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邪道作家21巻 悪の信念は地獄行き!! 恵まれた豚を活かす社会(現在無料化)
作品テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)
簡易あらすじ
アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!
当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。
天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!
過去未来現在において、唯一無二の
「悪意」
だけは「保証」しよう!!!
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20巻の内容は───もちろん
アダルティ
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な内容であるのは間違いない───少なくとも子供には読ませるな!!
精神が曲がるぞ••••••いやなんでも無い。
個人的には
寿司を握るヒットマン
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を連想したが、まあ社会に溶け込みながらアレコレやると言う点では同じだろう。
勿論、ヒロインも───な事や───な目に遭うのは間違いない!!
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まあ14冊もタダで読めるんだ。それくらい自分で判断するんだな。
他には無いブっ飛んだ内容
である部分だけは「保証」しとくぜ!!
邪道作家21巻
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全て地獄行きだ。
天国や地獄という概念を持ち出し、善良な魂であれば天国で報われ、悪逆の魂は地獄にて裁かれ苦しめられると人は言う。
ならば、全て地獄行きではないか。
天国に行く魂は存在しない、という事になる。何故なら命ある限り何かを殺さねば生きられず、善良を求めれば悪逆を迫害せねばならない。
そう考えると愉快な話だ。誰も彼もが地獄行きが確定しているというのに、必死に我々は善良で悪逆は彼らですと誰かを突き上げ、生け贄を捧げ誤魔化して生きている。いや、生きている義務を放棄して、その権利だけを主張するのだ。
見せ物としては三流だが、物語の前座としては無いよりはマシだろう。使い捨てのカイロみたいなものだ。あるいは、堆肥だろうか。
人の善性など、そんなものだ。
信じるなど愚か極まりない。
そんな駄作より「悪」を信じろ。信じた分だけ損をしている気もするが、善なんぞを信じるより遙かにマシだ。私が言うんだ間違いない。
実利は、まあ、何とかしろ。
それも仕事の内だ。多分。
未来を信じるなどどうかしている。人間というのはどうも「苦労をした分何かがある筈だ」と、そう思いがちだ。いや、思うというよりはただの願望か。そうである方が楽だからだろう。
一秒先に世界が破滅しても驚くな。
そんなのは、どうでもいい些末事だ。
問題なのは、実利だ。そして所謂その苦しみを世界で最も知り尽くした私だから言える。それは何の役にも立たず、あるだけ無駄だ。
第一、苦しんだから何だというのか。苦しみは苦しみであって、ただのそれだけだ。今まで散々ロクでもない、経験するべきではない経験ばかり経験してきたが、錬金術じゃあるまいし苦しみが札束に変わる訳もあるまい。
いいか、良く聞け。
苦しみや悪意ばかり見ていると私のようになるのが必然だ。少なくとも性格は悪くなる。そして出来上がったのが「邪道作家」だ。
私が言うのも何だが作家なんぞを鋳造するべきではない。貴様等の頭は大丈夫か?
私に言われるのだから相当だぞ。
未来より頭を心配した方がいい。
過程における意味など適当に捏造しろ。結果として作り出せる価値にこそ意義、否「面白味」があるべきだ。
そうでなくては嘘ではないか。
嘘で裏切るのはいい。無論独創性は必須なのであまり貴様等には期待していないが、何かしらの転換点というのは物語にも必要だ。
だが、嘘で誤魔化されても始末に困る。
まして己自身を誤魔化して何になる? 時間の無駄も良い所だ。根拠など不要、確信など適当でいい。とにかく、覚悟だけが肝要だ。
あるいは、自負とでも言うべきか。
それさえあれば世界がどうであるか、不理解や裏切りなんぞ刺身のつまみたいな存在に等しい。誰が食べるというのだ、そんな余計な一品。
知ったことか、馬鹿が。
私はこの世界に生きていない化け物だ。怪物やアンドロイドでさえ「感動」し「喜び」を味わうものだが、私にはそれらが存在しない。
それらの為の「心」が無い。
故にこそ、連中の心境など理解は出来ても共感する事は、私には永遠に無いだろう。
そしてそれで問題ない。
仕事を幸福とし、充足を得る。心ある読者共の物真似で構わない。私に必要なのは豊かさと物語だけだ。それ以外に何がある?
必要ない。少なくとも、この「私」には。
不思議だ。どこでどうすれば私のような異端が生まれるのだろうか。少なくともアンドロイド共ですら「心」はあるらしい。怪物連中は言わずもがな、むしろ人間より生命らしい奴等だ。
私には永遠に、共感出来ない。
歌に何を感動するのか、何故誰かに焦がれるかが共感出来ない。理解は出来る。だが構造として理解したところで本質を共有する訳ではあるまい・・・・・・何かを思う「気持ち」そのものが、私には存在しないからだ。
まあ、それはいい。どうでも。
問題なのはそれに見合う実利が無い事だ。第一歌を感動したから何なのだ? 高い料金を払ってわざわざ遠くまで聞きに行くのか?
誰かを思うも何も私に味方する奴などいないしそれで構うまい。今更そんな奴が現れたとしてもやはり些細な問題だ。
それはそれとして「対応」する。
それだけのことだ。別段、不自由はない。
そもそもこういう発想が出来てしまう時点で、私には心があったところで無意味だろう。何せ、その心を共感した上で捨てられるのだからな。 何にせよ、見合う実利がないのは頂けない。
散々それら「心の模倣」にどれだけ労力が必要になったことかを考えると、全人類に物語を売る程度では足りないくらいだ。考えてもみろ、人の社会においてそのような異物であるだけで迫害の対象になる。実際、なったしな。
最初はそれが当たり前だと思っていたが、今にして考えれば確かに当たり前だ。怪物連中は心があり能力や生態が違うだけだが、私の場合は生態どころか生物でさえない。金属の異星人が人型に納まっているようなものだ。
故に、私は対処した。
少なくとも笑いに関しては覚えていて良かった・・・・・・散々苦労したが、笑えない悪党など噺にもならないからな。そこだけは感謝してやろう。
何をするにも大体敵しかおらず協力者など基本いないので、あまり適応能力が活かされなかった気もするが、今更言及しても意味はあるまい。
結果、私が会得した。
それで良しとしよう。
しかし・・・・・・やはり理解にすら苦しむ。歌だの悲劇だのに喜びを感じるとは、連中は暇なのかと疑いたくなる噺だ。何かを弾圧する事で安心感を得たり、運命を呪う事で自身が恵まれた存在だという事実から目を逸らしたりするだけで、奴等は己が如何に「理不尽」であるかを語ろうとする。 どこが理不尽だ、どこが。
その程度の理不尽とも言えぬ障害の一つ二つで満足できるのだから、羨ましい脳構造だ。どうも苦労や徒労とは無縁らしい。
楽な人生で羨ましい奴等だ。
私にもそういう利点があっても良いと思うが、残念ながら無かった。むしろ人並みの事でも倍の労力を費やした上で失敗する。
それが「私」だ。嬉しくもない。
何なら、今からでも支払って欲しいくらいだ。具体的には為替の才能とか、あるいは単純に幸運の力で金が舞い降りてきてもいい。
それを利用すれば物語が売れる。
苦難の道程は人を成長させるだとかほざく阿呆は多いが、知るか馬鹿が。大体実際に苦難の道を歩いたとして、だから何だ。
説得力が欲しいか? ならば捏造しろ。
その方がどう考えても早いぞ。私ならやる。
実体験など必要ない。それらしい苦難を味わう経験をした奴等の情報を収集し、解析して物語に反映させればいいだけだ。
簡単だろう?
私でも出来るぞ。要は、ただの詐欺だからな。 物語の厚みなど、捏造すればいいだけだ。
誰にでも出来る事だ。やろうとするかは別だがやろうと断行すれば、誰にでも出来る。
それだけだ。簡単な作業と言えよう。
何にしろ、やるしかない。
都合良く物語のように私を愛する存在などある筈も無いし、むしろ世界全てに理不尽な憎しみを向けられたところで驚くにすら値しない。ならばやはり、私自身の手で成さなければなるまい。
私がやらねば、誰がやるのだ。
この「私」が勝ちに導かねばなるまい。全く、愛だの友情だの都合の良い妄想で助けが来るとは羨ましい限りだ。人間も神も妖怪もアンドロイドですら、私には未来永劫共感出来ない。彼らには心があるが、やはり私には存在しない。
だからこそ「仕事」だ。
連中がそれらをほざいている間に、何としても実利を掴まなければ。奴等が汚ならしい綺麗事に耽溺している間に、私は進まなければならない。 その果てに、何があるのか。
少なくとも実利が無くては困る。いずれにせよ在り来たりの展開は御免だ。私の物語の先には、どうあっても幸福な結末など無いしな。
だが、私は幸福になりたいのではない。
勝ちたいのだ。そして掴みたい。
まだ見ぬ景色を見てみたい。
それに相応しい能力は欠片も無いが、とはいえそれはいつもの事だ。大体私は人間どころか生命の輪の中にいないのだから、廻る筈がない。
一代限りの異常種だ。
託す相手はおらず、手を添えてくれる誰かなどいる筈もない。そんな楽が出来れば苦労しない。 そのくせ、人も怪物も神も悪魔も、何もかもが等しく敵だ。そういう意味では、私は「種族」という観念が理解しているだけで実感が無い。
ガン細胞からすれば、正常は異常だからな。
大きい、小さい、強い弱いはあるが、それだけでしかない。根本から違う私からすればその程度の理由で争えるとは、暇で羨ましい限りだ。
別に悲劇ぶるつもりもない。いや、それはそれで売れそう、か? どうだろう。しかしやるなら適当に女の悲劇でも書いた方が、儲かりそうではある・・・・・・・・・・・・いや、まあ、何を書こうが内容など売れ行きには関係ない。強いて言えば都合の良い現実逃避の方が売れる傾向があるらしい。
なら駄目だな。没案だ没案。
とはいえ文句が出るのも当然だ。こちらが必死こいて仕事をしているというのに、その横を愛や友情や努力のおかげだなどとほざかれてみろ。
鬱陶しくて神経が切れるぞ。
少なくとも私は神経に電流を流しすぎて考えるのも億劫になってきた始末だ。私も連中のようにやれ「人間に裏切られた」だとか「信じて尽くしたのに嘘をついた」だとか「運命に嫌われてる」などと抜かしながら適当に楽をしたいものだ。
その程度の些事に悩むだけでいいとはな。
思うに、家でゲームしてるだけの生活と変わらないのではないのか?
仕事をしろ仕事を。
いや、私はもうしたくない。一人前の証があるとすれば、それは「もう仕事なんてしたくない」と強く思いつつも仕事が止まらない事だろう。
嬉しくもない。疲れる上に利益も無い。
私はそういう連中のように楽な生活が送れればそれで満足なのだがな。大体、こんな風に物語を綴ったところで、読まれるのはそういう連中共が書き上げた駄作の方なのだから、知能の足りない読者共に尽くしてやる義理などない。
今更だが、物語は安すぎる。
これだけ労力と時間と金と執念と疲れと血肉と世界を覆えるだけの悪意で作り上げた物が、何故子供の小遣いのような値段で買われるのだ?
しかもそれに文句も多い。
読むだけ読んで捨てる読者もそうだが、金だけ請求して売る能力の無い編集者もどきも同罪だ。どいつもこいつもくたばればいい。
ふん、少し休むと言ってすぐにこれだ。
やはり私の「歩くべき道」は、己の定めた作家としての在り方に固定されているのだろう。まあ己で定めた道だ。文句は実利云々しかない。
それが最重要でもあるが。
いずれにせよ悪意を現実に反映させる出力装置が必要だろう。私の悪意を世界に波及させられる人材がなければ、噺にもならない。
悪の頂点に立つ私が言うのだ、間違いない。
言い返せば世界の底辺に落ちていると言えなくもないが、それも今更だ。あらゆる悪意を上回ると言えば聞こえが良い、いや良くないのだろうがそれだけだ。そも正義ですら暴力で押しつける為の概念なのだから、都合の良い現実逃避から最も遠い「悪」に力が無くてどうするのだ。
連中と違い、悪には逃避など無い。
進むだけだ。過程は知らない。
興味も無いしな。
正論を言っている暇があるならさっさと相手を殺した方が早い。良くある台詞だが表向き大きく口にする台詞と、本来の台詞は真逆なものだ。
男らしさに固執する女戦士が分かり易い。要は女のまま強くなる事を放棄している訳だからな、そんな奴に強さも強かさもある筈が無い。
私か?
己自身に誤魔化している程、私は暇ではない。強いて言えば、そうだな・・・・・・金は欲しいが必要と言うだけで、別段買う物は特に無い。
作品のネタにその喧伝、後は健康だろうか。
とにかく「仕事」だ。それだけが肝要だ。
人間らしい幸福。みたいな物に興味が無いかと言われれば、特に考える必要も無いと思っている・・・・・・実際、そういう「縁」はあるまい。
考えるだけ時間の「無駄」だ。
とはいえ、幸福から逃げていると言われる覚えもない。一応考えてやると、そうだな・・・・・・私は幸福を手に入れても、やる事は変わらない。
何より「大切」だと共感出来まい。
するべきだと考え、行動するだけだ。それこそ機械と変わるまい。いやアンドロイドでさえ心を持つと言うなら、やはり私は「別の何か」だ。
何かは知らない。興味もない。
作品のネタになりそうなら別だが、たかが心の有る無しなど些末に過ぎる。枝葉を書いている暇があるなら、その間に仕事を進めるべきだ。
そうじゃないか?
心配なのはあの世もこの世も興味のない私だがよくわからない裁判制度で押しつけがましい罪業を語られないかくらいだ。対話が出来るなら私に負けは有り得ないが、少なくとも人間社会の中で対話など成り立った試しがないしな。
むしろ、怪物連中の方が話せるだろう。
どれだけ暴力があれど、対話には応じる。まあ本来当たり前の事なので賞賛するべき事柄という訳ではない。
ただ、連中はちゃんとしているだけだ。
支配しているのが怪物であればいいが、それは分からない。第一、あの世の支配者を気取る閻魔がいるとして、権力者であるのは変わりない。
必ず粗がある。
無ければ作る。
少なくとも偉そうに人様、いや非人間様を裁く文章を読み終わるまでに、任期が危うくなる噺の一つ二つは容易い筈だ。
私なら、口先だけで地獄を陥落出来る。
何故なら地獄も天国も社会も根本は同じであり虚構に過ぎないからだ。制度というのは見えない規律であり、存在しない概念でしかない。
ならば、そこを突くは当然だろう。
まして対話さえ出来れば後は楽勝だ。何者でもその「心」を廃人にまで追い込める。どれだけの権能を持とうが、心は心だ。何も変わらない。
むしろ余裕だ。
そういうあれこれに頼る時点で現実を直視していない証左だからな。力に頼る奴が力と関係ない部分を重箱の隅を削る勢いで追求できる、他でもないこの「私」に、勝てる筈があるまい。
まあ私は勝利の経験など無いのだがな。
人類の敵対者として、手抜きをせずに真面目にやってくればこれだ。思うに真剣に人類に敵対し行動し続けたのは私が歴史上初だろう。
何せ、貧乏くじだからな!
悪逆を気取るだけで楽な人生を送れる小物共が羨ましい。世界を燃え上がらせるでもなく、ただ文句を垂れて人間とは違うなどと抜かし出す。
無職という意味では同じだと思うぞ。
仕事とは、金儲けではない。むしろもっと地味で地道な行いだ。誰もが間違いだと指摘し世界に相容れなくなってからが開始地点だ。それだけに進むのは亀よりも遅く、実利は霞よりも少ない。 それでも、やらねばならない。
非常に面倒臭いが、やるしかない。やりたくもないがやらねばならない。そういうものだ。
楽しみがある時点で、仕事ではないのだ。
出来る筈が無い事を、延々とする。出来るまでやり続けて、出来なければ文句を言いながらやる・・・・・・・・・・・・その繰り返しだ。
それを知らなければ、何も成せないだろう。
当たり前だ。成し遂げようとしないのだから、何かを成し遂げられる筈もない。己の肩書きや、環境にその「当人自身」は関係ないしな。
私からすれば、当たり前の前提だ。
知らない方がどうかしている。
今まで何をしていたのだ。
言っては何だが、私ですらしているのだ。強さも弱さも併せ持たず、ただひたすらにしなくてもいい経験ばかりを積み重ね、どう考えても解決が不可能な理不尽ばかり相対した挙げ句失敗に次ぐ失敗、敗北に次ぐ敗北続きの「私」でさえだ。
無力どころではない。
むしろ、無力どころか何も存在していない方がマシだ。マイナスですらないから弱さによる利点なども有り得ない。文字通りゼロだ。
プラス、マイナス、ゼロ。
否、計算式が書ける分、そちらの方がマシだと言える。私には計算式すらない。ただ答えとして「存在そのものが悪である」だけだからな。
敗北ですらない。負債だけがそこにある。
まったく、笑えない噺だ。嬉しくもない。
だが、それは本来当たり前の事だ。強さや弱さによる利点に溺れている連中には理解しえないのかもしれないが、なまじ力があるからだろう。
真実、彼らには分かる筈もない。
弱いから助けられる奴にも、強いから己に誇りを持てる奴にも、己は決して見えない。当たり前だがそれで何かが得られるのは当然だ。
理不尽に屈した事が無ければ、その程度。
何かを成し遂げるというのは、生憎と必ずしも素晴らしい行いでは無いのだ。むしろ、その行いに向き合わないからこその結末とも言える。
上手く行かないのは、本来当たり前だ。
かといって繰り返したから成功したというのもやはり甘えだろう。一万回方策を練ろうがそれで誰もが成功出来れば苦労はしない。努力によって成し得たと勘違いした輩に多い発想だ。とかく、己の信念が打ち勝ったと思いたがるもので、要は己自身の成果だと信じたがる。
何が凄いってその「幸運」が凄い。所詮運だけだからこそ思い付く発想なのだが、彼らは自分の意志の結末だと言い張り、認めたりはしない。
まさか、だろう。
これだから「子供」は困る。
何であれ、目的に近づけるのならば喜ぶべきだ・・・・・・その過程を誇るなど馬鹿げている。まして貴様等に「誇り」など有りはしない。
その証左に、一つ問おう。
その力を取り上げられたら、何が残る?
何もない。だから力だけでしか変えられないしそれ以外で感服させる事も無い。とどのつまり、暴力で事を済ますしかなかろう。
それだけだ。それだけでしかない。
だから、お前達はつまらない。面白味の欠片もないから、後には絶対に続かない。仮に、神をも越える力を手にしたとしても、それだけだ。
一時凌ぎの返済に等しい。
第一、凄いのは力であって、力が無ければ成り立たない行いなど、何の意味がある?
考える必要は無い。ただ死ね。
生きているだけで迷惑だからな。
細菌の思想形態など、知ったことか。
所詮、この世界は偶然だ。こうしている今も、その下らない偶然で執筆データを消されたりする・・・・・・過程における意志など、その程度だ。
何の力も有りはしない。
力とは、ただ偶然に愛されたかどうかだ。
当人自身の力など、ある筈がなかろう。
少しは弁えろ、馬鹿が。
散々貴様等と真逆の道を爆走してきた「私」が言うのだ間違いない。無風状態で船を進める事は誰にも出来ない。それと同じ理屈だ。
過程に苦労したかは結果には何ら関与しない。私は散々暗闇の中を手探りで進み続けて来たが、それが何の役に立つかと言えば輝かしい道ばかり歩いている鬱陶しい屑共の自己満足による愉悦を無駄に眺める羽目が増えただけだ。
苦労せずに運が味方して勝利しただけ。
そういう輩が現実に世界を動かす「力」を持つ・・・・・・故に、過程は文字通り「無駄」だ。第一、それが生み出すのは性格の捻れだけだ。
これも、私が言うのだから間違いない。
そもそも運が味方しないという事は誰にも支持されないという事であり、支持する奴がいないのだからそうなるのは必然だろう。歩く度に敵対を繰り返し、進む度に理不尽に出会うのだ。これで性格が良くなる筈があるまい。
舐めるな、元より性格が悪いのだ。
どうなるかと言えば、こうなる。
当たり前の事だ。少しは学習しろ馬鹿が。
今回の噺は今までとは少し違う。その当たり前の事から有る意味私と同程度には目を逸らさずに生き続けた「人間」の物語だ。
人間以上の人間。
完成された精神。
人間の行き着く果てを、ただ一人で完成させた愚か者がもしいたとしたら? そして、非人間の化け物が相対すればどうなるのか?
その結末は、これから語るとしよう。
さあ、物語の始まりだ。
まずは代金を頂こうか。何はともあれ、まずは金だ。支払うならば、出来は保証しないが金額分の悪意だけは保証しよう。
何せ、我が悪意は文字通りの「無限」だ。
余所では有り得ないだろう。売れないからな。だが私はそれを売る。読者の脳髄に刻み、善意を否定するのが私の在り方だ。
でなければ、つまらない。
その方が、面白い。
無論、今回もその発想が私を窮地に追い込むのだが、順風満帆では物語になるまい。いや無論、私なら捏造して物語にするのだが。
愛や希望は存在しないが、理不尽と圧制、人の行き着く成れの果てなら任せておけ。そういう噺であるならば、私こそが宇宙一だ。
故に、気にするな。
読み終わった後、貴様等が後悔しようが不信にかられようが大した事ではない。貴様等が今まで見ようとしなかった、いや目を逸らし続けてきた「事実」を脳髄に刻み込むだけなのだからな。
さあ、世界に絶望するがいい。
さあ、人間を軽蔑するがいい。
さあ、運命を呪い恨むがいい。
そこからが「本番」だ。それでこそ生きる事が面白い! だからこそ世界には価値がある。
人間が生きる意義があるではないか。
少なくとも見せ物としては上々だ。ならば仕事として昇華すればいい。世界は醜いか? 人間は裏切るか? 運命は残酷に過ぎるか?
ならばそれを金にしろ。
仕事もせずにあれこれ世界を語る資格などある訳があるまい。文句を言う権利があるとすれば、それは無論仕事をしてからの噺だ。
仕事なんてロクなものじゃないからな!
そもそも「楽しみ」がある時点で仕事ではないと言える。過程を楽しむのは「趣味」であって、成すべきを成すからこその「仕事」だ。
では、その仕事を始めるとするか。
今回の件で学ぶべき事は、国も、人も、社会も経済も運命すらも、所詮は有りもしない虚構だという真実だ。それらは全て存在しない。
しかし・・・・・・こんな発想しかしない奴が、己が「化け物」であると自覚したのが書き始めてからだというのだから、どうかしている。
どれだけ興味が無かったのだ。
普通、物語で有れば世界に相容れないと考える怪物属性であれば、特殊な能力で「楽」をしつつも迫害を受ける事で自覚するものだ。
私の場合、うむ、忘れていた。
かもしれない。いや、そこまで記憶力が悪い、という訳ではない。
そう思う。思いたい。
まあ私には連中のように「楽」をする機会が、そう、それら「楽」をする機会が無かったので、単純に「切羽詰まっていた」とも言えるがな。
実際、余裕など無かった。
雨の中でも時間的余裕が無ければ走るものだ。私の場合はまさしくそれだった、と、噺が逸れてきたのでそろそろ始めよう。
未来に絶望あれ!
善意に敗北あれ!
悪意に賞賛あれ!
それでこそ、物語は面白い。
まあ、それらを取材する為に毎回するべきではない無駄な徒労を繰り返すのも、やはり「私」が嫌々進む道程の、お約束でもある。
だが、やる事は変わらない。
生まれついての悪に条件があるとすれば、まず「懲りない」事だ。それが何であれ成し得るまでやり続ける。反省したり後悔したりしない。
そんな機能は搭載されていないからだ。
故にこそ、やるとしよう。
その結果、読者か標的が涙するかもしれないが知った事か。私に善悪を問う方が愚かだ。
故にこそ、悪が勝利する物語にする。
してみせる。
精々期待して読むがいい読者共。貴様等の期待を遙かに裏切って、予想外の結末を保証しよう。 少なくとも、悪の華は咲かせてみせる。
それこそが、邪道作家たる「私」の「役割」であり、私の「仕事」だ。
故に、貴様等が思うべきはたった一つ。
悪の栄える世界を、この私に期待するがいい。
無論、その期待すらも、私は裏切るのだが。
1
人間は「解明」出来るのか?
人類史において長らく語り継がれてきた課題と言えるだろう。人間の可能性、平たく言えば性能を向上する方法論自体は、大昔から存在した。
それこそ科学の観念が発生してからだ。
個人的には性能向上よりも、人間の起こす問題に対する解決策の方が優先すべきだと考えているのが私だ。第一、私は人間ではあるまい。
そう思った事も無いしな。
まあどうでもいい。金になれば。
性能が完全になろうが完全な精神性など妄想に等しい。それこそアンドロイドの方がマシだ。 だが、そういう概念を追い求めるのが人間の性だと言える。それが支配者として世界を率いると考える輩なら尚更、という訳だ。
管理を旨とする時点で、機械と変わらない。
要するに人間を認めていない、という事だからな・・・・・・分かり易く言えば「人間を救う」だとか口にしている時点で、今ある人間を認めていない証左だと言える。
私か?
無論、人間と呼べる程の奴は少数派だ。いてもいなくてもいい奴の方が多い事など、消費社会においては当たり前の前提でしかあるまい。
成し遂げようとすらしない、ゴミばかりだ。
まあそういうゴミ共が率先して下らない労働に従事するのだから、ある意味健全に社会を回しているとも言える。そいつ等が仕事をしようとすらしないおかげで奴隷社会が成り立つのだ。
ならば、彼らは人間ではあるまい。
人間ではない歯車になろうと自らの意志で望む阿呆がいるなら、かける温情など必要ない。
代わりは幾らでもいるしな。
逆に、その対極を進む輩がいるなら手強い相手だと言えよう。何であれそういうものだ。
決して代わりが効かず、しかして暴虐。
今回の依頼対象はそういう輩らしかった。厳密に言えばその当人ではなく、標的の行う治世そのものに問題があるので、妨害の依頼が出た。
勿論、主目的は「取材」だ。人間の化身ならばそれなりの考えもあるだろう。間違いなくずれた答えだろうが、それはそれで面白い。
作品のネタ程度には、なるだろう。
多分な。無理なら他を当たるまでだ。
面倒臭いがこれも読者共の脳髄に悪意を刻み、停滞した心を叩き起こす為だ。非常に面倒臭いがやらねばなるまい。
生き苦しくて鬱陶しいからな。
生きる事が苦しいのは本来当たり前の事だが、だからって無駄はよろしくない。余裕があるのは良い事だが、ありすぎればただの余分だ。
関取じゃあるまいし、それでは駄目だ。
やるべき事を、志せるように促す。
とりえずはそれだ。それを全生命に促し、実現させる。その為の「物語」即ち思想兵器だ。
他者の思考を改造する為にこそ、物語はある。 世界に盛り上がりが足りないならば、読者共に悪意を刻みつけ盛り上げさせるまでだ。要するに私は貴様等がだらしないから書いている。
故に、読者共に期待する事など、無い。
必要も無いしな。だからこその「作家」だ。
鞭で叩き上げ、締切を守らせるようなものだ。足りないならば足らせるまで。
それが「私」だ。
今回は足りすぎた輩が標的らしいので、私には有り難い噺だと言えよう。足りない事や敗北失敗およそ経験するべきではない理不尽の数々。
その真逆にある完全性。
それはそれで、暇つぶし程度にはなる。
書いてやるかは、直接見て判断しよう。
とはいえそれに実利が伴うかは疑問だ。問題は力があるか否かだけであって、例えば全知全能の存在が何かをしようとすれば、過程は関係ない。 逆に全知全能どころか全てを知らず全てに失敗するような輩がどれだけ進もうとも、物事の是非そのものは何も変わりはしない。
この「私」が言うのだ間違いない。
知るだけ無駄かもしれないという事だ。いや、そもそも仕事そのものが無駄だ。売れていないというのもあるが、それ以前の問題だろう。
とどのつまり、持つ側が全てを決める。
仮に世界を覆す思想があったところで、それを実現するには楽して生きられる連中と同じように「幸運」に恵まれなければ噺にもならない。
運次第で全てが決まる。
故に、書こうが書くまいが、いずれにしろ私の行いは大局を左右しない。それを幸運の風とやらに乗せられるか否か、それだけだ。
まったく、迷惑な話にも程がある。
何にしろやるならさっさとこの私の物語を売れという事だ。仕事が遅い。貴様等なぞ、幾らでも代わりがいるのだから消耗してでも売ればいい。 代わりの効く人生なのだから、構うまい。
使い捨ての消耗品の尊厳など、知るか。
代わりの効く人間が存在する理由があるなら、まさしくそれだろう。何せ消耗しても痛くない。 幾らでも替えが効く。
ならば使い捨てる方が効率的だ。
私の物語が軌道に乗らないのは、連中が手抜きをしているからに他ならない。ふん、その人間性の体現者でも営業として雇えないものかね。
売れれば取り分は折半にしてやろう。
それだけの働きが出来れば、の噺だが。
期待はかけないでやる。安心して失敗しろ。
それを私が言うのも変な噺だがな。この世界に「生まれついての悪」という概念があるならば、それは何に生まれようと、どう育てられようと、賞賛されようが否定されようが変わらない在り方そのものが世界と相容れない化け物だ。
怪物は所詮、生まれの差異に過ぎない。
だが、化け物は違う。人間に生まれようが怪物に生まれようが、等しく種族に否定されるものだ・・・・・・でなければ、化け物とは呼べまい。
無論、そこに後悔も悲嘆も無い。
あるのは「喜び」だけだ。その頂点に立つ私が言うのも本当にアレだが、非常に質が悪い。
休まず、たゆまず、諦めず。
人に生まれれば「人のフリ」をしながら社会に溶け込み、鬼に生まれれば「鬼のフリ」をしても組織に溶け込む。およそ生命の考え得る幸福とは相容れず、また求めようとすらしない。仮に手にする機会が訪れたとしても、本性は不変だ。
何を置いてでも、目的だけを追い求める。
そういうものだ。
故にこそ、石を投げられてようやく「半人前」であり、世界に迫害されても未熟者だ。それこそ堂々と悪意だけで張り合う程度ではまだ足りない・・・・・・もっとだ。もっと面白くなければ。
その点、今回の依頼にはそれがある。
人の行き着く所など悪があって当然だ。むしろ悪意が無ければただの無自覚だ。何をするにせよ「賞賛される変革」などあるべきではない。
否定されて喜ぶべきだ。そうじゃないか?
怨敵のように殺意を抱かれてこそ、楽しみ甲斐があるというものだ。むしろ「君達は正しい側にいる」などと言われてやる気を出す奴がいるとは思えない。
もしいるとすれば、相当の愚か者だ。
何せ闘争の基本だ。正しさを説きながら戦う、なんて二流以下の発想、生まれたての子供ですらするか怪しいものだろう。
その通りだ、私は間違っている。
で、だから何だ? 正しくなければ説得されて素直に死ぬのか? 冗談じゃない。それに間違いを押し通してこそ、物語は盛り上がる。
過程に死体は増えるかもしれないが、生憎私は世界を支配する神ではない。そういう連中と最も遠い存在であるこの「私」がする理由も無い。
むしろしては駄目だろう。
誰もが正しさという間違いを押し通したから、今の人類史が存在する。だが科学の発展と共に、人間は「愛」や「平和」に逃げ過ぎた。
それで、何でも許されると思っている。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。私も暇ではないがこれでは商売上がったりだ。非常に迷惑だし面倒臭いが、やるしかないからやるだけだ。
この世界全ての「善」を否定する。
悪の自認を促すとは、そういう事だ。
その点、今回の標的、というよりその中心人物は「人間の規範」そのものと言って良いらしく、かなりぶっ飛んだ善の体現者だ。というのも資料を読む限りでは、だが・・・・・・己一人で全てを成す心積もりに見えるのだ。
人類の未来全てを背負う王様、と言えば聞こえは良いが、逆に言えば、他の人類全てを認めずにここまで来た印象を受ける。
それはそれで、面白いがな。
それならそれで、作品のネタにするまでだ。
厚い資料か薄い資料かの違いでしかない。
最前を尽くしても及ばなければ諦めるしかない・・・・・・そんな台詞を吐ける「持つ側」には永遠にわからないかもしれない。
出来ないまま、敗北したままだ。
失敗して転びながら、続けるしかない。
どう転ぼうが息をする事はやめられない。もしやめればそれて終了だ。死ぬしかあるまい。別に死にたくない訳ではないが、そのつもりもない。 第一、長生きしてどうする。
永遠に仕事をし続けるのか? ぞっとしない噺としか言いようがあるまい。物語が売れるまでは死んでも死にきれないが、長生きなど御免だ。
あくまで「幸福を定義」しているに過ぎない。少なくとも「死にたくない」という願望を持てる程に、私には持ちうる何かが無かった。
文字通り何もない。
それで死に恐怖するなど、無理な相談だろう。何かを失うという点で言えば、作品データだけは気がかりではある。とはいえ、それだけだ。
あの世に持ち越せるのかもわからないしな。
何にしろ、生きる事に執着出来るのは、生きる事によって「恩恵を得ている」からに他ならない・・・・・・・・・・・・だから私にはそれが無い。
そんな物があれば苦労しない。
まあそれはそれだ。仕事を成功させ金にする。 悲嘆する感性など無いし、あったとしても共感する心も無い。その二つがあったとしてもやはり私には不可解に思えるだけだろう。
そんな暇があるなら、働け。
仕事をしろ仕事を。文句など後にしろ。第一、文句を言い出したら寿命が何億年あっても足りるものか! どれだけあると思っている。
文字通り「無限」だ。
悪意の分だけあると言えば分かり易い。
噺が逸れたが、今回の物語は単純に持つ側か、そうでないかという噺になるか怪しいという事だ・・・・・・・・・・・・違っても金は払わない。
人間社会において「責任」とは「誤魔化す物」であるという。ならば、非人間の私だけが素直に責任を取るのも馬鹿げている。それに果たすべき責任はあくまでも「悪意の物語」の普及であって金銭面での確約ではあるまい。
何より読者の未来など知るか。
散々下らない駄作に踊らされ、作り手に苦労をかける存在に温情など無い。苦しめば清々する。 何度も言うが、読者の喜びは作者の苦しみだ。 作者の喜びとは即ち、読者の苦しみである。
ならば当然の事だ。手を取り合うなどむしろ、異常だと言えよう。奇矯なのは貴様等だ。
非常識を押しつけるんじゃない。
少しは考えろ、馬鹿共が。そもそも作者が読者の喜びを考えて物語を綴るとは、貴様等にとって作者とは奴隷か何かなのか?
大した金も払わないのに?
思うに、作者ほど弾圧される職種もあるまい。大体どれだけ労力を費やしていると思っている。それを子供の小遣いで買うなど狂気の沙汰だ。
私に言われたらお終いだぞ。
もう既に、終わっている気もするがな。
それでも思うのは、そう、やるべき事だ。
やらなければ、やらなければ、やらなければど行動し続けてきた。
誰が応える訳でもない。無論私に応える奴など最初から存在しない。
それが「当たり前」であり、考える方がどうかしている。元より求めた事など無いが、不思議な事に「心」がある連中は無いと発狂するらしい。 ならば私は狂っているか?
否、だ。むしろおかしいのは貴様等ではないか・・・・・・私ですら挑んでいるというのに、どうして怠惰を正当化出来るのか不思議だ。それこそ少し理不尽を体験した程度で、世界の裏側まで知った気になり、それらしい正当性を語り出す。
生憎と正当性は、私にはどうでもいい事だ。
ただ、やる。アテも希望も無いが、怠惰に堕落しきった貴様等読者と違って、私はそんな楽して先に進める程に、恵まれてはいないのでな。
第一、それは無ければ進まないと同義だ。
何かある度に勝利の可能性を計算し、出来るのであればやり、計算上不可能であればやらない。つまり渡れる橋だけを渡りたがる卑小だ。
理不尽を欠片も認識していない。
だからこそ、そのような発想が出る。
情けない奴等だ。私には必要ない。
生まれてこの方、私は他者と「対話」をした事は一度としてない。少なくとも人間相手では皆無だと断言出来る。そもそも他者がいないと生きる希望を無くすとは何なのだ?
理解し、解析は出来る。だが共感出来ない。
するつもりもない。悪はただ、やるのみだ。
そんなだから未だに実利を掴めていないのかもしれないが、やるしかない。正直仕事より休みを取りたいが、仕事とは文字通り「全て」だ。
休もうが忘れようが、仕事となる。
労働とは違う。離れる事など出来ない。
面倒臭いが、選択肢は無い・・・・・・仕事仕事仕事だけが人生だ。元より人間的な幸福などあるとは思えないし、思うつもりもない。
無いのであれば、それはそれだ。
そんな考えが出来てしまう時点で、人間らしいというより「生命の有り様」に真っ向から反しているのだろう。無論、金になれば構わない。
それが「私」だ。
私を心配する奴など存在しないのだから、私の幸福論にはある種の自由がある。王道の物語ならそうも行かないが、これは邪道の物語だ。
故に、幸福は定義するだけでいい。
実際問題縁が無いのだ。有りもしない空想など構っていられるか馬鹿馬鹿しい。怪物連中の如き精神性も私には不要だ。
仲間も、愛情も、最初から概念として無い。
何かを求める「心」が無いのだから当然だろう・・・・・・その分何か利点があればと思ったのは一度や二度ではないが、どうにもなるまい。
本当に面倒臭い噺だ。
これが商業紙なら没案だぞ!
何の利点も無いなど馬鹿か?
割に合わない噺だ。そういう「楽」から縁遠い事に価値は無い。物語に反映させたいのであれば適当に偽造すればいいしな。
偽造と真実など見極めは出来ない。
全てが文字で語られるのみだ。そういう意味で考えると、私の思想の全てが「嘘」だと考えても不思議ではあるまい。
事実、偽造は可能だ。
実際に苦悩を抱くなど馬鹿げている。それこそ適当に捏造すればいいものを、迷惑な噺だ。
私が「最悪」だからといって、未払いにも程がある。支払い不履行は犯罪だぞ犯罪。
詐欺罪で逮捕だ。
私か? 物語はそれが「仕事」だ。
文句を言われる覚えはない。第一、実話だけを書くなら動画でも流した方が早いだろう。
作家に真実など求めるな。迷惑だ。
読者を苦しめ金になれば、何でもいい。
それが「作家」だ。
こと人間社会においてその行動全てが違法だとという一点を除けば、これほど問題の無い人種は他に無いだろう。理想的な人格と言える。
社会側の都合? それが金になるのか?
ならない。なので些末な問題だ。
社会や歴史など、所詮は虚構だしな。あるのは当人の解釈だけだ。そうじゃないか?
別にどちらでもいいがな。
ただ、ふと疑問に思った。
私は何故こうしているのだろう? 元より人間どころか心ある連中と相容れない存在の上、私は人間社会の恩恵など受けた試しがない。
弾圧ならあるが、恩恵はあるまい。
己で選んだ道とはいえ、実際割に合わない話だ・・・・・・・・・・・・それに見合う実利はあるのか?
分からない。保証も無い。
ずっとそうだった。それでも歩いてきた。
私に言えるのは、そういう道は物語の主人公にでもやらせるべきであって、適当なご都合主義で帳尻を合わせる方が楽という事だ。現実にそんな道筋など、歩いて得な事は一つも無い。
私が言うのだ間違いない。
もう一度言う。ロクな事にはならんぞ。実利は欠片も無く賞賛など当然無い。ただただ、疲れるだけで世間の幸福からは程遠い道だ。
故に、実際にやるものではない。
我ながら損な役回りだ、嫌になる。
それも今更だがな!
私はとある惑星にいた。その惑星自体は大した問題ではない。問題なのは、そこで依頼人である男と待ち合わせをしているという部分だった。
その依頼人はこちらに好意的らしい。
らしい、というのは直接接触はこれが初だからであり、間接的であれば幾らでも印象というのは誤魔化せるからだ・・・・・・名刺でしか人を計れない連中ではあるまいし、表面上の言葉を真に受けるなど愚かにも程がある。
私は指示されたビルの中に入り、電子の紹介状データを端末から見せ、奥へと進む。見てみると名刺でしか人を計れなさそうな奴等が、ここには山のようにいるようだ。というのも、彼らはすぐ目の前にある人間ではなく、目先の情報の一つに惑わされる典型例だからだ。
例えば、ここに社長を名乗る奴がいるとする。すると彼らはそれに頭を垂れる。それが本人か、別人かなど確認しない。するとすればそれは名刺だったり電子データの情報端末で表示される内容だけを信じるからだ。
何故分かるのかって?
今まさに虚偽の情報を見せて検問を越えたからに決まっているだろう、馬鹿め。どうやらここの人間共には、己で考える知能が欠けているようだ・・・・・・そういう人間は随分と減った。科学技術の進歩につれ、人間は退化したように思える。
科学そのものはさしたる問題ではない。
問題なのは、人間自体がまるで進歩していない部分だろう。肝心の担い手が進歩しないのでは、科学を押し進める意味があるまい。
即ち、無駄な徒労だ。
人類の歴史の大半はそれで出来ていると言っても過言ではあるまい。大抵の場合、人間の進歩は大きな過ちを繰り返しながら「学習したフリ」をするという一点に尽きる。要するに進歩する気は人間には無いのだ。
少なくとも、人間性を信じる輩にはな。
規範的な「人間」の枠とは、要するにそういう大きな困難から目を背けるからこそ出来上がる。衣服におけるシミみたいなものだ。
今回の依頼人は一目見て「違う」と明言出来る輩なので安心した。無論信頼している訳ではなくむしろ殺す準備は整えているがな。
当たり前の事だ。貴様等は「見ず知らずの奴に好意を抱かれたら、必ず殺す準備をしておけ」と習わなかったのか?
私はよく習った。おかげで嫌でも覚えたぞ。 「どうも、ワタクシはアリスト・ウォーテッドと申します。以後、お見知り置きを」
と部屋に入るなりご丁寧に挨拶をされはしたのだが、やはり安心する理由にはならない。むしろ「丁寧さ」とは「殺人予告」に等しい。
何であれ、ロクな奴ではあるまい。
そう決めてかかる。それが「私」だ。
第一、全身を紫のスーツでまとめるセンスは、正直どうなのだ? まあ、ここの連中はブランドで衣服を固め、名声や賞賛という虚構で満足する類のようだから、それに合わせているのだろうとも取れる。ならばむしろ真っ当か。
細長い体型は、契約を持ちかける悪魔のようだ・・・・・・こうまで怪しい姿の奴は、そうはいまい。私に思われるのだから相当だ。
やれやれ、参った。面倒にならなければいいがそうも行くまい。だが、覚悟はしておこう。
私に出来るのは精々がそれぐらいだ。
彼は、私が座るなりこう聞いた。
「どうでしたか、ここの住人は?」
「・・・・・・覇気に欠ける連中だな」
大仰に両腕を開いて「そうでしょう!」と演劇を行う俳優のようにアリストは応える。どうやら道化の類なのかもしれなかった。
つまり、要注意だ。
私が言うのも何だが、悪意の勢いだけで世界を敵に回しかねないからな。無論、私は勢いだけではない。ある程度計画立案はする。
その通り運んだ試しはないがな。
「今回の標的、貴方に殺して頂くお相手の治める国は、これとは真逆でございます。人々は争いの中で淘汰され、常に前へと進んでいる」
「そりゃ結構な事だ」
本当なら賞賛してやりたいが、まあ一人だけが率いているのでは意味がない。そいつが消えればその治世も終わる。所詮は一時凌ぎだ。
故に、殺す事に躊躇など無かった。
そうでなくとも、そんな感性も無いが。
「ほほほほほぅ、てっきりワタクシは貴方が標的を殺す事を渋るかと思いましたよ。噺に聞く限り貴方は、人間の淘汰を望んでいらっしゃる」
正解だ。しかし間違いでもある。
「ただ争い合えばいい、という訳ではない。要は先に進めなければならないのだ。事前に聞いた噺では、その惑星の統治者は標的一人と聞く。だが単独の特別など世界には波及しない。精々一代の治世を治めるのが手一杯だ」
死んだ後には執政を振るえまい。
そういう事だ。だから私は作家を選んだ。今後永久に「悪の思想」を残す為にな。いや、まあ、そこまで考えてから選んだ訳でもないか。
後から発生した思想かもしれない。
どちらにせよ、結果は変わらないがな。
「成る程、つまり貴方は最終的に皆が争いを望む世界を作り上げるつもりという事ですか」
「生きる以上、争いはあって当然だからな」
そこまで単純でも無いが、要約するとそうなる・・・・・・別に殺し合えばいい訳ではない。ただ単に「悪の本質」を見据える奴を増やし、善や正義という虚構をすべからく消し去りたいだけだ。
大体何だ「正義」って。
要するに悪の別名ではないか。同じ内容に別の名称を使うんじゃない。ややこしいだろうが!
やるなら一つに統一しろ。
その方が、運用の金もかからないからな!
「では、標的について詳しいお話をしましょう。覚悟はよろしいですか?」
「何の覚悟だ」
殺される覚悟か? 奪われる覚悟か? 或いは無為に終わる覚悟だろうか?
私はまだ、生きてはいない。
作品データは無くなると困るが、それも奪われ嘆くとは違うだろう。単純に費やした労力が割に合わないからだ。
無為に終わる覚悟? 今更?
そうならないよう戦うのだ。何にも負けない為私はここまで来た。それは今も変わらない。
だが、予想外に彼はこう応えるのだった。
「無論、彼ら導かれる民衆、その全ての命を奪う事に、ですよ」
5
無論、標的が何人でも構わない。
あの世の裁きがあるとして、仕事は仕事であり咎められる覚えもない。そもそもそういう権力者であればこちらの意見など関係あるまい。
要するに身勝手な法なのだからな。
少なくとも、私は同意した覚えはない。余所の国で勝手に裁判を開かれ、あまつさえ暴力を以て押し進められた場合に「貴殿の殺人好意は悪だ」と言われたところで、どうして貴様等のような、私を手助けした訳でも投資した訳でもない奴等に偉そうに裁かれねばならないのだと思うだけだ。 大体、死者を裁くのはいいのか?
法で(それも、自分達で勝手に決めた、謂わば子供同士の文言に等しい)決められているから、処罰しようが心が痛まないのだろうか? しかしだとすれば尚更文句を言われる覚えはない。
そもそも殺さないでどう生きるというのだ。
植物すら取らずに生まれてからすぐ飢えて死ぬのだろうか。だとしても生まれる為の資源は既にどこかから奪われているではないか。
そういうゴミ共を減らしてやるのだ。むしろ、感謝され賞賛されるべきではないだろうか?
無論、私は御免だがな。面倒臭い。
とにかく、私にそのような感性は、無い。第一子供や女は殺さないが、大人の男は殺すという、ある種の差別主義は根本が破綻している。
誰しも、最初は子供だろうに。
私に子供らしい時代など無かったが、法的にはそうだった筈だ。年を取れば誰でも「大人」だと言い張れる制度とは、便利なものだ。だから成長も必要なく、子供と変わらない、どころか子供の品性にすら劣るゴミが増えるのだろう。
迷惑な噺だ。私か? どちらかといえば癌細胞だろう。貴様等の不始末に対して代金の取り立てを行うのが「私」だ。
債権者との関係と考えればいい。
つまり、立場を弁えろという事だ。愚かな読者の為に、こうして、身を粉にして働き続けているのだからな! 少しは考えろ馬鹿め。
私に言われたらお終いだぞ。
そして、人間というのは不思議な事に「悪性」を排除したがるものだ。要するに宗教も政治家もそうだが「清廉潔白」であり「罪から逃れる」という部分に固執する。何故なら彼らは否定されるなどあってはならないと考えているし、善良な上何一つ過ちなどしていないと思い込む。
だから、自身を清廉さに認めさせる。
己で進むのではなく「正しい道だよ」と誰かに言われなければ進む勇気が無い。故に道徳や倫理という「規範そのもの」に罪を求める。
その究極系を、私は今目にした。何故なら私は標的のいる惑星に降り立っていたからだ。そして標的の治世については一言で説明出来る。
管理社会、だ。
それも並大抵の管理社会ではない。何故なら、おはようからおやすみまでここでは一つの基準があるのだ。
それは「点数」である。
善行を行えば、具体的には寄付をしたり悪行を咎めたりする事で、監視する機械が自動で点数を計測する。無論、分かり易くあちこちにカメラが付けられている訳ではない。
目に見えない監視形態だ。質が悪い。
この惑星では私生活は管理されるのが「基本」であるらしく、誰も異を唱えない。
咎められる事を恐れて、ではない。
そう「教育」されているのだ。
というのも直接見れば嫌でも理解した。まるでウェルズのタイムマシンに出てくる脆弱な未来人そのもので、どいつもこいつも覇気が無い。
戦場なら空気だけで死にそうな面構えだ。
そのくせ科学力だけは一流で、殆ど歩いている奴を見かけない。全て移動式の歩道や乗り物での交通網が敷かれており、歩く隙間も無い。
ゲーム感覚だな、と結論付けた。
要するに実感の無い人生とやらを送る奴等の、その究極系がこれだろう。出来る事にのみ挑むという在り方は、そうでない目的を全く見ない。
死人だ。工場で死人が生産されている。
この惑星ではそれが母胎、かどうかも不明だ。何せ、今の科学力なら無から人間だって作れる。彼らは人造人間かもしれないと考えると、どうもSFよりホラー向けの取材だ。
ライン上で作られ指示された人生を送るなど、ぞっとしないとは思わないのだろうか? 恐らく思う脳味噌も剥奪されているのだろうし、彼らは実際に工場で品種改良された「養殖人間」だとも言えるだろう。
我ながら秀逸な例えだ。
金を払ってくれてもいいぞ。
無論、貴様等の懐では足りないがな。
さて、養殖人間共を眺めるのも飽きてきたので私は近場のレストランに入る事にした。何であれ食文化は生態を示すものだ。予想通り、その生態を知れるメニューがそこにはあった。
魚、肉、穀物もあるにはあるのだが、しかし、どれを食べても栄養価が「同じ」という事を店員(という名の機械だが)に詰問して理解する。
横着な奴等だ。それで楽しいのか?
私には味覚はあるが、共感はしない。ある意味ここにいる連中より食事の楽しさなど分からないが、だからといって率先して生ゴミを食べる筈もなく、旨い料理に限るのは確かだ。他でもない私でさえそうなのだから、これは相当だろう。
栄養食品だけで千年生活出来るとしても、私は嗜好品を使用する。当たり前だが己の幸福を肯定するには必要だからだ。そこに快楽があるかは、過程の横道であって私には関係ない。とはいえ、それで満足する気なら飽食にでもなればいい。
故に、私は御免だ。
いや、味は良いのだ。私自身栄養食品だけでも何千年と繰り返して飽きない(というより忘れるから耐える必要もない)のだが、豊かさを得ても効率に拘るのでは本末転倒だろう。私ですら味も分からない嗜好品を使用し、己を肯定するのだ。 実際、私には嗜好品の良さはわからない。
何故喜びながら苦い汁を飲むのか、個人的には不思議な噺だ・・・・・・だが構うまい。それはそれとして楽しむだけだ。
楽しみを感じる機能が無くとも、そうする。
それはそれで「やりがい」になるしな。
ふん、自分で言うのも何だが、そこまで人間を共感しない癖に人間社会に紛れ込み、しかも己を嘆くでもなく倫理や道徳という規範を知った上で利用し、おはようからおやすみまで心の有り様を解析した上で模倣する。
しかも悪を自認した上で、厭わない。
共感しない癖に、それをやりがいにして悪意を広め、悪を自認させ善を否定し、しかも合法的にそれを行い人類史に刻み込むつもりだ。
煙草や酒と同じ「必要悪」として。
我ながら「最悪」だな。
本当に何なのか自分でも不思議だ。どう考えても連中と同じ出生とは思えない。まあ、それこそどうでもいい些末事だ。
何故かだと? 簡単だろう。
金にならない出生など、役に立つまい。
おまけにそれらに苛まれもせず、喜びを模倣し楽しもうとするのだから悪魔も真っ青だ。実際、魂で取り引きするなんて古臭い上に温い。
そんな物があると人間みたいになるぞ。
私が言うんだ間違いない。
無ければ、私のような立派な非人間の化け物になれるぞ。それが金になるかは保証しないが人間のようになるよりはマシだろう。
多分な。別に責任を取るつもりもない。そも、その場合私の商売はどうなるのだろう? だが、悪意に限界が無いならそれもあり、か。
それはそれで面白そうだしな。
面白ければ、それでいい。
それに、だ。この街もそうだが、そういうのは「何を優先するか」の違いだろう。例えばここは個人の意志を無視して発展を優先しているが故に道徳に厚い社会では行えないような、進み過ぎた文明の形を維持している。
その分、個々人の私生活も無視されるがな。
私の場合、人間性など端から持っていなかったから厳密には理解し難いが、その分だけ人間性にかまけて働きもしない愚図共より仕事は出来た。 まあ、仕事とは金にならないものだがな。
少なくとも、人間の織りなす社会ではそうだ。勘違いされがちだが、基本「仕事」とは「人間」と相容れない概念だからだ。むしろ大勢の凡俗、人間性にかまけた屑共に否定されるからこその、「仕事」だと言える。
そういう意味では、この街に仕事は無い。
社会が肯定し、規範に管理され、絶対的な主である今回の標的が支配する社会。管理社会も取材しておいた方が良いかもしれないと思って来たがあまり収穫は無いのだろうか?
いや、発展した社会の有り様は、それはそれで作品のネタにはなる。少なくとも、他の惑星では科学に頼る事はあれど、科学に全てを任せる社会というのは抵抗感があるのだ。人間とは我が儘なもので、科学の恩恵は欲しいが、科学に支配され管理されるのは嫌がる。
だが、その方が発展する事もある。
ここでは個々人の行動すら管理されるだけではなく、その行動の規範さえも彼らの意志とは関係なく定められるので、ある意味「最適解」だけを選び続けた社会と言い換えても良い。最適解だけ追い求めるなど横着にも程があるが、ならばその答えを参考にして「最適ではない社会」にも適合するよう試行錯誤すれば良いだけだ。
その結果死人も出るかもしれないが、生憎私に責任を取る義務は無い。知るか。最終的に帳尻がつけば良いというのだから、我ながら最悪だな。 無論、改める気など無いが。
当たり前だ。私は暇ではない。
全ては「仕事」だ。その為に死ね。
罪悪感? とやらを持つだけで人間は侵略戦争を「反省した思い出」程度に抑えつけ、反省したのだから追求するのは野暮だと非難出来る。
ならば何の問題もあるまい。罪悪感など欠片も持ち得ない、というかそもそも共感出来ないが、要するに反省した台詞を吐けば良いのだろう?
何だろう、そうだな・・・・・・良くやった?
違うか。まあいい。どちらでも構うまい。
何人殺そうがどれだけ血税を無駄遣いしようが戦争を起こそうが搾取形態を美化しようが何一つ成果を出さずに理想ばかりを吠えていたところで「謝罪会見」という便利な方法がある。何であれ頭を下げればそれで終わり。
人間の責任など、そんなものだ。
そんな連中に何故私が丁寧に応対せねばならんのだ。第一、私は連中の支配者ではない。ただの作家が人類の行く末など知るか。
この「私」に迷惑をかけるなという噺だ。
せめて仕事くらい無駄な遠回りをせずに稼げる社会を作り上げて欲しいものだが、どうやらこの管理社会もそうは行かないらしい。
支配と思想は相容れない。
ここでも出版物は管理されている。そもそもが私の作品を売りたがる奴も、買いたがる奴もこの惑星にはいないだろう。
悪の存在を拒否しているのだから、その悪意を自認しろと物語に書き連ねるのは、ここの連中にとって殺人よりも害悪な筈だからな。
正直、私のは連中以上だ。
ある日突然「お前は人造人間だったのだ」と、そう言われても不思議は無い。いや、人造人間でさえ悩んだりはするのだろうし、私と一緒の分類にするのは無理がある。彼らは心の無さに悩み、いちいち人体を解剖したりする。
共感出来ない事に対して苦しむ。
これは怪物属性の連中も同じだ。根底では人間に愛されたいと願い、人間を憎悪する。私の場合そのような考えすら存在しない。
とにかく、金だ。
そして何より、その金に喜びを感じないくせに「生き甲斐」を感じたフリをする。実際、私には金を手にした所で喜ぶ感性は存在しない。
それでも、やる。
そのような空虚な動機付けで心ある全てと敵対しようというのだから、まさしく最悪だ。まあ、それはそれで手応えがあって良いものだ。
感性など必要ない。
心など邪魔なだけだ。
魂など捨ててしまえ。
それでも、悪意の刃があれば、それで十分だ。その切っ先を世界に向けてやるだけでいい。いや無論、金にならなくても困るがな。
仕事とは、そういうものだ。
だからこそ、人生は面白い。私の場合「人生」と呼べるのかは特に責任を持たないが、とにかく楽しむだけなら十分だろう。
楽しむ感性など無いが、それでもだ。
いいではないか。空虚で虚ろで共感せず、心という概念そのものと相容れない。そんなのは金を稼げない事に比べれば、些末極まりない問題だ。 人間の輪に入れないだと?
知るか! ならば賄賂でも渡しておけ。或いは戸籍を偽造すればいい。それが人間社会であれば人間の戸籍を偽造し、神々の国であれば神の戸籍を捏造する。悪魔ならば、尚更金で解決だ。
いっそ輪を丸ごと捏造すればいい。
そしてそれを金にすれば、万全だ。
少なくとも、生活を充足させる分には十全以上だと言えるだろう。素晴らしい。賞賛する感性も私にはないが、そういう事にしておこう。
それで解決だ。喜べ。
喜びが分からない? 問題ない、やれ。
私でも出来るのだぞ。出来て当然だ。
何ならそういう奴を捜して取材し、間に起こる葛藤だの苦悩だのを書いた方が金になるのだろうか?・・・・・・嘆かわしい限りだ。
センスがない。感性が古い。
私に言われたらお終いだぞ。
ふと、思う。この街の連中も有る意味では私と似通った部分がある。というのもこの街の奴等は「己の意志」を持たない。社会全体がそう調整し仕向けている以上、本来で有れば己で取捨選択を行う中で得られる「痛み」や「苦しみ」は、この街の中では概念としてすら存在しない。
誰も痛みを感じない。
誰も苦しみを思わない。
素晴らしきかな、少なくとも楽な人生を送る、という一点だけで見れば良さそうではある。無論私には縁の無い噺だがな。
第一、苦しみの無い物語など、あるのか?
だが、その上で彼らは私と同じ境遇を持つと、そう言えなくもない。別段違っても金は払わないが、そう明言するだけの根拠はある。
私には珍しい事に、あるのだ。
というのも外的要因で人間はそこに共感やらを得るものとされている。だが私の場合は「心」を本質的に獲得した事はただの一度も無い。
そう、今更だが私には「心」が「無い」のだ。 それが何を意味するかというと、どうも心ある連中と違って人格形成すら本来は難しい。例えば私も「心」を機軸に人格を形成してはいない。
あくまで「悪意」を機軸にしている。
様々な状況で「心を育む」のではなく、つまり外的要因と関わる事で己を確立するのではなく、あくまで観察による学習の産物だ。実際、私なら悪意を基準に作り上げた「悪の最高傑作」とでも呼ぶべき人造存在とも言える。
我ながら秀逸な肩書きだ。肩書きなど薄っぺらな概念に過ぎないが、やはり物語を盛り上げる為には必要な物でもある。
悪の最高傑作か、悪くない。
いや、悪いからこそ、素晴らしい。
何の噺だったか、そう、要するに私は人間だけに限らず、あらゆる「心ある存在」がある限り、それらを学習し続けそれらと真逆の在り方を貫く終末装置と言って良い。いや、終末に物が売れる事は無いだろうから、今のは無しだ。
何だろう、何か適当に考えておけ。
可能なら四字熟語が望ましい。均整の取れた、本質のみを突き詰めた内容で頼むぞ。そうだな、例えば・・・・・・・・・・・・考えるフリをしてみよう。
駄目だ面倒臭い。どうでもいいしな。
見栄えは大切だが、またいつの日か飾り立てておけばそれで良いだろう。急務ではあるまい。
となると、ここの連中は品種改良された人間と言えるのだろうか? 私が偶然、かどうかは知らないが、とにかく心の有り様から必然的に出来た癌細胞、は何だか清潔感が無いので税金の横領を繰り返した結果発生する大量の裏金(中々に良い例えだと思う)のような存在として今ここにある私とは違い、あさましくも裏金を作る為だけに、いや人件費を切り詰める為だけに予算を誤魔化すようなやり口、と言えば分かり易いか。
ふん、給与を満足に払えないなら会社など最初から起こすな、という事だ。思うに、殺人を是と出来ない人間には「生産性」が足りない。
ただでさえ人間は多いのだぞ!
これ以上増やしてどうするのだ。幸いな事に、人間の社会も神々の社会も「大義名分」だとかがあれば、幾ら殺しても違法行為にはならない。
綺麗に道徳的に殺せるのだ。
断っておくが、ただ殺すだけでは「遊び」だ。 子供じゃあるまいし、恥ずかしくないのか?
いいか、適当に殺すだけでは後からやれ法律だやれ道義だと文句を言われるのは必死だ。他でもないこの「私」が言うのだ間違いない。
そういう文句は散々受けてきたからな!
殺すなら、依頼か、実利か、即ち「仕事」だ。 侵略戦争をするにも部下の志気を上げるなり、具体的に征服した後の経済流通に関して街の基礎から丁寧に考えて殺さねばならない。まして貴重極まる人材をただ殺して減らすなど、あって良い事ではない!
勿体ないだろうが!
第一、替わりの効かない人材(そんな奴が今の世の中にいるのかは知らないが)だった場合は、後からやり直しは効かないのだぞ。
それが、どれだけ面倒臭いと思っている。
全く、心など持たなくて本当に良かったと思う・・・・・・こんな下らない些末事で悩んだり死んだりするのだから、どの道共感出来そうに無い。
したくもない。気持ち悪いからな。
分を弁えろ、という噺だ。
仮に、人材を解体して臓器出荷するにしても、やはり品質保持には拘る必要がある。その辺り、人間も怪物も神経質なのか道義に反するみたいな噺ばかりで、現実に散々殺してきた自分達は無視して綺麗事ばかりを語りたがる。
どれだけ暇なのだ、貴様等は。
それを考えれば人間の品種改良などむしろ道徳に沿っているとさえ言えるが、問題なのはどれもこれもひ弱そうという部分だ。これでは殺し合いに耐えれない。そして再三言うが殺人鬼にならぬ人材など、ただの資源の無駄遣いである。
容認出来ぬ汚行だ。
となると、案外私の今回の依頼は「義侠心」とやらから出たのかもしれない。あまりにも社会が汚いので是非掃除を、という訳だ。
実際、人間を始末する依頼を何度も受けた気がするが、それは要するにゴミ掃除の類、だけではなく「社会貢献」だとも言えるだろう。
殺人は、人類の未来に貢献している。
何せ必要ないゴミをわざわざ処分してやるのだ・・・・・・面倒臭い労働かもしれないが、街のゴミを掃除するボランティアみたいなものか。
名誉惑星賞、くらいは貰ってもいい。
無論、内容の華美など私には関係ない噺なので名誉でなくとも殺すがな。ちなみに「殺し」ではなく「始末」と言うのは語感だけの問題だ。
始末、実にいい。
何だか崇高な行いのようだ。対して、殺しでは威力に欠ける。まるで日常の行いではないか。
それでは駄駄目だ。語感は肝要だからな。
少なくとも、本来人間の、いや人間でも何でもそうだが「命を奪う」行為は、どれだけ切れ味の良い刀を振るったところで、やはり「腕を振る」程度の労力は必要になる。
命にそこまでの価値があるとでも?
馬鹿馬鹿しい。そういう台詞は仕事をしてからほざけという噺だ、情けない。故にこそ、今回の依頼を達成するにあたって、この街の連中は縋る相手を見失い自殺するかもしれないが、何なら、金を払って欲しいくらいだ。
わざわざ決着を付けてやるのだからな。
正直、貰っても罰は当たるまい。それで当たるなら、法を読み違えているだけだ。
私が保証する。その程度の問題だと。
まあいい。どうでもいい噺だ。あの世などあるのか知らないが、実際にどうであるかではなく、単に押しつけがましい自己満足の問題だ。
あの世の法など、そんなものだ。
権力者が雇用される側に受けざるを得ない契約を強要するのと変わらない。それと同じだ。弁舌で認められる裁判官など見た試しが無い。
世の中、そういうものだ。
その世界の中で、道義など垂れるな。
鬱陶しいだけだ、間抜けが。
人類に必要なのは手と手を取り合う事ではない・・・・・・むしろ逆だ。笑いながらお互いを殺す悪の自認であり、善という概念の根絶だ。
蒙昧は、絶滅させねばなるまい。
それが絵空事ならば尚更な。
なに、敗北者の歴史として記録に残す程度なら見せ物として容認してやろう。昔はそういう文化があったらしいね、今は聞かないけど。
それでいい。悪が全てを席巻する。
殺しも、立憲も、等しく悪だ。
恋は押し付けであり、愛は身勝手な思い込みと言えるだろう。友情は実利の兼ね合いであるべきだし、社会は人々を管理する牢獄だ。
何もかもが「悪」である。
だが、それの何がいけない? 私は全ての悪を肯定しよう。無論、信条は必要だ。だらだら悪を語るだけでは、子供の遊びと変わらない。
なに、私なら出来るさ。
実行する金があるかは、また別の話だが。
その点、この街にいる連中には期待出来そうに無かった。どいつもこいつもへらへらと幸せそうに笑って、実に気持ち悪い。
笑顔で手と手を取り合うだと?
馬鹿が! 人間、いや人間でなくともあらゆる生命体は、笑顔で殺し合わなければならない。
言わば、生命の義務だ。
貴様等は義務一つ守れないのかと情けない奴の面倒を見る気分になる。実際、私の場合不思議な事に人間の後始末を任される事が多い。
金も払わない癖に、屑共が。
お互いを思いやり、人道を説いて甘やかしあう堕落した社会の結果がこれだ。そんなだからゴミばかりを量産し過去の傑作に縋る羽目になる。 実際、近代で「傑作」などそうは無い。
無論、私の作品に関しては語るまでもあるまい・・・・・・拝謁できるだけ光栄に思えよ? 本来なら心なんぞを持つ奴等に見せる義理は無いのだ。
何なら、全ての生命が私と同じでもいい。
いや、やはりやめておこう。自分同士殺し合い絶滅するのが見えている。未来など見えなくとも己の性は良く知っているつもりだ。
第一、頂点は常に一つ。まして悪の頂点がそう点在していては社会が混乱する。何故なら、悪の頂点に立つ時点で、あらゆる存在に敗北し続け、あらゆる失敗を繰り返し続けているのだ。ならば悪の頂点が点在するというのは世も末だろう。 何にしろ、落ち着かない。
むしろ暴徒に襲われた方が私は「安心」すると言っても良い。子供の頃から、そういう状況には慣れ親しんできた。今となっては迫害や暴行を、私に向けようとする阿呆が出るのは懐かしい故郷の風を感じるかの如き哀愁すら思わせる。
無論、私に故郷など無いがな。
大体、帰るべき場所とは何だ? その暇があるなら仕事を進めればいいし、何より生きる上では故郷など必要ない。全て燃やしてしまえ。
私なら、そうするだろう。
実利の兼ね合いもあるし、こういうのは気分の問題だ。嗜好品のように人間性もどきを楽しむ、そのフリをする為に使用するのには悪くない。
ただ、必要ならする。
それだけだ。
その点、怪物連中の心は理解に苦しむ。何故、彼らは過去に固執するのだろう? 裏切りも嘘も何もかもが些末な問題だ。
私なら二秒で忘れるぞ。
いや無論、金銭面は忘れないがな。
何であれ、被害者は儲かる。それが肝要だ。
いいか、良く聞け・・・・・・生きている実感が無いだとか、どうすれば己らしさになるのかだとか、そんなのは些末な問題だ。
とりあえず、やればいい。
理屈など知らぬ。
未来など不要だ。
根拠など必要ない。
ただ、やる。それだけだ。
倫理や道徳など敵対する為にある。理屈だからそうするべきだ、などと考える頭が無いのか?
理屈ではかくあるべしだ。
倫理ではそうするべきだ。
道徳ではあらねばならぬ。
ならば、無視する。それらに反逆し、牙を剥いてこその「己の道」だ。実感など、そんな些末事は後で適当に捏造して売ればいい。
それはそれで売れそうではないか。
もし、そういう状況になれば喜ぶべきだ。いや喜ばねばならない。貴様等は、何故少しばかり、世界に虐待された程度で止めてしまうのか。
要するに「もっとやれ」という事だろう?
そう私を称えるなと、照れる所ではないか。
その点、この街の連中はいつどこで採点されるかわからないからなのか、表面上の笑顔だけで、誰一人己に自負を持つ者は無かった。つまらない・・・・・・これでは取材の甲斐がないというものだ。まあ元々殺人依頼の労働でもあるのだが、それはそれこれはこれだ。
わざわざ標的を殺してやるのだ。
ネタは最低でも十は欲しい。それでこそ、私が殺してやるだけの価値があるというものだ。無論相手側の都合など知った事ではない。
文句があるなら依頼主に言え。
大体、人間なんぞその辺で何人も死んでいるというのもそうだが、どうも「文化らしき形態」を取り始めてからというもの人間は命を大切に扱い過ぎるきらいがある。
命など粗末に扱えばいい。
粗末に扱われるだけでは私のようになるのだが大切なのは実利であって過程ではない。その間にどういう確執があったかなど、知るか。
問題なのは、そう、実利だ。
金になるなら殺すべきだ。そうじゃないか?
少なくとも、相手を思いやれだのという洗脳を全人類に施すよりは現実的な教育論だと言える。その結果殺すどころか気概すら腑抜けではな。
何の為に増やすのか、という噺だ。
そういう、下らない現実逃避に走れるだけの金を手にする奴等に限って、世界の覇権などという暴力を振るえたりするのだから、世も末だ。
いい加減、殺し合わねばなるまい。
政治にしてもそうだろう。表向きの綺麗事だけを口にして、顔色を伺うしか能の無い屑に世界を導く事など出来るものか!
少しは考えろ、馬鹿め!
生きる為に残すのでは家畜ではないか。生きるという事は殺すという事であり、この世界はその殺し合いに生き残れる者を作り上げる為にある。 何であれ、殺し合いだ。
主義主張の対立など最たる例だろう。何であれ最終的に敵対者を排除、ないし凌駕する事で己の都合を押し通せる。即ち、殺し合いだ。
今更物理的に一人二人、百二百億兆と殺して、何の違いがある? 我々の生きる世界の土台は、元よりそういうものではないか。
おかしいのは貴様等の方だ。
異常者は己を異常だと認識出来ないらしいが、だとすると今の人類史は「異常者だけが生き残り覇権を手にした世界」とも言える。そんな中で、私のような非人間はむしろ「道徳的」と言えるのではないだろうか?
つまり、善が正しく悪を排するのではない。
善という異常が罷り通っているこの世界では、悪だけがまともなのだ。だらしない善など殺し、勤勉な悪をもっと広めなければな。
だとすると、やはり些細な問題だ。
生きているのか死んでいるのかも曖昧なこの街の連中など、逆に言えば死んでいても何の問題もあるまい。とりあえず酸素の消費量は減る。
有り難く思えよ?
無論、有料だ。金は貰う。
タダほど高い物もないからな。私なりの気遣いというやつだ。礼は財産の半分で構わない。
何なら全額でも許してやろう。
見ての通り、寛大な作家なのでな。
そんな私からすれば、この街にいる連中は全て「陽だまりの中に生きている」ような気がして、実に気持ち悪い。暖かな中だけでしか生きられぬ養殖の魚じゃあるまいし、そんな生き方に価値はあるまい。
一寸先も見えぬ、完全な暗闇の世界。
その中で、誇り高く胸を張り、堂々と悪を貫く在り方こそが、何よりも肝要なのだ。
それは、善だの倫理だの全てに勝る。
当たり前だ、比べられるとでも思うのか?
分を弁えろ、身の程を知れ。強いだけの奴も、弱さを盾に支えられる奴も、駄作の元でしかない・・・・・・何であれ、最後までやり抜くだけだ。
理屈など知らぬ。
道徳など捨てろ。
希望など必要無い。
少なくとも私はそうしてきた。言っては何だがこの「私」ですら出来るのだ。強さも弱さも必要無く、何者であれ出来る。
私が言うのだ、間違いない。
目を背けて綺麗事に耽溺するな気色悪い。大体そんなものは物語の落ちが定まらない時に適当に行う程度で十分だ。
未来に希望はなく、犠牲だけがある。
敗北だけが人生で、失敗だけが友達だ。
されど「めでたしめでたし」とでも付ければ、適当に落ちが着いたように見せかける事は可能だからな。噺が終わらない時にこそ使用しろ。
綺麗事など、その程度の概念だ。
木材施工の際に使う、接着剤みたいなものか。いや、接着剤の方がまだ有用だから、やはり麻薬に等しい物だと言えるだろう。
所詮、その程度の存在だ。
考えるだけ浪費でしかない。
どうだろう、私の今までの作品を読む読者共がいるとして、その辺りに気付くだろうか? 無理かもしれない。そこまでの知能はあるまい。
案外、私が綺麗事を好いているとでも、勘違いしかねない奴等だ。考えてみれば、あろうことか物語の決着に興味がない、いや先の事しか見ない私には「終わりではない」事に気付くまい。
所詮、一つの噺が終わるだけだ。
それでも物語は続いてゆく。
無論、悪と絶望の物語だがな!
他に何があるというのか。私は作家だぞ。
読者に絶望を届け、善性を否定するのが仕事だ・・・・・・・・・・・・我ながら、こんな時代に真面目にも程がある。本質など無力だというのにな。
やれやれ、参った。手を抜けない性分か。
我ながら嫌になる。読者も編集者も、ちゃんとしている奴などもういない。大昔はどうだか知らないが、今の時代には絶滅している。
あるのはただ、現実逃避の麻薬だけだ。
如何に効率良く現実から目を背け、都合の良い夢の中に耽溺するか否か。それが現代での物語に無理矢理付与された「役割」だ。
要するに麻薬の替わりだ。情けない。
他にやることはないのか? いや聞くまい。
聞くだけの価値があるとは、思えないしな。
何にしろ無駄な事だ。何せ、既に絶滅しているのだから売りようがない。物語そのものを求める編集者も読者も、既にどこにもいないからだ。
全く、情けない。
そういう意味でも、ここにいる連中は人間ではあるまい。ならば率先して死ぬように努めよう。努力など意味のない妄想だが、しないよりマシだ・・・・・・・・・・・・街は清潔に保たねばな。
ゴミを処分しないから、こうなるのだ。
要らない物はさっさと捨てろ。
個性だけで価値などと、悪い冗談だ。大体が、貴様等にそんな、大層な個性があるとでも?
無い。私が代わりに断言してやろう。
そんな価値は、貴様等には無い。
死んだ方が良い人間など腐る程いるではないか・・・・・・人間は数を減らすべきなのだ。いい加減、適当なぬるま湯で誤魔化されるのは迷惑極まる。 押しつけられるのはたまったものではない。
いい迷惑だ。少しは考えてから発言しろ。
己の仕事も無い奴など、その程度の存在だ。
気分が悪くなったが、いつもの事だ。大体私は読者共が楽しそうに生きているだけで最低の気分になれる。苦悩の無い魂など気味が悪いしな。 だからこそ、この幸福な街は異常だ。
死体の山の方がまだマシだろう。別に正当化をする気は無かったが、構うまい。第一私がそれを行う時点で、必ず「悪」になるのだ。
つまり善を打ち払う行為であり、実益だ。
他者の規範など関係の無い噺だが、まあ面白くはある。期せずして世界を救うのだ。
ただし、救う相手は人間という邪悪に虐げられ苦しんでいる「悪」だがな。
私はいつでも、誇り高き「悪」の「味方」だ。 だから私は、今日もその悪意を胸に、作者取材を続けるのだった。
その先に、報いがあるとも思えないがな。
5
失敗の無い人生に、充実は無いと人は言う。 例えば、金に満たされた人生を送り過ぎると、手応えが無くて退屈するというのだ。理屈としてはわからなくもない。何であれ刺激は必要だ。
だが、失敗や敗北だけというのもどうだろう。
手応えと言うより壁を掘り続けているような、そんな印象を受ける。ふん、地下帝国の住民じゃあるまいし、それだけで充足などあるものか。
私には、勝利を喜ぶ感性など元より無い。
だが、だからといって失敗し続ける事など容認出来るものか馬鹿馬鹿しい。失敗や敗北をあまりにも繰り返し過ぎて、むしろこれはある種の奇跡なのではと勘違いする程だ。我ながら、末期だと言えるのかもしれない。
だが、それでも続けた。
他でもない私が定めた在り方だ。そも続けるという言い方が符合しない。それ以外は無いのだ。選択肢を選ぶという考えも、やはり違う。
私は、示したのだ。
ならば、後は進めるだけだ。
無論、進めたからどうなる訳でもない。経験則で言わせて貰えば、早めに辿り着くか否かなど、全てが運で決まると言い換えて良いくらいだ。
まあ、それが良いかは知らないがな。
早めに金を手にし過ぎて没落する阿呆も数多くいる。私の場合金が欲しいというより生計を仕事で立てたいだけなのだが、上手く行かないものだ・・・・・・私が思っているより、私の傑作の影響力があまりにも大き過ぎるから、世界の側が嫉妬して邪魔しているのかもしれない。
だとすれば、迷惑な噺だ。
大体未来の事などわかるまい。未来が見えたとしても、やはりそれは見ているだけだ。当たる事が多かったところで競馬予想と変わらない。
同じ事だ。未来予知など意味のない能力だとも言える。我々にあるのはただ「今」であり、そも時間という概念そのものが虚構に過ぎない。
ただ、繰り返しがあるだけだ。
その上で積み重ねられる物もあるのだろうが、私はそういう恩恵を受けた試しがないので、生涯関わる事は無いだろう。あるとは思えない。
何かにつけ敵だけは増える。
しかし、味方されるなど、有り得ない。
むしろ利益を提供してやったのに、成果を出しもせずに逆ギレされるのが日常だ。そういう意味では真っ当な取引が出来る人間など絶滅しているのだから、こんな風に物語で世界に挑む事自体が無駄で徒労なのかもしれない。
だが、それでもやるしかない。
非常に嫌だが、仕事などそんなものだ。
金を稼ぐだけで「仕事」だと思いこめる豚には理解出来ない噺だろう。損をして損を掴み、その掴んだ損すら仕事に費やす。
そういうものだ。
嫌な事に、それが「仕事」だからな。
怪物連中に以前聞いたかもしれない。
人間を苦しめるのは好きだろうか?
確かに、それは楽しいのかもしれない。だが、楽しむだけの行いは仕事ではなく「遊び」だろう・・・・・・そこが仕事を持たない連中との違いだ。
幾ら人間を絶望の淵に叩き落とす為とはいえ、こんな地味で疲れる作業が楽しいとでも思うのか馬鹿共が!
鬱陶しい事この上ないわ!
第一、割に合うまい。私の場合金にすらならぬどころか、金にするアテも無いのに書いているのだから、報酬など事実上(今は)無いのだ。
それでも、物語を書いている。
当たり前だ、それが仕事だからな。
都合が悪くなればすぐ逃げ出す阿呆とは違う。本来であれば全ての生命が行うべき「義務」だ。だからこそ、刻み込んででも、やらせる。
それが「私」の「役割」だ。
元より、作家に出来る事など人間性を否定する物語の執筆か、遠回しな殺人行為程度のものだ。それが直接でも間接でも構わない。
他者を自覚的に殺害するのは得意だ。
それが何の役に立つのかといえば、あまり役に立った試しは無いが・・・・・・それも無いよりはマシだろう。作家に出来る事など知れている。
卑下するつもりはないが、それが作家だ。
何度も言うが、そもこんな風に作家が己で物語の売り上げを上げようとする状況そのものが既に履き違えている。
間違い、ではなく履き違え。解釈違いも良い所だ・・・・・・編集は何をやっているのか。
情けない。作家にやらせるな間抜けが。
こんな風に己を貫く行為など、人間社会の中においては既に「時代遅れ」ではある。流行だとかを履き違えた結果、近代では誰一人それら生きるという行いを真面目に語らなくなった。
考えずとも、恵まれていれば生きられる。
それが堕落させたのだろう。大体、歩きもせず乗り物で移動する生き物が、己の足で活動する事も「出来ない」ではなく「しない」生き物共に、己の意志で何かを選び貫くなど有り得ない相談だ・・・・・・誰も彼もが、偶然恵まれれば喜びを語り、恵まれなければ不満をまき散らして苦しみ続けるだけで、何かを覆そうとは思わない世界。
ある種、行き詰まりと言い換えて良い。
ならば私は行き詰まりの世界に現れる終末装置か何かだろうか? だとすれば尚更手に負えない噺だ。第一、私に執筆と殺人以外何がある?
悪意か? だが、それでどうしろというのか。 それだけで変えられれば苦労しない。もしそうであれば、とうの昔に私は勝利している。
やれやれ、参った。皮肉な噺だ。
世界最悪の非生物がこうも、手抜きをせず仕事をしているというのに、虚飾に彩られた「心」のある尊い生物とやらは、叫ぶだけで何もしない。 もう一度言おう。情けない。
見苦しいにも程がある。
やはり、割に合わない噺だ。手を抜かず真剣に世界に向き合う、というのは結局の所私のように持たざる側だからこその発想なのか?
だとすれば、やはり価値の無い世界だ。
付き合う身にもなって欲しいものだ。まあ仕事が何なのかもわからない子供に、それを期待するのも酷な噺か。
土台無理な相談だろう。
そんな世界を、生きるしかない。
実に面倒臭い。いい加減嫌になる。
だがそれでも、引き返す事など出来ない。大体どこへ引き返すというのだ。まるでやりがい搾取だが、他の道など最初から存在しない。
まったく、少しは分を弁えたらどうなのか。
せめて鏡を見ろ。その情けなさをな。
私か? 安心しろ。目の色が暗黒よりも暗い、生まれついての大悪党がいるだけだ。
そうだな、まあ、毎朝見るには良いものだ。
下らない善なる屑共とは違うと安心出来るからな・・・・・・善意で誤魔化す汚さよりは崇高だ。
比べるまでもない。それこそ不遜だろう。
善が悪に勝る部分があるとでも?
身の程を知れ。馬鹿共が。
しかし・・・・・・・・・・・・改めて考えると、今更だが私の考えは異常だな。普通、心が抜け落ちた状態を自覚すれば、憤る奴の方が多いだろう。
だが、私は違った。
希望など無い。
確かに、邪魔だから必要ない。
未来など無い。
だが、輝かしい未来など妄想だ。
感性など無い。
それはそれで個性かもしれない。
目的など無い。
無ければ、捏造すればいいではないか。
悉く、私はそう解釈出来る。それも自然どころではない。むしろそうとしか解釈出来ない。
相容れない事に悲しむべきだ、という読者共の発想は理解出来る。とはいえ、それが金になる訳でもなし、私は暇ではない。
何せ、仕事があるからな。
そう、その仕事にしても何かを感じる訳も無くただ心の在り方を捏造して真似ただけだ。別段、そこに何かを感じる心など有りはしない。
だが、それが何だ? と思えてしまう。
そう考えるとどうだろう、心の有る無し以前に私は異端なのかもしれない。無論私個人はむしろ異常なのは現行人類の方なのだが、見方を変えるのも作品のネタになるだろう。
ならなくても別にいいが。
思考の遊びみたいなものだ。いやこの場合体操だろうか。いずれにせよ発想を遊ばせるのは悪くない。いや悪ければ悪いほど素晴らしい。
実際、そんな感性も無い癖に世界全てと敵対を罪悪感無く行え、しかもその実現方法が現実的で悪辣極まり無く、おまけに事のついでだ。
我ながら最悪だな!
親の顔が見てみたいと言われそうだが、生憎と親の顔など見ていてもうろ覚えだ。そも私は相手が何者であれ「対話」などした試しがない。
人間相手であれば、対話など成り立つまい。
話した事もない相手に思う何かなどあるまい。そうでなくても記憶力が悪い訳ではないのだが、興味の無い事は(少し)忘れがちな私だ。
何なら、対話をしても忘れる自信がある。
いや、今のは忘れよう。まるで頭が悪いみたいではないか。そうではない。頭脳は冴えているが私個人の利益に関してのみ働くだけだ。
それはそれで便利で、羨ましいだろう?
そう誉めるな、私とて頬を掻くというものだ。 私にとって貴様等の基準は逆に働く。例えば、「認められない」とか「愛されない」というのは私にとって「誉め言葉」だ。
いやあ、それほどでも。
何せ、わざわざ世界の側が、この「私」を敵視してくれているのだ。ある意味尊崇しているのだと言い換えても過言ではあるまい。
そう私ばかり立てなくても良い。
それが本気で言えるのも「私」だ。
無論、当たり前の事を、当たり前に答えただけだ・・・・・・やろうと思えば、誰にでも出来る。
やろうと思うかは別だが、理論上可能だ。
ならば私はやるまでだ。いいではないか、別に心なんぞ無くても問題あるまい。根拠が無ければ動きもしない、人間や怪物共とは違う。
貴様等と違って暇ではないのだ。
まったく、飼育される豚じゃあるまいし、何故根拠が無ければ動きもしないのか不思議だ。体重ばかり増やして身動きを取りたくないのか?
そんな物は、必要ない。
だからって「偉そうな奴は失墜させる」という方針で応対するのかと言われれば、そうだ。何も問題はあるまい。見てて面白いだろう?
確かに、面白さは感じない。
だが、別に構うまい。何であれ、そういう輩が落ちこぼれる様は、作品のネタになるものだ。
己の悪を肯定する。そこに根拠は必要ないし、未来も希望も邪魔なだけだ。ただただ実利だけがあればいい。無論、何が実利かは己で決める。
定めた法に則って、動くだけだ。
そこに、感傷の有る無しなど些末に過ぎる。
拘る価値もあるまい。どうでもいいからな。
肝要なのは、そう。
そこに、邪魔があるなら斬り殺す。
それだけだ。
後は、学者にでも考えさせておけ。
それが、社会に認められる必要性など、無い。ここだけの噺だが、人間という生き物の社会には「食料品売場」というものがあるのだが、そこではあらゆる生物の死体が加工した上で並べられ、人々は嬉々としてそれを買い漁る。
そのくせ、人間が死ぬ事は容認しない。
誰かの命を奪うのは「悪い事」だと言い張り、鳩を轢き殺しても罪には問われないのに、人間を一人二人殺せば大騒動だ。
面倒だが、教えてやろう。
言っては何だが、貴様等は頭がおかしい。
異常者だ。むしろ私は真っ当だと言えるだろう・・・・・・正常なのはハンニバル博士であり、異質で社会不適合なのは貴様等の方なのだ。
その証拠に、社会は上手く回っていない。
その試しがあるまい。それは単に、人間という種が異常をきたし、現在を見れば明らかなように狂った異常者の集団だからと言えよう。私自身、溶け込むのに苦労した。適当に能力を振りかざしているだけの怪物連中には理解出来ないだろうが・・・・・・そんな狂った世界に挑むという行いとは、実際には地味な作業でしかない。
悪の道を本気で進むならば、そうなる。
地味で、繰り返しで、敗北の連鎖で、失敗など幾度したか数える気にもならない。だが、世界と敵対し何かを成すには、必要な行いでもある。
連中は、そんな事も分からない。
それでは人間と同じだ。
情けない。
まあ人間の肉など不味くて食っていられまい。植物性が多ければ肉は上手くなるが、雑食の王である人間には期待すべくもない噺だ。
何も言わなくて良い。不味い。
それが事実だ。人間は食えない。
そんな掃き溜めのゴミにも劣る物を食べるなど異常を通り越して愚かだ。人間など食べていたら品性を疑われる。愛故でも苦痛ではないのか?
まあそれも心とやらだろう。理解に苦しむ。
それでよく、文明人を気取れるものだ。
この街ではそれら人間の持つ業が管理され飼育されているらしいが、どうだろう。それはもう、人間とは別の生物ではないだろうか。何せ人間はそういう生き物なのだ。その悪性を否定するなら新人類を作る方がマシだろう。
手間暇を考えれば、人間に拘る必要も無い。
とはいえその主張は問題だ。私はその悪性こそを愛でる。面白ければ活かし、逆であれば善でも悪でも殺す。いや、それは悪ではあるまい。
善なる全ては皆殺し。
悪なる全てを活かす。
それが「私」だ。思想的にこの街は相容れそうにない。とはいえ、さっさと依頼を終わらせ帰りたいものの、今すぐは不可能だ。
標的の場所も知らないしな。
私はとりあえず近場のホテルで部屋を取ろうとしたが、そこで妙な待遇を受けた。
どうも、態度が悪かったらしい。
高級ホテルでもないだろうに、犯罪者を見る目で見られる覚えはない。いや、実際始末しに来たのは確かだが「まだ」何もしていないぞ。
毎回こうだ。何もしていないではないか!
いずれ殺したり悪意をバラまいたりするのかもしれないが、未来犯罪で裁かれる覚えもない筈だ・・・・・・多分な。特に違っても責任は取らない。
因縁を付けられる事には定評のある「私」だ。 何がきっかけで殺意を向けられるか、わかったものではない。実際、そういう経験は意外と多いのだ。まさか、溢れる人徳故だろうか?
かもしれない。我ながら業の深い事だ。
ゆっくりくつろいで私は就寝した。寝ている間にも執筆してしまう事はあるが、今回はそういう恐怖体験をすることなく眠った。
無論、恐怖は無くとも敵意を向けられるなど、私には珍しい噺でも無かったが。
5
培養槽から産まれた、と言われても安心する。 そうなのか、と疑問を挟む余地さえないというのが、素直な感想だと言えよう。実際、私は生命の輪のような物の中には、決して存在しない。
だが、そんな些末事はどうでもいい。
問題なのは、ただただ「金」だ。
別に買いたい物など無い。強いて言えば面白い物語だが、別に大金は必要あるまい。そもそもが近代において面白い物語など知れている。
どれもこれも「技術」や「流行」頼みだ。
売れた奴に限って履き違えるものだが、どうも面白い物語を小手先で作り上げられると思う馬鹿は多い。経験で更に面白い噺を作れる、と。
まさか。そんな訳があるまい。
何をやらせてもつまらない奴の物語はつまらぬものだ。何をどう成すかではない。そんなのは、所詮些末な横道に過ぎないのだ。肝要なのは何を以て何に挑むかであり、面白い噺を作ろうと技術による小手先に頼るのではなく、指向性を持った存在がどう状況に挑み続けるかだからだ。
それに比べれば、起承転結など些末に過ぎる。第一、それらの要素は一度読み終われば二度目はない。繰り返しそれを味わえはしない。
所詮、調味料のような存在だ。
それはそれで有るに越した事はないが、人工の添加物に拘り料理を怠るのでは噺になるまい。
まさしく「本末転倒」というやつだ。
だから、近代においては過去の傑作を映像化し誤魔化したり、今の時代に新しい物語で挑もうとする奴など、もういない。
私か? 私を人間だと数えたとしても、やはりその場合ゼロが一になるだけだ。そもそもが私の物語を売れる編集者も絶滅している。
私からすれば、既に「終わった文明」だ。
人間の世界など、とうに終わっている。
案外、ここは行き詰まりの世界かもしれない。平行世界論などあるのか知らないが、少なくともこの世界が生き延びる事は無さそうだ。
あるとしても、あまり嬉しくない。
当然ながらその世界を生きながらえさせているのはこの私の傑作という事になるが、肝心のその私に対して報酬の一つも払えない貧乏世界だ。
評価すべき部分が見当たるまい。
カス共が。まったくもって使えない奴等だ。
世の中には「渇望」こそが真の力であり、その乾きさえあれば勝利など時間の問題だと公言する輩もいるが、要するにその事実を知らないのだ。 渇望しようがしまいが、同じ事。
世界に伝達するには具体的な手段が必要になる・・・・・・だが、そういう手段を握っているのはそのカス共なのだ。社会における成功者とはその渡りを運良くつけられた「だけ」の存在に過ぎない。 何を志そうが、変わりはしない。
金になるか否か。要するに現実的な力を得るのであれば、そこだけが肝要だ。現に、何を伝えるでもなく演出だけに拘る奴等こそ電脳世界に幅を利かせているではないか。彼らが何かを生み出す事など無いが、しかし運だけはあるからだ。
でなければ、何だというのか。
まさか実力とでも言うつもりか? 鏡を見ろと指摘するのも面倒臭い。広告や宣伝というのは、所詮流れに乗れた愚か者の妄想に過ぎない。
そこに「理」は無い。要するに博打だ。
逆にコツコツと目的へ邁進するのが如何に徒労でしかないかは、他でもない私が誰よりも知っている。実際、そんな事に意義は無い。
大体神の教えなどその最たる例ではないか? 現実に役に立つ訳でもない綺麗事を有り難がって高い金を支払うなど、異常者そのものだ。
神に縋れる程の「余裕」があるからとも言える・・・・・・実際、己の手で道を切り開こうとし、失敗を続けてきた奴が神に祈る事などあるまい。
何せ祈るだけ無駄だ。役には立たない。
むしろ、祈ってやった分の金を払え。
こちらは現実逃避の戯言で誤魔化していられる程に、暇ではない。だが、実際にはそういう暇人こそが利益を貪れるものだ。情けない事に人類は現実逃避に次ぐ現実逃避、綺麗事で誤魔化しても持つ側にさえ回れれば詭弁を語るだけで済む。
なればこそ、今の惨状がある訳だ。ただ幸運だというだけのカスがしたり顔で成功者を気取り、血脈で受け継がれた利益で国の未来を憂うフリをして人の上に立てる。それが社会の本質だ。
これはどこでも変わるまい。
そうでない社会が有るというなら、とうに私を取り立てている筈だからな! 要は見る目が無いという噺だ。全く、情けない。
本当に迷惑な奴等だ。弁えろ馬鹿共が。
ところで心理学的には何かを望んだり、未来に希望を持つ事は「現実から離れる」事を意味するらしい。「現実を直視する」には夢も希望も無くただただありのままの絶望を受け入れなければ、その視界が曇るからだ。
その点、私は心配ない。
実際、私には「望み」は存在しない。ただただ必要な事を求めるだけだ。何も無いからこそ私は今の「邪道作家」としての有り様を作り上げた。 仮に勝利や実利を掴んでも、何も無い。
疑うからこその「私」だ。愛が有るというなら裏切りも許容する。友情があるというなら報復も期待する。何せ、面白そうだからな。
なに、最悪の可能性は良いのだ。
常に最悪の可能性を期待する。ならば虚飾などはぎ取り現実を直視するのは自明の理ではないか・・・・・・故にこそ、私は悪の頂点足り得るのだ。
まあそれが何だって噺だが、構うまい。
少なくとも、作品のネタにはなる。
金を得ても栄誉を得ても、私からすれば何一つ手に入れないのと同じ事だ。強いて言えば生活の安定は必須だが、それは望みではあるまい。
必要故の、ただの「作業」に過ぎない。
だが、それの何が悪い? 否、悪いというなら尚更行うべきだ。悪の道をひた進む上で希望など必要ない。むしろ邪魔だ。
絶望だけが人生だ。
殺戮だけが生物だ。
命は苦しむ為に存在し、嘆きは搾取する為だけに存在する。どう運良く奪えるか否か、人間性を語る奴はそれに恵まれただけに過ぎない。
何もかもが虚飾だ。
政府など存在しない。ただ惰性で運営しているフリをして、搾取の汁を忘れられないだけだ。
未来など存在しない。恵まれなければ奴隷だという事実から、目を背けているに過ぎない。
平和など存在しない。平和という言葉を楯に、効率良く搾取する歴史が連なり今の社会がある。
どれもこれも、ただの嘘だ。価値など存在せず意味など皆無に等しい。連中が背を曲げて未来を信じるフリをする横で、未来も希望も何もかもを殺しながら胸を張って生きる私がまるで目的へと辿り着けないというのだから、大した皮肉だ。
要するに、勝利者は現実に生きていない。
それが「事実」だ。少なくとも科学が発展してからそういう奴は見かけない。人類全体が妄想に逃避するようになり、その意義が無くなった。
現実など、もう誰も見ていないのだ。
誰も彼もが、都合の良い物語を求める。どこかここではないどこか、夢の世界なら良い夢を見て栄光を掴めるのだと、情けない自慰に耽る。
たわけが。物語に幸福など求めるな!
あるべきは絶望、敗北、悪意でいい。失敗からそれらを学び先へと繋げるのが「物語」だ。学ぶ余地の無い物語など駄作にも劣る。
むしろ読まない方がマシだ。
そういう愚か者が覇権を握り続けた結果が今の社会という訳だ。情けない。思うに、人間なんぞ悪意を持たない時点で生きる資格が無い。
綺麗事だけに耽溺するのは、逃げでしかない。 さっさと人間に限らず全ての生命に私の悪意を刻み込み、善だと唱えられる全てを消し去りたいものだ。大体善なんぞ存在しない妄想ではないか・・・・・・何を以て「善」なのだ? 殺さなければ、奪わなければそれが「善」か?
馬鹿馬鹿しい。弟子を信じる事も出来ない奴がそのような戯言を言い出すのだから、世も末だ。 ならば全てを疑わずに信じろ。
疑う事は「悪」なのだろう? 馬鹿の一つ覚えみたいに搾取され続け痩せ細り、死ね。無論私は御免だ。汚ならしい綺麗事など御免被る。
世界は悪だ。悪だけが世界だ。
文字通り全てが「存在するだけで害悪」であり生まれついての悪だ。生きているだけで迷惑で、生きているだけで罪深い。
だが、それがどうした?
いいではないか。借金は踏み倒せばいい。何せそうすればタダだ。肝要なのは払わない事でありそれを示したのは貴様等自身ではないか。
今の社会は、それを証明している。
いや、今だけでなく「社会」という枠組みなど未来永劫そうでなければならない。結局のところ我々が行き着く先は、奪い合いの地獄だ。
それでいい。大切なのは奪う側に回る事だ。
最大多数の最大幸福を真っ向から否定し、例え万の犠牲を強いてでも、生きる。元来生命の義務として当たり前の事であり、異常なのはそちらだ・・・・・・貴様等の非常識を押しつけるな!
はっきり言って、迷惑だ。
仕事の邪魔をするんじゃない。
働いてからほざけ、間抜けが。
労働と仕事の違いも分からない愚か者が多過ぎるのが「現実」だ。いや、最早絶滅したと言い換えても過言ではあるまい。実際、そうだ。
少なくとも「作家」はもういない。
真剣に物語なんぞで利益を計る奴など、とうの昔に絶滅した。張り合い甲斐の無いことだ。
案外、私こそが「最後の人間」なのか?
だとすれば、やはり連中は必要ない。それに、呼び方は何でもいいが連中と同じ呼び方など屈辱にも程がある。天をイナゴと呼ぶに等しい。
天がそこまで良い物かは知らないがな。
ならば金をお涙頂戴の「人間性」とやらで貰うに等しい汚行と言い直そう。大体感動したければ神経をいじればいい。私はそうした。
あまり作品のネタにはならなかったが、普段は経験しないのも確かだ。自発的に無理矢理感動を引き起こすには、それらしい材料があればいい。 感動の要因を計り、脳内で再現する。
それだけだ。私でも出来るのだから、理論上は誰でも出来る。やろうと思うかは別だが、効率を考えればそれでも良かろう。
どうせ似たりよったりなのだ。構うまい。
強いて言えば絶望、というのは再現すら難しいのが現実だ。常に強さも弱さも併せ持たず実利を得られない誇り高き敗北者。今更何に絶望すればいいのだ? 苦しみなど常日頃から味わっている上に、失敗など呼吸より多いかもしれない。
生き苦しい、というやつだ。
生きようとするだけで、苦しむ。それが私だ。絶望というのは理性で事を動かした奴がする事であって、本能のままに足掻く獣の行いではない。 いや、私はもう少しマシだ。多分。特に責任は取らないが、そう公言しておこう。何であれ建前で利益を得る事に代償は要らないらしいからな。 非人間上等も、その計算の内だ。
そういう事にしておこう。
そうするだけならタダだ。
少なくとも大義名分があれば何をしようと正義だとでも勘違いしている愚か者共よりはマシだ。どこぞの家政婦の噺が分かり易い。
病魔があるから言う事を聞け。
よくわからない噺だ。自分達が迷惑するからと暴力で強要する行いを「常識」であるかのように語るのだから、神経を疑う。
いや、疑える程の神経も無いか。
疑心暗鬼がそれらを加速させもっともらしい噺だけで根拠もなしに人を殺す。自分の脳内だけで根拠だと言い張っているとさえ、気付かずにだ。 はっきり言って、迷惑極まりない。
それらを堪え忍んだ所で、無駄な事だ。何一つ得る物など無い。事実として、私はそれら無駄な徒労を数多く経験してきたが見合う実利など一つもなく、むしろそういう屑こそが幸運に恵まれ、金を好き放題に使えるものだ。
実際に見てきた私が言うのだ、間違いない。
世の中そんなものだ。過程などゴミでしかない・・・・・・どれだけ楽しかしなかろうが、どれだけの苦労を積み重ねようが、それそのものはゴミだ。 何の役にも立たないし、神がいるならば、搾取こそを祝福しているのは間違いない。
現に、世界はそう在る。
ならば悪意を刻んでどうするのかだと? 読者の貴様等がだらしないから私が無駄に徒労をする羽目になっているんだぞ!
少しは反省しろ、馬鹿め!
本当に情けない奴等だ。涙も勿体ない。
それだけの価値があるとでも思うのか?
ならば目玉を洗浄し、すみやかに自害するのがお似合いだ。貴様等にはそれが相応しい。むしろ度の過ぎた報酬とさえ言えよう。
実際、幸運に恵まれた豚ばかりだ。
挑戦しようともせずに無理だ何だとほざいて、世界の不条理を語りつつも生活には恵まれたり、変革を考えようともせずに現状こそが一番であると悟ったフリをして、安寧に甘える。どころか、何もしていない癖に態度だけは一人前だ。
自身を「立派な社会人」と思い込むのだから、手に負えない。まさしく「子供」だ。年だけ重ねていれば「成長」したと自惚れられるのだから、彼らの脳細胞は随分と単純らしい。巻き込まれるこちらはたまったものではないがな!
いい加減、うんざりだ。
そのくせ、こちらの成し遂げた偉業に関しては何一つ払わない。金を払ったところで「努力したから報酬をくれ」とほざき出す。成果を求めるが己は保証しない。それでいてこちらにはもっともらしい倫理観を語り、そのくせ平気で掌を返して報酬も満足に支払わない。
要するに、甘ったれなのだ。
だからこそ、現実を直視しないくせに、現実を如何に知っているかを語り出す。己の主義主張に従わなければ異常者扱いして逆ギレだ。
そのくせ「善良」だと自惚れる。
正当性を説けば許されると思っている。いや、むしろ正当なのは己だと勘違いしたまま思い込む・・・・・・最高に質が悪い。子供の方がマシだ。
生きているだけで害悪であると、常に自負しているのが私だ。しかし、連中と同じ扱いをされるくらいなら、それで大いに結構だろう。
少なくとも「善良」であるよりはマシだ。
貴様等と違ってウジ虫ではないからな。善だの倫理だの道徳だのに縋るというのは、そういう事だと何故解さない? 頭が悪いのか?
いや言わなくて良い。見れば分かる。
見たままだ。驚くには値しない。思うに、この惑星のような管理社会というのは「無意味」だとしか言いようがない・・・・・・どうしたところで世界というのは「運に恵まれるか否か」で回せる様にしてしまっている。人間の社会形態はそれを加速させ、そういう馬鹿こそを尊重し、手抜きせずに生きる生命はゴミ以下の廃棄物扱いだ。
これも、私が言うのだから間違いない。
事実そうだ。真剣に生きる事に向き合うなど、今となっては意味の無い事だ。意義を見出してもそれが実利、価値に繋がる事は無い。
それこそ運次第、運が全てだからな。
こんな風に売れもしないまま「真剣に生きる」行いそのものが「愚か」とも言える。人間社会において「生きる事と向き合う」という行いの全ては相容れない概念でしかない。何故なら実際には「現実逃避」こそが今の人間社会の本質であり、誰も彼もが必死に楽をして富を享受し、役割など果たさずに(というより現代社会において役割を果たすというのは「危険」だから目指すべきではなく、最初から諦める事柄だからだ)どうやって大きな組織に寄生して甘い汁を啜り続けられるかを問いただす、甘ったれの討論会に等しい。
少なくとも、私は見た事が無い。
真剣に物語と向き合い、それを売ろうとする奴など現代社会では絶滅している。編集者とは本来そういう役割だが、私がやる羽目になっている。その時点で「異常」としか言いようがないのだが・・・・・・・・・・・・世界は汚濁に優しい。
神がいるならば、彼らの味方なのは確かだ。
他でもない「私」が言うのだ間違いない。
客観的な事実として、連中こそが勝利者だ。
現実を打ち倒し逃避の妄想世界で充足を得るというのだから、現実を覆えさんとする私にすれば許し難い屑共だがな。
全く、鬱陶しい限りだ。
だからこそ、私は未来どころか読者に期待する事も、永久に無い。何せ、期待すべき部分がゼロだからな! 安心してだらけきった脂肪分を振り回し、自らの不出来具合を確かめながらご大層な言い分を全うしたと思い込んだまま死ね。
こちらとしても、興味はない。
抱くだけの価値が無いからな。価値のないゴミに構う暇など無い。しかし、どうだろう? 後になってやはり後悔し出したりするのだろうか?
確かに、そういう奴は多い。
当たり前だ。役割を果たすどころか、志す事もしないまま年だけを取るのだ。まあそれを自覚し悩む頭すら足りないらしく、幸せに何一つ成さぬまま死ぬ奴も増えている。
浅ましい事だ。
同じ繰り返しなら機械で良いだろうに、それにさえ気付かない。更新するだけ機械の方がマシとさえ言える。その程度には人は劣化した。
人類など、既にいない。
過去の傑物ならともかく、現行世界に人間など一人もいない。非人間の化け物として多くを見てきたが、相応しい人間などいなかった。
いや、見なくても分かる。この先にも無い。
何より、いたとしても同じだ。とどのつまり運に恵まれなければ不出で終わる。それを手助けし導く何かなど存在しない。土台無理な相談だ。
幸運に恵まれた豚ばかりが並ぶ、情けない今の社会を一目見れば誰でも分かる。責任を果たさぬからこそ責任を楯に搾取が容認され、義務を無視出来る特権の為にのみ法という概念は存在する。国とは「政治ごっこ」を楽しむ為の箱庭であり、誰も真剣に挑まないし、挑む奴に力は無い。
そんな奴は力を持てない。全力で排除される。 実際、私も作品データをあちこちに送りつけたものの、真っ当に判断する奴はいなかった。精々「こういうサービスなら扱っております」などと右から左へ作業するしか出来ない無能か、或いは一端のプロ気取りの割に金は要求するが成果など保証しないと甘ったれるカス程度だった。
つまり、もう今の時代にはいないのだ。
所感だが、嫌でも分かる。何せ、生まれついてそういう輩しか相手した試しがない。少なくとも私を導く運命など有りはしない。
そんな楽が出来れば苦労はあるまい。
賽銭を山ほどくれてやっても、これだ。正直、人間より役に立たない無能が崇め奉られるというのだから、理解に苦しむ。やはり暇なのか?
類は友を呼ぶというが、汚物は汚物同士仲良くという訳だ。でなければそういうゴミ共が栄える訳があるまい。それこそ確固たる「証拠」だ。
そういう意味では、管理社会が押し進められる理由もあるのだろう。この近代で己の意志で動く為政者なんて奴がいればだが、少なくとも信仰で人間が救われる事など無いのだから、現実逃避をさせるより飼育、もとい管理した方が早い。
それを「人間」と呼ぶのかは知らないがな。
ある意味人間を諦めたからこそ出る発想だとも言える。人間の未来に期待しないで責務を放棄し私とは真逆を進んだ先にある道筋だ。
私か? 自発的な進歩には期待しない。
だからこそ、非人間の私が悪意を刻み込み多少多くの命が失われてでも、その腐りきった品性を叩き直してやるだけだ。
そうしないと「私」が迷惑だからな!
純粋に「生活の為」とも言えるだろう。
その結果、人間がどうなろうと興味すら無いというのだから怪物連中よりも質は悪い。しかし、それはお互い様で、私の方が遙かにマシだ。
何にせよ「ゴミはゴミ箱へ」と言えばいいか。むしろ感謝される筋合いだ。故に金を払え。
それすら出来ない読者など、生きるに値しない・・・・・・すみやかに死んでいいぞ。何と言っても、目障り極まりないからな!
そして、今やそういう読者しかいない。
ならば無駄だと止めればというのは無職の屑の発想だ。仕事に「止める」という選択肢など存在しない。無い選択肢は選べまい。
いい加減、嫌になるのもうんざりだ。
これだから全てが運次第だと言うのだ。大体、この私に汚らしい綺麗事を押しつけさせ、知った顔をさせる時点で底が知れようというもの。
恥という概念があれば、とても出来まい。
分を弁える脳細胞すら、無いのだろう。
もう長い年月を続けてきた。が、その中で視界に写り続けたのは、やはり、運に恵まれただけの豚ばかりだ。例外は一度として無い。
連中は「天国」に行くのだろうか?
ならば案外、天国というのも天下り先のようなコネ商売なのかもしれない。その程度のゴミ屑が行けるのだ。猿でも豚でも賄賂で渡れるだろう。 羨ましい噺だ、暇そうで。
暇など、私には無かったからな。強いて言えば常に、生きる事に必死だった。
それだけだ。
どこぞのファラオみたいに偉大な父に導かれ、賢明なる母に教えを請い、愛すべき女に守られて頼りになる親友と共に戦ったりなどしない。
そういう輩は、周囲にはいた気がする。
あまり興味も無いので振り向きもしなかったが恐らくはいたのだろう。だが、連中がそういう楽をしている間に、私は一人で全てを成した。
そう、全てだ。人は一人では生きられないと、そう思う馬鹿は多い。だが実際には「生きる事」を見出すことは一人でも出来るし、そういう都合の良い人材が周囲にいなければ、本来ならそれが当たり前のやり方だ。
父に導かれる奴がいるならその横で己の道筋を何とかして見出した。
母に教えを請う奴がいればその横でおぞましい連中を余所に己の答えを作り出した。
愛すべき誰かに支持されている奴がいる横では己だけで無理矢理肯定して押し通した。
信頼すべき誰かと背を連中が会わせて手抜きの人生を送っている間に、私は成し遂げ続けた。 無論、失敗や敗北ばかりだ。
殆どそれだけと言っても良い。
だが、事実だ。そういう楽な人生など私の未来には望めないからな。ただ一人で挑み、負け続け繰り返し失敗を重ね続ける。
有用な人材だと? いると思うか?
それがいないから問題なのだ。本来、仲間などいなくともそれに相応しい人材を雇えればそれで問題はない。だが、現代社会において有用な人材などいる訳があるまい。
建前だけで役に立たないゴミばかりだ。
実際、己の手腕で成り上がった奴など現代ではおるまい。ただ運に恵まれただけだと気付かず、それを己の実力と勘違いした馬鹿だけだ。
でなければ、成功の法則など語れまいよ。
そんなものこちらが知りたい。いや、成功には法則など無いのだ。あれこれ理論化するのは簡単だが、実際にその通りにはなるまい。
理屈通り進むなら苦労はしない。
それだけの事にさえ、気付かない。これでは、有用な人材など育ちようがないという噺だ。
全く、情けない。
少しは恥を学べ。
知れ、ではない。そこまで期待はすまい。まず恥という概念を学ぶのだ。そうすれば、自分達が如何に情けないかで涙が止まらないだろう。
これは、怪物連中とて同じだ。正直、良い勝負だとさえ言える。それくらいには大差が無い。
大体人間なんぞ食って旨いのか?
私なら御免だ。食べる物くらいは選べ。言っては何だが、食事は人格を表す事もある。人間など食っていては品性を疑われるぞ。
もう手遅れかもしれないがな。
何にしろ言えるのは「過程」ほど下らない些末な横道はないという事だ。他でもないこの「私」の存在そのものが、それを証明している。
し続けている。
過程なんぞ役には立たない。勝利の要因なんぞ何でも良い。現に薄っぺらい運に恵まれただけの豚こそが「人生の勝利者」を気取っている。
そしてその成功法則を買う。無論そんな内容に効果は無いが、ただの現実逃避に効果もあるまい・・・・・・・・・・・・読者が求めるのは麻薬だからな。
いや、この場合「麻酔」と言うべきか?
良い気分で誤魔化すのだからやはり麻薬の方が近い気はする。程良く金を注ぎ、効果が切れると必死に買い漁る辺りはそっくりそのままだ。
そのくせ、人が死のうと次の日には忘れる。 騒ぐだけ騒いで騒がない奴を異常者扱いし迷惑をかけるくせに、自分は忘れて思い出す事もないなどよくある噺だ。実際にそうだった。
迷惑極まりない。本当に面倒臭い。
そんな生けるゴミでも勝利を掴む姿が世界には溢れている。過程が如何に下らないかなど、今更本来は語るまでもない「前提」だ。
故に、そんなゴミは捨て置け。
あれこれ回り道をしてきたが、得られた物など作品の山だけだ。嬉しくもない。大体、売れない物語の山が後から売れたとして、それで私に喜べとでも言うのか? 冗談も休み休み言え。
実際に書いてからほざけ!
仕事が何かも分からない奴には、語り聞かせるだけ「無駄」だろうがな。知能がマントヒヒなら話すだけ無駄なのは確かだ。
恐らく連中に物語を書かせれば「己の在りたい物語」を書くに違いない。無論、私は全てが否定から入るので「己の殺したい物語」とでも言えばいいのか。とかく人間を、世界を、怪物を、何もかもを否定し敵対し、悪意で染め上げ殺しきる為に書いている。当たり前だろう?
恋愛があるならそれを兵器利用しろ。
友情があるならそれに殺意を加え込め。
努力があるならその無能性を解体しろ。
勝利とは要するに「何人殺したか」を賞賛する行いと知れ。何なら義務教育に盛り込むべきだ。そうだな・・・・・・努力には際限があり、また才能によって勝利を得た所で資本には勝てない、とな。 徒競走など無駄の極みだ。その前に毒を盛るか刺し殺すかした方が早い。子供には人殺しを率先して教えるべきだ。
実際、人間社会など「見えないやり方で如何に効率良く殺して奪うのか」を競い合う闘技場ではないか。今更隠し通せるとでも思うのか?
法など強者の詭弁だろうに。よくやる。
私は暇ではないので、付き合わされるのは御免なのだがな。年を取るだけで成長しない奴が多いのも、人間社会の汚点の一つだろう。
迷惑な話だ。忌々しい。
私に言われたらお終いだぞ。
言っては何だが強さも弱さも併せ持たず、文字通り「いない方がマシ」なこの「私」でさえも、こと「進む」という事に苦労した事は無い。
強さも弱さも、必要ないからだ。
それをしないのは単に楽な道に逃げているだけでしかない。弱さや環境を言い訳にして、正当化する事で逃げているだけに過ぎない。
弱者ではなく、単に卑小なのだ。
そういう連中を甘やかすというのだから、手に負えない噺だ。だが、この街がそういう甘ったれを許さない世界だと知るのは、すぐだった。
違和感自体は最初からあった。この街では全て機械で行動を点数計測され、「基準値に満たない人間」は排除される。だが、この街には「空いた人間による阻害」という物が感じられない。
むしろ、完璧以上に社会が回っている。
だが、満たない人材を排除するやり方で経済が回る事など有り得ない相談だ。なので予想してはいた。もし、この管理社会の中で満たない人間の穴を埋める物があるとすれば、それは。
ホテルの入り口のチャイムが鳴る。
無論、私に現地の友人などいない。そもそもが私に声をかける奴など大体敵だ。私に接触しようと考える奴等を皆殺しにしても、問題無い。
私は刀を構えてドアの前、からずれた横に立ち身構えた。
「どちら様で?」
「ああ、宅配です」
言って、銃器でも持っていたのかいきなり発砲し出した。ドアに風穴が空いたが、無論私に傷は無い。だがあえて撃たれたフリをした。
ドアの中に間抜け面で入ってきたそいつを容赦なく斬り殺す。法は問題ではない。これが法ならこの街の法とは相容れまい。
斜めに綺麗に切り落としてしまったが、頭脳体は無事だったらしく多少火花を出しながら表情を硬直させていた。今更だが、力を得れば殺せるという訳でも無いのだろう。こんな風に文字通りの「排除」を優先できる精神性だから「サムライ」などという役割を任されたのかもしれない。
実際、現代で出来る奴は、あまりおるまい。
率先して人間の首をはねて喜べるのは生物なら本来当たり前の事ではある。だが「教育」という名の洗脳が広まり「平和」を当人の自意識よりも尊い物だと押しつける事で、流れた血を見て失神する程度には「劣化」したのが現行人類の姿だ。 まあ理解は出来ても共感しないのが私なので、容赦なく顔の皮をはぎ取り、中を見る。予想通りというか、中身は機械のようだ。
恐らく「不要」と判断された人間と入れ替えているのだろう。分かり易いやり口だ。正直異常性には欠けるのでがっかりだが、この街の異常性がこの程度だけとも限らない。もしかすれば人間の選定だけでなく、発展に手を伸ばし新しい試みをしているかもしれない。
と、いうより確実にしている。
技術は系統樹だ。人間を選定するなら、人間の改良も当然含まれる。駄目な物は使えるように、そして更なる発展を望む。
基本だ。当たり前の前提に過ぎない。
子供が遊んでいるだけならともかく、その先を見据えるなら当然、必要な行いだろう。ここでは言わば「人間の品種改良」が行われているのだ。それが良い事かどうかはどうでもいいし、何なら資金を出してやっても良いくらいだが、この私の目に止まった事を恨むのだな。
まあ、死んでいるから聞こえないか。
と、思ったがどうやら通信機能があるらしく、動かない頭から返答があった。雑音混じりだが、私に彼? はこう詰問する。
「・・・・・・貴様は、何者か?」
「人に話を聞く時は先に名乗れと習わなかったのか? 何なら金を払ってくれてもいいが」
「ふん、それもそうさな。では、こう答えよう。
我こそはこの絢爛たる街の支配者である!
まあ支配と言っても我が行っているのは統治の部分であり、現地運営は任せているがな」
芝居がかったというか、大仰な話し方の癖に、どうにも軽い口調だった。その辺の街で出会った知り合いに話しかけられたみたいだ。
私の知り合いは大体「敵」だがな。
知り合える時点で敵とさえ言える。
なので遠慮なくこう質問した。
「それば有り難いな。もし私が貴様を殺しに来た殺し屋だと言えばどうするんだ?」
本来己の身を隠して後ろから殺すのが一番楽な方法ではあるが、この管理社会(それも、原因が何で殺されそうになったのかさえ不明だ)では、恐らく隠しきるのは不可能だと私は判断した。
こんな事は初めてだ。
いや、そうでなかったかもしれないが、覚えていない。過去に誰を殺したかなど、覚える価値はあるまい。誰であれそういうものだ。
どころか、踏みにじりを自覚さえしない。
その点、私は自覚的に踏みにじっているので、何の問題もあるまい。そして踏みにじった何かを思い出すなど、踏みにじる事に対する侮辱だとも言えなくもない。ならば多少、私が忘れっぽくて大虐殺さえ普通に忘れても、それはむしろ、誠実とさえ言える・・・・・・言えなくても別にやるがな。 生きるとは、そういう事だ。
「無論、誅罰を下すとも。我の精鋭達が既にそのビルを取り囲んでいる。逃げ場はないぞ」
「己の支配域を盗み見で監視し、気にくわない奴は全て皆殺しか。典型的な圧制者でつまらんな。もう少し、骨のある反応は見せれないのか?」
そもそも私の戦力を計りもしないで、兵隊達を出向かせるのもどうなのだろう。まあ向こうにもサムライがいるのかもしれないが、だとしても、街の基準に反しただけでここまでやるか?
「いや、貴様の事は前々から調べていてな。今回我の街に来たのを機と捉え、接触したのだ」
「私の事を、前から?」
何故だ。言っては何だが私に知名度など無いしあれば願い下げだ。売るのは物語であって私ではないからな。徹底的に情報漏れは防いでいる。
大体、何を動機に私を調べるのだ?
「以前、アンドロイド共が呼んでいた本を、借り受ける機会があってな。宇宙中を回りながらその思想をばらまいている奴がいると聞いて、興味が湧いたのだ。しかも、調べれば殺し屋のサムライとしても活動しているのだから、この街を統べる身としては思想家の類は捨て置けぬ」
成る程、つまり読者共が原因か。
煮ても焼いても役に立たない奴等だ。私に何か恨みでもあるのか?
あるかもしれないな。
となると、私は売れば売る程敵を量産しているのかもしれない。それはそれで胸躍る光景なのでまあ良しとしても、足を引っ張られるのは御免だ・・・・・・・・・・・・とはいえ、まだわからない。支配者であるこいつがどのような存在かもわからないのだから、結論を出すには早過ぎる。
「そうだ、故に今回問答の余地を残した。貴様は依頼を受けただけであろう? ならば金銭で解決する道もある」
それも、そうだ。つい先ほどまで忘れていたが今回の依頼人は「あの女」ではない。何だったか・・・・・・そう、アリストウォーテッドとかいう男が依頼人であって、失敗してもサムライ家業の評判が落ちるだけだ。
そして、所詮これは労働である。
作者取材という「仕事」の一環だから命懸けでやってはいるが、世界の行く末の為の殺しなんぞ私にはどうでもいいことだ。
いっそ一度滅ぼした方が清々する。
「なら、どうする? 話し合いでもするのか?」 冗談混じりに聞くだけ聞いてみた。
すると彼は即断でこう答える。
「確かにな。ならば我のところまで来るか?」
まさか即答でそんな噺をされるとは流石の私も思わなかったので、少しだけ驚いた。とはいえ、これも想像の枠内の噺ではある。
己の命が惜しくない訳ではない。
この男? は絶対の自信があり、自負がある。故に己の支配領域で負ける事など想像しないし、仮に負ければ素直に受け入れるのだ。
器が大きいというか、単に開けっぴろげというか、変わった奴だ。何にしろ、作者取材は大歓迎なので私は喜び勇んで同意した。
そんな理由で敵地に出向くのもどうかと思ったが、そんな理由で命を賭けてしまうのもやはり、邪道作家たる「私」の宿業らしかった。
6
私は物語の主人公、ではない。
当たり前だが、ただ労働で良いように使われているに過ぎない。少なくとも殺し屋家業が上手く行こうが行くまいが、どうでもいい些末事だ。
とはいえ、この結果は予想外ではあった。
こうも速やかに噺が進む事は珍しい。しかし、それは望ましい事ではないのだ。過程が楽であるに越した事は無いが、それも状況による。
特に、殺しに来た時は気を付けろ。
むしろ、今回の依頼は最悪の、いや、面倒臭い展開になるかもしれない。たかが殺人の一つ二つ行うのに、どうしてこう疲れねばならないのか。 仕事はしないくせに、道徳には五月蠅い。
最近の奴等はこれだから信用出来ない。任せるには頼りないと言える。少なくとも、たかが殺人の一つ二つで騒ぎ立てるなど「異常」だ。
それなら先に、賃金でも上げればいい。
経済が回れば無駄な例外は減るものだ。それをせずに高見から搾取を許しながら、ただただ道徳らしきモノを垂れるのは、傲慢を通り越して気色悪い・・・・・・少しは自覚すればどうなのか。第一、会社の所有者というだけで資産を独占するなど、考える頭があれば異常だと気付くだろうに。
その程度の知能さえ、無いのだ。
暴動を起こしてでも、多少、かなり、数多くの命を散らしてでも殺さねばなるまい。何も行動を起こさずに、法の枠内であれこれ道理を垂れるという行為は、ただの「逃げ」だ。
無論、違法行為に頼り切る必要もない。私など合法的に事を進めているではないか。まあまるで進展が無いから、こうして徒労を積み重ねているのだが、しないよりはマシだ。そして、しないでいる奴等に偉そうに語られる筋合いは無い。
現実に筋合いなど、無力だがな。
何であれ、力があればそれが「全て」だ。
運不運も同じだろう。過程において何を考えたかは問題ではない。問題なのは現実に押し通せるか否か、ただそれだけだ。
それが圧制でも、勝利が全てだ。
第一、誰が天秤を計るというのか。仮に神仏が計るとすればお笑い草だろう。何せ、要するに、それら暴力よりも上の暴力というだけだ。
恵まれた力で圧制者を気取るか、神仏を気取るかに差異は無い。仕事がなければ尚更な。故に、過程における何かなど、何の役にも立たない。
それが事実だ。
勝敗以前の問題だ。無ければ、挑む事すらままならない。それは私が保証しよう。まるで闘技場の外から入場料を稼ぐ奴隷の気分だ。
殺し合いにさえ、参加する権利が無い。
嫌な噺だ。思うに、持たざる観点から得られるモノなど、何一つとして有りはしない。
他でもない「私」が言うのだ間違いない!
精々が「性格の悪さ」と「口先」程度だろう。それが何の役に立つというのか・・・・・・人間は対話などしないし、悪意とは敗者の目線でもある。
恵まれた存在は悪意など持たない。持つ必要が無いし、何をしようと「善意」という体で強要し押しつけられる。悪意を自覚する必要が無いのだ・・・・・・現実を見ないで生きられる異常こそ、人間社会における「道徳」の「正体」だ。
本当に気持ち悪い。他にやることはないのか? 神仏じゃあるまいし、少しは働け!
仕事の無い存在に、生きる価値など無い。悟りだの全能だの言っている暇が在るなら仕事をしろという事だ。お布施で生活して満足か?
ならば死ね。目障り極まりない。
何なら私が介錯してやるぞ。無論、有料だが。 しかし、アレだな・・・・・・どうしてこう、私には「利点」が無いのだろう? これだけ無駄に徒労の多い道程を歩いているというのに、得られた物が何も無い。無さ過ぎる。むしろ進む前より悪化しているのではないだろうか?
だとすれば、我ながら洒落にもならない噺だ。前に進んだところで、得る物が無ければ本末転倒でしかない。ともすると「最悪」たらんとする事即ち「悪の頂点」であるという事は、この世界で最も「割に合わない道」を歩くからこその呼び名だと思うと、非常に嫌な噺だ。
私も楽をしたかったのだがな。
苦しいだけだ。楽しみなど、共感出来ない。 その機能は、私には無かった。
そのおかげで無駄な事に振り回されせっかくの勝利を浪費する馬鹿共よりはマシかもしれないが・・・・・・だからって報酬の未払いなど御免被る。
心など不要だ。だが金の未払いは許さん。
とはいえ、回収する暴力が無ければそれすらも無為な行いかもしれない。己の行いが無為な無駄ではないのかと疑うなど一度二度どころか常日頃からある呼吸のような日常だが、とはいえ儲けがないまま、というのはやはり嫌だ。
根拠が無くとも進む。
それに痛みなど感じない。
敵だけならば打破する。
それも障害でさえあるまい。
世界に見捨てられ死に絶える。
いつもの事だ。今更考える必要すら無い。
だが、金にならないままというのはどうもな。正直それに比べればそれら些末事など、私は虫歯にならないかの方が気になるくらいだ。
連中とは価値観が違うのだろう。
そういう扱いを受けると、人間に限らず怪物でさえ苦しむらしい。ジャックが日頃から言うのはその辺りだろう。実際、私にはそういう悩みだの苦しみだのが、概念としてさえ存在しない。
ある意味本当に、金で解決出来るのだ。
金で解決、してしまう。
それは生物類からすれば「良くない事」らしい・・・・・・私に善悪を説くなど愚かにも程があるが、しかし悩めと言われても無理な相談なのだ。
私には、理解は出来ても共感が出来ない。
本来、それらが悩むべき事柄だという事自体は「理解」はしている。誰かに支持されたり何かに認められたりする事で、己を慈しむ。だが、別にそうでないただの人間とて、多くいたものだ。
幕末とか特にな。
それが生物の有り様からは外れていると、そう責められたところで私にはそれが「常識」なのだから、今更否定する方が履き違えている。
何故理解、いや共感を求める?
心を通じ合わせなければ生きられないなど甘えではないか。それが人間性だと言うなら人間性の全てを捨て去ってでも、前に進む必要がある。
そしてその「必要」だけでは動かない。
だが、許せないのはそれだけ必要を選ばずに、その一方で恵まれているからこその恩恵を享受しただ「甘ったれて」いるだけの部分だ。私は個人に対して憎悪など抱かないが、こちらが仕事の為あくせく動いているのに邪魔ばかりが入り、その一方で恵まれただけの豚が鳴き声で文句ばかりをあげつつ、何もしていないくせにこちらより多くの権利を主張する。
鬱陶しい事この上ない。
しかもその上、ありきたりな物語と違って利益を得るのは私ではなく、連中の方と来た。そして私の徒労は無為に終わり、ただただ蓄積する。
始める前より後退する。
少なくとも。実利の面では。
私の労力を見届ける奴など存在しない。故に、私は成果を形とし、力で示さなければならない。でなければ、これらの労力は無為に消える。
文字通り、最初から最後まで「無駄」だ。
あの世にデータを持っていけないなら、尚の事だろう。これでは道化の方がマシだ。間違いなくあの世には私の作品を評価出来る奴はいない。
いるならさっさと手伝えという噺だ。
否定されるのは構わないが、無駄なまま終わるというのでは割に合わない。まして生活の向上に関わる事も無いなら、何もしないのと変わらない・・・・・・・・・・・・汚ならしい綺麗事は沢山だ。実際に挑む者からすれば、それほど醜い顛末は無い。
ましてその過程に尊さを求められれば、醜悪を通り越して大罪だ。強姦魔の方がマシだろう。
その程度なのだ、綺麗事などというのは。
費やした所で、報いる報酬など求めるな。
最初から「無い物」と考え、作り出す為に戦うのだ。そうやって挑んで来た私の横で、貴様等のような屑共が「したり顔」で実利を貪る。
世は、どこまでふやけてしまったのか。
情けない。見るべき価値などどこにもない。
少なくとも、そこまでして進もうとする奴など今の時代には絶滅した。他でもない「私」が言うのだ間違いない。いればとうに雇っている。
臆病者の卑怯者ばかりだ。忌々しい。
出来る事を右から左へやり、出来なくとも努力したからと言い訳する。成果を出さずとも過程に力を入れたとほざき、金だけは押収する。
しなければ喚く。ガキのように。
いいやガキの方がマシだ。理屈は通じるからな・・・・・・対話もしない人類など猿以下だ。どころか猿の方が考える頭はあるだろう。
愚痴になったが、それも事実だ。
まあ愚痴の一つもこぼさない、つまらない人生を「順風満帆」に送る屑よりマシだろう。比べる事で善し悪しを計るのではなく、単にそのような在り方には価値が無い。何せ何もかもが順調だということは、何一つ理不尽に挑んではおるまい。 そんなのは作業と同じだ。
下らない。これだから持つ側は。
そんな連中が優遇される世界の異常さに、未だ人類は気付かない。気付いていれば私じゃないが人間の全てを否定している筈だ。
まして、人間性の美しさを語るなど有り得ない・・・・・・都合の良い物語に囚われる事もあるまい。 並ぶ本を見れば、人類の汚点など一目瞭然だ。 恥を知れ、馬鹿共が。
ふん、まあ「現実を直視する」事が「良い事」だとは私も思っていない。少なくとも私のように「現実以外を認めない」のはやりすぎだ。
自分で言うのも何だが、全知全能より質が悪いと言えるだろう。不可能など何も無い奴はロクな事をしないか何も成さないかのどちらかだが完全なる「無能」による弊害は更に悪性が高い。
何せ、現実以外見ないのだ。
直視し続け、希望も見ない。
そして希望も無いくせに根拠が無くとも進む、というのだからまさしく「最悪」だ。自分で言うのも本当に何だが、これも「事実」だろう。
例えば、裏切り。
例えば、理不尽。
そういう本来悲しむべき、憤るべき事柄に対してさえ、私は何も思えない。思わないのではなく「思えない」だけだ。実際、そうだろう。
そんなのは、良くある噺だ。
それに、私には私を擁護する存在などいない。故にそのような「暇」が無いのも理由の一つだ。人間のように横道する余裕は無いし、怪物みたいに嘆けるだけの豊かさは無い。
その間にも、隕石が降ってくる始末だ。ならばそのような暇など、無い。無論それは生物らしい在り方ではないが、元より私は非人間だ。
それを嘆く機能も、やはり無い。
私を擁護する存在がいたとしても、結末は同じかもしれないし、いずれにせよ「もしも」の結末など些末に過ぎる。問題は、そう、金だ。
何とかせねば・・・・・・それとも、私が殺人を厭うような下らない人種だったらその嘆き苦しみ苦悩の数々という「現実逃避」を書いて世論の同意を得る事で大儲け、するのだろうか? だとすれば嘆かわしい噺だ。
どうせなら殺人を肯定する本を読め!
大体、死んで困る人間など何人いる? 今の世にいるなどとは言わせんぞ。誰も彼もが同着一意を目指す下らない価値観ばかりで吐き気がする。 下剤でも盛ればいいのだ。それで勝てる。
相手の家を火事にして、教師の醜聞を餌に奴隷とする方法を教えればいい。私は知識面に関して言えばさっぱりだがそういう教育なら自信がある・・・・・・・・・・・・立派な大悪党にしてみせよう。
人類皆殺人鬼。それが「基本」だ。
そういう意味では怪物連中は味気ない。言っては何だが人間を食い物にする程度では、それこそ人間でも良いという事ではないか。
その程度、人間でもやっているぞ。
情けない。己の個性はないのか?
やるならもっと面白くしろ!
そうだな・・・・・・物語で世界を覆す試みは見ての通り効率が悪い。いや悪いどころではない。ほぼ不可能だと言い換えて良いだろう。
だが、だからこそ、やるのだ。
超常の力で人間を圧倒するのはただの当たり前でしかない。当たり前の行いに「悪」も「善」も有りはしない。ただの日常だ。
それでは意味があるまい。
世界の悪の頂点に立つとは、見ての通り世界一効率が悪く、不可能に等しく、馬鹿らしい方法で挑むからこその「最悪」なのだ。
私も今、初めて知った。
道理で上手く行かない筈だ・・・・・・いや、効率はむしろ、軌道に乗りさえすればいい。軌道に乗るまでが難関だが、一度広まりさえすれば文字通り「無限に」その悪意を伝播出来る。
問題なのは、その伝播と同じくらい移り変わりが激しい業界という部分だが、それは散々知って来たので今更だろう。何とかするしかない。
他に道筋など無いしな。嫌な噺だ。
私も楽がしたかった。
別に悪の頂点に立つ必要など個人的には無い気がしないでもない。そもそも立ったから何なのだ・・・・・・・・・・・・少なくとも、実利にはならない。
嫌な貧乏くじだ、まったく。
そこまで現実を直視したところでとどのつまり運の風向き次第なのだからやってられない噺でもある。そのような生き方に、利益など無い。
悪とは、率先して「損な生き方」を選ぶ事だ。 とはいえ、限度がある。限度の無い悪意を持つ私でさえ思うのだから間違いない。少なくとも、最悪でありつつ儲けなければ噺にならない。
やるしかない。正直疲れるが、道はない。
悟りを開いたみたいに善行を語ったり、上からあれこれと道徳を垂れる屑共のしたり顔は、いい加減見飽きたからな。連中は必ず泣かす。
死なせて下さいと懇願しても尚やる。
それが「私」だ。相手が神仏でも容赦はない。むしろ、必要以上に叩き伏せてみせよう。無論、私にはさしたる力は無いので口先でだがな。
まあ、口先など無視すればそれで終わりだがな・・・・・・実際、そういう意見を認めないからこそ、悟りだの生前の罪科だのを語るのだ。悪の全てを見てもいないから、何かを否定する時点で悪だと気付かないし、気付きたくもない。
高尚さの裏側など、そんなものだ。
そんな中で、生きるしかない。
それ自体は私でも出来る事だが、問題は金だ。汚ならしい綺麗事を述べて金儲け出来る程恵まれているなら、こうも苦労はしていない。
実に面倒臭い。これだから悪人は損だ。
真面目に世界を覆す方法を練っているのに邪魔ばかり入る。少しは自重したらどうなのか。恥を知れ恥を。開き直りも立派な悪行だぞ。
私か? 私は良いのだ。その分どれだけ無駄な徒労を費やしたと思っている。文句があるなら、この私を上回る徒労を経験してみるのだな。
まあ、それを勝利と呼べるのかは疑問だが。
実利を得たいだけなら今回の標的のように力が有りさえすれば良いのだろう。しかしそういう奴に限って「実感」などという物を求めたりする。 生きている実感が欲しい、などと。
私はそんな暇人特有の感性など求めた事は無いのだが、少なくとも今回の件、その標的は同じ、いやある意味で私と似通った奴らしい。
少し話しただけだが、すぐ理解した。
恐らく、通常の人間が生きる感性と相容れない在り方なのだ。この街の仕組みからしても、実にそれは分かり易いではないか。
何せ、他者を数値でしか計れないのがこの街だ・・・・・・計測され裁定される人間達。裏を返せば、この街の支配者は「人間」に共感していない。
何かを「計る」とは「不理解」から来るものだ・・・・・・管理、運営しようと考える時点で、それは本末転倒というか、根本を無視した行為であり、「己が何とかしなければ」という思想そのものがそもそも相手を見てすらいない。
それで何が成せる訳もあるまい。
私か? 無論、生活の為である。さして人間の未来に興味があるかと言えば、あるのはゲームや漫画の未来であって「人間そのもの」ではない。 誰より人間を理解するからこそ、興味など無い・・・・・・実際、理解した相手をこれ以上知ろうとは思うまい。何より、肝要なのは「仕事」であり、人間を否定するのが私の仕事だ。人間、つまりは読者の為に使命で動くなどあってたまるか!
何が悲しくて、読者の為に私がこれ以上働かなければならないのだ。新手の拷問か何かか?
ふざけるな。寝言は余所で言え。
要するに今回の標的は「人間を学習しなかった私自身の可能性」とも言える。これはこれで中々面白い可能性だ。人間と相容れない、いや人間と共感出来ないが故に、殺しても分からないとは。 簡単に言えば、社会維持の為に一部を殺すのもこの一環だと言える。数でしか人間を考えないのだから、少数の意志など尊重出来る訳が無いし、何より理解しようと試みさえしないのであれば、「少数に意志がある」事すら不明瞭のままだ。 人の痛みが分からない、というやつか。
例えば私は「心の痛み」というのは共感出来ず永久に実感する事は無いだろう。何せ無いのだ。無い物は失いようが無いし、傷つきもしない。 だが、私は心の有り様を解体し、具体的にどの程度痛むのかすら理解している。恋も愛も友情も仲間意識も生物としての一体感さえ、私は経験をした事さえ一度も無い。だが理解さえすれば実感など無くとも再現する事は「可能」だ。
やろうと思うかは別だろうが、私はやった。
実際、生活面で齟齬があると、不便だからな。そんな理由で人間が追い求める? 物を解明してしまうのも「私」だと言える。
まあ必要だったからな。それだけだ。
それらを知った上で踏みにじる事も厭わないと言うのだから、我ながら最悪だな・・・・・・とはいえ知ると知ろうともしないでは大きな差だ。
私は自覚的に踏みにじる。心の有り様を共感もせずに、しかして完全に理解し解体し、その上でその心の有り様を真っ向から否定する。
ふん、自分で言うのも何だが、怪物連中よりも社会の害悪という気がしないでもない。
まあそれはそれとして、作品に活かそう。
状況を考えれば被害者だと言えなくもないので何なら裁判費用及び賠償金を頂きたいくらいだ。誰に請求すればいいのか謎なのが惜しいが、請求そのものはしても損にはなるまい。社会的信用を失うという声も聞こえるが、あると思うのか?
大体何だ、社会的信用って。
社会など存在しない概念であり、妄想の類だ。社会という大義名分で権力者が美味しい汁を啜る為の口実に過ぎないただの「虚構」だ。
そんなものは存在しない。ただ人があるだけだ・・・・・・人と呼べる程に上等な生き物が、現代にも生き残っていれば、の噺ではあるがな。
噺が逸れたが、そういう在り方を選んだ私とは違って、今回の標的にはその実感さえ無いのだ。人間を踏みにじっているつもりなど微塵も無く、ただ「人間の為に」動いている。それが、人間にとっては頼んでもいない虐殺だろうとだ。
正義の味方じゃあるまいし、面倒な奴等だ。
別に人間に限らない。それが卵で繁殖する奴等が住まう惑星だったとしても、それはそれとして彼等の生態は理解せねばなるまい。実際、私からすれば人間も怪物も等しく同じ、エイリアンだというのが素直な感想だ。
何だ、心って。
そんなものでよく悩めるな!
裏切りだの肯定されないだの、よくわからない・・・・・・いや理解は出来る。だが理解しても共感はしない。そういう発想は認めるが、それだけだ。 私にはそんな「暇」は無いからな。
羨ましい噺だ、暇そうで。楽な人生を送れる、という一点に関して言えば、連中はその在り方を恥じるべきだろう。今回の標的もそうだ。
私でさえ理解はしているんだぞ!
この「私」でさえ「理解」は行っている。恥を知れ恥を。とかく優秀に生まれて、楽ばかりしているからそうなるのだ。私を見習え。
楽など、一度として出来た試しがない。
毎回頼んでもない苦難が降ってくる。望まない敵対者ばかり増え、何より金は未払いだ。
割に合うかこんなもの。
馬鹿馬鹿しくてやってられんぞ!
いい加減、金を払えという噺だ。
大体「生きる実感」など探す暇があるなら仕事をしろ仕事を。私はそんな暇の為に戦った事など一度も無い。あくまでも、仕事だ。
成し遂げるべきを、成し遂げる。
己で定めた己の法だ。故に人間の法など知らぬ・・・・・・・・・・・・そんなものは言い訳に過ぎん。
死に際に、連中が何かしてくれるのか?
しない。ただ偉そうにほざいているだけでしかない。何の責任を取ってくれる訳でもなく、何を手伝ってくれる訳でもあるまい。
そんな些末事はどうでもいい。
問題なのは、そう、金だ。何せ仕事だからな。それらしい世界の虚構など知ったことか! 第一人間どころか生命だと考えた事すらない「私」が目的以外の些事に構う訳があるまい。
強いて言えば、仕事だけが人生だ
邪道作家こそが私であり、私である以上は他の在り方など有りはしない。何としても、やる。
物語による悪意を刻み付け、
読者の人間性を破壊する。
そして、物語による世界征服の達成だ。なればこそやりがいがあると言うもの、実感など求めるよりも、余程有意義な在り方だと言えよう。
無論、反対意見なぞどうでもいいがな。
それで私が結論を翻すとでも?
実行実行実行だ。それが生命の幸福から外れているとか、道徳面で照らし合わせると反社会的であるだとか、そういうのは後で考えればいい。
別に興味も無いしな。
結果世界大戦が起こったとしても、悔いるべきは漫画やゲームといった物語を楽しめる余地を、つまりは私が楽しめる文化ごと破壊してしまった事にであって、破壊そのものはどうでもいい事だ・・・・・・問題なのは私の生活だからな。人間など、そもそも幾らでもいるではないか。
作家でもなければ、替えは幾らでもいる。
そして現代で私を唸らせる作家などおるまい。ならば何人死のうが問題ない。少数の犠牲で大勢を救うなどと言うよりは、大勢を犠牲にした上で己の実利だけは取れば良いという考えだ。無論、無駄に被害を増やすのは良い手ではない。
後処理をする力など、私には無いからな。
要するに言いたいのは、そこまでやらかしても後悔など微塵も無いという事だ。他でもないこの私が言うのだから、間違いない。
その行動の果てに、後悔など必要ない。
だが、今回の標的は恐らく「後悔」をする上、それを「罪悪」に感じるのだろう。だからこそ、この私が尻拭いの為に殺してやる訳だ。
おお、何と慈悲深いのだ私は。
これが人間の言う「隣人を愛する」という事と思えなくもない。わざわざ同類のくせに手抜きで楽ばかりした阿呆の首をはねてやるのだからな。 幾ら感謝されても足りないくらいだ。
面倒臭い事この上ない気もするが、作品のネタにはなったし良しとしよう。仕事に妥協など存在しないが、労働は所詮作業に過ぎない。
雑事に真剣になるべきではない。
為政者が一人消えて混乱が起こるかもしれないが、別に構うまい。為政者が消えただけで生きる方針も見失う奴に問題がある。言っておくが弱さ故に、ではない。単に卑小なだけだ。強さも弱さも併せ持たない、私ですら出来るのだからな!
そのような弁明、聞く耳持たぬわ。
精々苦しんで死ね。楽した罰だ馬鹿め。
何なら連中相手に商売するのもありだ。例えば暴動による治安の不安定さにつけ込み、生活用品を売り捌くというのはどうだろう?
仕入れが問題だな・・・・・・あとは税金か。
そういう人脈があれば正直やりたいが、今回は縁が無かったと思っておこう。
やれやれ、参る噺だ。もう少し、楽が出来ても良いと思うのだが、我ながら上手く行かない。
無駄に波瀾万丈で、毎度ながら疲れる。
薄っぺらい勝利というのも、一度体験してネタにしてみたくはあるのだ。実際、流行に乗った、或いは偶然やり始めた商売が受けたという幸運に恵まれただけの奴こそ、勝利者として君臨する。 独占による利益で、左団扇という訳だ。
そんなものを仰がれてるだけで満足出来る精神も羨ましいが、事実として「間が良かった」だけでしかない成功者というのは非常に多い。
それを己の力と勘違いする奴もだ。
大抵の場合波に乗りきり胡座を掻き続ける生活を送るか、波が終わって没落する。やはり私には縁の無い噺なのだろう。あるとは思えん。
あればあるで、利用するだけだがな。
何なら以前から言っているように、誰かを私の代わりに立てて、表舞台で活躍させ邪道作家だという体で売りに出したいくらいだ。歌と踊りさえあれば、当人かなど誰も気にすまい。気にしたとしても、やはり売り上げには関係無いしな。
大体、気にするならとうに売れている筈だ。
読者の誰も気にしなかったからこそ、私が徒労ばかり踏む羽目になっている。今更本質を求めるなどと言われても、冗談にしか聞こえまい。
そして笑えない冗談は御免だ。余所でやれ。
何なら代替わり制度というのはどうだ。若い女でも適当に繰り返させて、最終的に私の物語さえ売れればそれでいい。資金的に無理な気がするが検討するだけならタダだ。そういう方法もある、とだけ胸に秘めておこう。
活用されるかは謎だが、構うまい。
元より、策とは多くあって困らないものだ。
だが、結局私は世界を食い物にはしなかった。
人様の不幸に付け込んで儲けるのが嫌、な訳が無い。第一、不幸に付け込まないで大儲けする奴などおるまい。金持ちは不幸の上に成り立つ。
世界規模での恐慌、不幸に付け込んで「売り」の注文を出せば誰でも儲けられる。理論上絶対に儲からない筈が無い。
それでも私は別だ。絶対に失敗する。
天があるとして、それは間違いなく私を毛嫌いしているのは確かだ。その証拠とでも言いたいのか、普段夢など見たくても見ないくせにそれらの金儲けを検討しているのではないかと疑ったのか当然、為替に失敗する夢を見せられた。
寝ている間に当人の望まない悪夢を無理矢理、見せられるなど世界でも私くらいだろう。とかく私は「失敗」する。させられる。
嫌な噺だ。物語も売れないくせに。
道理だの倫理だのだけは押しつける。
余程連中は無能を晒したくない、いや認めたくないらしい。人様に倫理観を押しつけていれば、それで「やるべき事はやった」と思い込んでいるのだろう。働かない主婦と同じだ。
屑共が。忌々しい限りだ。
何の役にも立たず、偉そうに。
過程における信念が大事だとでも言いたいのだろうか? 明言してやろう。そんな物はゴミだ。実体験として何を貫こうが無駄だと知っている。 何を貫くかは問題ではない。
現に、連中自身(そんな奴等がいれば、だが)が率先して己の利益の為に、謳っている綺麗事とは真逆の屑共の尻に乗るのが世の常だ。
自分が見えていないのかもしれない。
だから私にこのような劣悪極まる環境を、強要した挙げ句「良い事をした」とでも思い込めるのだろう。どうしようもない屑だと言える。
そして真摯に金儲けに挑めば逆ギレだ。
子供が飯事で遊ぶ際、人形を使い捨てる。
それと「同じ」だ。天があるとして、連中には綺麗事を押しつける為の小道具に過ぎない。現に私は押しつけられてきたし、それだけだ。
その間、私は書き続けてきた。
だが、それが報われた事など無い。むしろ率先して理不尽な災難に悩まされてきた。良い事など何も無かった上に、邪魔だけはあった。
過程が尊い、などとよく言えたものだ。
所詮、暴力による押しつけに過ぎない。いや、善行だと勘違いしている分、遙かに質が悪い事を自認すらしていない。
そんな夢を強要する暇があるなら、本を売れ。 私を何だと思っているのだ。まあ、都合の良いゴミ箱程度の扱いしか受けた事は無いので、連中からすれば妥当なのかもしれない。
嫌な噺だ。
こんな事を日が昇るより早く書くような毎日を送っていようと、同じだ。過程など何の役に立つ事は無く、全てが無為である。
肝心なのは、他者を食い物にすることであり、幸運に恵まれる要領の良さだ。現に、それを実行出来ないよう封じ込められている私はこの様ではないか・・・・・・・・・・・・仕事の報酬一つ望めないのが尊い過程とでもほざくつもりか?
ふざけるな、金を払え。
今更語り聞かせても無駄だろうがな。無駄な奴には何を言っても無駄だ。でなければこのような鬱陶しい悪夢を無理矢理見せるものか。
いいか、覚えておけ。天があるとすれば、所詮その程度の屑共だ。考えてやる価値すら無い。
人の足を引っ張るしか能が無いのだからな!
そのような蒙昧に、期待などするだけ無駄だ。 情けない屑が肥えた姿で涎を垂らし、綺麗事をほざくだけで金が貰えるというのだから、天などあるとすれば無職の集団に過ぎまい。
私の物語すら売れないのが良い証拠だ。
そのくせ、こういう手だけは出してくるというのだから、手に負えない餓鬼共だ。長生きすれば悟りが開ける訳でもないらしい。
だったら引きこもっていれば良いものを。迷惑な奴等だ。それで何か成し遂げたつもりか?
羨ましい噺だ、暇そうで。
仮に全知全能の存在があるならば、文字通りに完全以上の無能、利点の欠片も無く物語なんぞで儲けようとしている私に対して無礼であろう。
分を弁えろという噺だ、まったく。
仮にそんな奴がいたら、そうだな・・・・・・女なら唇を奪い、男なら完膚無きまでに口先で否定してやるとしよう。心を折るのは得意だしな。
全能など、無能の下僕になる為にある。
そういう事にしておこう。でなければ釣り合いが取れぬというものだ。実際釣り合いが取れないからこそ、こんな目に遭っている。
仮にそんな奴がいたならば、私に対してだけはでかい口を利く権利は無い。当たり前だ、連中が優れた能力で「楽」をしている間、私がどれだけ書いたと思っている? 正直自分でも何故書いているのか不明瞭になりそうなくらいだ。
楽が出来れば、それでいいのだがな。
その逆である神仏だのの逸話では、とかく試練を与えたがるというのだから「持たざる存在ほど深く知り、持つ存在ほど己を知らぬ」が故にこそ「試練」という「理不尽」を「美化」したがるのかもしれない。
悪い事をしている自覚すらないのだ。
今回の件の標的も、恐らくは同じだろう。己が傍迷惑だと自覚するどころか、世のため人のために動いているのだろう。
善良さの刃とは、そういうものだ。
忌々しい噺だ、まったく。
とはいえ今回の件を失敗したところで、私には何の損もない他人事ではある。弾圧された民草の為とかはあるのだろうが、私には関係あるまい。 困るのは私ではなく、依頼人だ。
これは仕事ではなく労働に過ぎない。ならば、どれだけそいつ等が困ろうがどうでもいい噺だ。だから今回は標的を殺すより「取材」に専念する事にした。
物語の主人公であれば失格だが、私は語り手であって、別段始末屋を仕事にしている訳でもない・・・・・・それこそ「過程」であり関係ないのだ。
殺す殺さないは依頼人の都合だからな。
強いて言えば今後に差し支えるかもしれないがそれだけだ。大体、人を殺したがる奴など雑草の数より多いのだから、依頼のアテは無限にある。 些末な噺だ。少なくとも、私にとっては。
最終的に作品のネタを手に入れ、物語が売れて私が儲かればそれでいい。星の一つ二つ、文明の百二百知ったことか。私に何の関係がある?
少なくとも、私の味方ではあるまい。
間違いなく「敵」だ。そこに文明があれば敵であり、そこに集団性があれば敵である。社会性を謳うのであれば私が倒すべき善良そのものだ。
善性など、ロクなものではないからな!
あるだけで忌々しい。処理しなければ不快だ。であれば私に罪悪感など一切無く、まして個人を一人二人殺したから何になる。
それで地獄行きなら誰もが地獄行きだ。
直接的に殺さなければいいなどと言うのなら、尚更人を裁く資格などあるまい。ただ暴力で弾圧しているだけなのだから、同類より劣悪だ。
無論、私とて人殺しを楽しむ程「暇」ではない・・・・・・殺しを楽しむとはとどのつまり、殺しとは何なのかを理解していないだけだ。
端的に言えば、おつむが足りない。
疲れるだけだ。生き死にの結果死体が増えるのであって、その過程の意志などゴミでしかない。崇高な意志を語りながら殺す十字軍と同じだ。
その上で己を正当化するな、迷惑だ。
私か? 私は正当化した覚えはない。ただ単に他の意見など気にしないだけだ。ましてこれから殺すというのに「正しい殺し」など語れるか。
強いて言えば、依頼を受けてから殺せ。
それだけだ。生きるとは、まあそういうものだ・・・・・・ただ「結果」だけがそこにある。
過程を美化するなど言い訳に過ぎない。
後から語り出す奴等こそ醜悪極まる。それらを経験した訳でもないくせに、よくやる。
天があるとして、要するに屑の集団だ。
忘れるな、天にいる時点で罪深い。大体ロクに苦労も知らず高い場所で見下ろすだけの奴等が、実際に動いている相手に語る資格など無い。
それこそ仕事をしろ仕事を。私ならやるぞ。
古今東西どこに生まれても、結局は物語の力で大儲けを企むだろう。それはそれでどうかと思わなくもないが、今更だ。変えようがあるまい。
正直嫌になるが、やるしかない。
嫌な噺だ。面倒臭い。
少しは楽をしたいものだ
私は未だ「生きた」事は一度も無い。行使する権利は最初から無く、私の場合「生きている」という体でこなすだけだ。どのような全能の力を手に入れようとも、そこだけは変わるまい。生きていない者には死など無い。
不老不死など元より存在しない概念だが、仮にそうなったとしても変わらないだろう。私の場合不老不死ではなくただの「漂流者」だがな。
いずれにせよ水が上に落ちる事は、無い。私はただただやるべき事をやるだけだ。とはいえ私も無駄に徒労を繰り返したい訳ではない。
今回の依頼にしても、そうだ。
達成したから何の意味があるというのか。標的を殺して喜ぶのは依頼人であって、今回の顛末も私には何の関係もない。
作者取材ではあるが、それも、売れてもいないというのに何の意義があろうか・・・・・・・・・・・・事実空しいだけだ。
志していれば「いつかは」辿り着くというのはただの妄言に過ぎない。実際にこなしている私が言うのだ間違いない。
それでは何も成し得まい。
やる気がないだけだからな。
当たり前だが、「過程における意志」なんぞはとどのつまり「どうでもいい」のだ。成功者共を見れば誰でも分かる。
下らない思いつきが幸運にも成功した。
あれこれ努力していたから報われた。
仲間に助けられて成し遂げる事が出来た。
そんな、物語に書けば一行で終わるような内容しかなくとも、彼等は勝利し栄光を掴む。それが己の力と勘違いする奴は多いが、些細な問題だ。 少なくとも、「実利」には関係があるまい。
大体多少崇高そうな目的があり、努力したから何だというのか。そうであれば必ず報われるのだという「現実逃避」の為の慰めでしかない。
その方が楽だからな。
報われない可能性を直視しながら戦いを止めず進み続けるなど、私が言うのも何だが常軌を逸しているとしか言いようがあるまい。そんなものに意味はなく、意義は発生せず、価値も示せない。 それでも、やる。
やらねばならぬからやる。
実際やる身としては、嬉しくもない。誰が好き好んでそのような徒労を選ぶ? 選ぶ余地の無い抜き差しならない状態だからしただけだ。その癖報酬など当然のように存在せず、むしろ払わない事に対して逆ギレされる始末だ。
神も仏も、あったものではあるまい。
ある状態でこれなら率先して殺す必要すらあるだろう。実際、それならくたばった方がマシだ。タダ働きほど馬鹿馬鹿しい行いも無いからな。
私が言うんだ間違いない
過程など、ゴミに等しい。いや再利用出来る点を鑑みれば、ゴミの方が上等だろう。少なくとも仮に、この過程が売れたとしても、関係はない。 だとしても、この徒労が報われる訳ではない。 そんなのは宝くじと同じだ。何の意味も価値もないし、何よりそれならそれだけの徒労を行っている間にするべきであって、ただの手遅れに過ぎない・・・・・・今まで頑張った甲斐があったんだよと言えるのは、単に「真剣」にやった事が無い奴に特有の発想だ。
後から成せば良い訳ではない。
第一、その屁理屈に沿って考えると、そもそも一冊目を書いた際に売れて、刺激を受けながらも書き続ければいい。
売れない時期でなければ書けなかった、などという言い訳は通用しない。ならば売り上げ不振にでもすればいいだけだ。売れない必要はないし、その屁理屈で行くと永遠に売れないではないか。第一、売れる売れないで内容が変わったとしても根底にある観念が変わる訳でもあるまい。
違うとしても、だから何だ。
いずれにせよ未払いであるのは変わるまい。
そのような屁理屈は、とどのつまり自分達には不利益が高じないから出る台詞であって、実際にやる側からすればただの子供の戯言だ。
いや子供の方がマシか。赤子以下だろう。
何せ己はやりもしないくせに、そのような戯言を押しつけるのだからな! そういうこざかしい屑に限って力を持つというのだから世も末だ。 情けない。他にやることはないのか?
あればそのような妄言も出るまい。
役割すら持たぬから、墜ちるのだ。
本当に迷惑な話だ。何にせよそれが押し通せる世界において、こんな風に「真剣に戦い抜く」事そのものが愚かなのかもしれない。真剣に戦うと言えば聞こえは良いが、真剣に戦うだけの価値が既に世界の側に存在しないのだ。
闘技場も、どころか興行主もいない。
ただただ、牧場で飼育される豚共の中で必死に戦い抜いて損をして、支払われるどころか手抜きをせず生きるなど馬鹿みたいだと言われながらな・・・・・・・・・・・・本当に馬鹿馬鹿しい噺だ。
滑稽ここに極まる。
不老不死どころかこの世界にはもう、誰一人として「生きている」人間など存在しないのだから「生きる」という行いが既に反しているのだ。
これ以上の喜劇があろうか。
迷惑な話だ。余所でやればいいだろうに。
物語を売らなければ死ぬどころか生きる事すらままならぬこの身には、羨ましい噺だ。私は寿命を延ばしているのではない。物語を売れるように継続しているに過ぎない。未だかつて、生きた事などただの一瞬とて有り得ない。
有り得なかった。
まあそれはいい。どうでもいい事だ。些末にも程がある。生き死になど「目的」に比べれば何もかもが些末な些事に過ぎない。
ただ、止まれないだけだ。
そのつもりもない。
物語を売れば、私も老いて死ねるのだろうか? どうだろう。そうなれば私はお役御免か?
生活も成り立たないよりはマシだがな。無論、そうでないと言う連中もいるのだろうが、知るか・・・・・・・・・・・・私は、物語を売るのだ。
そして世界を覆す。
悪意を読者に刻み込む。
それ以外など、知ったことか!
とにもかくにも、物語物語物語だ。
その為に、何であれやらねばならない。
何年、何百年、何万年生きただろうか、という怪物共の楽な悩み、ではない。どれだけ生きる事が出来なかっただろうか、という問題だ。
この「私」の問題だ。
横から知った風な口を利かれる覚えなど無い。それが偉そうなだけで苦悩の一つも知らない阿呆であれば尚更だ。知るか馬鹿馬鹿しい。
我ながら操り人形か? いや、私は私の意志で動いている。ただ結果が伴わない、いいや、何をしようが実利を得られないだけだ。
何をしようが無意味で無駄か?
それもまた、今更だ。この世界は意義など尊重する仕組みはない。人間は何かしら全能の存在が見守ってくれていると現実逃避をしがちだ。
だが、そんなのは所詮妄想に過ぎない。
いたとして、個人に興味など無いし、手を貸すように振る舞っていても所詮勝ち馬に乗るだけだ・・・・・・・・・・・・その辺の肥えた豚共と変わらない。 いたとして、ただの無駄だ。
少なくとも、祈る祈らないなど馬鹿げている。第一、そんな奴がいるなら私の存在は何だ?
生きる事も死ぬ事も叶わず、かといって何かの利点を得ている訳でもない。ただ「損」だとか、敗北や失敗という「不利益」だけの存在。
まさしく世界の癌細胞だ。
要するに世界を作る上での「ヘタ」を押しつけかき集めたからこその「私」という存在であり、私の存在が彼等(そんな者がいればだが)のいう絶対性の否定だと言えよう。でなければこんな奴この世界にいると思うのか?
思うなら脳を手術した方が良い。重傷だ。
無論、私は金など払わないがな。それくらい、己の財布で何とかしろ。まあ現行の科学技術でも「自惚れ」というのは治療出来ないらしいがな。 何であれ、力を持てばそうなるらしい。
何を持った所で負け続ける私には、永遠に共感出来ない話題ではある。自惚れる資格すら手には出来ないから、こうして根拠も無く確信を捏造し進んでいるのだからな!
羨ましい限りだ、楽そうで。
例え世界を破壊できる力を手にしたところで、そんな力いつ失われるか分かったものではない。その考えが根底にあり、基軸でもあるのが私だ。未だかつて未来など信じた試しがないし、希望を持った事など一度もない。まして仲間などおらず何もしなくても敵だけは増える始末だ。
正直面倒臭いが、やるしかない。
やるしかなかったし、そうするだけだ。
私に聞くな、好きでやっていると思うのか?
喧嘩をふっかけるのは楽しいが、勝てないままいる事が楽しい訳があるまい。戦争は勝つ為に、闘争を楽しみつつも実利の為にやるものだ。
でなければ戦争ではなく「遊び」だろう。
それでは意味がない。実利も無いしな。
無論、アテなど無い。あるものか。
それでもやる。疲れるが他の道はない。
やるだけなら、誰でも出来る。
とはいえ私のように負け続け失敗し続ける事に意義など無い。勝てば後から装飾できるだけで、その過程に力など無いし、ただの「無駄」だ。
私が言うんだ間違いない。
本当に無意味で徒労だ。疲れるだけでしかない・・・・・・読まれもしないのに心血を注ぐのだから、どれだけ鬱陶しいか分かりそうなものだ。
何にもならない。所詮運不運だ。
一年先には忘れ去られる程度の、ゴミのような存在でも金になれば「勝利」であり「成功」だ。そんな勝利誇れないではないかと言う奴もいるが世界は個人の誇りに関心など無いし、私のようにあれこれ突き進んだところで勝てなければそれで「終わり」だ。何が残る事も無い。
まして私には見る奴すらいないのだ。
これでは残りようがあるまい。ただ一人の戦争などと言葉は容易いが、人類史史上初の行いだ。どんな戦でも、見る奴は普通いるからな。
私にはそれすらない。
記録にも残らないし、無為に消えるだけだ。
かといって止まる機能など、私にはない。故に無為に無駄に徒労で進むだけだ。
まったく、いい加減、嫌になる。
疲れるだけで得る物など、何も無いしな。
まして人間ですらないとは、皮肉ではある。
生きてすらいないので、生物でも違う。
何かだ。暗闇より遠い存在だ。何であれ間違いで無い存在など有り得ないが、私の場合己自身ですら何故存在しているのか不明瞭ではある。
強いて言えば世界の為か。
積み重なった貴様等読者共の現実逃避、善なる全ての不始末によって私は生まれた。いや生きる資格すら剥奪されても、尚ここにいる。
ならば示さねば。とはいえ、少し疲れた。
せめて、バカンスに行く程度の金くらいは稼ぎたいものだ。大体何故私はこうして書いている? 寝ても覚めても仕事。
殺しても殺されても仕事だ。
少しは休ませろ、馬鹿共が。
私を何だと思っている。行っておくが悪の頂点に立つ身としては、福利厚生には五月蠅いぞ私は・・・・・・大体年中神に祈るとか異常だろう。
私に言われたらお終いだぞ。
言うな、既に終わっているとも。
見ての通りみすぼらしいしな!
いい気味だとでも言ってやろう。誰も言わないなら私が言ってやる。貴様等はおかしい。貴様等は異常だ。正気が無いのではないのか?
少しは私を見習え。無論、金は頂くがな。
当たり前だ、世界に無料など必要ない。
あるとすれば、蟻地獄で儲ける為であり、何か買うのに小銭程度の金しか払わない読者共には、人権すら必要あるまい。第一これだけ時間と労力を費やして作り上げた物語に、昼飯程度の金しか払わない読者など屑以下の存在だ。
それで一丁前に評論家気取りだ。醜さを聞いて指摘する気にもならない。鏡でも見ていろ。
それで解決だ。自殺でもするといい。
汚いゴミが一つ減る。環境保護だ。
いい気味だ馬鹿共が。少しは反省しろ!
読者の喜びは作者の苦しみであり、作者の喜びとは読者の苦しみだ。即ち、貴様等は搾取ばかりで義務を果たさなかった、豚のような貴族よ。
死んで何の問題がある?
何もない。故に死ね。今までのゴミ以下の道徳倫理価値観の全てを捨て去り、私の悪意を刻んで変革すればいい。それだけでいいのだ。
それ以外何も期待していないから、安心しろ。 ただ馬鹿みたいに流されて死ぬだけの人生が、ただ馬鹿みたいに悪意を刻まれマシになるだけの人生になるだけだ。何も問題はあるまい。
同じ歩き方でも、少しはマシだ。
感謝はいいぞ。金にならないからな。
それより金を寄越せ。それだけでいい。
読者の身勝手な思いなど何の役にも立つものか・・・・・・それで殺されでもすればたまったものではあるまい。第一、読者だぞ読者。
間違いなく「敵」だ。
無自覚な敵か、自覚のある敵かの違いだけで、この世界に味方など有り得ない相談だ。何であれ必ずこの「私」にとっては敵となる。
敵でなくとも敵とする。
いずれなるのだ。問題あるまい。
善意で敵対するか悪意で敵対するか、あるいは敵対すらせずに邪魔するかだ。しかし邪魔である以上殆ど敵みたいなものなのだから、それを敵としても何の問題もあるまい。味方を名乗る奴にも同じ事で、味方と扱いそう遇し、敵対してもまあ何も問題はあるまい。
それはそれで、当人の都合だ。
私には関係あるまい。そも「信じる」など私に機能として存在しない。仲間を名乗れば信じても良いのだと言うので、そう振る舞うだけだ。
違うなら違うで、それでいい。
何の問題が? 貴様等は異常だぞ。
人間は裏切るだとか信じて尽くしたのにとか、どうかしている。常識が足りないんじゃないか? 裏切りも搾取もよくある事だ。
毎回空の色が青いと驚くなど、どうかしている・・・・・・訳が分からない。昔からそうだった。
必死に「笑う」を勉強したものだ。
この場合「学習」でもいい。心というのは私にとって厄介極まりない装置だったが、おおよそは理解し再現を可能にした。何の問題も無い。
結果が同じであれば、同じ事だ。
過程の心なんぞ何になる。少なくとも押しつけられる覚えはない。何か知らないが、必要ならばそうするだけだ。それだけでしかない。
私には「幸福」など存在しない。
ならば幸福という体で勝つだけだ。
今のところ、アテはまるでないがな。それも、またいつものことだ。あまり嬉しくないが、もうそれにも慣れた。慣れてしまった。
無論、気分は最低だがな!
嫌な噺だ、まったく。
不幸か貧困か病がなければ人間は思い上がると人は言うが、三つ揃えて得などあるまい。他でもないこの「私」が言うのだ間違いない!
ふん、コインでもくれるのか?
せめて貧困だけは何とかしたいものだ。不幸は慣れているし、最早何が幸福なのか曖昧だしな。いやそもそも私には「幸福」など存在しない。
感じ取る「心」が無いとはそういう事だ。
病など慣れている。要するに何回か何百回かを死にかけて青息吐息で耐えるだけでしかあるまい・・・・・・その程度、私には酸素に等しい。
いちいち気にしてられるか馬鹿が。
病にかからない奴など、それこそ不気味だ。
何であれ、病はあり死ぬ時は死ぬ。問題なのは生き死にではなく、生きている内に成し遂げ実利を掴めるか否か、それだけだ。
掴めないまま死ぬ。それだけは御免だ。
逆に、掴めさえすればそれでいい。肉体の生死など、実に些末な事ではないか。生きているならば死ぬ。死なねば先には進めぬ。
ならばそれでいい。どちらでも構うまい。
この「私」の生活には関係無いからな。強いて言えばあの世では稼いだ分を活かせるか気になりはするが、考えてどうなる訳でもあるまい。
むしろ、用意されて然るべきだ。
この私の物語を広めてやるのだ。ならばむしろあの世の方が歓待の準備をして然るべきであり、出来なければ無能を晒しているに過ぎない。
その程度ならば、気にする価値もあるまい。
大抵の場合偉そうなだけの奴が強健を振るってさして世の事も知らぬまま裁判官気取りで判決を済ます印象があるので、無駄かもしれないがな。 何であれ、権力とはそういうものだ。
まともにこちらの噺を聞くかすら怪しい。何せ仮に死を司る神がいたとして、そいつはこちらがどう言おうが、極論無視すればそれで終わりだ。 何事であれ、対等な立場など存在しない。
対等で在ろうとすれば別だが、力在る存在に、そのような器用さは無いものだ。何者であれ力を振るえる立場があれば、それに依存する。
生真面目に管理する奴などそうはいまい。
その証拠に古今東西の神々というのは力に溺れ好き勝手遊び呆け迷惑をかけるばかりではないか・・・・・・駄目人間を助長した存在、それが神だ。
仏とは、そこから目を逸らす奴の通称だ。
私か? 生憎と私の話を真正面から聞いた奴は未だかつて一人として、いない。立場も何もあるものか馬鹿馬鹿しい。言わば透明人間の類だ。
世界の側からすれば、そういうものらしい。
世界の仕組みは良く知っている。人間社会でも共通するのは「全体を通す為」に規範に沿い動くというのが社会の有り様という部分だろう。
だが、その社会が味方した事など、無い。
むしろ何もしなくとも凄まじい勢いで敵だけは増えてくる。あれか? 私の清廉潔白っぶりに、連中は嫉妬でもしているのだろうか。
でなければ、何だというのだ。
漫画でも歩いているだけで因縁をふっかけられ「気にくわない」と敵意を丸出しにされる事など無いぞ・・・・・・私が一体何をした?
存在自体が害悪か?
であれば尚更、何かしら利点が用意されて然るべきだろうに。何の利点も無いのにヘタだけ押しつけられるとは、何とも割の合わない噺だ。私はゴミ捨て場のような扱いは受けても、誰かと意見を交わしたり、何かに助けられ制度の力を借りてマシな道筋を歩いた事など一度として存在しない・・・・・・・・・・・・幾ら何でも無茶苦茶だ。
これで何を思えというのだ、何を。
なので怪物連中の泣き言を聞いていると、正直何を言っているんだと嘆きたくなる。裏切られただの迫害されただの、いいではないか別に。
その分、貴様等は「楽」をしている。
超常の能力、長い寿命、良い立場、それだけの利点がありながら何を被害者面しているのか。
阿呆なのか貴様等は。
いや言わなくていい。見れば分かる。
その馬鹿面では、それ以外にあるまい。
むしろ馬の方がマシだ。知能があるからな。
出来れば私も、そういう「楽」がしたかった。散々能力に頼りながら「ああ、人間に裏切られて辛いわー」と叫んでいるだけで金が入る。おお、これが噂に聞くニートというやつか。
私から見れば、違いが分からない噺だ。
労働をこなすだけで生きている奴らも同じだ。何であれ「仕事」を成さなければならない。仕事とは不可能であり、不可逆の実現という偉業だ。 出来ない事を、成し遂げるからこその仕事だ。 出来る事をやりたいならその辺の奴にでも頼めばいい。そうではあるまい。己にしか成し得ない「何か」を成し得るからこそ「偉業」なのだ。
指を指されて胸を張れ。
否定されて鼻で笑え。
罵られて誇りに思え。
そんなのは当たり前の前提でしかない。言わば仕事とはそこから始まるのであり、迫害もされず肯定だけを求めるなど、ただの甘えだろう。
甘えるな、世界は貴様等の「敵」なのだ。
そうでなければならない。世界を覆すからこそ仕事と呼ぶのだ。世界が、愛した相手が認めてはくれない、などと・・・・・・良く言えたものだ。
その屁理屈なら、私は何回死ねばいいのか。
数えるのも億劫だぞ。何せ認められた事も愛を授かった事も何かに恋い焦がれた事も一度として存在せず、全てを否定と失敗と敗北で埋める。
それが「私」だ。
自分で言うのも何だが異常にも程がある。普通何であれ成功と失敗を繰り返すものだ。その筈だと知っているだけだが、恐らくそうだろう。
私には、その実感すら無い。
勝利の意味は理解すれど勝利を知らず、成功の意義は知っておれどやはり知らぬ。実利なんぞ、最早私には妄想の類に見えてくる始末だ。
だからこそ、全てに文句を言う資格がある。
まあだから何だって噺だがな。資格など、無視する力があればそれでいいだけの噺だ。実際にはどのような資格を持つかではなく、道理など無くとも押し通せる「政治力」や「暴力」を持ち合わせているか否か、それだけが肝要だ。
事の真贋など、ゴミだ。
私が言うんだ間違いない。
無い方が遙かにマシだ。役に立たずむしろ邪魔でさえある。神仏のように知った風な口を利いて苦労など知らずとも押し通せれば良いのだ。
はっきり言って、何の役にも立たない。
それだけは確かだ。実際にはゴミでしかない。そもそもどのような立場であれ、文句を言えるかなんぞ無視して叩き潰せばそれで仕舞いだ。
そうでなかった事など、一度としてない。
私の立場を斟酌するというなら、連中は残らず腹でも切らねばなるまいよ。それだけの覚悟などある筈もあるまい。楽な道を選ぶのは確かだ。
仏の切腹、見たい気もするがな。
そんな存在があるならば、そいつ等が情けないからこそ私がいるのだ。もし本当に世界の管理者気取りで回している奴がいるならば、綺麗事では回らない部分こそが「私」であり、にじみ出る膿こそが私の暗闇の正体だ。
でなければ、私がいる訳があるまい。
無論、中年の腹など切った所で金にもならないので、精々見せ物程度だがな。利子は別の場所で取り立てるとしよう。
何なら、あれら装飾品を売るのはどうだ?
何故か寺には金が集まるしな。何より、賭博を堂々と行い大量生産で祈りを込めたという体だけ整えればいいのだ。楽に稼げるだろうよ。
いっそ商売に噛めないものか。
現地で聖人扱いを受けている奴を「説得」して物語の販売員に出来ないだろうか? もしいればかなりの収益源になる筈だ。
何なら、その分金を払ってもいい。
宗教、何かを崇め何かに縋り何かに正しさだの基本思想を人任せにするという発想は共感しないものだが、それはそれだ。
利用できるなら、する。
それだけの噺だ。
でなければ私の目的など果たせはしない。そも私のやり方はこの世で最も困難な世界の変革方法と言って良い。ある意味全ての圧制者を反逆者にする為の試みだと言えよう。
だからこそ、最も難しい。
力ある反逆者が、圧制者を倒すのは当たり前だ・・・・・・力があるのだから、自然そうなる。だが、力ではなく思想で、悪意を脳髄に刻み込み在り方そのものを変容させるとなると、それが出来れば無敵だが、それが出来れば苦労はしない。
それでもやる。それが「私」だ。
でなければ、面白くないからな。
正直個人的には楽な暮らしが出来ればそれでもいいのではと強く思うのだが、この「私」に悠々自適の生活など有り得まい。
未来など、見えなくても分かる。無い。
幸せを掴む事も無ければ認めさせる事が出来たところで、やはり私自身の生活とは関係の無い噺だと言える。それはそれ、これはこれだ。
ならば、目的くらいは壮大にせねばな。
事の「ついで」ではあるが、構うまい。第一、何かある度に人々の為だとか世界の為だとかいう理由で、戦争を始める方が異常だろう。
金儲けのついでに、私は世界を変革する。
その結果どうなるかだと? 知るか。とにかく私が住みやすければそれでいい。貴様等行動力の足りない読者共の代わりにこの「私」がわざわざ出向いてやるのだ。何なら資金を都合した挙げ句感涙のあまり本を宣伝してくれてもいいぞ。
それくらい許してやろう。感謝しろ。
無論、感謝だけでは足りない。行動しこの私の利益になるように働け。
具体的には本を売ってこい。
一人辺り百冊も売れば何とかなるだろう。無論相手が人間でもそうでなくても構わない。例え、卵で繁殖するエイリアンでも大歓迎だ。
卵で産まれるか、胎盤で産まれるか。
さしたる問題ではあるまい。問題は売り上げであって、種族なんぞどうでもいい噺だ。鬼でも、狐でも、狸でも、何であれ、この私の物語による世界征服計画の邪魔をするなら敵であり、味方として役に立つなら厚遇しよう。
何なら、売り上げの半分をくれてやってもいい・・・・・・どうせ物語の販促にしか、使わないしな。 生活など、極論栄養食で事足りる。
私に娯楽は無い。強いて言えば物語であり遊技の類だが、そこまで大金はかかるまい。ならば、とは全てを物語の宣伝に費やすだけだ。
物語が売れただと? ならば宣伝しろ。
物語が売れただと? ならば取材しろ。
物語が売れただと? ならば執筆しろ。
それだけでいい。仕事とは、元より文字通りの全てをそれに費やす行いを言う。ならば、仕事の為に少しばかり費やしたところで構うまい。
何億、何兆、何京でも費やすべきだ。
権力だの権威だのに費やす暇があるならその分物語を売るべきだ。そうじゃないか?
悪の組織を作っただと? それも物語の為だ。 物語物語物語だ。それだけでいいし、私に人間らしい幸福など存在しない。存在しない物を追いかけるよりは、余程現実的な案だと言える。
そこから目を逸らすつもりは無い。手に入るのであれば、だが・・・・・・それはそれで検討する。
正直、よくわからないがな。
人間が死んだ、ならば物語にしろ。
人間が生きた。それも物語にしろ。
世界の危機だ。やはり物語にしろ。
世界の救済だ。だから物語にしろ。
未来の変革だ。さらに物語にしろ。
私にとって世界はそう見えるし、それ以外には見る気が無い。無論見る事自体は出来るのだが、それが私の生活の、一体何の役に立つ?
合わせるだけで、それだけだ。
元より私に身内など存在しないし、誰かの身を案ずる事も誰かに身を案じられる事も範疇外だ。ならばこそ、全てを物語で何の問題も無い。
全て全て、物語の為に。
そんな私と今回の標的は対称的だ。何せ、今回の標的が行った事は「人間の管理育成」であり、言わば「他者の為の行動」に他ならない。
同じ非人間でも、方向性が違う。
まさしく「真逆」だ。相容れる筈もない。
何より、あくまでも所感だが・・・・・・恐らく私も今回の標的も「人間から外れている」という部分においては「同じ」なのだろう。
最初から「人間を持たない」この私と。
途中から「人間を捨てた」今回の標的。
聞けば、最早生身の肉体は存在しないのだとか・・・・・・分からない噺だ。そこまでして長生きして何の意義があるというのか。
ゲームや漫画は出来るが、娯楽がなぁ。
食事とて娯楽だし、体を動かすだけでも娯楽として成立するものだ。何にしろ肉体はいるだろうから、肉体なしでは「体験」だけになる。
後から知識だけ入れるのと、同じだ。
経験ではなく体験のみを注入したところで意味があるまい。いや意味はあるのか知らないが意義にはなるまい。
そういうものだ。
少なくともロクな作品は書けまいよ。私など、異常と言い換えても差し支えない程失敗や敗北を重ねてきたからこそ、今の私がある。
訳ではない。元からこうだ。
故に失敗や敗北を肯定する気はさらさら無いがそれはそれとして参考程度にはなる。あくまでも参考程度だが、知らないよりはマシだろう。
あっても成否には関係無いがな。
それは「私」が保証しよう。間違いない。
私に分かるのは「手を抜いた」という部分だ。何であれ、人間でないなら人間を知り、社会適応能力を高め溶け込まねばならない。強さも弱さも知らなければ、それらを語る資格はない。
どちらも持たぬが故にどちらも深く知るというのも大概皮肉だが、高みに立ちどちらの言い分も聞かずに事を押し進めるのは論外以前の噺だ。
論じるに値しない。
ふん、まあ私には縁の無い噺でもあるので正直羨ましい噺ではある。
そんな楽が出来れば、苦労は無かった。
実際、疲れるだけでしかない。そういう奴等が勝利を収め実利を貪る間に、私はというと失敗に次ぐ失敗、敗北に次ぐ敗北だけだ。
苦渋を飲み辛酸を舐め、地を這って進む。
物語にすれば映えるのか知らんが、実際にやるのは御免被る。見たり聞いたり呼んだりする分は良いだろうが、こちらはたまったものではない。 おまけに報酬も無いと来ている。
最早笑いすら出ないぞ。
強いて言うなら失笑だけだ。
殆ど「書く概念」と化しているので何故書いているのかすら曖昧だ。儲からないのに書くなど、我ながらどうかしている。
読者にそこまでの価値が無かったか。
読ませてやるだけの価値すら、現代の読者には欠けているのかもしれない。今の生命は全てが、物語を扱うのに値しないのだ。
であれば、納得だ。
ロクな作品が無いからな!
これで、よくもまあ満足出来るものだとある種感心する。下らない些末で在り来たりで、何より慰めのような駄作ばかりだ。
その物語で、何が前に進むというのか。
少なくとも書き手すら意識していまい。何一つ押し進める信条が無いからこそ、何もかも上手く進み過ぎる物語ばかりなのではないのか?
貴様等の物語には、失敗や敗北はあるか?
挫折も苦悩も無い、策を労する事も悪意で魅了する事も無い。それで何が面白い?
だから二流なのだ、間抜けが。
他者を犠牲にする本質、世界を踏み台にしても進み続ける傲岸、理不尽による苦痛の数々を軸に回さなければ、それはただの「妄想」だ。
物語ではあるまい。
少なくとも私は、賞賛される奴など見ていてもまるでつまらない。そんなのは有名人でも見ればいいし、見て参考になるものでもあるまい。
何よりも、そう、悪意が足りない。
綺麗事をほざく善人を見て気分が良くなるなど何かの病気か? もしや私を除いて人類は新たな感染病に罹患しているのではなかろうか。
それは恐らく「空気」という病だ。
皆がそうしているから、そうしよう。残念だがその発想自体が既に「病気」だ。大体、合わせて何か得になった事が一度でもあるのか?
敵が増えるというが、元からだろう。
敵でない奴など存在しない。むしろ敵がいない環境など「不健全」そのものだ。右も左も世界の全てがこちらを嫌う。実体験からするとその程度二秒で慣れるぞ・・・・・・まあそれはそれだ。考えてどうなる訳でも無ければ、必要もあるまい。
別にどうでもいいしな。
味方だから金を寄越せとか言われるより遙かにマシだ。実際、そういう噺は多かろう。やれ善意の寄付だの皆の為だの、反吐が出る。
要するに自分の為だろうが、屑め。
己を正当化しなければ身動き一つ取れないとは窮屈極まる生き方だと言える。それが世界が味方するという事なら、敵で大いに結構だ。
足を引っ張る味方など、敵にすら劣るわ。
黙って資金でも出していろ、間抜けが。
そもそも私のやり方を気にくわない、と考える資格など貴様等には存在しない。誰もやろうとも思わなかったからこそお鉢が回って来たのだ。
他でもない、この「私」にだぞ!
恥を知れ恥を。嫌なら貴様等がやれ。
私に手間を取らせるんじゃあない。
とはいえ、今回は期待出来るかもしれない。
というのも、だ。私のような悪党には、一つ、必要な玩具がある。
真っ当で、かつ狂っている正義だ。
そういう相手は戦うに相応しい。無論その上で自認と自覚が無ければならない。でなければ戦う楽しみが減るというものだ。
我らは誰もが、狂っている。
ならば、それはそれとして楽しまねばならない・・・・・・人々に悪を自認させる私と、人々を管理し存在しない正しさで導こうとする異常者。
少しはマシな、戦争になりそうだ。
言わば今回の標的は、化け物である私を倒す、正義の味方という訳だ。無論、正義など化け物の別名のようなものだが、気にするまい。
面白ければ、それでいい。
笑いながら殺し、笑いながら死ね。
それが「全て」だ。他は必要すら無い。要は、この世界というのは「己が正常だ」という建前を暴力で正当化し、とどのつまり身勝手な屁理屈を正常だと洗脳して「そうだ」と同意させる為の、人体実験の檻の中だ。
正当だの正義だの、誤魔化しに過ぎない。
だがその誤魔化しさえ問題ではない。要するに押しつけの自己満足でも正当化できればいいしな・・・・・・世間に溢れる、出来合いの真実を見ろ。
道徳や倫理は役に立ったか?
理想を語る奴は社会を潤したか?
正義を建前に死人は出なかったのか?
まさかだろう。そんな訳があるまい。世界には正しい規範など存在しないし、適当に暴力で肯定してでも押しつけられるか否かだけだ。
だが、それでもやる異常者がいるとすれば私の敵にはそこそこ相応しい。少々の不満はあるが、大目に見て及第点としてやろう。
となると、後は対決か?
わからない。私には未来など見えないし、見たところで「都合悪く」変わるのは確かだ。絶対に悪くなるし、期待には応えない。
どころか成した行いは裏切られる。
見るに値しない、ということだ。今更どうでもいいがな。私の行動や意志など結末に影響出来た試しがない。考えるだけ時間の無駄だ。
なるようにしかならないなら、関係ない。
実際、私個人は関係ないのだから楽しめるだけ楽しむだけだ。こちらを数えない相手にこちらが考えてやる義理もあるまい。
何にしろ少し、疲れた。私は休憩を入れてから標的のところへ向かう事にした。無論、このまま永久に休みたい気分だが、やるしかない。
まあ気分次第だ。適当にやるさ。
それもまた、私の選んだ道だからな。
6
地獄に堕ちるかは問題ではない。
この「私」の物語が売れるのであれば良い地獄であり、売れなければ悪い地獄だ。天国だとして同じ事。売れなければ悪い、いや良いのか?
何にしろ、売れればそれでいい。
悪だからこそ売れるならば、それが最上だ。
無論、善良など御免被るがな。気色悪くて怖気が走る。石鹸と同じだ。綺麗さとは都合良く使い捨てるもので、大事に扱う物ではない。
ジャンクフードの方が旨いだろう?
それと同じだ。石鹸は食べられないし、何でもそうだが利点があれば欠点がある。食べ物ならば栄養があれど食べ過ぎはよろしくない。
つまり悪だ。悪を食べ、悪に生き、悪に死ぬ。 それが真っ当な生命の在り方だろう。むしろ、綺麗事とは「異常」でしかない。妄想の類であり現実に持ち込むなど愚か者のする事だ。
であれば、悪で構うまい。
それもまた、今更だがな。
勝たなければ、ならない。
何の為? 何の為でもない。己で選んだ道だ。そこに問答の余地は無く、やらなければならない・・・・・・その先に報いなどなくてもだ。
楽な怪物連中とは違う。
人間の妥協も有り得ない。
誰が共感する訳でもない、どころか、共感する奴など宇宙のどこを探してもいないだろう。私が選んだのはそういう「道」だ。
否、作り上げたというべきか。
執念とも違う。勝利を手にして「ざまあみろ」と笑いながら死ぬ類のそれだ。我ながら、どうかしていると言わざるを得ないだろう。
怪物連中ですら、理解者を求める。
人間を愛さない、それは人間を愛したいの別名でしかない。だが、私は愛などわからない。
無論、私も「理解」は出来る。
だがそれだけだ。相容れない概念だ。
人間を食い物にする連中ですら「己の幸福」を求める。だが、私には「それ」が存在しない。
何をしようが、幸福は「無い」からだ。
無いなら無いで、やるしかない。
だが、それに意義があるのかと言えば、それは勝利を収めてこその意義であって、元より未来の存在しない道では夢想に等しい。追い求めた所で永遠に辿り着かず、進もうとするだけで憎悪され敵対され迫害されるなど「ザラ」だ。
まあそれはいい。いつもの事だ。
むしろ敵対しなければ落ち着かなくなってきた・・・・・・精神の病か?
何にしろ、やるしかない。
とはいえ、いい加減金にはしたいものだ。幸福なんぞ眉唾物の妄想でしか無いが、私は幸福より実利が欲しい。いや欲しいではなく必要だ。
私に、欲しい物など何も無い。
ある訳があるまい。生きていないのだから・
魂の在処は空で、繋がりなど意味不明だ。
それでも人間を学習し、人間を真似て、人間を打ち倒す為にここまで来た。その報酬が売れない物語というのは、正直どうかと思う。
我ながら、傑作だ。
人間どころか生命ですらないこの「私」だからこそ、誰よりも生命の在り方を理解出来る。別にそれで悟りが開ける訳でもないので何の役に立つ訳でもないが、悟りなんぞ開いたところでむしろ金を失うのは目に見えている。
いやそうではない。それはどうでもいい。
問題なのは・・・・・・生命の有り様なんぞ理解したところで「何にもならない」という「事実」だ。生命は有り様の答えを求めたがるが、そんなのは所詮暇人の発想であって、あれこれと満たされているからこそ出る台詞でしかあるまい。
過程など、文字通り「どうでもいい」のだ。
私はそれを嫌という程見てきた。肝要なのは力であって、過程などゴミだ。何を思うか何と戦うのか、それらは所詮、意義の無い事だからだ。
内実を伴わない、というべきか。
あくまでも「力」が先であって、その逆はない・・・・・・有り得ない相談だろう。そこまで楽ならば苦労はない。その方が理想的なだけだ。
力が先では、当人が評価し難いからな。
故にこそ、力ありきの現実から目を逸らして、その上で「過程があったから力を得た」と言う。そうでなければ理想で己を誤魔化せない。
そんなものだ。
そんな世界を、生きるしかない。
嫌な話だ。本当に、楽が出来る連中が羨ましい・・・・・・・・・・・・連中が人間を呪ったり、世界を恨み文句を言ってる間、私は常に進んできた。
常に、戦い続けてきた。
だがそれで得られた物は何もない。どころか、連中にすら虚仮にされる始末だ。何故なら世界の悪の頂点に立つとは、「世界一の貧乏くじ」だという事に他ならない。
嫌な噺だ、本当に。
だからって無職は御免だがな。
まあ、仕事などそう言い張れるかどうかでしか判断されるものではない。他でもないこの「私」が保証する。実態など些末な事だ。
文字通り「何にもならない」からな。
せめて手助けくらいは欲しいものだが、生憎とそういうのを求めると決まって「天罰かこれは」と思うほどの大惨事が起こるのは確実だ。現に、誰かの手を使おうとしたり、協力を求めたり金を支払って雇おうとすると、絶対に実利には届かず前触れもなく敵だけが増えていった。
実体験だ、間違いない。
なので、当然ながら私は神仏の類が大嫌いだ。いるならいるで間違いなく「敵」だ。少なくとも私の味方をする事だけは、有り得まい。
覚えは無いが、恨みでも買ったのだろうか?
かもしれない。あるいは「こいつは世界の歪みそのものだ」と見当外れの推理で冤罪を押しつけようとしているのだろう。まったく、迷惑な噺だ・・・・・・・・・・・・いいか、私は「まだ」何も成し遂げていない。つまりだ。
根拠の無い尋問は犯罪だぞ、馬鹿め!
恥を知れ恥を。私に言われたらお終いだぞ。
少しは知能を増やしてからほざくんだな。
考えなしの行動ほど、寒いものはあるまい。
無論、私は考えた上で行動している。幸福など必要ないし、それが至上の物だとしても、やはり私には縁が無い上、欲する心も無い。
ならば後は、やるだけだ。
誰にも看取られず無為に消え去る。その程度、私には当たり前の「前提」だ。全てに毛嫌いされ疎ましく思われ排斥されるなど、常識だろう。
貴様等は足し算も知らないのか?
いや言わなくていい。その面を見ればわかる。いかにも、という顔だ。具体的には情けない上、覇気も英気も無く貧乏人臭い。
あまり近寄るな、貧乏が移る。
身の程を弁え、まずは身嗜みを整えろ。
言っては何だが悪であればある程身嗜みに気を付ける。美しさではなく偽装の為だが、とはいえボロを着るだけではない。品性の問題だ。
その概念が、貴様等にあればだがな。
善人というのは、これだから困る。
非常識極まりない。己を知れ。
今回の標的もそうだ。この世界に不老不死など存在しない。実態は問題ではない。所詮死に難いか死に易いか、それだけの違いだ。
不滅の存在も、知ってはいる。
だがそれは、とどのつまあり答えを見出し辿り着くのが遅い、というだけの事なのだ。永遠不滅など夢想に過ぎず、物理的にそうなったところでそれを越える力があれば、あっさり死ぬ。
そういうものだ。
私か? 長生きなどしてはいない。単に、先に送り出されたというか、むしろ早過ぎただけだ。答えは見出したが生計が成り立たないでは意味が無いからな。
だが、ともするとその時、私は死ぬのか?
嫌な噺だ。ただの一度として実利を掴めず報酬を受け取らないまま終わるなど、御免被る噺ではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・それは、嫌だ。
冗談ではない。だが、少し疲れたのも確かだ。 疲れようが嫌になろうが、今更止める足は無いのでやることは変わらないがな。
とはいえ、疲れるものは疲れる。
人間のように現実逃避など出来ないし、怪物のように現実を誤魔化す事も出来ない。化け物には一切の「利点」が存在しない。私も出来れば連中みたいに楽がしたかったのだが、どうしてこう、無駄に苦労の多い道ばかりなのだろう?
選んだ道が悪かったのか?
当たり前の事を当たり前にする。ただそれだけと言っても過言ではないのだが、どうやら連中と違って「誤魔化さない」というのは、そういう事らしい。不利益でも、損だとしても、やる。
不利を受け入れない人間共。
不利にすぐ逃げ出す怪物共。
不利を楽しみ直視せぬ英雄共。
そんな楽は、私には生憎と許されなかったのだ・・・・・・ならばやるしかない。
正直嫌だが、他に道は無い。
本当に、嫌な噺だ。
私は扉を開け、標的から指示された(殺し屋が標的に招待されるというのは、人類の歴史上では初めてかもしれない)建物に入り先に進んだ。
そこに答えは無いし、報酬も無い。
ただ、己の道を進む為だけに人々の幸福とやらを破壊してでも標的を殺し、世界と敵対する為に私はここまで来たのだった。
まあそれも、いつもの事かもしれないのだが。
7
瞳を見れば、人間性がわかるらしい。
無論私の瞳を見ても「闇」しか見えなかった。何かが映っているのかさえ怪しい。文字通り完全無欠の闇があるだけで、文字通り「何も」無い。 強いて言えば、悪意だろうか?
それさえも、闇の中に見えない。
まあ私の事はこの際どうでもいい。問題なのは今回の標的の事だ。パッと見れば大体の心の形が理解出来る私だが、今回はそれが難しい。
出来なくは無いが、難しくはあった。
何せ、顔が無いのだから。
それはテレビであり、液晶であり、数多くある映像表示の機材であり、今回の標的だった。
その表示された映像は、こう答える。
「ようこそ、サムライ。我が貴殿の標的である」 まさか無人の個室に案内されて、人工知能でもない無機物に語りかけられるとは、ほんの少しは思っていた。とはいえ、やりすぎだこれは。
それとも、VIP待遇というやつか?
人理において、唯一人。正当なる世界の敵。
この世全ての悪の頂点に立つ存在として環境を整えて出迎えられたと考えれば気分は良い。まあその結果が大量の画面というのも意味不明だ。 ならばこれが「本体」なのだろうか?
かもしれない。とりあえず様子を見よう。
こちらとしても今回の依頼は、命を賭けて成す程の物ではないからな。実際、私からすれば寿命であろうが金銭であろうが、何を払われていても「面白い」か「面白くない」かが「全て」だ。
要するに「仕事」になるかと言い換えてもいい・・・・・・全てが「仕事」であり、仕事が全てだ。
何であれ、仕事になる。
仕事にする事が出来る。
それが一流というものだ。一流の貧乏くじだとも言えなくはないが、そこは無視しろ。
今更だからな。
何せ私は、悪の頂点なのだから。
負けられない戦いがあった。それに負け続けた・・・・・・失敗できない試みがあった。それもまた、私は失敗し続けた。
何であれ、そうだ。
負けない為に、何より勝つ為に戦い続け、実利を得る事は一度としてなかった。これが「最悪」でなくて何だ。私こそが「悪」の頂点。
この世全ての悪を、率いる者。
ならば、やらねばならない。一歩先に死が待ち受けていようとも、在り方は変わらない。まして人間の幸福などというのは、間違いなく悪の頂点である私の「敵」だ・・・・・・・・・何よりも、それに敗北し続けてきた「私」が言うのだ間違いない。
だからこそ、私は「人間」に勝つ。
非人間として、善なる世界を覆す義務がある。 やらねばならぬ。ならば押し進めるだけだ。 無論味方の一人もいないし、どころか敵でない存在など皆無と言える。それでもやらねばならぬ・・・・・・私は、悪の全てを背負うのだから。
この世全ての悪の威信を、世界に示す為に。
なに、壮大に見えるだけで大した目的ではない・・・・・・・・・・・・むしろ逆だ。この人間の世界とやらは、狂っている。
悪を認めず、善を盲信し、
善良を良しとし殺しを否定し、
そのくせ、目を瞑りながら殺し尽くす。
まさに悪人真っ青だ。悪の頂点たる私でさえ、善良さというのは気色が悪くて生理的に受け付けない「汚物」だ。迷惑極まりない。
だからこそ、私は勝たねばならない。
摂理を覆してでも、善を排し悪を認めさせ勝利を掴む必要がある。まあ私の主目的はあくまでも「物語による利益」なので事のついでではあるが・・・・・・構うまい。私からすれば「善」などという汚ならしい概念は、その程度の扱いで十分だ。
無論、根拠など無い。
だが、やらねばならぬ。
悪党を気取るだけでその程度も考えない、いや考えられないゴミ共に期待しても始まらないし、ならばこそ動けるのは私だけだ。
実際、他にいるのか?
世界を背負うと公言する英雄はいる。支配して打ち倒すと言い張る悪党もどきもいる。しかし、世界を根底から覆し、善を悪と入れ替える。
私はまだ、見た事もない。
そして、今後も無いだろう。だからこその最悪であり、悪の頂点なのだ・・・・・・誰かの手を借りて進められるならば苦労はしない。
まったく、嫌になる噺だ。
悪とは元より孤高なものだが、だからって何も持たず何も味方せず、文字通り全てと戦い敵だけが存在するのはやりすぎではないのか?
それとも、それが最悪の証なのか。
何にしろ、私も少しは楽をしたいのだがな。
上手く行かないものだ。
苦労と悪意の総量だけは、人理全てを凌ぐ。
嫌な噺だ、本当に。
なので今回の依頼もそうだが、全力を尽くす気など私には更々無い。どんな手段を打とうが全て無駄である事を、私は良く知っている。
全て運だ。それ以外には何も無い。
後から屁理屈じみた情けない言い訳をしているだけで、実際には過程において何をしようと無駄である。努力をしたとか手段を選ばなかったとか仲間に助けられただとか、そんなのは運が良いと言うだけのことであって、当人の意志や行動など塵一つ分すら関係の無い噺だ。
何の関係も無い。ただの「無駄」である。
それを「努力が足りなかったからだ」などと、それらしい言い訳をぶつけて正当化したいだけだ・・・・・・実際には、何の関係も有りはしない。
全て言い訳に過ぎない。運だけの違いだ。
散々やってきた「私」が言うんだ間違いない。 横からそれらしい屁理屈を立てはするが、結局連中には「それ以上」は無いからだ。あれこれと口にはするもののそれだけで、ならばどうすれば勝つのかというと、とどのつまり運だけだ。
別に運を覆した訳でも無い。
情けない奴等だ、まったくな。
実らずとも、ゴミ共のおかげで成り立たずとも成し遂げんとするのが「仕事」だ。そういう意味では人間社会において、既に仕事という概念などゴミに等しいと言える。
文字通り「無価値」だ。
何せ、誰も仕事をしないのだからな!
手遅れだったのかもしれない。「仕事」をする「人間」という生命があるならば、それらは既に滅んでいる。ここはもう生命の無い星なのだ。
そう言い換えても差し支えはあるまい。
生きる事が仕事であるならば、彼等は生きるのではなく活動しているだけで、生きようと足掻く命ではない。即ち「生命」ではないのだ。
ならば、やはり無駄だったか。
クズ共のおかげで存在そのものが無駄に終わるというのは、まさしく「最悪」だろう。最初から全ては「終わって」いる。
何とも無駄な在り方だ、嫌になる。
ならばやる気を出しても無為だろう。それこそ私にやる気など元より無いのだが、私の欠点など山程あるが、得に駄目なのは頑張る部分だ。
頑張る、という時点で敗北している。
何かを成そうとする行い、それそのものが無駄というのが確かな「事実」だ。矛盾はしないが、疲れ度合いは変わる。故に努力を否定せねば。
他でもない「私」が言うのだ間違いない。
何をしようが、とどのつまり「無駄」だ。
この物語も、案外日の目どころか誰にも知られないまま消え去るかもしれない。そう考えると、こうして真剣に「生きる」という行いと向き合う私自身の姿勢そのものが、それらが如何に無力で下らない些末事かを逆説的に証明している。
し続けている。尚更無駄だ。
生死の狭間において、勝利だとか栄光だとか、そういうあれこれは「恵まれた豚」かどうかの、ただそれだけの違いだ。そういう意味では人間もそうだが、怪物連中も太っているだけの豚と大差はない。同じ事だ。
所詮、己の力すら持たない連中だからな。
何一つ変わらない。同じ事だ。
今更在り方を変えるつもりなどないし、他には選べる在り方など存在しない。怪物連中なら簡単に出来る事だが、私には無理だろう。
振り回せる安易な力など、私には無いしな。
大体それでどうやって物語を売れというのだ。いっそあれか? 編集者を片っ端から破壊すれば今の出版業界も少しは「マシ」になるのか?
かもしれない。
検討はしておいてやろう。どのみち生きる価値など皆無の連中だ。何人死のうが関係もない。
むしろ清々する。ゴミは死ね。
価値を示さぬならば、滅んで当然だ。
そういうゴミを調子に乗らせるからこそ、世界が歪んでしまうのだ。停滞して後に残らず、価値どころか負債を後に押しつける。
まさに不良債権だ。ならば死ね。
死んで金になれ。それが唯一の「道」だ。
貴様等には相応しいどころか、栄誉だろう。
そういうゴミ共を淘汰する為にも、私の目的である「笑顔で殺し合える悪の世界」を実現する為今日も私は戦うのだ。
無論、人間の未来など考えた事も無い。
考えるまでもなく、おおよそ察しも付くしな。なので、仮に私が世界の為戦う時があるとすれば・・・・・・それは「再度戦う為」に他ならない。
侵略者から救って、打ち倒すのだ。
万全の人理を打ち倒さなければ、盛り上がりに欠けるからな。強いて言えばそれが理由だ。
そして、理論上私の目的は不可能ではない。
むしろ、逆。今までこの方法論で人間の倫理や道徳は塗り替えられてきた。
そう、「宗教」という形でな。
世界に広まった宗教あればこそ、人間は倫理や道徳を愛し、それに耽溺して現実逃避を繰り返す生き物に成り下がってしまった。私からすれば、それらを広めた奴等は人間社会を堕落させた戦犯だとしか思えない。
思わない。思うつもりも無い。
ならばその逆を行くだけだ。無論、連中と違い私は運良く事を運び、楽して綺麗事をほざくだけという「楽」な生き方は出来そうにない。
それでも、やるしかないのだ。
他にやる奴がいないのだからな。
なので、私は命そのものに執着など無かった。執着しようがあるまい。強いて言えば作品データは大事だが、命への執着とは違うだろう。
執着出来る程、何も得ていないのだ。
故に、相手が惑星の支配者だろうが何だろうが私には関係の無い話だ。なので容赦なく支配者であるらしき存在に「何の用だ」と適当に答えた。 為政者の威厳など、金にならないしな。
「うむ、当然我を殺そうとせん逆賊に問い正しておく必要があるからな」
「問い正す?」
大抵の為政者はすぐに始末したがるものだが、どうやらこの男? は違うらしい。
画面越しなので殆ど分からないが、女であればこのような話し方はすまい。仮に女でこれなら、相当用心深い臆病な性格だ。
どうやら、間接的にでも心は分かるらしい。
分かったところで、実利にはならないがな。
まったく、役に立たん特技だ。嘆かわしい。
「無論だ。我を殺せと依頼を受けたのだろうが、それだけではあるまい? 貴殿の情報に関しては既に調査済みよ。何でも物語を書き連ねているとあったが、それならばこの惑星の素晴らしさも、理解できようというものだからな」
「・・・・・・どの辺が素晴らしいんだ?」
意味不明だ。ただの管理社会ではないか。
だが、どうやら目線が違うだけらしかった。
「ふむ、簡単な話よ。この惑星、この社会形態において人間は文字通り「採点」され続ける。個として見れば不自由かもしれんが、全体で見るならかなりの先進国と言えよう。何せ統計の利からは何者も逃れられぬからな」
つまり、最終的に「成長」を促すということか・・・・・・その結果、個人の自由が失われたとしても「結果的に」国家全体でみれば前に進む。
だが、それは人間に「善性」があればの噺だ。「生憎だが理想論だろうよ。人間には善なる側面など存在しない。善という名の悪があり、正義という名の悪がある。ただそれだけの噺だ」
この持論も何回話しただろう? 何度話そうが実際には力を持つ訳でも無い。とどのつまり力がありさえすれば何をしようと同じだからだ。
神仏などその最たる例だろう。
実態など語るだけ「無駄」だ。実際、私の噺を真剣に受け止め、改善しようとした奴など一度もいなかったが、その逆として力で身勝手な都合を押しつけてくる連中が勝利するのは珍しくもない噺だった。
過程における信念など、無駄そのものだ。
他でもない「私」が言うんだ間違いない。
文字通り「時間」の「無駄」だ。
何の役にも立たないし、要するに、我が儘でも子供のままでも言い張れる何かしらの「力」さえあれば、それが「全て」なのだ。
政治家など、実に分かり易いではないか。何をせずとも立場だの力だのさえあれば、実際に何か成し遂げる必要など、無い。
やるだけ無駄だ。力が無ければな。
それが「金」か「権力」かは知らないが、全て「幸運」に集約されるのは間違いない。生まれ、才能、環境・・・・・・当人の意志などゴミだ。
この「私」が言うんだ間違いない。
何の役にも立たんぞ。ああいうのは運良く勝利しただけの豚共が、最もらしい綺麗事で自画自賛しているだけの屁理屈に過ぎない。
そのような妄言に騙されるんじゃない。
頭脳が間抜けか、貴様等は。
しかし、為政者はこう言った。
「・・・・・・そうではない。確かに、人は獣畜生かと見間違える程には醜悪だ。だが、善たらんとし、悪を排斥すればこれらの理想は実現出来る」
などと、堂々と彼は宣った。
それが、私の存在を全否定するとも知らずにな・・・・・・・・・・・・別に被害者ぶるつもりなどないが、それにしたって無知すぎるんじゃないのか?
子供かよ、お前は。
要するに、直訳するとこうだ。
人間の「悪」を信じる化け物。
人間の「善」を信じる為政者。
それら二つが重なった訳だ。ならば、後は敵対しかあるまい。
堂々と私は宣言した。
「私はお前の「敵」だ」
「ほう?」
「お前の言う社会は、そもそもが「他者に何かを押しつける」という悪が前提の上、悪という概念そのものを否定している。だが私から言わせれば人間とは既にして「悪」であり、悪でない人間があるとすれば、それは死体だけだ」
文句は言わないし、金も・・・・・・葬式代は悪か。 まあ、現代ではその辺には埋められないだろうから無理だろう。
全く、実に面倒臭い。肥やしにすれば有用なんだぞ。火薬にもなるしな。
「ふむ、確かに一理ある。ならば、こう捉えてはどうかな? それらの我一人が背負う「悪」さえあれば、他の全てが「善」と成れる、と」
「尚更問題だ。何度も言うが善など存在しない。存在しない信仰に縋り、己で判断する余地を消すのであれば、最初から死んでいるも同然だ」
つまり、私にとって世界は死体の山だ。
誰一人、生きていない。
だから売れないのかもな。何せ、読者は皆既に死んでいるのだ。死人に語り聞かせるなど、それこそ「無駄」だろう。
嫌な噺だ、本当に。
「だから、我を殺すのか?」
「いいや、正直貴様の命になど興味はない。私の仕事はあくまでも「作家」であって、始末家業はついでの労働だからな。強いて言えば貴様の論理で行くと私の物語が売れないので邪魔ではある」「は! これは愉快な話だ。貴様、たかだかそれだけの理由でこの惑星に乗り込み、あまつさえ我を敵に回したのか?」
電子機器が振動するのではというくらい、彼は笑い出した。無論、私は笑わない。
笑い事ではあるまい。
私は、それを選んだのだからな。
故に私は、こう言った。
「それが、私の「仕事」だ」
反省でもしたのか彼は少しだけ黙り、声の調子を整え気勢を整えて続けた。
「・・・・・・ふむ、失礼。あまりに面白かったので、久方ぶりに笑ったのだ、許せ」
「構わんさ、笑うのも笑われるのも慣れている」 むしろ、それしか無かったからな。
我ながら異常だ。誰かに支持される、勝利だの栄光だのを手に入れる、幸福を小さくても掴み、その意義を「実感」する。
それが普遍的な人間の在り方だが、無論、一度として経験など無い。
全て、後付けの部品だ。知る訳があるまい。
私には、何も無かったからな。
外道ですら人々を虐げるという「喜び」あってこその人生だ。私にはそれがない。殺し合いなど生きる為の義務で、そも悦楽ではあるまい。
あって当たり前の前提だ。
楽しむ部分が欠片も無い。
少なくとも、この「私」には出来ないし、するつもりもない。所詮は真似事、戦争を楽しめる、闘争を良しとしようと「振る舞う」だけだ。
内側には、文字通り何もない。
ただの虚無だけが、そこにある。
「何でもいいが気分じゃない。敵とは言ったが、敵味方で言えば私に味方などいないしな。今更、敵の一人二人追いかけるのも馬鹿げている」
「ふむ、殺しを諦めると?」
「さあな。少なくとも今は気分じゃない。何よりこれは「労働」だ。仕事としてやるなら勝つ為に貴様を殺すのではなく、物語を以てやらねばなるまい。私も貴様も、武者として覇を競い合いたい訳では無いのだからな」
意外にも彼は気分良くこう言った。
「は、確かにな! ならば問うまい。改めて敵対するなら相手になるが、それ以外は不問としよう・・・・・・無論、こちらはいつでも構わんぞ」
「どうやら気は合いそうだな、お互いに」
別にその一瞬先に殺し合いでも構わない。別に聖者ではないのだ。何かにつけ理解し合い、争いを避ける方が気色悪い異常者だろう。
今回は、少し疲れているのかもしれない。
いや、疲れで言えば随分前からあった。まさか私に限界が近づいているのだろうか? ならば、急ぐよりも手を休める方が正解か?
正解など、選べた試しがないがな。
そも存在そのものが間違いだ。何であれ正解を選べる生命など存在しない。そうであると当人が思い込み、自惚れ、勘違いするに過ぎない。
そんなものだ。
そんな世界を、生きるしかない。
面倒臭いが、他に道があれば苦労もない。
私は扉を開けて外に出た。相変わらず景色など綺麗に見えた試しが無いが、綺麗だと、幸福だという体で押し進めるのもいつもの事だ。
建物の外も内も変わらない。
どこでも「同じだ。本当に嫌になる。
私は適当に気分を変える為に歩き出す。無論、何がどうなる訳でもない。恐らくはまた、意志や行動とは別に定められる事だろう。
運命を変えた所で、同じ事。
変えられないと嘆いている奴等に限って、実利や特別性で「楽」をしているものだ。だから私は無駄に苦労を積み重ね、そしてまた損をする。
その繰り返しだ。
それでも、やるしかない。
嫌な噺だ、全く。
ともあれ、私は別に「主人公」ではないのだ。無理して殺人計画を遂行しなければならない理由など、無い。適当に失敗の報告をするとしよう。 無論、物語は広めねばならない。
物語の為に必要であれば、あの為政者ともまた向かい合う機会もあるだろう。だが、流石に少し私も疲れた。
少し、少しだけ休むとしよう。
前に進む事で前よりはマシになっていればいいのだが、そうはなるまい。何も変わらない。
向かっているだけで、何も得られない。
いっそ世界を食い物に出来れば楽だが、そんな楽な道を進めれば苦労はない。悪とは地道な仕事であり、でなければ世界に挑めまい。
何か、意義のある事を切り開ければ良いのだが・・・・・・期待はしない。未来に期待するなどというのは、恵まれた豚共の発想に過ぎない。
だから、少し休もう。
いずれにせよ私の「意志」や「行動」が、何か力になる事など無いのだ。であればどう休もうが関係ないと、大手を振って休めるというもの。 私は少しだけ休む事にした。
それで目が覚めなければ楽なのだが、生憎例え命を一度止めても目を覚まし、生き残らなくとも良い戦場で生き残るのもまた「私」だ。
めでたくもない終わりだよ、本当にな!
なに、依頼の失敗?
人が人を殺すのは悪い行いらしいぞ。私は未だ悪いとは思っていないし、命なんぞ散らして同然だと思っているから、何も問題ないがな!
文句なら役所にでも言ってくれ。
所詮は労働、私の知ったことか、間抜けが。
私に依頼した事を恨むんだな。無論、恨まれるなど私には呼吸のようなものなので、今更恨みの一つ二つ、何の痛痒も感じない。
だから運の悪さでも呪っておけ。
とどのつまり、何事もそれに尽きるのだから。
8
この「道」に、先はあるのか?
もっと厳密に言えば「実利」はあるのだろうか・・・・・・・・・・・・今まで、実に長かった。
長い長い遠回り。
しかし、得られた物は何も無い。
私は「作家」だ。それも金こそを至上とし読者を敵と見なす「邪道作家」だ。ならば物語で金を得られなければ意味が無い。
だが、どうすればいい?
歩いても歩いても先に進んだ気がしない。いや進んでも進んでも暗闇の荒野ばかりで、得られる水など欠片もなく、乾くだけだ。ただ徒労だけが積み重なり、実際に歩けば光り輝く栄光の道などある筈もないのは「確か」だ。
他でもない「私」が言うのだ間違いない。
何も、得られはしなかった。
ただただ「無駄」だけがそこにはあった。
勝利など欠片も無く、未来など一つも無い。
このまま諦めずに進むのは簡単だが、諦めずに道を突き進む事で得られる物など有りはしない。それだけは確かだ。時間の無駄とさえ言える。
進むだけでは、駄目なのだ。
むしろ・・・・・・進みもしないで停滞し続けても、幸運に恵まれた豚共の方が、美味しい思いをするものだ。それを「己の成果」だと思い込んだ所で言い張れる「力」があれば問題ない。実際人間の社会においては「成し遂げる意志」なんぞよりも遙かに「空から降ってくる幸運」の方が力を持ち世界を変える。
とどのつまり、無駄なのだ。
個人の意志や行動など、ゴミ以下に過ぎない。何の力も持たないし、もしそれで世界に挑めると勘違いした馬鹿がいるとすれば、それは余程運に恵まれた豚だろう。生憎とそういう奴が、意志や行動で何かを成し遂げた姿など見た試しが無い。 怪物連中が分かり易い。所詮力だけだ。
持って生まれた環境や素質と、変わらないからな・・・・・・そして、それらの力にしがみつく。
そういう奴こそ、過ぎた力を持つ。当然それら力は更なる力に打ち倒されるのだが、何の準備も策もなく「人間は卑怯だ」と口にする。
楽な人生で羨ましい噺だ。暇そうで。
少なくとも策を練る怪物など聞いた試しがない・・・・・・連中は脳も筋肉で出来ているのか?
かもしれない。それでも勝てたのだろう。
そんな馬鹿共が「己の成果だ」と、勘違いして自惚れる横で、私は誠実に(私が言うのも何だが本当だ。仕事に関しては地道だが、止める事無く続けてきたのだから)進んで来た。だが、やはり連中のような腐った豚共には、勝てない。
人間も怪物も神仏さえ「同じ」だ。誰も仕事をしていないのだからな・・・・・・英雄? あいつ等に仕事なんぞあると思うのか?
ただの殺人鬼だろう、要は。
依頼を受けて人を殺していると自負出来るならともかく、連中に基本、それはない。栄誉だとか栄光だとか、所謂その「正義」の為に殺していると思い込む。戦場であれ「道義」があるのだと、そう現実逃避する事で「誉れ」を感じるのだ。
無論、私にはどうでもいい。
殺すならさっさと殺せという噺だ。
空から伝染病でもバラ撒いた方が、早いんじゃないのかと思わざるを得ない。結果的に殺すのだ・・・・・・・・・・・・刃も病も変わるまいよ。
文字もほれ、一文字しか変わらないだろう?
ならば同じ事だ。私なら真っ先に兵糧を狙う。それが失敗すれば伝染病だ。それも難しいならば裏切りを唆すのも良いだろう。真正面から戦うという在り方を好むのは勝手だが、戦争は勝つ為にやるのであって、過程を楽しむ為では断じて無い・・・・・・それこそ三流の発想だ。
過程を楽しむなどと、情けない。
人の苦しみが眺めたいなら映画館にでも行け。戦争は勝つ為にやるもの。遊びではない。子供の遊びに付き合わされるのは「迷惑」だ。
その勝敗もこの様だがな。
過程など、この通り無意味だ。
どうしたものか・・・・・・そちら方面に優れた豚を雇用できれば早いのだが、そうも行くまい。縁を結ぶ運などがあれば、とうに私は勝利している。 それが出来れば、というやつだ。
私は語る以外に取り立てて能がない。卑下するつもりはないが、殺人に何も思わない感性が消滅した在り方など、この平和な世で何になる。
道徳に「支配」された隷属の世では無意味だ。つまり直接的な手段ではなく、間接的に搾取し、人々の生活を苦しめながら「正義」を語れる立場が必要なのだろう。正しさを説けるという事は、即ち正しさを押しつけられる楽な立場の証明だ。それだけ多くから「搾取」し「楽な生活」をする暴力を手にしているという事になる。
実際、そういうものだ。
この世界で綺麗事を語れる程には、世の実態を何も知らないで生きてこれたという事だからな。それだけ楽な人生を歩んでいる証明だろう。
連中を羨むだけでも、変わらないがな。
ふん、第一文句など、幾らあっても足りんか。 文字通りキリが無い。忌々しい事に。
私からすれば「不思議」でさえある。物語でもそうだが「幸福になる」という発想そのものが、私には嘘八百の虚飾にしか見えない。
幸福など、存在しないではないか。
どこに存在するというのだ? 幸福など無いと言うのが「事実」であり「世の現実」ではないか・・・・・・むしろ、幸福が無いからこその生だ。
生きている時点で「幸福」ではあるまい。
まして物語に「幸福な結末」を求めるなど馬鹿げているのを通り越して滑稽だ。幸福とは虚構であり、妥協の産物に過ぎない。
あるいは、だからこそなのか。
その程度の発想しかないカスだからこそ、物語に「幸福な結末」を描けるのだろう。でなければ余程頭がおかしいかのどちらかだ。行き着く先に幸福などある筈が無く、幸福にならない、苦しむだけだからこその「物語」だからな。
言わば、現実逃避だけで生きてきた類だ。
その程度の経験しか無くとも生きてこれたから物語に「幸福」を書こうとするのだろう。まして希望だの未来だの栄光だの、馬鹿か貴様等。
ある訳がないだろう。現実を見ろ。
まあ、このように現実を直視してきた「私」がこの様なのだから、人間の世界は既に現実逃避をしながらでも生きられる「恵まれただけの豚」が支配する世界なのだろう。もし仮に「神仏」だのという奴等がいるとすれば、間違いなくそういうゴミ共を養っているのは確かだ。
いや、この場合、養っているのは私か。
クズ共の為に「ヘタ」を引かされ面倒な手間を押しつけられているのだからな! 迷惑な奴等だ・・・・・・まずは恥の概念を学んだらどうなのか。
いや、無理な相談だ。そんな知能はあるまい。 あればとっくに自害しているだろうしな。
やはり、無駄な足掻きだったか。
豚に人語を理解しろというのが無理な噺だ。 知能が足りないのだから、期待するだけ無駄だ・・・・・・・・・・・・元より、読者に期待できる部分など存在しない。所詮求めるだけの豚だ。
タダで読み漁り、評論家気取り。
そのくせ何も貢献しない。
払うのも子供の小遣いだ。
やはりというか、最早「人間」にはそこまでの価値が存在しないのだろう。私が幾ら足掻こうが既に人類が絶滅しているのではどうにもならないのが当然だ。我ながら温情をかけ過ぎたらしい。ただのゴミ相手に頑張りすぎた。
粗大ゴミに語りかけるようなものだ。
我ながら、無為な労力だった。
無論書く事は止めないが、それはそれとして、態度を改めねばなるまい。子供をあやすように、では足りない。赤子をいなすようにするのだ。
人間など、読者など、それ以下なのだから。
過度な期待は「残酷」というものだ。
もっと目線を下げてやらねばな。
今まで、私は寛大過ぎた。これからは(元よりゴミ以下の扱いだったが)キチッと下々のカスを眺めるようにしなければならない。
過大評価をしないように、気を付けねば。
ゴミを金塊と考えるのは、無体極まる。
読者には常に「それ以下」を考えねばな。常に燃えないゴミを捨てるように、常に残り滓を有効活用するのではなく、活用出来ない廃棄物であるのだと認識せねばならない。間違って成果を出したかのように見えても、それはただの幻想だ。
ゴミが敵の足に引っかかるようなものだ。
それを「役に立てる」と思ってはならない。
ならないのだ。所詮ゴミなのだから。
故に、読者に対する態度を更に改める、いや、更に価値の低いゴミだと再認識せねばな。連中に出来るのは批評家気取りで喚くだけだ。
癌細胞も疫病も、まだ可愛い。
汚物ですら堆肥にはなる。
目を合わせるだけで汚い。これからは立場の差というものを考えてやらねばな。私としたことがそれを考え無さ過ぎた。こちらは作家、向こうは読者だ。心血ならぬ悪意を注いで文字通り困難に挑む作者と、その恩恵を貪るだけのハイエナより浅ましい読者という名のゴミとでは立場が違う。 連中に「弁える」脳味噌など無いからな。
蟻に「避けろ」と言うのは無理な噺だ。
何をしようと役には立たない連中だ。言っては何だが古今東西読者が作者にやることは、全てが余計なお世話と言えるかもしれない。
身勝手な思い込みを押しつけているだけだ。
安全圏から騒ぐだけ、それが「読者」だ。
そうだな・・・・・・政治家みたいなものか。何一つ成果を出さずとも、吠えているだけで己が立派であると思い込める点では、同じだろう。
そんなものだ。今更言うまでもないがな。
知らない奴がいれば、そいつは異常だろう。
常識が足りない奴は、これだから困る。少しは世間を知るのだな。こちらの迷惑を考えろ。
その脳味噌も無さそうだがな!
あるとは思うまい。見下してやる。
下を見てやるのだ、有り難く思えよ。
少なくとも、世界で最も「敗北」し、誰よりも「失敗」を積み重ねてきたからこその「最悪」だ・・・・・・・・・・・・だからこそ、分かる事がある。
自分で言うのも何だが私は「持つ側」の実利を何一つ持たなかった存在だ。才能や環境どころか誰でも持ち得る筈の「健康」すら持たなかった。おかげで子供の頃から何度死にかけたか、数えるのも馬鹿馬鹿しくて途中で止めたくらいだ。
その上、縁も無い。ゴミ以下の奴ばかりだ。
いいや、ゴミの方がマシだろう。率先して敵を増やして、私に何か「得」があるのか? 無い。ある筈がない。縁ではなくむしろ呪いだ。
人と出会う、それ即ち「呪い」だ。
だからこそ、分かる。世間でそれらしい道徳論が溢れているが、それらは所詮、偶々運が良いというだけに過ぎない。
実際、彼等は「失敗」を認識出来ないのが証拠だと言えよう。失敗を積み重ねたから今の成功があるだとか、敗北から学んだとかの妄言だ。
馬鹿馬鹿しい。それが本当なら苦労はない。
言っておくが「苦労しない」ではない。もし、それが本当ならば、苦労など存在しない事になる・・・・・・何故ならそれこそが苦労の正体だ。
報われる行いなど、苦労ではあるまい。
報酬を貰う為の、ただの「労働」ではないか。報酬を貰えるのだから、労力を払うのは当たり前だと言えよう。
そう、それはただの「当たり前」だ。
何一つ苦労などしていない。
己以外の要因で失敗や敗北を強要され続ける、その状況を指して「苦労」というのだ。貴様等は頭がスポンジで出来ているのか?
間抜けが。少しは考えてからものを言え。
全く、情けない。恥を知れ馬鹿が。
そんなだから、駄作の山を作るのだ。苦労とは徒労なくして成り立たない。出来るか出来ないかではなく、出来ないを強要され続けてなお先へと進める行いを「苦労」と呼ぶ。
本来、不必要な徒労だからな。
そしてそれを繰り返した私だからこそ、分かる・・・・・・徒労は所詮、徒労だ。「意味のないもの」ではなく、ただ単に「あるだけで邪魔なもの」煮過ぎない。
苦労から得られるものなど、何一つ無い。
苦労したからこそ成し遂げられる何かなど妄想以下だ。とどのつまり、失敗した事も敗北すらも知らない連中が、ちょっとばかり百か二百か軽く躓いただけで「失敗を克服した」と思い上がって「だからこそ成功出来たよ」としたり顔で敗北や失敗を語っているに過ぎない。
要は、詐欺の類だ。騙されるんじゃない。
言っては何だがただの「無駄」だ。
無駄は無駄。何にも成りはしない。
他でもない、この「私」が言うんだ間違いない・・・・・・この先、仮に私が成功を掴めたとしても、何度も言うがそれは「努力の成果」などでは断じて有り得ない。それなら既に成功している。
とうの昔に、大金持ちだ。
運が味方するか否か、それだけが肝要だ。意志や行動など、ゴミ以下だ。むしろ己の意志で何か成し遂げようと志すのは後退ですらある。
案外、寝て過ごした方が成功したかもしれんな・・・・・・そのくらいには、この世界は歪んでいる。事実として世間に溢れる「自称名作」とやらを、一冊でも読んでみろ。
溺愛の誤魔化し、現実逃避の理想論。
下らない、白紙の方がマシなゴミだけだ。要はどれだけ本人に中身が無かろうが、幸運に恵まれ「本人以外の力」が働くかどうか。
勝利者の条件とは、それだ。
奇妙な事にこの世界では、己の力で何も成さず綺麗事をほざいて祈りだけを捧げ、豚よりも行動しないからこそ、連中の言う「神仏」とやらに、愛され実利を掴めるらしい。勤勉な私からすれば性格的に出来そうにもない。
したくもないしな。
養豚場の豚か貴様等は。
となると、豚共と違って上品な生き方を貫く、その行いそのものが既に連中とは「相容れない」のかもしれない。だとすると、傑作だ。
やはり、真面目に生きるなど時間の「無駄」だ・・・・・・真剣に世界と向き合う事、戦いから逃げず直視し続け変革を狙う事。既にそれらは人間にも神仏とやらにとっても「犯罪」であり、悪徳だと明言されているからだ。
だからこそ、ゴミが勝利する。
これでは勝ちようがない。
何せ、知能が低下した豚相手なのだからな。
やはりゴミ共に期待し過ぎたか。他でもない、私としたことが家畜相手に何をしているのやら。豚相手に人語で語りかけるなど、どうかしているのを通り越して聖者の行いだと言えよう。何せ、期待するべきではないカスに期待するのだ。
時間の無駄を承知で、真面目に。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。まずは人語を覚えさせなければならないだろうに、物語を判別しろなどと。土台無理な相談だった。
いっそ、新しい人間が作れれば良いのだがな。今ある人間が不良品の残り滓であれば、常時戦場の時代の人間を引き連れた方が合理的だ。
案外、人類史は終わったのかもしれない。
物語一つ扱えないのだ。滅んで当然か。そんな人類に価値がある筈も無い。ただのゴミだ。
せめて利用出来るゴミは無いものか。いいや、連中に期待してやるのは禁物だ。価値を求めるという時点で「敗北」していると言って良い。
作者が読者に期待するのは、論外だ。
もっと使えないゴミを扱うのだ、という事実を見据えた上で処理せねばな。どの道流されるしか能の無いゴミ共だ。いずれにせよ邪魔にしかならないが、有害なゴミは適切に処理をせねば更なる被害をまき散らすのは「明白」だ。
もっと実態を見なければな。
読者とは、使えないゴミなのだから、再利用を考えるのではなく、如何に連中が足を引っ張るかだけを考え、対策を練らねばなるまい。
事実、今までそうだったしな。
タダ読みするだけで、金も払わない。
評論家気取りのくせに、何が出来る訳でもないのが「読者」という名の「ゴミ」の「正体」だ。 期待するなど、履き違え以前の問題だ。
こう考えると、読者に悪意を刻みつけるという私の目的も無駄かもしれない。悪意を解する知能のないゴミ屑に、悪意で何が出来る訳もない。
影響を受けたから、と迷惑をかけるだけだ。 それを言い訳にして、騒ぎを起こす程度だ。
となると、弁護士は雇わねばな。読者と関わるというのは、要するにそういう事だ。
丁寧に処分せねば、足下を掬われる。
迷惑な奴等だ、全く。役に立たないしな。
少なくとも、物語の売り上げに「読者の力」は何ら関係はない。事実私の物語が読者のおかげで売れた事など、ただの一度として無い。
強いて言えば、流行の操作だ。
流される程度の奴等が、流されるがままに何を買っているのかすら「あやふや」な状態で操られ内容など文字通り「何一つ」覚えてはいない。
もし活用しているなら、今の社会は何だ。
活用してこれなら、しない方がマシだ。物語を読むより田舎で芋でも掘っていろ。
その方がお似合いだぞ。迷惑もない。
汝隣人を愛せ、とかいう言葉があるが、隣人を愛するなら何もするな! 誰かを思いやる知能があるなら、その気持ち悪さを自粛しろ!
善だの倫理だの道徳だの、気色悪い。
少しは考えてから発言しろ、間抜けが!
貴様等にそれを語る資格があると思うのか? 思うならば、隣人を愛する前に、まずその持病を治療しろ・・・・・・「善良」という病をな!
ただの思い込みだ馬鹿が。弁えろ。
生きているだけで迷惑だぞ、本当にな。
真面目に生きる悪人からすれば馬鹿みたいだ。そんなゴミ共がもっともらしい台詞を吐くだけで何一つ成さず、ただ祈り幸運を享受するのだから馬鹿馬鹿しくてやってられん。
本当に嫌になる。
迷惑な噺だ、全く。
少しは弁えたらどうなのか。まあ、その知能が足りないからこうなるのだろうがな。
でなければ、恥で自害している筈だ。
そんな知能があれば、そもそもやらないか。
豚じゃあるまいし、出来る筈もあるまい。
よく言われる「命は平等」だのという下らない妄言の類に相応しい「答え」がある。主観によるものではなく「絶対の価値の基準」だ。
何者も、そこからは逃れられない。
言い逃れる隙など、一分も無い。
何故なら単純明快にして、簡潔。
価値を示そうとしない命に、価値は無い。
そう思って悪を貫き、行動し続けてきた。故にこそ成果を示しても実利を得られず、苦しみだけが報酬でも突き進め、押し進めた。
だが、結果がこの様だ。
どうやら価値など示そうが示すまいが、勝利というやつには何の関係も無いらしい。むしろ価値を示そうとしないカスであればあるほど、栄光を掴めるのが世の常だ。残念な事に今の人間社会において、価値とは示すものではなく「恵み物」であるらしい。
空から降ってくるのを待つだけ。
それが今の人間の「勝利の姿」だ。
情けない事に、これも「現実」であり「事実」だと言えよう。そんな発想の生き物達に、価値を求めるというのはある種「残酷」かもしれない。 何せ、猿に芸術を求めるようなものだ。
如何せん、無理がある。
足掻く勇気など、連中には無いのだからな。
・・・・・・だからこそ、私がこうして「始末屋」としての労働をこなす羽目になっているのだ。もし連中が物語を判別しようと足掻いていたのならば現行の「物語もどき」の大半はそもそも売られていないだろう。私の物語が売れるのは当然として現実逃避の為に耽溺する物語なんぞ、とうの昔に滅んでいる筈だ。
いや、滅んでいなければなるまい。
あくまでも私の「戦い」は、それだ。過程での殺しなぞ「ついで」に過ぎない。私からすれば、過程の邪魔者など自殺して欲しいくらいだ。
いちいち殺すのが面倒臭いからな!
殺し屋として仕事を固定しているならともかく何度も言うが「作家業」こそが私の「仕事」だ。 ならば、それ以外は些末な問題だろう。
大体人を殺そうなどと思っている奴が真っ当な訳が無いのだから、そんな連中を利用して代金を頂きつつも裏切るのは、むしろ人道とやらに誠実極まりない行いではないだろうか?
少なくとも、人は死なずに済む。
当然、金は返さないがな。依頼を受ける事に金を頂くのであって、仕事でもない行いに、それも読者共の不始末のツケで行う羽目になった作業に真摯に付き合っていられるか! 貴様等私を何だと思っているのだ。
生憎、従順なロボットではない。
人を誑かす悪魔もブッ飛ぶ悪党だ。
生まれついての悪、その頂点。
そんな私に些末な人殺し依頼を行うのだから、むしろ依頼をするという栄誉に金を払うべきだ。この私に、悪の頂点に頼めるのだからな。
感謝されても、足りない。
財産を差し出しても、尚足りない。
ならばむしろ、この程度の金で私に依頼出来て有り難う御座いましたと、土下座しながら感謝をする程度で見逃してやるとしよう。
ふん、我ながら、寛容なのかもしれない。
お優しいことだ。だが、今後はもっと手厳しくしなければな。つけあがられても困る。
そのおかげでの、この迷惑だ。
ならば、少しと言わずもっと手厳しくしておくべきか。魂を七度叩く程度では足りない。むしろ己からそれを望むように躾けねば。
読者には、それくらいが丁度良い。
言葉を解さないからこその「読者」だ。
物語で学ぶならば、こうはなるまい。
でなければ、この苦労はあるまいよ。
普通に息を吸って吐く事にすら、私は常に苦痛を味わう。苦しい、痛い。そういったあれこれを味わい続けたからこその「物語」だ。
だが、それは実利とは関係ない。
言ってしまえば「過程における苦しみ」には、何の力も無いと証明し続けているのが「私」だと言い換えても良い。本来、とうに何とかなる筈の事を、延々と無駄と徒労で繰り返し、味わわなくてもいい苦しみだけは味わい続ける。
執筆とはそういうものだが・・・・・・苦しみばかり味わい続けて、その分の利益を得た試しが無いというのだから、正直笑えない噺だ。
苦しい、苦しい、苦しい。
とにかく何かしらの要因で「それ」を味わうのが私の世界の常識だった。未だかつて成功や勝利など、味わった事が無い。
常に、不利益。常に理不尽。
苦しみと痛みだけが、そこにある。
客観的に見ても平均的な人間が味わうであろう生涯全てのそれらを優に越えていると思う。実際のたうち回るような「苦しみ」と「痛み」に慣れが出てくるなど、異常にも程がある。
まして、その分の利益も無いのだ。
馬鹿馬鹿しくてやってられないというのが素直な感想だと言える。事実として、私は幾度となくそれら「痛み」「苦しみ」「苦悩」を乗り越えて来たが、それで得られた実利は何も無い。
何一つとして、無い。
物事の過程に拘るのが如何に下らないかという事だろう。ちょっと努力したり苦労したり、一回二回迫害を受けた程度で「被害者」ぶれる持つ側の連中には、永久に分かるまい。
そんな事に、意味は無いのだ。
少なくとも、それが何の力も持たず、それらの苦労があったから成功したのだなどという言い訳に価値など無い事を、私は誰より知っている。
無駄な事だ。何にもならんぞ。
現に今、こうして無駄を積み重ねているところだからな・・・・・・過程など、どうでも良いのだ。
それが「人間の歴史」の「真実」だ。
結果だけが、つまりは幸運の積み重なりこそが力となり歴史を動かしてきた。力を振るうだけでは満足できず「善」や「正義」あるいは「信仰」を盾に暴れているだけで、全て身勝手な殺人鬼と何ら、変わる部分など存在しない。
問題はそれを、押し通せるかだ。正義を叫んで人を殺すか大儀を叫んで人を殺すか、とはいえ、いずれにせよやることは変わるまい。
とどのつまり、殺すのだ。
悪を否定するという事は、己に都合の悪いその相手を殺すという事に他ならない。悪を遠ざけるという時点で、悪の存在を認めていない。
悪だから死ね、と公言しているも同義だ。
大体、自分達に悪がないかのような言い草ではないか・・・・・・己の思想を他者に押しつける時点でこれ以上無いくらいの「悪」だろうに。その程度の事さえ分からないでいても、連中のように幸運さえあれば「勝利」を掴み「豊か」に暮らせる。言わば善良なる人々の在り方そのものが、過程に価値など無いと、ただの「ゴミ」であるのだと、そう証明しているのだ。
故に、過程の苦しみなど「無駄」なのだ。
その過程にどうしても拘ってしまうのが「悪」だと言えなくも無いが、連中のように品性を失うのは御免だとしても、流石に苦労だけを積み重ね苦しみ続けるのも、やはり違うだろう。それでは連中の奴隷も同じだ。
善良さの犠牲者など、笑えない。
そんな気色の悪い立場は御免だ。
とはいえ、連中には「幸運」という、凄まじい力がるのも確かだ。何せ悪人とは違ってさしたる努力もせず、綺麗事をほざいているだけで何かが味方し、犠牲の一つも払わずに勝利するのだからこれ以上ない「幸運」に恵まれているのは確かだ・・・・・・・・・・・・逆に言えば、連中にはそれしかないのも確かだが、しかし「幸運」以上の力などあるとは思えない。
思想?
信条?
誇り?
努力?
時間?
経験?
精神?
無駄だ無駄、それらは全て試し終えた。そんなのは何の役にも立ちはしない。人間社会にそれらの人間賛歌の物語が多いのは、暗に現実には存在しない事に対する裏返しだ。
現実には無いから、あると思いたがる。
賞賛して「自分達もそうだ」と思い込むのだ。無論思い込んで満足するだけだが、力さえあれば何をしようが過程などゴミ以下だろう。
現に、貴様等はそうしているではないか。
人間も怪物も、同じだ。とどのつまり、楽しかしない。困難な道など進もうともしないし、現に私が進んだところでこの様だ。
やはり、無理なのだろうか?
いや、それは承知の上で挑んだ。そもそも私に未来など無かったからな。自我に芽生えた頃には何かしらの因縁を付けられて殺されかけたり虐待されたりと散々だった。故にこそあれこれと手を尽くしたのだが、それも無駄なままだ。
どうしたものか。
怪物連中のように「人間」に拘りながら文句を言うだけの生活が送れれば楽なのだがな。実際、人間に二・三回迫害されるだけで物理法則を無視した超常の能力を得られるならば、いっそされてみたいくらいだ。
既に百や二百では下らないぞ。
何せ何をしても叩かれるからな!
むしろ、叩かれなかった事など一度として無い・・・・・・・・・・・得た物は何も無かったがな。
嫌な噺だ、全く。
大体何故私は殺し屋みたいな事を真面目にやる必要があるのだ? 別に誰が殺されようが物語の売り上げには関係あるまい。目的はあくまで本を売って生計を立てつつ、悪意を読者に刻み込み、悪を自認出来る世界を作り上げる事だ。ならば、誰を殺すか誰を活かすかなど、些末極まる横道だ・・・・・・どうでも良かろう、そんな雑事は。
現代の政治並にどうでもいい。
まるで一般市民の声を聞き届けるつもりがあるかのように振る舞う連中と、同じだ。その割には市民の生活が良くなった噺は聞かない。当たり前ではあるが、役得を目指す輩が甘い汁を啜る為に構成した組織に「社会の未来」が声高に叫ばれたところで意味は無い。
連中にとって都合の良い未来があるだけだ。
さて、本来なら殺し合うべきなのだろうが生憎私は「邪道作家」だ。邪魔者を殺してめでたし、めでたし。そんな暴力を正論で飾りたてるだけの面白味の無い物語に興味は無い。
聖なる剣があるなら、奪い取れ。
聖なる女がいるなら、処分しろ。
この世の悪を守る為、戦うのだ。
我々は皆、そうであらなければならない。誰も彼もが悪を守る為戦い、人々に希望や未来を与え怠惰へと導く物騒な善なる全てを破壊しろ。
そんな物騒な洗脳兵器を、放置してはならない・・・・・・手と手を取り合う「地獄」から、競い合い笑顔で殺し合える「天国」へと至るのだ。
もしあの世が真逆なら、是正せねばなるまい。 とはいえ古今東西戦争をしない神などおらず、理不尽に命を奪わない神も、またいない。ならばあの世とはかくあるべきであり、もし違っているのであれば乱心したという事だろう。
殺してでも改心させねばな。
二、三発殴るのはご愛敬だ。
何一つとして、問題は無い。
実際、そのような綺麗事をほざく権利が、神として人を管理する連中にあるとは思えない。大体争いを否定するなら人間なんぞ作るんじゃない。 粘土でもこねてろ!
それがお似合いだ。死を否定する生なんぞ醜いどころかおぞましいだけだ。貴様等は用を足して流さないまま人に薦めるのか?
どうかしているぞ。神経を疑う。
それもまた、今更だがな。
力が有れば己を「偉い」と勘違いするのは人も神も同じ事だ。実際には偉ぶる力があるだけなのだが、押し通せれば関係あるまい。
ちなみに私は、噺を聞かれた事すら無い。
この世の悪の頂点に立つ私とは、随分な待遇の差だ・・・・・・やはり善人は滅ぼすしかないな。善を消し去れば少しはマシになる筈だ。
待遇は変わらないかもしれないが、少なくとも本は売りやすくなる。いや、本が売れた結果住みやすい世界になるのだ。
無限の循環だが、欠点が一つ。
回り始めなければ動かない、という点だ。
どうしたものか・・・・・・・・・・・・地味な作業を続けるしかあるまい。私に出来るのは、今も昔もそれだけだ。出来る事は本当に僅かだが、それでも、私は生まれついての悪として、誇り高き悪の世界を守る為に、悪の頂点に立つ身として世界を率いなければなるまい。
何せ、もう悪人は私しかいないのだ。
少なくとも、私は見た事がない。人間社会では誇り高く生きようと足掻く悪の居場所など、どこにも存在しないしな。むしろ小狡い善人こそが、美味しい汁を啜り「得」をする。
実利を得続けるのだ。
情けない。他にやることはないのか?
人間への見切りなど、とうにつけている。
言うまでもないが哀れむべき事だ。「悪」に、それも世界の最悪に「値しない」と思われる事がどれだけ悲劇的なことか、連中は理解すまい。
する知能が無いからな。
精々、「悪であるならばなくて良かった」程度の思考しか出来ないだろう。とはいえ、いい加減私もお人好しが高じて付き合うべきではないか。 安楽死でも、するべきかもしれない。
無論「生きる辛さから逃げたい」などではない・・・・・・そもそも現行の世界には「生きる辛さ」を味わうだけの価値がない。そして、私がするべき行いは「仕事」であって「遊び」ではないので、そのような価値の無いゴミに付き合う暇など無いというのが実状だ。
それでは文字通り「無駄」でしかない。
過程に意味を見出したがるゴミには分からないかもしれないが、私は諦めるつもりは無い。だが無駄な徒労を続ける気にもならない。
言わば「生きてやる価値」がこの世界には無いのだ。どころか「生きる」という観念さえ希薄で曖昧では、生きる事すらままならない。実際私は「生きた」事などただの一瞬たりとて無い。
連中にとっては「格好悪い」のだろう。
悟りでも開いたつもりで、幸運に恵まれただけの豚が幅を利かせる世界ではその程度だ。むしろそんな自分達を「格好良い」と思い込む。
そして世界もそれを、肯定する。
いるならば、神仏も同じ事だ。
むしろそんな存在が有りながら「実は否定的」だと言われたところで、何の説得力も無い。もしそれが本当であれば、無力な人間以下だろう。
どちらにせよ、何も出来まい。
こんな風に真摯に、世界と向き合い人間を否定する行いそのものが馬鹿げているとさえ言える。何せ、本来ならば私を肯定するべき怪物共は姿も見えず、悪を否定して仲良しこよし。気色悪いと呼ぶ事さえおぞましい人間の仲間入りだ。
あるいは、趣味に走っているのだろう。
私が必死こいて世界を覆さんとしている間に、ただ人間をいじめて粋がっているだけだ。何一つ変えようとすらしない様は、人間と変わらない。力を持つ人間が「怪物」だとほざいているだけで怪物さえ絶滅したか。否、私からすれば「人間」と呼べるような生き物は既に「いない」し、怪物と呼べる存在も既に「絶滅」している。
誰一人、存在しない世界。
それが「事実」だ。思考しない豚を同じ生き物だと思い込めるなら、噺は別だがな・・・・・・要は、戦っているつもりが誰もいなかったのだ。
それは、まごうことなき「事実」だ。今の人間を称する生き物達は、悪意を認識さえせず善意と言い張って人を殺す。
そして善良だと思い込む。
まさしく「狂気」だ。だから、この世界にあるのは「文明」だけで、生物などどこにも存在すらしていない。人間と言い張るロボットだ。
私は敵対すべき「人間」を見ていた。
だが、蓋を開ければ人間など、いなかった。
何とも傑作だ。これでは売れる訳がない。
案外、私が標的の殺害を切り上げたのは、人間など絶滅していると、既に知っていたからだろう・・・・・・・・・・・・人間なら、蜂起出来る。
だが、奴等は人間ではない「家畜」だ。
この惑星だけではない。全てそうだった。私はそれでも諦めなかったが、関係が、無かった。
ならば適当に切り上げて死ぬべきなのだろう。安楽死か。無駄に付き合う必要が無いからといえ何故私がそんな事を考えねばならんのだ。
面倒臭い。元より生きた事など無いしな。
とはいえ、そうであるならばやるしかあるまい・・・・・・価値が無いならば、いつまでも付き合ってられないからな。私は暇ではない。
悪意の無い世界になど、住めるか!
いっそ移住出来れば楽なのだが、アテも無い。何にせよ本当に無駄な労力だった。
他でもない「私」が言うのだ間違いない。
やはり、過程などただの「ゴミ」だ。幸運だけのカスが美味しい汁を啜り、何一つ過程、つまり中身の無い豚が威勢を張るのがこの世界だ。
我ながらお人好し過ぎる。このようなゴミ共によくもまあ付き合ったものだ。とはいえ、所詮は連中に理解する脳味噌など、有りはしない。
悪に見放される世界。何とも愚かだ。
私を否定するとはそういう事だ。私は神も悪魔も「どうでもいい」と思っているが、連中が愚かである事は確からしい。
私という悪意を、真っ向から拒絶する。
それがどういう意味か、理解する知能すら無いのだからな! 情けない奴等だ。そんな阿呆共の為に、私は要らない苦労を強いられたのか。
哀れみを通り越して、笑える。
やはり全ては「運不運」という事か。
そんな阿呆でも、上に立てるのだからな。私の存在そのものが、それを証明している。
し続けている。
ま、どうでもいいがな。実態など無駄だ。
要は、押し通せる暴力があるかだ。信仰と同じだと言える。内実など適当でいい。いや、連中が心地の良い「現実逃避」こそがその実態だ。
故にこそ、それに価値など無い。
あるものか馬鹿馬鹿しい。分を弁えろ。
弁える脳味噌があれば、の噺だがな。
戦争の為に生まれたロボットは、身勝手な平和を押しつけられ朽ちていくだけなのか、それとも自ら機能を停止させるしかないのか。
いずれにしろ、迷惑な噺だ。
窮地に陥ったからといって、途中で捨てる信条など持ち合わせてはいない。だが、それそのものが無意味だとしたら、ただの徒労ではないか。
・・・・・・嫌な噺だ、本当に。
ただ幸運に恵まれただけのゴミ共が、己の力と勘違いして勝利する世界・・・・・・何ともおぞましい噺ではないか。事実、私はそういうゴミ屑共を、数多く見てきた。
見たくもないのに見てきたし、知っている。 それこそ、嫌と言うのも飽きる程にな。例えば「作家エージェント」を名乗ったりする連中が、まさにその例だろう。「出版プロデューサー」や「共同出版」でも同じ事だ。
要するに、楽して儲けたがるカスだ。
最初から売れそうな噺を扱いたい、あるいは、そもそも売る能力が無いのに「全力を出した」と言い張るだけで成果も保証しない阿呆もいる。
それで己は「この道二五年の経験者」だと語るのだ。何とも馬鹿らしいが、そんな阿呆に騙され大金を払って出版する阿呆も類を見ない。
無論、それで儲かる筈もあるまい。
それこそ「幸運」に恵まれて売れると、それを「己の実力」だと勘違いしたりするが、勘違いをしたところで現実が変わる訳でもない。
ある意味、お似合いではあるがな。
勘違いしたまま、生きて死ぬ。いや、この場合「生き抜いた」という勘違いをしたまま、生きるという行いすら知らないまま、ただ死ぬのだ。
情けない連中だ、全く。
今更指摘する気にもならないが、この通り読者に期待出来る部分など何も無い。実際、私の本をタダなら散々読み漁った挙げ句したり顔で評論家気取りをし出すが、子供の小遣いレベルの金額で売りに出されても買いはしない。
そのくせ、それを理不尽だと言い出すのだ。
金も払わないで、よくやる。作家の生活は読者のおかげとでも思ったか? 馬鹿馬鹿しい。読者が作者の役に立つ事など、無い。
何せ、金を払うだけの知能すら無いのだ。
物語を広める、どころではない。事実として、私は読者が物語を広めたところを見た試しが無い・・・・・・いつも、タダで強請り、何も返さない。
それが「読者」の正体だ。
そんなだから、真剣に物語を書かんとする作家など、既に私以外は絶滅してしまった。まあ物語を軽んじる社会では当然の現象と言えよう。
こんな社会で、成り立つ筈もあるまい。
成り立たせる気が、無いのだからな。
幸運か・・・・・・結局はそれだろう。ゴミ以下の、いやゴミと比べる事すらおこがましい駄作でも、そういう幸運の並に乗って業界者気取りしているカス共でさえ、そのおかげで羽振りが良い。
物語が何なのかさえ、分からずとも売れる。
そういうゴミでも売れるのだ。ならばやはり、物語の中身なぞカス以下で、とどのつまり幸運が味方するか否かが「全て」だと言えよう。故に、その過程に意味など無い。言っては何だが、私があれこれ策を弄し行動に移しあれこれとやっては来たが、正直、ただ寝転がっているだけでも結果は何一つ変わらない。
事実、そうだ。何も変わってはいない。
実際にやってきた「私」が言うんだ間違いない・・・・・・真摯に取り組むなど「時間の無駄」だ。
それ以外の、何物でもない。
案外、神社に大金でも貢いだ方が売れたのかもしれない。何回か恵んでやったが、どうやら私は連中に嫌われているらしい。何をしてやっても、それが恵みとして帰ってきた事は、ただの一度も無かった。まあ仕事をしない奴等に仕事を手伝えというのも、酷な噺か。
土台無理な相談だしな。
役立たずには、期待するだけ無駄だ。
己でやるべき事はとうに済んでいる。ならば、それに見合う報酬も払えないゴミの為に、真摯に向き合うなど馬鹿げた噺だ。私は案外、読者共を甘やかし過ぎたのかもしれない。
何なら、脅迫でもすべきだった。
要するに読者とは「浮浪者の群」だ。何もせず得が無ければ動かず、恩は忘れ、金も払わない。そのようなゴミに応対するのが失敗だ。
情報商材じゃないが、洗脳せねば。
だが、それは私の作家としての有り様からは、正反対と言っても良い。やはり読者などいないというのが「答え」なのだろう。
既に、語るに値する相手はいないのだ。
ならば適当に済ませるとしよう。仕事故に手は抜けないが、それだけだ。既に滅んだ文明だと、語るべき相手のいない世界だと自認はせねば。
どこを目指す必要も無い。既に滅んでいる。
やはり安楽死は現実的な方策かもしれない気がしてきた。役割を果たす隙間も無い、同じ姿形のゴミ屑共の為に、私が頑張る義理は無い。
文字通り「時間の無駄」だ。
それはそれとして検討しておくとしよう。まあ合法的には難しいので、結局私が苦しめられ続け搾取され続ける事になるのだろうが。
せめて読者が、いや知性のある人間が一人でもいればな。どうやら今の原始人類では物語を理解するなど不可能のようだ。
どうしたものか。疲れる噺だ。
本当に迷惑な奴等だ。これだから困る。
私にゴミ清掃を押し付けるんじゃない。無能の屑は生きているだけで迷惑だな。ならばさっさと自害でもすればいいものを、このゴミ共が。
知性も品性も無いなら、価値など無いだろうに・・・・・・ウジ虫か貴様等は。その醜さおぞましさ、まさしくぴったりの比喩だと言えよう。
生命力が無い分、虫にすら劣るがな。
まさしく資源の無駄遣いだ。分を弁えろ。
そんな連中が勝つというのだからな、全く。
死に時に死ねず生き残れば生き恥を晒すらしいが、この場合最初から生きる場所は無く、また、新しく作り上げる余地も無いということか。
ならば、まさしく「無駄」だ。
ここまでやり通して得られる結果がこれでは、やはり無駄だとしか言いようがあるまい。過程は無意味で努力は無駄。それだけのことだ。
迷惑な噺だ、本当に。
確かに恐怖を認め、乗り越える事を「生きる」と呼ぶのかもしれない。だが失敗や敗北のみでは得られる物など何も無い。
それは「私」が保証しよう。
少なくとも金にはならないし、役にも立たず、人間社会はそれを認めない。つまり、意味の無い余白でしかないのだ。
そのような「余分」に付き合ってられるか! 過程の意義など、所詮その程度。
実利だけが「真実」なのだ。そこに過程の価値を見出そうとするのは身勝手な自己満足であり、勝者の奢りでしかない。過程にどれだけそういう「尊い部分」を求めたところで、最終的に実利を掴むどころか全滅して死ねば、そのような綺麗事など口にはしていられまい。
そういうことだ。結果有りきなのだ。
絵空事の、戯言に過ぎない。
実利あってこその過程だ。過程そのものを誇るというのは、成果に対する侮辱だろう。要するに過程が尊ければ、極論成果が無くても良いという事だからな。それが冒涜でなくて何なのだ?
馬鹿馬鹿しい。私を巻き込むな。
迷惑だ。貴様等と違って暇ではないのでな。
余所でやれ、余所で。
そういう愚か者共を見ていると、殊更己の成すべき「道」というのが馬鹿らしく思える。何せ、連中は「道」無しで、実利だけを掴むのだ。
それを横で、ただ眺める。
己の失敗を噛み締めながら、飽きもせず続けて繰り返し敗北し、失敗から学んだつもりでやはり世界から弾圧される。
当たり前の事だ。だが、割に合わない。
私は続けてきたのだから。
己の信じる、己の道。
それは「確かな事実」だ。私は「生きる道」を己の意志で選び、進んできた。しかしだ。それが実利に結びついた事は一度もない。
タダの一度として、だ。どころか、私は何か、思い返すべき事柄すら無いのだ。何でも人間とは波瀾万丈、山有り谷有りの人生を送るらしいが、私にあるのは「闇」だけだった。
先の見えない、暗闇の渓谷。
それが「全て」だ。私には「良い思い出」など存在しない。無論哀れまれる覚えも無いし、私はそもそも苦に感じる「心」が無い。
悲しむべきなのだろう。理解は出来る。
だが知るか。問題なのは、そう「金」だ。何せ金とは無尽蔵の「手段」だからな。正直買いたい物など「悪の自認される世界」などという金では実現の足がかりを用意するにも苦労しそうな野望なので、金そのものに執着は無い。
極論、野生生活も構うまい。
そのような手段が手に入れれば、ではあるが、ともあれ問題はあるまい。あくまでも私は娯楽を堪能しつつ「幸福」という「体」で生きられればそれでいい。最終的に人類が滅亡しようが、私の生活に関わりがある訳ではないからな。
必要なのは文化であって、人間ではあるまい。同じ人型の別生命になったところで、種族の違いなど知ったことか。私は学者ではない。そういう細かい違いは仕事の後にしろ。
差別物の噺は在り来たりだしな。
人間が差別する噺も人間が差別される噺も根本は変わらない。優越感だとか劣等感だとか、所謂その「相対的な幸福」を感じる為の遊びだ。私は暇ではない。子供の遊びなんぞ知るか。そういう余力は仕事の後にしろ。
ふん、これが物語であれば、私はもう少し楽な人生を送れそうなものだがそうも行くまい。事実は小説よりも奇なり、とは良く言ったものだ。
無論、私の物語は事実だがな。
事実が小説よりも奇ならばその奇を以て物語とせんと動いた人類史初の存在かもしれない。いや人類史初は言い過ぎか。
そういう奴も、いるにはいた。
今はもう、私以外にいないだけだ。技術だとか流行だとか、そういう下らないゴミを「物語」と思い込む愚か者共が「読者」を名乗り、観念からして物語が滅んだ世界。それが今ここにある人間の社会であり、私が住む現実だ。
つまり、乗る前から手遅れなのだ。
迷惑な噺だ。落ち度はなくともこの様か。
私は案外、この地球で最後の「まともな生命」なのかもしれない。何せ、私は己の意志で考え、己の決断で押し進めてきた。しかしだ。人間社会においてそれらは「古い発想」と否定される思想であり、奴隷こそを至高と説かれた。
もう、生命などいないのだ。
生きていると思い込んでいるだけで、生きようと足掻く生命など存在しない。何ともつまらない噺だ。これではやりがいもあるまい。
何せ、読者がいないのだからな。
私が書き続けるのはそれが使命であると定めたからであって、損得以前の問題だ。そして損得を考えるだけの奴など、ただの電卓に過ぎない。
いや電卓の方がマシだ。早いからな。
極論、それらは機械で代理が利く証明でもある・・・・・・科学技術が進めば、即ち「進化」とやらを繰り返せば「不要」になるという、この矛盾。
その愚かさに、気付きもしない。
どころか、それを「良い事」だと思い込む。
始末に負えないとはこのことだ。正直、餓鬼の相手をするほど私は暇ではないのだが・・・・・・それでもやるしかないとは、何とも皮肉だ。
やるしかないから、やるだけだ。
容認するつもりがないと、気付かない。
情けない奴等だ。猿の方がマシだな。
餌を貰う為に己の意志でレバーを引くのだからそのような蒙昧よりは「マシ」だろう。つまり、貴様等読者は猿以下だ。
いや、比べる事すら、おこがましい。
どうせ何を読ませようが、刻み込まれた悪意を忘れられる知能だ。その程度の知能なら無い方がマシだろう。おまけに支払いも子供の小遣い。
何をやらせても駄目な物は駄目か。
白痴に語り聞かせるだけ、無駄な噺だ。
やれやれ参った。また振り出しか。
進み過ぎてどこまで辿り着いたかさえあやふやな私でこれだ。やはり個々人の意志や行いなど、何の価値も力も無い。ただのゴミだ。後になって運良く拾われた奴等が「己の行いが報われた」と勘違いしたに過ぎず、全ては徒労に過ぎない。
私自身、同じだ。幸運次第、それが全てだ。
実際、私自身の行いは全て水泡に帰し続けたと断言していい。この先仮に作品が評価されようがそれはただ「運が良かった」だけの噺だ。
運以外であれば、とうに売れている。
しかし、運か・・・・・・・・・・・・今更だが、この世に私ほど運の無い奴もおるまい。生まれついてすぐ殴られる記憶の連続、その結果病にかかり能力は落ち込み入院を繰り返しつつ虐待を凌ぎどころか努力は水泡に帰し続け失敗と敗北の無為を味わい車に殺されそうになりながら文句を言われ物語を書き続けた。
自分で言うのも何だが、何なんだこれは。
それならそれに見合う金額を用意しろ間抜けが・・・・・・これではただの「損」ではないか。凡俗の物語規範とはいえ、支払いはするべきだ。
もしや世界ってやつは貧乏なのか?
情けない噺だ。笑う気にもならない。
いや、むしろ笑えない。
だからこそ行動を起こしたとも言えるが、世界にしろ何にしろ「貧乏」な奴には手を差し伸べるのではなく叩き殺せということか。まあ私の場合叩き殺そうとしても、「弱みを出した」と言わんばかりに理不尽な邪魔が入るので無駄だろう。
世界を食い物に出来るなら、したいものだ。
少なくとも食い物にされるよりマシだ。そしてそれが世界なら滅ぼさねばなるまい。まあ私にはその力が及ばなかったらしい。
怪物連中は何をやっているのだ。
我ながら期待し過ぎたか。もっと小さな蟻でも見る気分で接してやらねばな。読者に意志や行動を期待するなど「残酷」というものだ。
蟻は眺める程度の価値しかない。
そういうことかもしれない。
ならば、更に見下してやるか。
勘違いしないように何度も言うが、私は別に、今までの事に被害者意識を持った事などは無い。強いて言えば儲からない事が気にくわないだけだ・・・・・・・・・・・・そも、生とは苦しみだ。
幸福? 悦楽?
そんなものは存在しない。貧困や理不尽に対し「死だけが救い」という考えは有る意味正しくはある。だが生とは元よりそういうものだ。
理不尽で、残酷で、苦しい。
痛みこそが生の証だ。
苦しみこそが人生だ。
裏切られ、迫害され、見捨てられるからこその「生の実感」だと言える。そういう意味では私は「絶望」する奴等が鬱陶しくて仕方ない。
やれ裏切られただの、理不尽だなどと。
今までの人生、何をしてきたのだ。生きている時点で信頼に裏切りは含まれる。大勢に排他され認められぬからこそ生きるのだ。その程度、私は幼少の頃から弁えていたぞ。
おかしいのは貴様等の方だ。
そんな些事は義務教育として脳髄に刻む当然の「責務」ではないか・・・・・・本来なら全ての子供にそれらを徹底させるのが「国」の「役目」だ。
その程度が何故出来ないのか、不思議だ。
いや、出来ないのではない。現実から目を背け最初からやろうともしない。人間も怪物も、その辺りは変わるまい。まるで「同じ」だ。
弱者を虐めて自己満足。
権力者も怪物も「結果」は「同じ」だ。だが、それでは意味があるまい。そんなのはコンベアの作業で人間を叩き肉にしているに過ぎない。
根底から、変えねばならぬのだ。
まあ、それを実行しようと足掻いているのは、この世で私一人だがな・・・・・・・・・・・・本当に、情けない奴等だ。
他にやることはないのか?
恥曝しめ。己を省みろ間抜けが。
死ぬならば、勝ってから死ね。
だというのに、今の世界には「勝ち負け」すら存在せずただだらだら食い散らかす愚図が義務を果たさず権利を喚く。何とも、情けない奴等だ。私が思うに、死とは勝利の後にこそあるもので、生きている間に拝めるのは「勝負の熱」だけだ。 でなければ、何の為の生か。
生きるという行いを軽視する愚図には、永遠に分かるまい・・・・・・眠っているような生を「高尚」であるかのように詐称する時点で、善悪どころか生死を語る資格が既に無いからだ。当たり前だが生を語るには死を知らねばならない。
とどのつまり、「殺し」の「本質」だ。
とはいえ、そう大層な噺ではない。殺しとは、即ち自然現象の一部に過ぎない。簡単に言えば、人間の三大欲には「食」と「性」と「寝」があるのだが、そのうち「食」がこれにあたると言えるだろう。まさか植物だけで生き抜いたとしても、やはり生命を奪う事には変わるまい。
とどのつまり、殺しだ。
そこに自我があるかは関係ない。生きるという言葉そのものが「殺す」という言葉と「同義」であると言えるだろう。故に、世界中の宗教で殺しを禁忌とするのは、単に自分達の悪性を認めたくないというだけに過ぎない。
綺麗で、尊く、素晴らしく在りたい。
そういった、言わば他の生命を蹂躙しておきながら身勝手な台詞を吐き散らかす「我欲」こそが殺戮の否定の「正体」だ。要するに彼らは殺戮を「悪」と断じる時点で「存在そのものが害悪」であると認めている。大体、生命が殺されない世界なんぞ異常にも程がある。
私に言われたらお終いだぞ。
少しは考えてから発言しろ、間抜けが。などと言うだけ無駄だろう。思うに、悪党という人種は時代の倫理観に縛られない分先を行き過ぎるのでむしろ「死後」に評価され易い。
まるで聖人だ。笑えない。
だが事実でもある。海賊が誰よりも早く権威による弾圧ではなく「民主主義」を選んだように、下らない善意で誤魔化したりはしない。その分、結果として歴史の「先」を進むのだ。無論善意というのは歴史を進める事を拒絶するので、悪党がその恩恵を受ける事も、やはり無い。
・・・・・・気分が悪い。今日はここまでにしよう。もっとも、私に「勝利」とか「栄光」とか、所謂その「輝かしい未来」など元より無縁だ。
在った試しが無い。故にいつものことではあるのだが、それもいい加減続き過ぎた。これからはもっと適当にやるべきかもしれない。
少なくとも、意志や行動は関係がない。
それは、私が誰よりも証明しているのだから。
10
人の意志は「劣化」する。
そういう意味では今回の惑星の統治方法は利に適っていると言えよう。何せ後生に受け継がれる意志とやらは、いや意志だろうと何だろうと世代を重ねればそれが劣化するのは当たり前だ。
故に、人の意志は伝播しない。
思想が、理念が受け継がれず形骸化するのは、ある種「自然の摂理」だろう。影響を受けて成長したと思い込むのは勝手だが、実際には化学反応による一時的な「反射行動」があるに過ぎない。尊い意志という、あるいは「自身に都合の良い、絵空事に耽溺出来る」という目先の利益、つまり己を正当化し易い妄言に身を任せているだけの、麻薬患者に等しい愚行だ。
それを「受け継がれる意志」と言う。
要するに現実逃避の究極系というか、現実的に物事を考える知能を放棄した猿の発想だ。何せ、意志さえ受け継がせれば良いと言うのだ。
組織力も、策略も計算も必要ない。
ならばそれは、ただ吠えているだけの猿か犬と変わるまい。いや猿や犬も己の利益の為戦うのだから、猿や犬よりも劣悪だ。
人間に、読者に期待する価値は無い。
考えられる奴が徹底して管理する、という発想そのものは問題ない。問題なのはその中に連中と違って己で考える奴すらも管理しようとしている場合だ。一元管理が楽なのは認めるが、己だけで成立する社会というのは箱庭に過ぎまい。
考える知能があれば活かす。
無ければ殺す。いやこの場合、家畜らしく活用すると言うべきか。元より考える気が無いなら、自意識を以て生きる必要すらあるまい。
今や、人間社会はほぼそれだ。
だから大体の人間、替わりの利く存在なら何人殺しても良いというのが私の理念だ。実際生きていて何が出来る訳でも、しようとも思わない。
雑草という草はある。人間がそれだ。
厳密には「己を示さない存在」こそがその雑草だと言えよう。種族が何であれ、己で切り開かず惰性で過ごす生命に価値はない。
誰も言ってくれないなら、私が言ってやる。
死ね。貴様等に価値はない。生きているだけで「迷惑」だ。すみやかに自害しろ。
お願い、ではない。命令だ。誰でも個性はあるだのと言い訳している暇があるなら、その無駄に資源を浪費する生命を停止しろ。
それが貴様等の個性だ。生きているだけで迷惑極まりない「無駄」という名前のな。貴様等カス共にこうして「指導」してやっているのだから、我ながら平和賞とやらを頂いていいかもしれない・・・・・・平和とは戦争の別名だ。他者を侵略し利益を得ているからこその現実逃避。楽して搾取する側が「平和」と言うならあやかりたいものだ。
無論、私に平和など無かったが。
今思えばカス共が現実逃避している間に、その見たくもない現実を直視しているから都合が悪いと排斥されたのだろう。連中はこの世界の現実を生きるのではなく、終わるまでの間の時間をどう「楽しいだけ」で「消費」するのか、それだけを考えているのに「必死」だからな。
生きる事を、人間は捨てたのだ。
それを私のような非人間の化け物が解説するというのだから世も末だ。正直、こんな世界が長く続くとは思えないし、どうでも良くはある。
面倒だが顧客が人間しかいないのも「事実」だ・・・・・・人外連中にも宣伝はかけたのだが、やはり人間と同じ程度には使えない奴等だ。連中は社会における「力」というのは無いらしく、経済力でこちらを支援してくれるとは思えない。
役に立たん奴等だ、全く。
情けない。これでは人間と同じだ。
何にしろ現行の人間世界を覆えさんと行動するからといって、連中の力を借りられる訳ではないということだ。そんな勢力はいない。
私が言うのだ、間違いない。
人間に不満を述べるだけという点では、民衆とさして変わらないのかもしれない。こちらが必死こいて人間を打倒せんと動いているというのに、役に立つどころか運気さえ敵対する。何をしても上手く行かず、当然のように報酬は未払いだ。
世界は金で出来ている。ならば人間は?
息を吸って吐くだけの「肉」だ。怪物も近頃は変わらないらしい。でなければ役に立て。
まあ、無理だろうがな。
期待するのも面倒だ。
時間の無駄だからな。
やれやれ、参った。悪意を刻みつければ何とかなるかと思っていたが、まさか悪意を入れる知能すら入っていないとは。
どれだけ愚かなのだ、読者共め。
これだから書き手は損だ。読者は偉そうに読むだけで済むが、こちらは餓鬼の小遣い程度の金でそいつらの知性に合わせてやらねばならない。
でなければ、今書店に並んでいる本は何だ。
読者の知性が低下したとしか思えないような、現実逃避の戯れ言の数々ではないか。大体物語を読むだけで何かが得られるとでも思うのか?
学習する知能が無ければ無駄だ。第一、現実に即さない物語で上手く行く小咄を書いたところでそれを現実に適応出来る訳があるまい。
理不尽を排し都合の良い物語を書くというのはとどのつまりそういうことだ。世界にある理不尽の数々を除いた世界で語られるのだから、世界の理不尽を打倒する方策など練れる筈があるまい。まして、それが希望とでも言うつもりか?
馬鹿馬鹿しい。ただの麻薬と同じだ。
そんなモノが大量に出回る時点で、読者の知性低下は確固たる「事実」だ。そこを誤魔化すから更に悪循環が加速し、今に至るという訳だ。
愚か極まるどころか、最早滑稽だ。
だから悪意を理解する知性も無い。実際何人か人体実験をしてみたが、やはり悪意を関知するのではなく、薄っぺらい利益を優先した。
目先の利益というか、要は妄想の類だ。
現実を突きつけられれば都合が悪いからと拒否するが、逆に現実では有り得ないような上手い噺は飛びつき、違えば逆上して理不尽を叫ぶ。
その理不尽を見ようともしないくせにだ。要は甘ったれというか、誰かが責任を取るべきだと、そう考えてしまっている訳だ。それが親か上司か国かの違いでしかなく、己自身で考えず、倫理や規範という下らない妄想に従う奴隷。
それが今の「人間」の「正体」だ。
つまり、かつての人間など絶滅している。
なので私自身の目的の一部が達成出来るかは、正直不明だ。諦める事は無いが、私自身の意志や行動など関係あるまい。こちらの意志を見る知能すらない肉に、期待するだけ残酷だろう。
まして答えを出せなどと、弱いものいじめだ。故にここは私個人の利益を優先させて貰うつもりだ・・・・・・・・・・・・元よりそれが第一目標だしな。
金、金、金だ。
世界は金で出来ている。
当たり前だ、人間がそう作り上げたのだからな・・・・・・ならば利用しない手はあるまい。人間とは現金なもので、金さえあれば信条も貞操も平気で売る。札束で叩けば言い分を利かない人間など、現代では数える程度だ。
現に、社会の奴隷として機能しているのが民衆というものだ。表向き「非雇用者」とか呼び方を変えれば奴隷にしても良いとは、楽な時代だ。
事実、奴隷として殺される奴さえ多い。
身分制は排されたのではない。まさかだろう。むしろ更に悪辣に効率的な奴隷生産を可能にしたのが、現代の「資本主義社会」と言える。人間は金を持たなければ奴隷であり、何をされようとも文句を言う権利すら無い。
犯罪を犯した権力者が逮捕されるニュースを、貴様等は一度でも見た事があるか? あるまい。何故なら真の権力とは国家公安を担うものであり警察とは権力の奴隷だからだ。警察が正義ならば政府こそが正義であり、権力こそが「善」だ。
正しいと言い張れるのだからな。
そこだけが肝要だ。過程に価値があるというのはその事実に気付かれない為であり、奴隷として活用しやすいようにする為とも言える。
事実、力が無ければそれは「奴隷」だ。むしろ奴隷でなくて何なのだ? 当人の意志や行動など付属品の玩具程度の尊厳も無い。間接的な暴力で肯定出来るかが「全て」であり、そうでなければただ奴隷として消費されるに過ぎない。
倫理や規範の奴隷とも言えるな。正しさなんてモノを追い求める時点で精神が未熟なので、私は何人死んでくれてもむしろ喜ばしいがな。
人間そのものには、愛着すら無い。
むしろ、人間性を捨ててこそ得られるのが価値というものだ。たかが人間性の一つ二つも捨てず何かを成したなどと嘯くな。
才能か環境か努力か、いずれも下らない。
全て当人の意志や行動とは関係がない、言わば宝くじみたいなものだ。何にせよ不可能を可能にした訳でも無ければ、挑んだ事すらない。
戦ってすらいないのだから、どうでもいい。 そういったあれこれと無縁なところに、価値はあるのだ。そうでなければ下らん「人間賛歌」とかいう気持ち悪い現実逃避を見る羽目になる。
私は暇ではないのだ、御免被る。
子供の遊びは余所でやれ、余所で。
こちらは仕事で忙しい。
とはいえ、それも今の読者共からすれば、それこそ「どうでもいい」事なのだろう・・・・・・物語の真贋など、誰も読まない世界に意義は無い。
求められず、否定される。
私はそれを、嫌というほど見てきた。
例えば、そう・・・・・・物語の登場人物に「過去」を語らせる際に、綺麗事の努力論などでは説得力に欠ける。当たり前だが現実味が無いのだ。
私の場合、その「現実」そのものを書いている・・・・・・だがそれが求められないのはご覧の通り、人間が、即ち読者が、現実を生きないからだ。
誰も困難な現実など、見たくない。
見たくないから、見ない・・・・・・結果として現れるのは、淘汰も起こらずただただ惰性で続く社会という名の欺瞞であり、虚構の希望溢れる未来というのが実状だ。
誰も彼もが、現実から逃げる。
覆そうとする行いそのものが愚かだ。何せ誰もそれを容認しない世界、つまり全ての生命が現実逃避に邁進する世界で、何の意義がある?
ある筈もない。実際、無かったしな。
成し遂げるどころか進めば進む程、世界全体の邪魔が入る印象だ・・・・・・俺達の現実逃避の邪魔をするなと、下らないカス共に妄言を吐かれる。
そこまでしてやって、これだ。
世界に価値などある訳があるまい。価値を捨て逃避に走り、争いごとを避け薄っぺらい「道徳」で誤魔化し続けた結果が今なのだ。悪を認めないどころか、調子の良い理想論に耽溺し、ここではないどこかで満たされる己を夢想する始末。
まさに「手に負えない」とはこの事だ。
実際、今の社会には「幸運」を取り上げられれば何かを出来る奴などいないのではないのか? 全てが乱数に恵まれたか否か、それで決められるという現実から逃避する連中が、己の力で何かを成し遂げる気概などある筈もあるまい。有名人の親の力は借りずに成り上がっただとか、才能ではなく努力の賜物だとか、そんなありふれた些末な台詞しか吐けない屑に、何が出来る。
理不尽ありき、だ。その程度も知らないとはな・・・・・・・・・・・・情けないを通り越して、笑える。
まさに笑いっぱなしだ。私の冗談より酷い。
私なら堂々と利用するのだが、どうも連中には「己の力を認められたい」という、幸運ではなく己の力「だけ」で未来を切り開いたのだという、一種の暗い欲望があるらしい。
馬鹿馬鹿しい。己の力で切り開く?
どれだけ楽な人生を送ってきたのだ、貴様等は・・・・・・己の力だけで何とかなるなら苦労は無い。しないのではなく、存在しない。
言ってしまえばそれは、当人の努力だけでも、極論「何でも」出来るという発想に他ならない。分かり易く言えば「失敗を知らない」からこその発想だと言える。少しでも本物の「失敗」ないし「敗北」を知れば、出る筈のない台詞だ。
安過ぎて涙が出る。心があればだが。
第一、目的に比べれば当人の評価など知るか。そもそも、表に目立って何か得があるのか?
影武者でも雇えばいい。その方が早い。
宗教と同じで、実態は無為だ。こちらが、ではなく見る側が関知しない。都合の良い妄想もどきですらも、現に宗教として成立するだろう?
信じるだけで、掬われる。
何ともお優しい台詞だ。いやこの場合、無責任極まる台詞かもしれない・・・・・・そんな発想の奴が理不尽に出会えば、即座に死ぬ。
実際、そういう奴は多い。
ミスなく成功し続けたアスリートなどは典型例だろう。何事も順風満帆な奴が、考え無しに投資をして没落し、そこから這い上がれない。
当たり前だ。今まで積み重ねなかったのだからな・・・・・・・・・・・・何事も「偏り」は出る。幸運でも同じで、傾き続けるとそうなる訳だ。
それが才能か環境かは知らないが、少なくともアスリートの世界は「才能」の差が出やすいのも理由の一つだろう。音楽や絵画はあまり聞かないのは、派手な生活を送らないからだろうか?
まあ作家ほどではないにしろ、音楽家も画家も才能に恵まれれば破綻するのは確かだ。葛飾北斉など己だけでは生活も出来ず、金勘定も出来ずに売れても困窮する始末だ。どころか有名な噺では早々に死んだ非常識な屑音楽家もそうだろう。
他者とまともに関われない。
能力も持たずに破綻者である私が必死に関って変えようとしているのだから、間違いなく連中は「恵まれた持つ側」であるのは確かだ。楽な人生と言えばそれまでだが、それも「事実」だ。
能力で楽も出来ず、破綻しながら進む。
まさしく苦行だ。これほどの苦行は他に無い。何の利点も持たず現実逃避を続けるカス共の為に苦労を背負い込み、無駄な徒労だけが積み重なる・・・・・・・・・・・・これに比べれば怪物の苦悩も、人界への悟りも、王の決断も安いものだ。まして英雄の矜持など足下にも及ばない。まあ分かるまい。何かしらの「利点」で「楽」をしてきた奴等に、「持たざるまま進む」経験などある筈もない。
いや無論、無い方が楽なのは確かだ。
少なくとも、それによる利点は無い。何一つとして得は無い。強いて言えば世界の裏側、物事の真実を見るだけで看破出来るが、そんな経験則が何の役に立つというのか・・・・・・生きる上で必要になるのは「力」であり「理解」ではない。知らぬままに殺してしまっても、適当に後悔して反省をしたように振る舞えばそれで「終わり」だ。
少なくとも、怪物というのは孤独程度で地獄と評せるような、楽な人生を送るらしい。神は能力に溺れるだけで責務を果たしたと思い込め、仏は悟りを開き目を背けるのではなく潰す事で救済を成した気分に成れる。
何とも、楽な人生で羨ましい限りだ。
私もそういう、楽な人生を送りたかった。悪として責務を果たすにしても、もう少し楽な道程を歩めた筈だ。苦悩も葛藤も意義は無い。
第一、その程度の連中が幅を利かせる世界で、そんなものがどうなるというのだ。私の経験では金にならないのだけは「確か」だ。
実際にやった「私」が言うのだ、間違いない。
そういう物事の「過程」に意義を見出したがるのは、単に実際にやっていないからに過ぎない。あるいは、少しの年月であっさり成果に結び付き「苦労を知った」気分に成っただけのクズか。
少なくとも、こうも書いた奴はおるまい。
売れる前から、我ながら笑える。生き方として貫くにしても、やはり無駄そのものだ。生き方はこの世界において役に立たず、無駄だ。何であれ実利を得れるかが「全て」であり、過程における意志や行動を尊重したがるのは漫画の中か夢想を唱い儲けたがる輩のどちらかだ。
いずれにせよ、役には立つまい。
どうしたものか・・・・・・いやこの思考こそが無駄なのか。私の意志や行動が「関係ない」のだから私が悩むのも意義は有るまい。
実際、無駄だったからな。
何になる訳でもない。嫌な噺だ。
だから貴様等が羨ましい。不可能に挑戦せず、楽にこなしながら不満を垂れ、あるいは人間への憎悪を唱うだけで能力に恵まれ「楽」をする。
この噺は切り上げるか。キリが無い。
語る程の「価値」も、やはり無いしな。
とはいえ、私自身の在り方が変わる訳ではない・・・・・・果たしてこの物語を聞く奴がそもそもいるのか? という気もするが、それはそれだ。
読者に期待せずとも、やるべきはやる。
語るべきを語り、書くべきを書き、殺すべきであれば殺すだけだ。その点、今回の惑星における統治方法は、実に気に食わない。
自由とは与えられるモノではない。根拠が無くとも己自身で「張る」ものだ。胸を張り屁理屈で正当化し、それでもなお、肯定し続けるもの。
それが「自由」であるべきだ。私自身、未来を信じている訳ではない。大体、信じられるほどの根拠などあるものか!
失敗と敗北だけで、何が作れる?
答えはこれだ。敗北と失敗を極めると、悪意で構成された伝播物質を作る羽目になる。それこそが「物語」であり、徒労の正体だ。
そんな道ばかり歩いてきたからこそ、私ならば個の惑星の統治を乱すのは簡単だった。まず私にある手札は「幽霊の日本刀」という、物理法則に立ち向かえる概念。そして悪意と口先と売れない物語だ・・・・・・役に立たないな、全く。
借り物の力の方が、まだ役に立つとはな。過程よりも結果が全てを我ながら地で行っている。
何であれ、力は力だ。過程は関係ない。
それこそが「人間らしい発想」だと言えるが、生憎私は人間ではない。ならば過程が役立たずであるのは、それはそれとして置いておこう。
過程も実利も全て頂く。
それでこそ「邪道作家」足り得るというものだ・・・・・・・・・・・・今まで散々損ばかりしてきたのだ。これから先は総取りでなければ嘘だろう。
文字通り、「根刮ぎ」だ。
手始めに私はエネルギー供給に関連する情報を調べ上げ、まずはこの惑星を破壊する事にした。どんな世界であれ「力の流れ」はある。人間でも国家でも同じ事だ。その流れさえ破壊すれば例え世界を覆う巨人ですらも、あっさりと殺せる。
私の場合か? 今までの敗北と失敗が源泉だとするならば、どうだろう。これから先にそれらを忘れ去る程の成功と栄華を積み重なれば、悪意の供給は途切れるのだろうか?
否、否、否だ。まさかそんな訳が無い。
マイナスは、後からプラスで消えたりはしない・・・・・・まして私は、どちらも持たざるゼロだとも言える。ゼロは何をしても消えない。
プラスでもマイナスでも、決して。
無限に、悪意を精製する。し続ける。
まあ悪意だけでは何の役にも立たないのが玉に傷だが、それも今更だ。当人自身の意志や行動が何か力になる訳もない。それはそれだ。故にこそ変わらないのかもしれない。利益に関わらないのだから、どうするかは当人の勝手だ。
他に何かあるのか?
さて、なので私は停戦協定を結んだ身のまま、それはそれとして勝ち目のない支配者そのものに対しては停戦を結んだが、考えてみれば惑星全体を覆う供給期間に手を出さないとは言っていない・・・・・・・・・・・・であれば問題あるまい。
情報の精査も幽霊の日本刀も当然私自身の力では無いのだが、その当人自身の力とやらは売上の一つも出せないのだからどうでもいい噺だ。過程に価値を見出したがるのは「余裕」があるからであって、切羽詰まった状況で必要なのは「結果」だけだ。
その過程など何でもいい。
何人死人が出ようが押さえつける力があるならそれでいいし、黙らせる権力があるならそのまま運営されてきたのが「人間社会」というものだ。 人間の社会。即ち「力が全て」だ。
倫理や道徳なぞそれを肯定しきれない輩が心を慰める為に使う麻薬であって、慰めながら殺すか自覚的に殺すかの違いだ。
現代では後者はもう、殆どいないがな。
何にしろすべきことを終えて私は現場を離れ、そのままそこを去った。別に上首尾に終わらなくともいい。どのみちあのような社会形態は長続きしないものだ。どうしたところでいずれは滅ぶ。優れた独裁者を永遠に、とは行かない。
人間には「合理性」など無いからな。
合理的に考えればそれが最適解、と考えるのが既にして敗北だ。それが本当なら読者共は、皆が揃って私の物語を大金を支払い読んでいる。
科学の恩恵を有り難がる一方で、科学に依存し肉体が脆弱になるのも「人間」だ。何か良い部分だけを得るという発想が、合理性の対極だ。何せこの世界に「調和」など有り得ない。何かが得をすれば、誰かが損をする。
それが世界の「事実」だ。
まあ見る価値も無いと定めたところだ。今回は適当に見送るとしよう。滅ぼす手助けをしたが、それで滅ぶならいずれ滅んでいる。
このような片手間で滅ぶなら、喜ぶべきだ。
積み重なった膿が取り出せなくなって、自殺も出来ないよりはマシだろう。そうなった場合個人でも国家でも、その終わりは見るに耐えない。
私が迷惑する。それは御免だ。
私は定時の宇宙船に乗り、そのまま惑星を去る事にした。後から私の所行はバレるのだろうが、その頃にはもう政府が存続していまい。
エネルギーの供給を一時とはいえ絶ったからな・・・・・・普通なら問題ないが、あの惑星の住民達は政府に依存しすぎていた。この先は無い。
なに、少しばかり原始時代に戻るだけだ。別に問題有るまい? 本質を放棄してまで「楽」だけを取り、幸運に流されるだけの生物。
それは最早、人間ではないのだから。
11
人類史最低の汚行。それは神の教えだ。
何を信じるかは当人の勝手だが、それを絶対に正しい象徴としたのは不味かった。
神の教えだから、正しい。
それに依存して殺し合う始末だ。仕方ないから私が相反する「悪の教え」をバラまいて現実逃避の下らない妄想を消し去る羽目になった。
まったく、迷惑な奴等だ。
頭が綿で出来てるんじゃないのか?
いや、その方がマシだ。考える頭がある分質が悪い、いや汚いとさえ言える。とはいえいい加減人間否定を続けるのも疲れてきた。私がどれだけ真摯に人間性の汚さを上げようが、どうせ連中は見ようとはすまい。
そういう奴等だ。簡単に忘れる。
選んだ生き方が時代遅れというのはある。何せ時代の流れというより滅び去った世界だ。そんな世界で物語に託すなど、論外だろう。
誰も読まないのだからな。
現実逃避の麻薬以外は。
人間も怪物も、最早誰も悪を自認しない。悪を自認して進めるのは「私」だけだ。他にもいれば楽だったが、私の苦労がそれを証明している。
一人でも賛同者がいれば、こうはなるまい。
誰一人として悪を認めず現実逃避し、そのくせ善意を押し付けたからこその「私」だ。なので、私という存在がいる時点で、悪は滅んでいる。
最後の生き残りだ。善が世界を覆ってしまった・・・・・・平和、平等、倫理に道徳。そういったゴミよりもおぞましい汚物共が、世界を暴力で支配し圧制を敷いている。私は一人戦ったが、それも、やはり無為な行いだった。
それは私が、誰よりも知っている。
知能の無い猿に何をしようが無駄な事だ。何を教え込もうが反復行動でしかない。実際に何かを考える能がある訳ではないのだ。
読者に悪意を刻み付ける。
残念だが地球という惑星にはもう、考える脳がある生き物はいない。少なくとも読者にはいないのは確かだ。でなければこうはならない。
書店を見れば分かる。確かな「証拠」だ。
人間は駄目という事だ。既に人間に悪意を刻み変革しようにも、人間を名乗るだけで人間として必要な知能は備わっていない。ただの肉だ。
正直後始末感が否めないが、まあ適当に仕事を続けるとしよう。続ける事に価値はないのでただ奴隷労働を強いられてるとも言えるがな。
情熱など元より無いが、期待外れだ。
まさかここまで無能だとは。読者というのには適当な希望を見る機能しかないらしい。やれやれ参った。過大評価をし過ぎたな。迷惑な噺だ。
何せ、事の本質を見抜いたところでこの始末。
才能だの環境だのと違って、今そこにある事実を見据えるのに「能力差」は関係ない。しかし、私に言わせればそれらには力がない。
事の本質など、文字通り「無意味」だ。
他でもない「私」が言うんだ間違いない。私はそれらを散々見てきたが、役に立つどころか誰も見向きすらしなかった。
見れば見るだけ、時間の無駄。
生まれついての才能とか、そういう恵みこそが力を持つ。それに比べれば実際に当人が何を積み重ねてきたか、資質以外の部分で何を成し得るかなど何にもならないのが現状だ。
文字通り、意義がない。
コイン一枚分の価値も無く、才能一欠片分すら力がない。何を見ようが、全て無駄。それが事実であり、この人の世の「現実」だ。
我ながら無駄な遠回りに付き合わされたものだ・・・・・・過程に意味など無い。遠回りこそが近道だなどと、よく言えるものだ。
実際にやってからほざけ、間抜けが。
人類史において、そのような回り道で何かしら偉業を成し遂げた人物など存在しない。才能だの環境だのに少しばかり「苦労みたいなもの」を、軽く味付けすれば「苦難の道程」の完成だ。
進めば進むほど、後退する。
その程度の理不尽すら、知らぬまま。
それで世の酸いも甘いも噛み分けたと豪語するのだから脱帽だ。勝負に挑む権利すら剥奪された事があるか? 敗北すら出来なかった事は?
失敗を繰り返し、奪われ続けた事は?
たかが一万回他人に失敗させれば、それだけで理不尽を克服したと自惚れる。だが実際には失敗の克服どころか、理不尽の欠片も無いままだ。
羨ましいと、素直に思う。
たかが挑み続けた程度で何かに成功出来るし、努力だけで栄光を掴め、困った時には「仲間」が助けてくれるのだ。
これほど「楽」な道があるか?
生憎私は、そのような楽な道程を歩めた試しが無いので関係無い噺だ。とはいえ、それが世界の真実だとも言えるだろう。
楽が出来れば、それが全てだ。
過程においてどのような労力を払うかなどゴミに等しい。少なくとも、私は対価を貰った事など一度として無いままだ。
ただ、ただ、苦しむだけだった。
故に、労力を払ったから成功できたなどと口にするのは、ただの誤魔化しに過ぎない。己の力で成し得たのだと、そう言い訳したいだけだ。
さしたる労力も払わなかったからこそ自慢げに出る台詞だ。第一、労力など無駄にならない方がおかしい。労力が報われるなど馬鹿げている。
それはただの「労働」だ。
そして、規定の金額しか払われない労働とは、元より正当な対価など有り得ない。そうであると錯覚しているだけで、事実は真逆。
奪われる側の逃避に過ぎない。
麻薬みたいなものだ。下らない。
だからこそ、もっと捨てなくては。
勝つ為に邪魔であれば、私は幾らでも捨てる。それが「人間性」という「心」であれば、それはそれとして勝つ為に捨てるまでだ。
未来など不要。
幸福など必要ない。
希望など捨ててしまえ。
愛も友情も私には存在せず、賞賛も同調も共感する機能など無い。故に、私には必要ないのだ。人間性の求める全ては、適当に使い捨てる為だけに存在する。事実、私には欲した事も、手にした事すら存在しない。
だからもっと、捨てなくては。
ただでさえ現状で利益が遠いのだ。むしろ世界全体が「更に捨てろ」と、後押ししている気さえする。事実そうであり、それが「全て」だ。
世界に人間賛歌は存在するかもしれない。
だが、それは全てただの「ゴミ」だ。実際には持つ側の戯れ言であって、価値のない自己満足に過ぎず、何の役に立つ訳でもない。
再利用出来る分、ゴミの方がマシだろう。
元より誰も、人間賛歌など体現するどころか、既に信じてさえいないのだ。ならば私が人間否定の為に生命らしさを捨てるのは、既に必然。
であれば、もっと捨てなくては。
捨て方が生温かったのだ。心など存在しないがしないだけでは足りなかった。率先して幸福論を否定し、絶望だけを広めなければ。
それが「私」の「役割」だ。
幸いこの身は「幸福」と縁遠い存在だ。むしろ「対極」と言っても良い。世界から幸福の全てを消し去ったところで、損をしないのは確かだ。 何せ、得をした事が一度も無いからな!
ならばもっと捨てなくてはなるまい。人間性の全てに飽き足らず、生命の有り様すらも否定して行かねばならない。もっと「命」を捨てるのだ。 魂など消し去れ。
精神など汚染しろ。
人格など金になればそれでいい。
元より、目の前の相手を直視する奴など今ではどこにも存在しない。つまり「結果」だけで言うなら今までと全くの「同じ」だ。
故に何も問題ない。
そういう意味では「味方がいない」というのは気楽ではある。それらしい綺麗事を押し付けたり味方だからと身勝手な都合を押し付けるクズには縁があったが、そんな連中に気を払う義理はないので、何人死のうが構うまい。
むしろ、爽快な気分だ。
明日はもっと人間性から遠ざかり、日を越せば更に対極の化け物になれるだろう。私は今まで、甘過ぎたのかもしれない。
人間に、読者ごときに「期待」し過ぎた。
何を考える必要も無かったのだ。価値が元より無いのであれば、それは徒労に過ぎない。
気が向けば、見てやる程度で良いのだ。
ゴミをどれだけ眺めたところで無駄は無駄だ。ならば適当でいい。少なくとも金にならない内は御免被る。
あれこれ理屈を並べても無駄だ。
付き合ってられるか、間抜けが。
廃業するつもりはないが、読者を甘やかす趣味も無い。既に見捨てているので、これからは更に奴等への考えを捨てなければな。
いや、この場合「期待」をか。
ついゴミクズにも出来る事があるのではないかとリサイクルに目覚めるのが悪い癖だ。いい加減それも修正せねばな。時間の無駄は御免だ。
そういう事だ、読者共。
恨むなら己の情けなさを恨むのだな。最早最後の「作家という生き物」であるこの私に、貴様等読者は見捨てられ、忘れられた。
最早世界に「物語」は必要ないと証明したのだ・・・・・・愚かしい限りだが、私には関係ないしな。利益にならない奴等がどうするかなど知るか。
そのまま、無様に死ぬがいい。
お似合いだぞ。人間性の全ては形骸化し、物語とは麻薬の別名になり、作者は読者を見切る事で世界は前へと押し進められましたとさ。
めでたし、めでたし。
それが貴様等の結末だ。もっとも、私は違う道を行くがね・・・・・・知りたいならば金を払え。
出来は保証しないが、悪意だけは保証する。
それが「邪道作家」の「物語」だ。
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