見出し画像

世界、平和になってほしいという話。

こんにちは~!
最近は12月になり、今日は氷点下何度だろうって確認する毎日です笑。でも思ったより寒くなくて、多分風が少ないからなのかわからないですが、日本の真冬の朝とかの方が寒いかなって感じです笑。(まだ極暖ダウン着てないです!)

といっても外の景色は完全に真冬になり、凍った湖の周りでスキーウェア着ながらBBQしたり、期末試験の会場まで雪で凍結した路面を歩き、3回くらい滑って転びながら辿り着いたりという日々です。ケガには気を付けたいところです。

この前は、部活のパーティーで、お高いノルウェー料理屋さんでクリスマスディナーを食べました!前菜のサーモンはめっちゃおいしかったんですが、メインのお肉と芋の盛り合わせ笑みたいなやつは普通でした笑。肉にジャムを塗るのが文化なんですが、普通にもっと美味しいソースあるでしょって思ってしまう、、。

に比べて、ポーランドのご飯は全部美味しかったんですよね。笑

ここには載せてないけど、ラーメンとかうどんも食べました。僕にとってはいま何より希少性の高い食事でした。笑

クラクフは街並みも綺麗でした!中世から続く旧市街は、世界遺産第一号!治安もいいし、ご飯も美味しいし、物価も安いし、ヨーロッパの間違いなく穴場スポットだと思います。
ワルシャワ旧市街もとても綺麗でした!
ポーランド陶器、おしゃれですよね。


~ノーベル平和賞授賞式開催~

さて、12月10日、ノーベル平和賞受賞式が行われました。日本の被団協が受賞で、日本の受賞は50年ぶりだそうです!
実はノーベル平和賞の授与主体はノルウェー政府であり、受賞会場も首都オスロに設置されています。

そして、偶然にも僕がオスロへの留学を志した(学問的な笑)理由は、平和紛争学の視点から国際政治を学ぶことでした。
オスロはノーベル平和賞をはじめ、平和学研究に関して発達しており、日本で学ぶいわゆる米国主義の国際政治とは視点が異なる学びが得られる機会があります。

ノーベル平和センター。現在は平和賞の日本被団協、また発表前から今も、ジェンダーや戦争などの暴力と戦ったオノ・ヨーコ展が特別展示されています。

今学期は、ノルウェー外務省の元国務長官の教授から学ぶ機会があり、基礎的な世界の紛争についての理論と現状を知りながら、核抑止に関してもセミナーの時間に、クラスの様々な国の生徒と意見を交わし、直近の出来事であるインドパキスタン危機や、ウクライナ戦争についても理解を深めました。

世界を大きな枠組みで語ること

国際政治について、大きな主義や枠組みで捉え、一方をただ批判しながら、世界情勢や戦争について語ることが、日本の大学の授業や、最近のアメリカ、日本の政治情勢において増えているように感じていました。

例えばウクライナで起きている紛争について、アメリカのバイデン大統領は、民主主義への挑戦だとして、民主主義対専制主義という世界の構図を引き合いに戦争支援を継続しており、日本をはじめ他国もこれに追随せざるを得ない状況です。

でも、こんな大きな構図を世界で作って果たしてウクライナとロシアの個別問題的な紛争を解決できるでしょうか。そもそもこの問題には、ロシアとウクライナの民族的同一性や、公用語問題、また東欧諸国を中心にNATO拡大が緊張感を高めたことは言うまでもありません。
それなのにアメリカが中心となって世界の民主主義側とそうでない側で、世界の分断が進み、本来この紛争に関係のない北朝鮮までロシア側に派兵するような事態に進んでいます。

世界では特に大学に通う人たちをはじめ、僕の周りもトランプが嫌いな人が多いですが、個人的には国際政治に関して、トランプの方が戦争に消極的な人間であると思っています。一期目を振り返っても、大きな攻撃は少なかったですし、何より今回、次期大統領となってはじめて、ウクライナ紛争に関して、支援や戦争継続を訴えていた当事国と世界の風潮が、「交渉」の内容や終わり方について真剣に考えるように変化したと思います。
自分たちの主義が正しいと決めつけ、それを世界で大きな同盟を作りながら輪を囲み、少数派を追い込む外交より、ディールやかましと批判もされますが、一対一の国同士で個別具体的な交渉をするトランプ政権の方が、世界の平和には貢献しているというのが僕の個人的な意見です。

米大統領選挙期間は、ノルウェーも大盛り上がりでした。ワールドカップみたいな雰囲気で、Pubとかでワイワイしながら結果を見る人もいました。普段電車広告なんてないノルウェーもこの時だけはアメリカポスターです。

平和学研究の聖地、オスロ

おそらく国際政治学の中に位置付けられる領域に、平和学というものがあります。主流の国際政治学からは批判の対象となることもしばしば、あまりメジャーではない分野です。

簡単に言えば、いわゆる通常の国際政治学は「戦争」の学問であり、そうではなくどうすれば「平和」を作れるのかを考えるものです。
支配する側とされる側を貧困などの従属理論から読み解く経済的領域や、気候変動や資源獲得競争から生まれる争いを読み解くもの、正義に関する宗教的な教義から戦争を考える分野など領域は様々です。そして、そこからどうやって平和を創り出すかにフォーカスします。

実はこの平和学を創り出した人物が、ヨハン・ガルトゥングという人で、オスロ大学の出身者でした。その影響もあり、ノルウェーひいてはオスロでは平和学研究が活発な場所となっています。

彼が残した概念の一つに「積極的平和」というものがあります。
武力紛争など直接的暴力を克服することで達成されるものが消極的平和であり、社会構造に生じる貧困や差別など構造的暴力を克服することで達成されるものが積極的平和です。この積極的平和の構築を目指す学問として平和学が誕生し、従って彼は国際政治学者ではなく社会学者といわれています。

被支配国としての平和希求

ノーベル賞に話を戻します、、。
ノーベル賞は基本的に全ての分野で、ノーベルの生まれであるスウェーデンが主体となって授与を行いますが、平和賞だけはノルウェーが管理しています。
これがなぜかということなんですが、これにはノーベルさんが生きていた時代にさかのぼる必要があります。

ノルウェーは昔から数多くの侵略と支配をされる経験をしてきました。その中でも特に1319年から1905年までの約600年は、スウェーデンとデンマークの同君連合という名のもと実質的な支配に置かれる時間が続き、ノーベルが生きた1800年代もスウェーデンに支配された国家としてノルウェーは発展し、市民の不満と独立闘争は絶えず続いていました。

ノーベルはダイナマイトなど弾薬を発明したことで有名ですが、それは当然当時軍需産業で栄えていた彼の出身国スウェーデンに莫大な富を付与することになります。自身への批判となった「死の商人」というレッテルを剥がすためにも、化学や平和に貢献した人物にノーベルの名のついた賞を与えよと遺書を残し、さらにノーベル賞を決める委員会の構成員はノルウェー政府によって任命すること、そして平和賞の授与会場はノルウェーにすることが告げられました。

支配される側の国家が決める賞にこそ、本当の平和の意味があらわれるという彼の願いがあらわれた賞にも感じ取れます。

ノーベル平和賞の授賞式は、オスロ市庁舎にて、12月10日、ノーベルの命日に毎年実施され、今年も外にはイスラエルを批判するパレスチナ国旗を掲げたデモ隊が平和を訴えるなか、粛々と式が進められました。

授賞式当日のオスロ市庁舎

平和への理想が壊された中立国

そんな崇高なノーベルの願いから生まれ、今も平和を希求し続けるノルウェーですが、この話には、悲惨な続きがあります。

被支配国としての長い歴史を持つノルウェーは、1905年の独立後一貫して「中立」という立場を固持し、第一次世界大戦や第二次世界大戦を迎えました。

しかし、第一次世界大戦ではイギリスとの深い経済的関係があり、他国からは「中立的同盟国」と批判を受け、経済や海運にダメージを受けました。

この期間、ノルウェーが目指していたものは何かというと、中立国という立場と徹底的な軍縮でした。
先ほどのノーベルの話とも通じますが、ノルウェーの歴史上、武器を増産することに対する嫌悪感が強くありました。
また、ヨーロッパ大陸から距離があるノルウェーは、第一次世界大戦を含め、それまで大きな戦争の被害を受ける舞台ではなかったことから、必死になって武器を増産しなくてもよかったという事情もありました。

一方、第二次世界大戦では、ノルウェーの地が、スウェーデンからドイツへの鉄鉱石輸送のための重要な港として、またイギリスからは北海の海上支配の要所として、戦略的に注目されました。
さらに航空技術の発達により、地理的に海を越えて離れていることが大きな戦争を逃れる要素でなくなりました。

そんな大戦に巻き込まれる寸前の状況のなか、ノルウェーは軍事力に頼らず、イギリスが安全を保障してくれると信じて中立を維持しようとしましたが、イギリス・ドイツ双方に良いように操られ、結果的にドイツに非常に短期間で占領されることになりました。

これには様々な要因がありますが、現在のノルウェーにも繋がる重要な要素として、軍事力の不足と、資源の取引による利害関係の中に入ってしまったことが挙げられます。

ロフォーテンという北部が戦地となりました。10月に遊びに行ったのですが、絶景が広がる一方で、空港には軍もののPVが流れていたり、美術館には綺麗な絵の中に戦争の面影があったりしました。
亡くなった兵士を担架に乗せているのかな。
ちなみにロフォーテンは、ノルウェーの有名な観光地で、山を登ると絶景です。
登らなくても絶景です。
ベランダから。
関係ないけど、北欧っぽいお店が多くて幸でした笑。

(↓第二次世界大戦で英独の板挟みとなったノルウェーのある若い夫婦の苦悩が描かれたNetflix作品です。「中立」という立場がいかに意味をなさないか強く訴えている映画だと思います。2022年に公開された作品なので、綺麗な画質で、ロフォーテン地域の美しい雪景色も楽しめます。)

現代への示唆

ではこの反省を活かして、ノルウェーの現在の安全保障はどのようになっているでしょうか。

まず、中立国という立場を捨て、NATO加盟を選んだことが挙げられます。
最近スウェーデンとフィンランドの加盟が大きな出来事となりましたが、実はノルウェーは1949年というだいぶ初期からNATOに加盟しています。フィルマークというノルウェー北西部は、ロシアに接しており、ここを拠点に、アメリカをはじめとしたNATO諸国の巨大な防衛体制が敷かれています。

ノルウェーは、外部と防衛を連携し、力を保持したうえで、平和を維持するという姿勢が強く現れる国家となりました。実際、ノルウェーでは徴兵制が今も導入されており、僕の友人たちもほとんどが兵役を経験しています(皆のインスタをみていると、ライフルとかもって軍服を着ながらも、部活のように楽しそうな写真を笑顔であげています笑、流石幸福の国。)。

また、ノルウェーは現在石油・天然ガスの生産・輸出で大半の国家収入を得ている資源大国です。これはほかの北欧諸国との顕著な違いで、北欧諸国の中でもノルウェーはお金持ちな国として認識されます。
しかし一方で、資源をもつということは裏を返せば、それだけ他国に利用される危険性が高まるということを意味しています。思えばナルヴィクという港がドイツにもイギリスにも狙われたことには鉄鉱石の輸送ルートであったことが大きな要因としてありました。だからこそ、資源を持ち、さらに現在はロシアの影響でノルウェーに資源を依存する欧州をはじめとした国家が増えているからこそ、自国の防衛に関して彼らは真剣に考えています。

ちなみに雑談ですが、ノルウェーにはもう一つ世界にとって貴重な資源があります。スヴァーヴァル諸島という、北極圏に位置し、アナ雪の原作『雪の女王』のモデルとなった場所に、世界種子貯蔵庫と呼ばれるものがあります。極寒の地に世界中の農作物の種子や貴重な原種などを貯蔵しておき、いつか世界の一部あるいはすべてが農作物を生育できなくなっても、再生可能にしておくためのものだそうです。映画みたいな話。。笑

友達が遊びに行ってました笑。地下に大きな倉庫があるそうです。

そんな歴史を経て今に至るノルウェーは、戦後再び国連やNATOに向けて、世界の軍縮を訴える国家として、またオスロ合意をはじめ国際政治に仲介的に関わるアクターとして存在感をあらわしています。
しかし一方で、戦前のノルウェーと違うのは、NATOの核の傘に入り、自国の防衛を確保したうえでの立場であるということです。
理想だけを語り、また政治的な要素が強いと批判をされるノーベル平和賞ですが、軍縮や核廃絶という理想を一国だけで追い求めることは、悲惨な未来が待っていることを知っているからこそ、世界で一丸となって実現できる日が来ることを願って発信し続けているのかもしれません。

Stortingノルウェー国会です。1814年、スウェーデンからの独立の100年ほど前から独自で憲法を作り、議会主義を発展させました。最近はパレスチナデモが頻繁に起きています。

日本が核廃絶を訴えること

Detterence(抑止)の発展した概念として、Extended Detterence(拡大抑止)というものがあります。
代表的な例が日米同盟です。日米同盟の意図は、名目上は日米で連携して、インド太平洋地域の安全保障を保持することですが、アメリカにとってはもう一つ重要な目的があります。日本の核拡散意欲の低減です。

アメリカの核の傘に日本を入れることで、日本に核開発の必要性をなくすということです。これはアメリカにとって非常に重要なことで、かつて特攻隊までをつくり、アメリカと戦争を起こした日本に、絶対に核を持たせるわけにはいかないという彼らの意図が隠されています。
つまり、自国で核を作れない日本は、日米同盟によりアメリカの核の傘に入れてもらい、抑止力を作り上げている状況があります。そしてこれを客観的に世界に保証するものは、アメリカとの政治的な条約や声明という「ことば」のみとなります。2023年の日米共同声明でも、核を含む抑止力の提供が宣言されています。
しかし当然、日本がもし攻撃され、アメリカが核を使用するとなった場合、アメリカは自国本土が核による反撃を受ける可能性を飲んで、攻撃しなければなりません。そのようなリスクを本当に現在のアメリカがとるのか、世界中で近年議論が起こり、日本が核の傘にいるという信頼性は国際的に下がりつつあります。

日本が自国の安全を保障するには、「アメリカの戦う意志」が示される必要があり、その「ことば」が他国(中国、ロシア、北朝鮮。日本の周りは核保有国ばかりです)からの攻撃の抑止になります。Everything hinges on will、抑止とは意志が現れて初めて機能します。事実これがうまく機能せず、NATOではウクライナのほか、ボスニアやジョージアなど、数々の失敗を繰り返しています。
そうした状況下で、日本が国として率先して核廃絶を先導することは、現実的に難しいものがあるとどうしても思えてしまうのです。

日本被団協の演説を聞いて

授賞式の翌日、被団協の方々はオスロ大学に訪問され、そこでお話をきく機会がありました。

個人的には、日本人としては目新しいものは特になかったのですが、広島や長崎の高校生たちがオスロに来て、英語で自分たちの活動を訴えている姿はとても印象に残りました。

さて、10年後20年後には、おそらく被爆者一世の方から直接お話をきく機会はなくなるでしょう。どのように伝承された二世三世が、説得力を持って伝えることができるか、非常に悩んでいると、被団協の方々はおっしゃっていました。

歴史を繰り返さない努力には、どのようなものが求められるのでしょうか。

以前訪れた場所に、同じような問題に直面しているところがありました。

ポーランドのクラクフにあったユダヤ人ゲットー、そしてそこからほど遠くない場所にあるアウシュヴィッツ強制収容所です。


かつてユダヤ人ゲットーだった地域
映画『シンドラーのリスト』の舞台にもなった、ゲットー地区の象徴となる場所です。
アウシュヴィッツ。本当に広すぎて、目を疑いました。ここに100万人以上がいたそうです。
『The Zone of Interest(関心領域)』という映画があります。この虐殺現場の隣に、収容所所長家族が暮らしていた実話の作品です。時折聞こえる悲鳴や銃声がひどく不気味で、でも不思議と映画が終わる頃にはそんな音にも耳が慣れてしまう自分がいました。
"Arbeit macht Frei" 働けば自由になる だそうです。
ワルシャワにある無名戦士の墓。ポーランドに命を捧げた無名戦士たちのための墓地です。


"History will condemn us forever, and the only reaction (if there is any way left for us) is to save our soul in the future, since we are lost anyway.
At least leave behind a memory that someone will pay homage to one day."

「歴史は私たちを永遠に非難するだろう。そして、私たちにできることがまだあるとすれば、唯一の反応は、いずれにしても私たちは失われるのだから、未来において魂を救うことだ。
少なくとも、いつか誰かが敬意を表するような記憶を残そう。」

(quoted from Justyna's Diary by Gusta Dawidson-Draenger)


市民レベルの戦争への抵抗運動は、所詮指導者には届かないという考え方もあります。一方で、そうしたミクロな運動が、戦争への説明責任や国際的な批判に繋がり、武力行使という選択を指導者から遠ざける大きな影響力があることも、平和学では検証されています。

平和について考える一週間として、オスロではノーベル平和賞授賞式のある12月第二週はPeace daysと表し、様々なイベントが行われています。

せっかく、平和紛争学の志望理由で留学したのと、今回偶然にも日本の団体がノーベル平和賞を受賞されたので、少し重たい話題でしたが、書いてみました。。笑

それでは、皆さんよいお年を!!


いいなと思ったら応援しよう!