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【雑記】note、詩、女風の1年(12月10日、note初投稿から1年経ちました)
はじめに
12月10日を過ぎちゃって、もう年末ですが。ちょうど1年目に記事1本を誤って消してしまうという大失敗をやらかしてしまい、アップし損ねました。(削除したのは1本で済んで、まだ良かったのだと思っています。)
とりあえず、12月10日時点での、わたしの1年をまとめました。
◆投稿数、ランキング
初投稿から1年間でnoteに散らした詩と記事
詩 130編
【雑記】性と生 18本
その他の記事(「はじめまして」など) 6本
つぶやき 0個
スキをたくさんいただいた記事
1番の記事は固定記事。高校時代の初恋の人との詩の交換を思い返したもので、自分にとってもとても大切な記事です。(ちょっといいなぁとか好きだなぁは幼稚園?の頃からあったけど、胸が振り絞られるぐらい想いを傾けた、初めての恋でした。)
*( )内の数字はダッシュボードでのスキの数
1 【ひとり語り】詩とわたし(60)
2 【詩】魔術師の指(35)
3 【詩】繰り返す日々の傍(そば)に
−「(They Long To Be)Close To You〜遥かなる影/Carpenters(カーペンターズ)」のギターサウンド&写真とつくる詩の世界−
(30)
コメントで賑わった記事
たくさん、支えられてきました。ありがとうございます。そして、トップ3のこの記事…、全てソーマさんへの想いがダダ漏れの記事ばかりです…。
*( )内の数字はダッシュボードでのコメントの数。自分自身のコメントも含んでの数です。
1 【雑記】わたしが女風で求める快楽(2) 〈沼編1〉 (24)
2【雑記】現実と虚構(1)−女風ユーザーとセラピストの視点から− (22)
3【詩】ナルシシストの鏡 (19)
◆女風(女性用風俗)体験(概要)
女風体験(2024年10 月の初回〜)
7回 (うち、リピ3回、レズ風俗1回)
セラピストさん 5人(男性4人、女性1人)
◆noteと女風の振り返り(年表)
noteと女風の振り返り
2023年9月 女風のお店に、初めて、予約の連絡をとる
10月 旅行の日程に併せて、女風A 店を初めて利用する
(泊りではないのですが、同じ人を同時に2日続けて予約。リピではないので、併せて1回と数えています。2日併せて性感のみ9時間の予約!どうしても希望を叶えたいという意気込みを感じる、かなり思い切った予約の取り方(笑)。これが満足できない結果に終わって、肌のあわあわざわざわ感だけが残された時の落ち込みようは…。やりきれない気持ちでいっぱいになっても仕方ないかな)
10月 利用の翌日から、LINEのKeepメモに気持ちを書き出していく
11月 初めてのレズ風俗B 店に、年末予約
11月 女風A店の運営者さんに、お店のLINEで話を聞いてもらう
11月18日 noteに会員登録する
(見るだけでなく、この人の記事にコメントしたいな、文字の上だけでも交流できたらいいな、と思ったので。プロフィールを書く前に、いろんな人の記事にスキしたり、コメントしたりしていました。)
11月 夫との16年間のレス解消
(この後は1回だけ。潮を吹く身体になって以降は、わたしが積極的な気持ちになれない)
12月10日 noteに、自分の記事を初めて投稿する
(「はじめまして」。プロフィールも同時に書き込み。この時は、次の日から詩が溢れ出すことになるとは思いもしていなかった)
12月11日 詩が、Keepメモに溢れ出す
12月14日 noteに、詩を初めて投稿する(「【詩】肌の記憶」)
12月 初めての性病検査
12月25日 noteに、「雑記 性と生」の記事を初めて投稿する
12月 初めてのレズ風俗B店利用(女風2回目)
2024年4月 女風3回目(A店ソーマさん初回)
6月 女風4回目(A店)
6月 女風5回目(ソーマさん2回目)
7月 女風6回目(ソーマさん3回目)
10月 女風7回目(C店ナオ先生個人レッスン1回目)
noteと詩
女風に出会っていなかったら、
飛び込んでいかなかったら、
きっと、noteはしていなかった。
詩が溢れ出すこともなかった。
心の中の押さえることのできないもやもやしたもの、自分に向き合って気付いたこと、それらを言葉にしたい欲求がこんなにも強く、そして、こんなにも溢れてしまうとは。
詩作は20歳過ぎから全く遠ざかっていたのだけど、自分の思いや感情を託しやすいのは、解放できるのは、詩なんだなぁとあらためて気付くことができた。
noteという公表の機会を得ることができたこと、そして、そこで他の人の詩に感動し、刺激を受け、新たな表現の幅を広げられたことも、とても有り難く思っています。
そして、わたしの詩を読んでもらえたこと、届いていること…、それだけでも得難いことなのに、わたしの詩がその人のものにもなってその人の世界で別の命を得ていくという、とても素晴らしい経験をすることもできた。本当にありがとうございます。
それにしても、わたしは、なんで、当初の目的とズレたことをしてしまうのだろう?女風もそうだし、noteもそうだし。なんで、すぐ、こじらせてしまうのだろう?
初めての女風利用で満足できないどころか、肌にあわあわざわざわ感だけが残り、女風を続けるかどうするか、わたしが満足するためにどんな方法があるのか悩んだ時に、noteに女風ユーザーや性に関する記事を多く見つけたことから、noteを始めたはずだった。
そもそもプロフィールには「自身の新たなステージの性」と向き合うとしているのに、「はじめまして」にも性と生をとりあげるとしているのに、女風での体験があってのものだったとしても、詩が溢れ出てしまった。
そして、いざ、女風のことを性のことを真正面から取り上げようとした時には、アカウントを変えたほうがいいのではないかと悩んでしまうぐらい。
今は、アカウントを変えずにいて良かったと思っている。それどころか、詩も雑記も、境目がなくなってきている。
どちらもわたしだから。
わたしの詩は、わたしの体験や感情、気持ちを、またはそれらを反映したイメージやストーリーをそのまま織り込んだものだから。
そして、詩から入ってきた人たちにも、かなり赤裸々に性のことを記すわたしを受け入れてもらえていること。逆に性のことから入ってきた人たちにも、わたしの詩が届いていること。そんなふうにまるごと受け止めてもらえている、noteの世界でそう感じられたこと、本当に有り難いし、本当に嬉しい。
女風ユーザーの再出発
女風は、間が開くと、再開が辛くなる。
よっぽど、自分の中の勢いがないと再開できない。
1回目の後、勢いで予約した2回目はともかく、そこから3回目まで間が開いてしまったのは、女風で満足できる時間が持てるのか疑問を持ってしまったから。
そのころ出会ったnoteやWEBの記事は、沼った話かマッサージ+アルファのようなものにしか出会えず、女風の可能性が見えなかった。(そう考えると、今のわたしの記事は、ずぶずぶの沼の話ばかりだけど。)
再出発できたのは、今やとても大好きで大切な女風友たちの記事に、羨ましいぐらいの女風の可能性を感じることができたから。目いっぱい楽しむ姿に背中を押してもらって、わたしも脱皮しようとあらためて飛び込めた。
脱皮への幕を開いたステージで出会ったソーマさんは、出会ったときから、軽々とわたしのストッパーを投げ飛ばしてくれた。ソーマさんのあり方(変態度?)がわたしにはちょうどよくて、初めてリピしたいと思える人だった。
そして、トラブルを経る中でのソーマさんの誠実な言葉や対応が心に響き、さらに「女風のセラピストさんとして期待しない」(会ったら、もちろん、いろいろお願いするけど。)というネジが外れた思いに至り、突っぱねていたものが外れるみたいに、わたしの日常にソーマさんへの想いを引き込んだ。わたしの日常の中で、静かに想いを繋げていきたいと願うようになった。
螺旋階段2周目
6回目から7回目の個人レッスンまで月日が開いてしまった。その理由にはお金の問題もあるけれども、それ以外に、女風の可能性を活かせることができる自分なのか、自分自身がどうしたら満足できるのか、わたしの快楽の形はどんな姿をしているのか、というところで立ち止まってしまった。
自分の可能性を信じられないというか。ダメだなぁと思うことばかりで。立ち止まると、いろいろ考えてしまった。
それに、想いを傾けたソーマさん一人に、わたしの女風への期待も願いも全て叶えてもらおうとしていたことも、自分自身を追い込むことになっていた。
個人レッスンをするという、螺旋階段2周目に踏み出すことで、ソーマさんのことは純粋に想うだけでいいんだと思えるようになったことは、きっといいバランスを生むと思っている。
個人レッスン、振り返ると自分がどこまで集中できていたかな、と思う。少し、自分自身に強引に組んだ予約だったから。
この人なら大丈夫だろうと思っていても、やはり、また、砂を噛む思いをすることになったら…と怖気づく。まだ、おずおずと自分を差し出しているような気持ちがあって、そこを隠すのにその場では妙に強がってしまう自分もいて、委ねることがなかなかできない。
そういう自分を誤魔化すため、そのステージに持っていくために、チャイナドレスとピンヒール、媚薬の入った香水も身に纏ってナオ先生を待っていたけど、見透かされていたかな。
打診後のキャンセル
それにしても、ここまで整理していたのに、間が開いてのリピは、やはり怖かった。
はじめましてより勇気がいる。
時間の感覚の違いがあって、どうしても、メッセージのやり取りのすれ違いに耐えることができなかった。
幻に想いを傾けていた時間を埋める怖さも克服することができなかった。
ソーマさんには新幹線で会いに行く。どうしても、1日いっぱい一緒にいたいと思ってしまう。先立つものの準備も必要。そんなに回数は重ねられない。目一杯頑張っても季節ごとに会うのが精一杯で、自分にとっては何にも代えがたい大切な時間になる。
その時間を、心の余裕がないまま会ってしまって、またダメな自分が出てしまってぐちゃぐちゃにしてしまったらどうしようというような、自分自身の不安定さもどうすることもできなかった。
再会を1ヶ月延ばしたことで、会いたい気持ちがまた募ることになってしまうけれども。幻の像がまた一段と色濃くなってしまうけれども。
快楽と恋
季節ごとにしか会わない。普段のやりとりはわたしからの一方通行。それで、わたしは、どうやって、心と身体を満たす、というのだろう。
これが、わたしの女風ユーザーとしてのあり方なんです、これで満足しています…、とまでは達観できていない。
苦しいし、辛い。
ときどき、出会った当初に書いたものを読み返して、とても弾んでいる気持ちに出会って、少しほっとする。
改札をくぐり抜けて来てくれた時のことを思い返して、思いを繋いでいいよね、と自分に問う。やはり、少しは、単に一方通行ではないよね、と確認したくて。
でも、そもそも満たされたいというのは本心なのか?女風の利用は、満たされたいと願っていたわけではなくて、その思いが湧いてきたのは、女風ユーザー友の記事に触発されてのこと。セラピストさんとの関係や心と身体が満たされている姿に羨望を感じてしまったこと。
もともとの願いは、疼く身体に快楽を与えたい願い。セラピストさんの技術を享受して、快楽を手に入れたかった。わたしの身体を知りたかった。快楽に、わたしの身体がどうなるか知りたかった。(これを満たすとも言うのだろうけれども。こじれてる?)
でも、まだ、わたしは、わたし自身の快楽の形すら見えていない。
やっぱり、快楽の神様から見放されちゃったかな。自分自身としては切実な思いだったんだけど。まだ、飢えが足りなかったのかな。あまりにも安直に考えすぎていたんだよね。
それとも、あなたが欲しいのは恋の方でしょ、ということなのか。もう一度、ちゃんと自分の恋の終結が見えるまで、恋をしてみなさい、ということなのか。
まだ、あなたはこの恋を受け入れられていない。逃げている。
好きと言う気持ちではやはりない。
恋と好きは違う。(また、こじらせました。)
わたしが恋をしているのはあなたの幻に過ぎないのだから。実際のあなたを知りたいと思っていないのだから。
だから、ただ、想いを繋げられたらいいだけ。
あなたと出会ったことに意味があるなら、わたしが際限なく、想いを傾けられる人として出会ったのだろう。
まるで、自分が形にした詩に導かれるように。その詩の世界に入って、その詩に血を通わすために。
今の恋に溺れてみようか。胸が絞られる甘美な苦しみに潰されてみようか。
今は、この恋を充分に味わいなさいということなのだろう
「今度は、この気持も楽しみたい」って書いたけど、やっぱり、無理です(笑)。きっといろんな感情でこれからもぐちゃぐちゃになる。
詩ではいろいろ書くかもしれない。書いて公表している分には大丈夫と思ってもらえたら、ほんとに大丈夫だよ。
“叶えるつもりのない恋”に、“わたしに今一番要らないもの”に、とことん想いを傾けようと思っている。詩にその想いを解放していきたいと願っている。
この1年、いろいろ頭をぶつけて、いろいろ悩んで、いっぱい落ち込んで、そして、いっぱい助けてもらいました。
本当にありがとう。
これからもよろしくお願いします。