見出し画像

愛ある教え、そして学び

私が小学生の頃、両親が共働きだったので学童保育に通っていました。みんなで外遊びをしたり、室内で工作や宿題をしたりして午後の時間を過ごします。

普段の小学校生活では上級生や下級生と関わることは殆ど無いので、学童保育に行くと学年の違うお友達ができて、先生とも距離が近かったのを思い出します。

おやつの時間の後片付けを手伝ったり、季節の催しものがあれば、飾りを作って装飾したり、そしてお箸の持ち方も教えてもらいました。(笑)

若い先生の言い分に納得がいかず私がふてくされていると、ベテランのM先生が根気強く説明して理解を促してくれました。小学生だから、子供だから、と言って適当に済ませない大人にこの時初めて出会いました。

私は今、あの頃出会ったM先生と同じ年頃です。大人も子供も分け隔て無く真摯に向かい合ってくれた先生の教えが、私の中で芽生え、知恵となっているか、正直なところ分かりません。

測る術が無く何とも言えないのですが、確実に私の人生の土台、あるいは核となって息づいています。

当時、私には一人だけとても苦手な男の子がいました。一つ上のその子は気性が荒く、乱暴で、同じ部屋にいるのが恐怖で仕方ありませんでした。ですから、おやつの時間は決まって私は腹痛になり、布団で過ごすようになったのです。

ある日の夕方、親のお迎えが遅くなり、学童保育には私とその男の子の二人だけになってしまいました。M先生は私が彼を怖がっているのを知っていたのかは分かりませんが、私たち二人を同じテーブルに呼んで、「大豆運びをしよう!」と言ったのです。

お皿の上の大豆をお箸でつかみ空のお皿に運ぶ競争です。まん丸い大豆は運ぶのが一苦労で、大人でも真剣にやらないと難しいですよね。

二人ともすごく夢中になって大豆を運びました。ツルツル滑る大豆と格闘し、上手くいかなくてケラケラ笑い、どっちが勝っても何だか温かい空気が流れて楽しかったのを覚えています。

そうして遊んでいるうちに、二人ともお迎えが来て、各々の家に帰っていきました。

間もなく彼は学童保育を卒業し、後にも先にも一緒に遊んだのはその一度きりでした。それでも、たったその一度の時間が私から彼に対する恐怖を取り除き、楽しい思い出になって今でも残っています。

M先生はどんな子供たちにも真っ正面から向き合い、気の強い子も弱い子もみんなに愛を持って接する方でした。そして、みんなM先生を慕っていました。

私も及ばずながらヨガを伝える者として今、先生業をしています。正直いつも全てのレッスンがうまくいくわけではないですし、自分の力の無さも痛感します。

しかし、M先生がいつも優しく粘り強くそばで寄り添っていてくれたことを改めて思い出すと、表面的なテクニックや言葉だけではない、深い愛情を生徒さんと共有したいなと感じます。

ヨガを高い壁と思わず、よき友のような存在に感じてもらえるよう、私もM先生のように愛の溢れるレッスンをしていきたいと思います。



いいなと思ったら応援しよう!