余白、信頼、ヨガ
たまに言葉がいらないと思うことがあります。
伝達としての「言葉」という意味ではなく、時間や空間を共にしている時にもうそれだけで十分満ち足りていて言葉はいらないと感じるのです。
私は普段ヨガをしていて、自分一人で行う時は黙って静かに体を動かしています。レッスンで指導する時はアライメントの指示を入れますが、効果はそれほど言わなくていいと感じています。
〇〇にいい、△△が改善されていく、◇◇を整える、など。
と、書いてたら「あ、まだ言ってたな」と気づいてしまいました。(笑)
言っているんですが、実際そうなるかなんて人それぞれ違いますし、検証もできません。もし調子が良くなったとしたら結果論であり、ヨガ以外の要因もたくさんあるだろうなと思います。もちろんヨガもその一つでしょう。
むしろ余計なことを言わずに体と対話する時間、空白の時間を提供したいと思っています。
生徒さんがどう感じているのか。何がキツくて何が心地いいのか。無理している自分がいないか。今日は難しいポーズにもチャレンジしたいのか。感じるモノは人それぞれ違い、日々変化します。
そこに「このポーズは〇〇だよ」「〇〇に効きますよ」と、こちらが答えを押しつけるように言葉を差し出すのはどうなんだろう?と考えるようになりました。
実際そのようにレクチャーされてきましたし、そのような方法を喜んでくれる方も多いのかもしれません。どちらが正解というのも無いのでしょうね。
ただ最近は少々しゃべり過ぎて、レッスンで生徒さん自身が体感する余白が減ってしまっていると感じています。だから少し黙ろうと思います(笑)
呼吸のカウントも任せる。心地いい場所を自分で探してもらう。自分の足でどっしりと立ち、軸を養い、バランスの取れた体を自分で感じるからこそ、マットを離れたときも丈夫な心と体を以て日常生活を営んでいけるのです。
何でもかんでもやり過ぎず見守る人でありたいと思います。自分を信頼して、生徒さんを信頼して、少ない言葉でも十分に伝わるヨガのあり方を探求していきたいと思います。