天国など、どこにある? あるのかどうかも分からないモノのために、この世の不条理を受け入れろとでも?」
 彼女が水をコップに入れる姿を見て、私は世界の水資源問題について思い出した。世界資源の90パーセントを超える「水」これを支配する政府が、そのインフラを支配するモノが世界を支配するようになった現代では、公共の水資源は教会くらいにしか存在しない。
 人間はどこにでもある水ですら、奪い合う。
 水のインフラを支配することで、他国を間接的に支配することが政治の定石となった。これも我々に対する「神の試練」か? 
 だとすれば、何人死ぬのだろう。
 私は善人ではないので何人死のうとどうでもいいが、しかしそこまででなくとも、この世には理不尽な試練が存在する。
「シェイクスピアという大昔の人間は、人生は舞台であると述べています」
「我が生涯が神の手によって紡がれた物語だとすれば、非道い駄作もあったものだ。何せ、読んで得られるモノと言えば、「この世界はどうしようもなく不条理で、希望はすべて幻想だと歌うだけの物語なのだからな」
「ええ、ですが、そんな喜劇にも救いはあります。貴方の物語だって、救いが一切無くても、そこに希望はあるでしょう?」
「物語の登場人物など、すべて偽物だ。騙されるな間抜けが。だが、物語の登場人物達は希望を見せるのではなく、「希望を体現する姿」を魅せるのだ。ああありたいと願う思い、それこそが人間が、いや、読者ならば誰でも抱く、物語への感想と言うものだ・・・・・・しかし、いいか、断言しておく。彼らは空想であり、実在はしない。タダの妄想と切って捨てればそれで終わりだ。だがな、

 他でもないこの私が彼らを認める。価値があり意味があると断言する。彼らの生き様、彼らの願い、彼らの思惑、彼らの思想、その全てが輝ける光だ。私が言うのだ間違いない。

 非人間ですらこの回答を出せるのだ。誰がなんと言おうが彼らには価値があり意味がある。作家である私が断言する。物語の登場人物達は無ではないのだ。確固たる・・・・・・人間の姿だ。だから私は彼らにこう言おう。安心しろ物語共。他の誰が見捨てようが、作品の神であるこの私が愛でてやる、とな」
 彼女は、少し押し黙った。
 話がそれたか。
 しかしそんな奇妙なモノを見る目で顔を見られると、不愉快至極だ。
「神も似たような気分ではないでしょうか。我々に神の意志は推し量れませんが、我々の苦悩には意味があり、価値があると考えるからこそ、我々は日進月歩し、技術を進め、あなたの物語だって、苦悩に満ちた生涯だからこそ傑作が書けるのではないですか?」
 不愉快な話を聞いている。
 だから私はこう答えた。
「挫折と苦悩に満ちた生涯など、煮ても焼いても食えはしないさ」
 実際、たまったものではない。
 私は作家になることを夢見ていたのではないのだ。あくまでも、それは生き方として、選択肢がなかっただけだ。だから作家は、物語を書くことは、私の幸福と関係がない。
 私は答えが欲しいのだ。
 倫理的にではなく「事実」として、生き方の方針が知りたい。それを知って「幸福」を手にし、平穏な生活を満喫したい。
 私の願いなど、ささやかなものだ。
「私は醜いアヒルなのか? 美しい白鳥なのか? その答えは神には分かるかもしれない。だが私には分からない。だから人間は答えを求めて旅をするのかもな」
 大して気にしてもいないくせに、私の口はそう言った。無論、その他大勢の批評などどうでも良いことこの上ない
 だが、私の運命に待ち受ける結末が、どこに行きつくのか? 
「結局、人間の執念は無駄なのか? それとも、人間の意志は奇跡を起こせる程なのか? その答えは誰にも分からない。そう、全能の神を除いてな。その答えを知っているのであれば、あるいは「報われる」という答えを知っていれば、余裕を持って見物も出来るだろう。だが人生はそうではあるまい。結局報われないことの方が多い上、その結末は分からない」
「それは当然です。それが「生きる」と言うことですから」
「だが、人間の意志や執念が奇跡を起こさず、無駄に終わるというのが世界の真理なら、意志や執念の末、なにもかも無駄に終わる人間は、とてもじゃないが納得行くまい。この世の不条理に対して人間はそういう答えを出しつつある。おまえ達のそれは理想論だ。現実には、祈りも思いも届かない。何の奇跡もありはしない」
「生きると言うことは、不条理を傍らに置くと言うことです。その中で、尊い人間の意志が魅せる光こそ、主に与えられた人間の素晴らしさではありませんか」
「素晴らしいかもしれないが、実践する方からすればたまったものではない話だな。それは人事だからこそ、出る意見に過ぎないのだ」
 不条理の中に輝く人間の意志。
 物語で愛されるキーワードだ。
 彼女は続けてこう言った。
「人間の心は、慈しむことで光るものです。あなたにだって」
「私にはそんなモノは、無かったさ」
 こんな修道女に言ったところで、何が変わるわけでもないのだが、良いように言われるのは我慢なるまい。
 だから言った。
 人間の在り方を。
「それこそが人間にとって当たり前の幸福だというならば、私によこせ。それが手に入らぬと言うならばそれこそ嘘ではないか。私は人間が持つあらゆるモノを剥奪されて生きてきた。この様で「人生」などと笑わせる。神がいるとして、因果に応報があるならば、私は貴様から取り立てる権利がある。今までの借りは返して貰う。人と人との繋がりがあるとして、それが人間の求めるべき道だとしても、私は神を許さない。許されたければ金を払え。人と人との繋がりなど、もう私には感じることすらないのだからな。
 幸福以前の問題だ。愛だの、恋だの、金よりも大切なモノがあるだのと抜かすのならば、まずは私に人並みの幸福をよこせ。それは出来なかったくせに、言い訳がましく「金よりも大切なモノがあるのだよ」などと、妄言も良いところだ。
 ならばこそ・・・・・・豊かさを手に入れなければ嘘になる。輝きを失うだろう。私はそれらしい偽善者の神が述べる、人間の真の幸福に弾き出された化け物なのだからな

 いままで、私に押しつけてきた非人間の在り方に対して、金を払え。人を神が作ったというならば、神の手違いは神の責任に他ならない。

 それが出来ぬ神など、信じるに値しない」
 まぁ要約してしまえば無い物ねだりも良いところだ。私に心がないからと言って、それは慎重が低い人間が文句を言うのとなんら、変わりない。 だが文句を言うだけならば金はかからない。
 だから続けてこう言った。
「納得すること、それは確かに崇高だろう。だがあらゆる情を奪われた人間が、納得などあるはずがあるまい。神がいるとすれば、私の存在そのものが、間違いなく神の間違いを指摘できる。私は自分を間違っているなんて思ってはいないが、私の人生に「屈辱」と「苦悩」を与えたのは間違いなく事実だ。作り間違えたというのなら、それに見合った金を払って謝罪しろ。それが私の「全知全能の神」に対する答えだよ」
「そんな、神は間違えたりはしません」
「そんな訳がないだろう。全知全能とて、真に何もかもを手玉に取ったところで、見方を変えれば何者でも悪になる。神は完全な善性をもつのかもしれない。だが「持たざる者」からすればそんなモノはただの暴力だ。持つ者の傲慢で、邪悪でしかないのさ」
 神がどういう人格者かは知らない。
 だが、そういう存在が「絶対的に正しい」などあり得ないのだ。そんなものは神でもなければ天使でもない。ただ権力者が暴論を無理矢理通しているのと変わらない。
 神に裁かれる悪がいるとすれば、間違いなくその神に、不平不満を抱き、そして彼らから見れば「高い能力を持って自分たちを弾圧する存在」でしかないのだからな。
 彼女は水の入ったコップを置き、振り返って私を見た。
 美しい、のだろう。
 理解は出来ても、感じることはままならない。 それが神の「正しさ」ならば、やはり私のような人間からすれば、持つ存在の傲慢だ。
 私は結論を口にした。
「作家である私にとって、作品は魂の分身だ。それが受け入れられない世界なら、神が存在しようがしまいが、あの世があって、天国があるとしても、私に居場所なんて無いんだよ。どこにも。私の作品がこの世界に。この人間社会に生きる人間達が「認めない」ならば、それは私という人間の在り方は、誰にも必要とされず、最初からいらなかったものだと証明するようなものだからな

 私の道は間違っていたのか?

 この道に間違いはなかったのか?

 それを証明するのが、作家にとっての作品だ」 お笑い草だが。
 実際、認められなければ只のゴミだ。
 世の中とは、結局の所彼女の言う正しさ、人間的な美しさというモノよりも、実質的にどうなるのか? それを必要とする。
 良い悪いではなく、必要なのだ。
 金も、豊かさも、権力も、なければ生きる上で足かせになり、滞る。有りすぎても欲に狂い、溺れてしまうものだがしかし、無くても良いわけではないのだ。
 それを察したのかは知らないが、彼女はふと気がついたように、その疑問を口にした。
 ある意味当然の内容だった。
「・・・・・・そんな貴方が、何故私たちを助けようとするのですか? 貴方は、神を信じていない。どころか人間の在り方も、その報いも、運命すら疑って生きている。そんな人間が、何故私たちに手を貸すのです?」
 まぁ当然の疑問だった。
 金を請求していない以上、反応としては至極まっとうなものだ。
 そう思う。
「物語には悲劇が必要だ。悲劇があればこそ読者共は同情し、涙して、傑作だとわめき立てる。だが真に作家が望むのはいつだって、つまらないハッピーエンドなのさ。幸福な結末を望み、現実と理不尽を考え、それでも何か方法はないのかと執筆し続けること、それが作家だ。悲劇は傑作を産み、幸福な結末は駄作となる。それでも、その幸福を求めようとする心が無い内は、作家としては三流も良いところだ。まぁ往々にしてそう言う作家の方が私などより、売り上げは高いものだが」「私たちの「悲劇」も、同じだと?」
「そう言うことだ。悲劇ばかり作っていては、ウケが悪いものでな。人間は現実的な恐怖、悲劇、それを受け入れるよりも、主人公が運良く、物語の補正を受けて勝ち、それでいて爽快な物語に自己投影して愉悦を得るのが、何十万年も前からの変わらない本能だからな」
 私から言わせればああいう物語など、戯れ言も良いところだ。運良く必要なモノを手に入れ、友情だとか愛情だとかで打ち勝ち、都合良く助けが来て、それでいて勝利する。
 夢が見ていたいなら枕でも買っていろ。
 馬鹿馬鹿しい。
「神の愛は存在します。私たちに貴方という人間が助けに来たように、貴方もきっと、救いがあるでしょう」
 その言葉に説得力はなかった。
 それが作家という「業」だからだ。
「素晴らしいモノがすべからく地獄から産まれるならば、私は幸福でない限り「傑作」を書けるのだろう。だがどうだ? その理屈で行くと、私は作家たらんとする限り幸福にはなれない。神の愛があったとして、その愛が人間を幸福にするモノだとしても、作家という生き物には無意味だ」
「貴方には」
 そう言って、何かを決意したように、強い目をして女は言った。
「世界がどう見えているのですか?」
 質問はつまらなかったが。
 私は丁寧に答えてやった。金を払って欲しいくらいだった。
「幸福も不幸も、この世の全てを傍観せざるを得ない・・・・・・傍観者という名前の化け物だ。だからこそ、読者共は全て同じに見える、それが人間であろうと神であろうと、怪物だろうと極悪非道な為政者であろうとな。等しく「個性」わたしにとってはどいつもこいつも、我の強い連中でしかないのだ。それは神とて同じことだ」
 なべてこの世はことも無し
 私には世界など、あってもなくても同じことだ・・・・・・全て物語の種でしかない。問題はそれで私自身が「満足」して「幸福」になれるかだが。
 とここまで話がそれてしまった。
 聖人の遺体になるなどと、そのばかげた考えの方を、私の人生観よりも先に、少なくとも金が出ている以上、仕事として解決せねばなるまい。
「理解しているのか? 聖人の遺体を利用した領土拡大計画・・・・・・遺体に対する法的な扱いは、どこでもそうだが、国民は国家の管理下に置かれるべきであり、国民登録がある以上、その遺体の保有権利は属する国家のモノだという考えが存在する。建前だ。要は連中は、「聖人の遺体」というシンボルを利用して、実質的な支配領土を広げたいだけだ」
「知っています」
「それも神の愛のためか?」
 だとすれば下らない。
 神のために自分を捨てるなど、ばかげているのも程がある。
 だが、彼女はこう言った。
「私の在り方が、ほかの信者を導ければそれで良いのです。この身はもとより修道女。救いを求めるモノのためにあります」
 頑なな女だ。
 誰かのためなど、笑わせる。
「くだらん! 誰が頼んだ」
 いいえ、と首を振って、彼女は言った。
「私が、他ならぬこの私がその道を選んだのです・・・・・・そこに後悔はありません」
 一見美しい言葉に聞こえるが、そうでないのは明らかだ。
「なら、両立すれば良いだろう。とりあえず人間として欲深く生きてから、聖人になることを火難が得ればいい」
「いえ、私は可能性とはいえ、聖人になることを期待される身です。そんなことは許されません」 結局はこの女、自信への期待の高さから、思考回路に制限をかけているのだ。
 だから、聖人らしくあれ聖人らしくあれ聖人らしくあれ、と、その考えに囚われるあまり、それ以外の道を選ぼうともしない。
 私と違って、選べるくせに。
 自ら道を、閉ざしている。
 忌々しい女だ。いっそ斬って捨ててしまおうかと思うくらいだったが、そうも行くまい。
 やれやれ、参った。
 この私が、少年少女の恋愛ごとで悩む日が来ようとはな。
「なら、あの青年は救われなくても良いのか?」「それは、しかしですね」
「お前のそれは、最大多数の最大幸福・・・・・・俯瞰でしか物事を見ておらず、目の前を見ていないだけだ。男一人堂々と付き合えない女が、聖人などと笑わせる」
「そ、それは関係ないでしょう! 私は、ただ」「義務を果たそうとしている? ふん、だがその義務は貴様が考え出したものではあるまい。聖人という制度そのものが、大昔の人間が勝手に決めた制度なのだからな。それになることが素晴らしいと思うのは、昔の人間がそう思って伝えたからに過ぎない。実際、聖人として生きて生活したわけでもないのに、「聖人らしさ」を凡百の信徒が考えたというのだから、笑わせる」
「何ですって!」
 珍しく怒りがその顔には浮き出ていた。
 名誉なのだろう。
 栄光なのかもしれない。
 それが正しい道なのだろう。
 しかし、だからといって、恋愛を禁止する理由にはなるまい。
「聖人が個人を恋してはいけないと、誰が決めたというのだ。それは勝手なおまえ達のイメージだろうが」
「た、確かにそうですが、しかしですね」
「なら、聖人になる道を目指しつつ、恋愛を楽しめばよいだろう。その程度が出来ないならば、聖人になるなどやめておけ。どうせ大した奇跡は起こせそうもないしな」
「・・・・・・聖人は清いものでなければなりません。人間の欲に身を任せ、それでいて聖人になるなどというのは、許されないことではありませんか」「誰が許さないのかと言えば、お前立ち居の風潮が許さないだけだろう。そんなもの無視しろ」
「そんな滅茶苦茶な」
 包帯を巻かれ、ある程度の治療が終わった。私は傷の調子を見ながら「またここに来る」と言って、身支度を整えて帰ろうとした。
「ま、待ってください。まだ話は」
「それこそあの腐った目をした青年の役目だろう。私は頼まれただけだ」
「だ、誰にですか」
「それは言えない。依頼主に関しては口が堅い方なのでな」
 などと、適当なことを言って私は話を終わらせることにした。
 私の目的はあくまで「人間の恋愛を作品に活かすこと」ただのそれだけだ。
 目的を見失わない内に、アイデアでもまとめておこう。
 女は祈りを捧げていた。私の無事でも祈っているのかは知らないが、金はかからない。遠慮なくその恩恵を受け取れれば良いのだが。
 外にいた青年は、その祈りをあざ笑うかのような深く泥のような、絶望の目をしていたが。





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