現実か彼岸か…夢想し苦悩する魂〜務川さんリサイタルツアー2024夏

ツアー最終日
幻想ポロネーズ
これまで椅子に座るやいなや弾いていたのが、今日は一瞬の間が! 前方を見た。フレデリックがいたの?

務川さんは日頃「心を割く」という言葉を使っているが、そんなものではなかった、全身全霊、この曲に、この音楽にその身を捧げ、それ故に務川さんの魂が抜き取られてしまうのではないかとさえ思えるほど。正直“生贄”なんて言葉が頭をよぎるほどの献身、没入。。
とはいえ、そこは演奏家、“離見の見”というか、生贄務川さん(失礼🙏)と共に、作品と自分との距離感、音のバランス等緻密に冷徹に図っている務川さんも、同時に存在していたのだろう。演奏は素晴しいものだった。

終わってよろよろと立ち上がった務川さん、その表情に笑顔はない。幾分苦しげ、悲しげでさえある。後のトークで「色々思うことがあってとても笑えない」とおっしゃってた。こちらも胸がぎゅっとなる。

そのままの没入感でフォーレへ。務川さんが“苦い薬”のような、と評されていたノクターン、苦さの中の甘美……
サントリーホールでもこのフォーレには胸をえぐられた。一般紙(日経)の評論家の先生も「悩めるものの祈りのごとき趣」と格別に感銘を受けられたようだった。

そう、サントリーホール!!ここでの演奏も素晴らしいものだった!!!
単に広くてキャパ大きいだけでなく首都の中核ホールは専門家や評論家の先生方や業界の偉い方もお見えになるだろうし、芸術家として好きに弾けばいいというものでもなく、演奏家としての腕の見せ所という側面もあると思うので。。
その意味かどうかは知らないけど務川さんもたいへんに緊張されたよう…
でも良き緊張は良き集中に繋がる。このツアーのひとつの完成形、ひとつのピークのように思われた。

そしてそして、いずみホール!!!
これ以上ないのではというほど素晴らしかったサントリーのあとのいずみホール!!! これがなんとも凄まじい神回だったのだ!!!
一度完成形に持ってきた演奏をさらに深め、解き放ち、ある意味より自由に、語弊を恐れずに言うと弾きたいように弾くというか。。務川さんが時々おっしゃってる”自宅で弾いているような”感覚、そんなとき自分は天才じゃないかと思えるくらいうまく弾けたりする、と。
まさにこれではないかと。この感覚に近いものを得られたのではないかと思えるほど、素晴らしく自由で、ただ音と作曲家とだけ向き合って心を通わせているような務川さんがそこにいた、と思えるのだ。。。

「幻想ポロネーズ」を核として組み立てられたプログラム、特に後半。しかし、
幻想という概念が他を浸食していく… 前半のテンペストにもその趣は十二分にある。なんならアルペジオやレシタティーヴォ風の序奏など似ているとさえ。華やかなバッハの宮廷舞曲でもサラバンドなど幻想曲風といえなくも(さすがにこじつけか)。
務川さんがこれもよく言ってることだが、ほんとに病気で熱に浮かされているとき夢かうつつかわからないような時空があると。その中で見る幻か実体かわからぬもの、現実と彼岸、霧の中の光と闇、夢想のなかの理想と苦しき身体、それら対比的なものを明示したり、逆にその境目がおぼろげになったりもする、そんな世界を務川さんとともに旅したような感覚。比類のない音楽体験でありました。陰影濃く、彫琢深い演奏、ふだん理知的と評されることの多い務川さん、私には今回、より強くパッションを感じた演奏会でありました。

演奏会後、務川さんの投稿ではベートーヴェンなど特に毎日「分からない…」と思って弾いている、もちろんふと何かが掴めた瞬間もあるとおっしゃってるのだが、、
私も(も、ってもちろん同列には考えられないけど)今回の演奏の意味を“自分的に”つかみかねている、、
今回のコンセプト「死」も私などにはわからぬままだ。作品も偉大だし務川さんもすごすぎる。いつも弾き手(特に務川さん)の意図を理解し、表現したいことを的確に、親密に感じ取れる聴き手に(ファンに)なりたいと切望するけれど、難しい。的はずれなことばかり書いているかも😓それが悲しい。けど、仕方ない。けれども、勉強して少しでもリスナーとして成長したいな、と思っている今。。

2024年8/16〜25
豊田市コンサートホール/国見町観月台文化センター/サントリーホール/いずみホール/駒ヶ根市文化会館

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