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自由なキャンバスの上で
ここ最近、キャリアについて考える機会が増えて、それと同時に今までの人生を振り返ることが多くなり、大学にいるノルウェー人や、電車や湖の周りで遊んでいるノルウェーの子どもたちを眺めて、「もしノルウェーで生まれてたら、どんな人生を送っていたのかな」なんて考えることがありました。
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2月は凍てつく寒さとともに、なんだか底知れぬ緊張感を思い出す季節でもあります。多くの方が、何かしらの入学試験に向かって戦っていた時期なのではないでしょうか。
僕は大学受験は附属のまま上がったのでしていませんし、高校受験がトラウマになるほどきつかったかといわれると、当時はそれが当たり前で、皆同じようにやらなきゃいけないんだからって感覚で毎日勉強漬けでも耐えてた気がします。何なら、中学受験の時の方が、あんまり大人の社会についてわかっていなくて、勉強大嫌いだしやりたくないけど、住んでいた場所がお受験学区でみんなやってるから自分もやらなきゃって雰囲気にのまれて、やってるふりだけして、辛かった記憶があります。でもそれも、それがあったから高校受験に繋がったんだよって言われて、日本にずっといるとそんな人もたくさんいるから、そうだったんだろうなって思って、別に何の違和感も感じてきませんでしたし、そのおかげで得られた選択肢や、素敵な出会いもたくさんあって、頑張っといてよかったって思っていたと思います。
でも、こちらで暮らしていると、そういった辛いほど頑張った経験をしたから今があるっていう類の人とあまり出会わないのです。
前回の記事で、ノルウェーの平等主義や、公立大学において入試も学費も必要ない状況を記しましたが、実際にオスロ大学に通っていると、本当にその分野に興味のある人が勉強をしに来ていて、日本で当たり前に肌で感じていた学歴社会とか、就活のためにみんなが行く大学に行くとか、そういうのがなさすぎて、違和感というか、ここで育ってたらどんな人間になってたんだろうってすごくどこか寂しさとか羨ましさを感じるんです。
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色んなところで言われる有名な話ですが、学士卒で新卒みんなで就活するって日本くらいで、みんな当然修士までいって専門性を身につけて、卒業してからやっと仕事探しを始めますし、僕は政治系の授業を結構取ってるので、周りはみんな政府系組織で働く予定の人ばかりで、民間企業に行くって人も全然いませんし、前期はNATOとかの勉強が多かったので、日本人でNATOのキャリアの道に進むのはambitiousだねとか言われてました(行くわけない)。
ここまで書くと、なんか欧米のジョブ型をただ称賛しているみたいになってますが、逆に能力主義の大変なところが山ほどあることは承知していますし、大したスキルがなくても雇ってくれる日本に感謝をしているところはとてもあるんです。
それに単にどっちかがよくて、もう片方がだめだとか、そういう短絡的な話でも当然ないと思います。個人の性格とか考え方によると思うのですが、僕は自分の過去を振り返って、自分の性格を照らし合わせると、日本のキャリア形成の流れがあんまり合わない人間だったんだろうなって思うというだけです。
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先日、親がこちらに遊びに来ました!旅行がてら一緒にフランスに訪れたのですが、実は家族でフランスを訪れることに何となく思い入れがあります。
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小学生低学年のころ、僕は何か自分の得意なことが欲しいと思って、親にお願いしていろいろ習い事をさせてもらう中で、一番長く続いたものに、絵を描いたり工作をしたりするアトリエというものがありました。
といっても、いわゆる丁寧に絵の描き方とかを教わる絵画教室とかと違って、めちゃめちゃ自由で、毎週材料だけ渡されて、自分の作りたいもの考えて、好きなように作ってねという感じの場所で、何を作っても、というか作れなくても怒られないし、絵画とか工作だけに限定もされず、時にはうどん粉の上をぺたぺた踏んで好きな形のうどん作ったり、何もしたくないって週はアトリエにいたウサギとインコと戯れて終わったり、ほぼ無法地帯って感じで自由に遊べて心地が良かったのを覚えています。
ある時、絵画コンクールに出展してみようってことになって、いつも通り自由な(というか周りからみたらめちゃくちゃな)絵を描いて、いざ出してみると、不思議なことに結構良いところまで進んで、なんとフランスのルーブル美術館に飾られることになったということがありました。
というわけで、家族でわざわざパリまで行ったわけですが、当然10年以上前の話で、小さいころのことなので、僕自身の記憶はほぼありません笑。受賞者貸切の広大な美術館で弟と走り回ってたような?笑
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ただそのころから絵画をみたりするのが好きで、そのなかでも当時大好きだった絵本に、ピカソの絵本があったのを鮮明に覚えていました。
多分、僕が当時描いていた自由というか、半分むちゃくちゃな絵が、ピカソにも同じようなものを感じて、とてもワクワクしていたんだと思います。
そこで今回、パリにあるピカソ美術館に行ってみました。
当時大好きだったピカソ。きれいな絵というわけではなく、意味はわからないけど、どこか心を掴まれたあの力強い迫力と色使いに今の自分はどう感じるんだろうと興味がありました。
ピカソを特集した美術館なので、彼の生涯を追うような、彼の人生について展示ブースごとに説明があったりもして、英語を読めるようになった今、初めて彼がどんな時代にどんな人と接して、どんなことに興味があって作品をつくってきたのか知りました。
(まだ死後70年経っていないっぽいので、一応絵の写真は沢山撮ったけど、載せるのはやめておきます、、笑)
キュビズムといって、物象を幾何学的に捉えることを試み、立体的な作品や、まるで図形のような規律ある絵画が初期は多く、これらは時に当時の数学者や科学者にも影響を与えたといいます。
僕が子供の頃「ぐちゃぐちゃな絵を描く人」と思っていたピカソは、実は世の中のものを規則正しく、科学的にみることを試みていた人だったのです。
しかし、時が経つにつれ、彼の絵はより感情的で、また破壊的とも思える形に変化していきます。戦争とか、恋愛関係とか、いろいろ要因はあるとされていますが、何より彼は自由を求めていたのではないかと僕は勝手に思っています。
もともと彼は、形式に縛られることを嫌ったからこそ、二次元だけでなく立体的な三次元の作品に取り組んだり、幾何学的に分解して新しいものの見方や描き方を模索したりしていたとされています。
でも、数学的な規則とか、物理的な法則とか、世の中の摂理を追求すればするほど、型にはまっていくように感じて、そんなものをすべてぶち壊したくなって、あのような印象的で感情的なタッチの作品が生まれていったのではないでしょうか。
当時は単に「ぐちゃぐちゃ」だと思っていた彼の絵に、今はどこか自由を表現することの苦労や、型を壊すことへの苦しさが感じられました。
何も知らない幼いころに描く「自由」は、そりゃ簡単なんです。知っている型がなくて、テクニックもなくて、思いのままに描けばいいだけですから。
でも、大きくなるにつれて、社会のルールを知って、教科書には書いてないけど明らかに正解とされる生き方を知って、それについていくことが当たり前だし楽な道だってこともわかるようになります。気づけば自分もしっかりそのレールに乗って、今あの頃の絵を描けるかと言われれば、絶対に描けないでしょう。
一度規則を知った人間が、それを壊して自由を描くことがいかに難しいか、ピカソの作品をみていると感じてしまいます。
僕の中では人生の転機の一つとなるだろう時期がありました。
高校の頃、部活に入り、特殊なポジションでしたが、みんなと頑張って全国大会に行くことに一生懸命になり、一直線な努力をしていたときがありました。
実際みんなと一緒に最後目標としていた舞台に行けて、引退ということになりましたが、その後大学で体育会に入るか、ずっとどこかで悩んでいました。
その競技をやりたいかという話もあるんですが、それ以上にあったのは、その後の自分の生き方についてでした。
極端な考え方と思われるかもしれませんが、大学生と同じ場所で練習していたこともあり、その体育会に入るとおそらくそこで太い人間関係を作って、OBの方とも良い関係性を作って、この先就活も出世も大体は安泰になるんだろうなという見通しが高校3年生ながら立っていました。
でも一方で、もっと自分の直感を頼りに、面白いと感じる方に、自由に歩ける人生でいたいとも次第に思うようになりました。
正直受験と部活を経験して、視野は少し狭いかもしれないけど、一生懸命一直線に頑張ることにそれまで重きを置いてきて、これからもそういう感じで生きるんだろうなとその数年思っていたからこそ、いざ分かれ目に立った時に、そこに違和感を感じる自分がいたことにとても驚いたんです。
思えば小さいころ、色んなことに目を向けて、楽しいことをしなさいと親に何度も言われて、そんな中で居心地の良いアトリエに通わせてもらって、大学受験もしなくていいように早めに受験も終わらせて、好きな部活をして、だからこそ、決まったレールに乗るのではなくて、頭を柔らかく、視野を広く持って、自分が楽しいと思える方に進むべきだなと、何の将来のプランもないのにあの時思ったんだろうなと、今いろいろな未来のことを考えている中で感じています。
その時の判断が正しかったか、まだ自信をもって答えは出せませんが、少なくともオスロという場所に出会って、日本にいたときには巡り合わなかったような、それでいて自分にとってとても心地の良いような考え方の人たちと会うことができて、こんな世界もあるんだと知れていることは、きっと意味があることだと思えています。
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今回フランス旅行ではパリだけでなく、リヨンにも訪れました。『星の王子様』作者サン=テグジュペリの出身地。
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「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
大切なことは目には見えないんだよ」
気付けば、「目に見えるもの」ばかりを気にするようになっていたような気がします。でもだからこそ、重要な時には一度瞼を閉じて、あの頃の、社会の何も見えていなかった頃の自分を思い出して、自由な心の目でもう一度大切なことを見つめなおす瞬間が必要なのかもしれないなと思いました。
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長くなりましたが、旅行の話も表面的なことは写真を漁れば出てきますが、こういう気持ちは帰ったら忘れてしまいそうな気がするので、ここに残しておきます笑。
また来月!!