「うみねこのなく頃に」感想【ネタバレ有】


この感想には一部下ネタが含まれます。ご注意ください。
好き勝手語っています。

「うみねこのなく頃に」のswitch・PS4版が発売されて1年以上が経過しました。

「うみねこのなく頃に咲 ~猫箱と夢想の交響曲~」2021年1月28日 発売


自分で言っていて早速、もう1年以上も経過しているのか・・・。と少し、いいえかなりショックを受けました。【2021年1月28日は一年以上前である】この赤き真実は強力すぎるので禁止カードにしたいと思っています。

更にタチが悪いことに、これを数年後見返したときに「この時点で1年以上前だったのか・・」とさらに落ち込むことが確定しているので、もうリザインしようと思います。これを覆せる青き真実もしくは黄金の真実を絶賛募集中です。

話を戻しまして、「うみねこのなく頃に」の感想の方に入りたいと思います。このゲームですが、とにかく面白すぎたのとプライベートがとにかく暇すぎたことから発売日に購入して一週間でクリアしたため、私がプレイしたのも1年以上前になります。
なぜ今更感想を纏めようと思ったのかというと、「うみねこのなく頃に」名曲ランキングトップに君臨する(1位が20曲ぐらいあります)「Birth of a new witch」を久しぶりにアマゾンプライムで聴いていたらクリア時の感動が蘇っていたことと、なんでもいいから文章が書きてえ~~~~~~~!という強い欲求があったからです。

じゃあレポートでも書けばいいだろという自分の心の中に飼っているクソリプクソ野郎が囁いてきますが、人生とはままならないものなのです。書かなければいけない文章ほど筆が止まってしまうものなのです。あんまり虐めないで欲しいのです。

というわけで、行きます。


うみねこのなく頃にとは?


あらすじ


時は、1986年10月4日。舞台となるは、大富豪の右代宮(うしろみや)家が領有する伊豆諸島の六軒島。年に一度の親族会議を行う為に、当家の親族達が集結しつつあった。一見和やかに、久しぶりの再会を楽しむ親族たち。

しかし、島で待っているのは「当主死亡後の財産分割問題」という、親族同士に暗雲を呼び込む議題。かつて当主が、島に隠れ住んでいるとされる魔女ベアトリーチェから、資金調達の担保の為に授けられたとされる10トンの金塊を巡って、長男の横領を疑う親族たち。それに対して、親族たちの困窮を見透かすかのように、反撃に出る長男。さらに余命の迫った当主は、自らの命だけでなく、親族郎党・資産の全てを生贄として捧げ、最愛の魔女ベアトリーチェの復活を願っていた。
そして、まるで彼らを閉じ込めるかのように、島は台風によって外部から隔絶され、巨大な「密室」と化してしまう。魔法陣が描かれた殺人現場から、次々と新たな犠牲者が出ていく中、欲望と疑心の渦巻く六軒島に、魔女ベアトリーチェからの予告状が続々と届けられていくのであった。
はたして、これらは人間の起こした連続密室殺人なのか、それとも魔女の魔法によるファンタジーなのか。

島に閉じ込められて歌になぞらえた殺人事件、事件が始まる前に全員(両親たち)の罪が明らかになり、姿を明かさない犯人からの犯行予告。極めつけは最後の真相を綴るメッセージボトルと、アガサ・クリスティ先生の「そして誰もいなくなった」へのリスペクト精神が感じられるクローズド・サークル作品です。

個人的に斬新だなと思ったのが最初に6人一気に死ぬところです。とにかく登場人物が多いので減らしたいんでしょうけど、それにしたって多すぎる上に、EPが進むごとに第一の晩までのスパンが短くなっていくので、好きなキャラが最初に死ぬとその章はまったく出番がないまま終わります。悲しいね。

この作品はミステリーではなく、ファンタジー×ラブロマンス×哲学というような作品です。何を言ってるかわからねえと思うが、まあ大体そんな感じだよな、と思ってくれる方は多いと信じています。

まず、普通に魔女か!?ミステリーか!?とやっているのは最初だけで、EP2からは普通にベアトリーチェが立ち絵つきであちこちをフラフラと彷徨い、人が死ぬたびにトンデモ魔法バトルが勃発されることになります。
トンデモ魔法バトルってなんだよ!?と言うと、読んで字のごとくトンデモ魔法バトルです。ベアトリーチェが量産型の黒い羊とか七つの大罪をモチーフにしたおっぱいのデカい美少女7人やきわどすぎる恰好をしたエッチな巻き髪のお姉さんを従えて塔とか魔法とかを出して攻撃し、今まで普通の人間だと思われていた右代宮家の人間たちが、シールドとかバリアとかビームとかを出して応戦します。ノベルゲーなので、エフェクトとSEで表現されます。ミステリーを読んでいたと思ったら、突如「フィ~ン」という音とともにシールドのエフェクトが出てきて激熱トンデモ魔法バトルが始まりだします。本当です。

最初にこれが始まったとき、私の頭には『魁!!男塾』のパロディが過りました。「な、なにーーーっ!!こ、これは・・今まで読んでいたミステリーは!?」
EP1は正体不明のベアトリーチェなる謎多き女にそれを信奉する使用人たちの不気味な導入、豹変する幼女に繰り返される凄惨かつ不可解な連続殺人と、ミステリアスな雰囲気漂う正統派ミステリーなのですが、EP2からはもうやりたい放題です。まるで最初はゾンビに追われるしかなかった閉ざされた空間での恐怖を前面に押し出していた作品が、登場キャラクターに銃を持たせてアクションになってしまったパニック映画のように。
私は先に「ひぐらし」を読んでいたので、いきなり「祭囃し編」が始まったぞ、と思いました。

有名なコピペ。結構好きです。

魔女は普通に往来を歩きガンガンに魔法を使ってくるし、精神空間みたいなところで戦人とベアトリーチェが推理合戦をしはじめ、「青き真実」「赤き真実」という新しい概念が生まれ、等身大の連続殺人から盤上の推理ゲームに一章を跨いだだけで変貌してしまったのです。まず最初にあったのは、驚きでしたね。最初に想像してたものと全然違うぞと。やはり最初に「ひぐらし」を読んでいたのもあり、自然とループものを想定していたというのも大きいかもしれません。

最初に「祭囃し」が始まるうみねこ。作品の構造も、「ひぐらし」とは真逆のものでした。

最初に現実基準の設定で進行し、最後に梨花や羽入によるループという超常的なトリックを明かし、祭囃し編で力技とも呼べるドンチャン騒ぎでご都合とも言えるような、だが確かにハッピーエンドに到達したひぐらし。
対してうみねこは、最初こそ魔法やらメタ世界やらとファンタジーな設定でしたが、それらすべてが【魔法】という名の優しい虚構であったことが明らかになり、最後は死んだ人間はきっと「黄金郷」、あるいは死者の世界、あるいは縁寿らの想像の中で幸せに生きていくという救いを持たせつつ、生者である縁寿が【みんな死に、蘇ることはない】という事実に折り合いをつけ現実世界で生きることを決意したビターエンドのうみねこ。

まず「ひぐらし」はループという大前提があります(並行世界設定なので、死んだ人間は別世界では普通に死んでいるのですが)ので、誰もが幸せに生きていられるハッピーエンドを迎えることができます。みんなと幸せに生きたいという夢を追い続け、最後についにその夢を掴む姿は、多少荒唐無稽な物語であったとしても、それまでの苦悶の道を知っている我々からすれば些末なことに思えてしまいます。
対して、うみねこは世界は(辻褄の合わない部分もありますが、おそらくは)ひとつしか世界が存在しない。そのため、縁寿以外の人間はもうすでに死んでいるという大前提があり、どう足掻いてもその現実は変えることができない。

あの荒唐無稽なトンデモ魔法バトルが、最初は困惑しかなかったあのトンデモ魔法バトルが、見ているときはBGM効果で何だかんだ熱中してしまうあのトンデモ魔法バトルが、演出と文章量の異様に長いあのトンデモ魔法バトルが、謎の計算式とかツッコミ所の満載なあのトンデモ魔法バトルが、何だかんだ好きなキャラの格好いいシーンが見られるからまあいいかなと思い始めてきたあのトンデモ魔法バトルが、不思議と懐かしく、もう戻らない青春、当時は斜に構えてはしゃぐ同級生を内心小馬鹿にしていた学生時代の文化祭を振り返っているときのような、そんな心持ちにさせられるようになってくるのです。

この心境は、ひぐらしの惨劇中に振り替える00年代のギャルゲ丸出しのノリがキツすぎる部活シーンを回顧しているときに近いです。いや、さすがにそれと比較したらトンデモ魔法バトルの方が好きです。すみませんでした。

冷静に考えたら殺人劇なのですが、何だか温かい思い出のような気持ちになってくるので不思議です。ベルンが出てきてから相手の「悪」度が跳ね上がるので、相対的に良い思い出だったと脳が錯覚してくれるからでしょう。
その思い出を胸に前に進む縁寿の姿を見ていると涙が止まらなくなってしまいます。あとラストでみんなが声をかけてくれるのが本当に良すぎる。
私はラストシーンに立ち絵で全員集合するやつがめちゃくちゃ好きです。


右代宮戦人(主人公)について


主人公の右代宮戦人は、普通の男子高校生です。巨乳が大好きで船が大嫌いで喜怒哀楽が激しめ。ただ年の差なのか、前作「ひぐらし」の前原圭一と比較すると、(相対的には)全編に通じて落ち着いた印象を受けます。死体を見つけると物凄い勢いで実況をして泣きます。この実況が妙に熱が入っていて面白いですね。


あと、エッチな目に遭います。



急に下ネタを言ってすみませんでした。ですが、事実です。彼はエッチな目に遭います。赤で言っても構いません。ということで、右代宮戦人がエッチな目に遭うシーンを挙げていこうと思います。

①全裸椅子


私がフォロワーさんから「うみねこ」についてまず最初に教えられた情報であり、私が「うみねこ」という作品に興味を抱くに至った重要なシーンです。読んで字のごとく、全裸に剥かれた上で首輪をつけられ、椅子にさせられ、四つん這いで散歩させられた後に黒山羊と呼ばれる敵に物理的に食われます。エッチですね。
さながら成人向けの軽リョナ系BL同人誌のようですが、誇張表現なしの事実であり、うみねこはBLではありません。ちなみに、椅子に座っているのはヒロイン・ベアトリーチェです。ベアトリーチェに関しては、詳しくは後述させて頂きます。
女性攻めが好きな方にも、二次元男性がエッチな目に遭うのが大好きな方にもおすすめできるエピソードとなっています。

②指輪強姦


全裸椅子はまだ言葉として成立していますが、これに関しては何?なんだと?どういうことだ?となってしまいました。ですが、こうとしか形容できないエピソードであり、かくいう私も見終わった後に「指輪強姦じゃん」と思いました。
簡単に言えば、(トゲつきのめっちゃ痛い)指輪を無理やり挿入させられて戦人が苦悶のあまり喘ぐというシーンです。switch・PS4版だとスチルが用意されており、美麗イラストで戦人くんのエッチな表情を堪能することが可能です。

いいですね。


ちなみに指輪を挿入しているのはライバルキャラクター・古戸ヱリカという天才で人外で横暴な最低で最高な探偵です。こちらも詳しくは後述させて頂きます。
このシーンは古戸ヱリカによる言葉攻めシーンもあり、非常にエッチなことになっています。こちらも女性攻めが好きな方や、二次元男性がエッチな目に遭うのが大好きな方におすすめできるエピソードです。

以上が戦人のエッチシーンです。二つだけと捉えるか二つもあると捉えるかはその人次第。該当シーンだけ漫画版を買おうか買うまいか悩んでいます。
エッチな話ばかりしてしまいましたが、彼には主人公としての魅力も大きくあります。
個人的に右代宮戦人というキャラクターの好きな部分は、「他の登場人物と異なり、本来の性格が不明である」というところですかね。
EP1~2は安田紗代(紗音であり嘉音でありベアトリーチェ)が執筆しており、登場人物は全員安田紗代から見た彼らの人物像なので、それほど実際の彼らと差異はないと思います。ですが、この作品は事件のあった親族会議の前日に書かれたものであり、右代宮戦人だけは6年間安田紗代は直接彼を見ていないのです。つまり、物語に登場する右代宮戦人は6年前の右代宮戦人という人物像をベースに書かれた人物になります。右代宮戦人は享年18歳、6年前となると12歳の少年です。両親の離婚という大きなイベントがあったことも考えると、性格が大きく変わっていても不自然ではないでしょう。
作中の戦人がやや年の割に幼い印象を受けるのは、彼が大人になった右代宮戦人を知らないからなのかもしれません。
そして右代宮戦人を知る妹の縁寿ですが、右代宮戦人の死亡時には真里亞より年下の6歳、更に戦人は6年間家出しておりこちらもほぼ人格への認知がアテになりません。また想像上の真里亞が現実の真里亞よりも落ち着いた雰囲気を感じることから(これは日記上の真里亞が冷静かつ聡明であることも関係しているが)過去の記憶から好きな人物を美化しがちな傾向もあるのではないかと思います。
また右代宮戦人は現実における【赤き真実】(楼座は児相に通報されていた、譲治はイジられキャラ、朱志香の学園祭には嘉音が参加していた、戦人と縁寿の母親は霧江)が殆どなく、そのミステリアスさにも拍車をかけていると思っています。
実は戦人が描かれているキャラクターとは全く違う人間かもしれない・・と想像すると、ちょっと面白いですよね。
余談ですが、ベアトが入水自殺するシーンの戦人は少し落ち着いた印象を受けました。本来の彼は、もう少し大人びていたのかもしれません。


ベアトリーチェ(ヒロインについて)


みんな大好きメインヒロインです。
おっぱいがデカいですが、頑なに谷間は描かれていない。その真実が分かったときに、

うわーーーーーーーーッ!!


と大声を上げたのは私だけではないと思います。
正体は安田紗代とされていますが、正直別人すぎて紗音とも嘉音とも安田紗代とも言い難い。ベアトはベアトだな、と思わせてくるキャラクターです。まあベアトリーチェはほぼ概念的存在なので、そう思うのも無理はないんですが。

こいつ、最悪なんですよ。という所は、忘れそうになるけど忘れてはならない重要なチャームポイントです。まず人の死にざまを見てゲラゲラ笑う。最悪です。お前も見てみろよ、と戦人に持ち掛けるシーンは、なまじ善意でやっていることが分かるのでもう最悪としか言いようがありません。それで戦人にガチギレされて凹むシーンは俯瞰的に見るとヤバい奴としか言いようがありませんが、その凹むシーンのベアトリーチェがかなり可愛いのでなんか許してしまいます。もしかして騙されているのでしょうか。
そのあとなんかいい雰囲気になって、「おっ、可愛いじゃん!」と思わせてきます。今までアレすぎたばかりに、素直な彼女がとても可愛い。そしてそのあといい感じに助けてくれたと思ったら、全部茶番だと暴露されて普通に裏切ってきます。やっぱり騙されてたんじゃねーか!騙されねえぞ!

で、もうこいつは二度と信じねえとキレますが、同じように戦人がキレてるんですね。それでまた、「流石にやりすぎたよぉ・・」とちょっと凹んでいるのを見て、もう可愛いので許してしまいました。人間は愚かです。
彼女の可愛い・エピソードとしては、外伝のチョコレートの話でしょうが。「妾が全部食べちゃったもんね!」というのは、もう独占欲が強い可愛いメインヒロインにしか許されない挙動です。私が戦人なら毎年土下座をしてでも大量のチョコレートを他の女性陣からかき集め、彼女の独占欲を刺激しまくろうと画策すると思います。

バレンタインチョコをあげる話でも、ロノウェに作ってもらった結果同じようなことをしていたルシファーに先を越されたせいで手作りじゃないことがバレてしまった話も可愛いが過ぎます。

というか、戦人はロノウェか実質手作りチョコレートを二つ貰ったということになるんですね。なるほどなー。

この後「魔法」でバレンタインをやり直すベアトも可愛いんですが、この可愛さはいくら語りつくしても本編には遠く及ばないので本編を見返してください。
ちなみに漫画版のEP8では、安田紗代の掘り下げ(現実基準)があるのですが・・・・

良すぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


良すぎ、というチープな言葉で表現したくないほど彼女の苦悩と葛藤、戦人・譲治・朱志香への愛と右代宮家と自分に対する憎悪が夏海ケイ先生の美麗イラストで見事に表現されたシリアスストーリーで、安田紗代という人間に一気に引き込まれる名作中の大名作なのですが・・・そのすべてを表現しようとすると、「良すぎ」という言葉しか出てこない自分の140字の文字制限という免罪符に甘え腐った貧相な表現力と根底に根付いた限界ガリガリボキャブラリーっぷりに嫌気が差します。

なので、これを踏まえた上で言います。

良すぎーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


見てね。

話を本編に戻します。

EP5になると、右代宮戦人が完全に彼女のことを思い出したのと、古手梨花(あく)と鷹野三四と北条沙都子の融合体(あく)がさらに強い悪役として立ちふさがるので味方になります。少年漫画のライバルキャラみたいなポジションでもあるのが彼女。

指輪強姦シーンでは囚われの戦人、その結婚に待ったを掛けて颯爽と救い出すヒーロー役でもあります。ここの「そなたを迎えても、」「「17人だ。」」のシーンは作中屈指ともいえる名シーンであり、switch・PS4版では美麗スチルとともに見ることができます。

文章だけでは何のことやらという感じですが、プレイした方にはここの素晴らしさが必ず伝わっているでしょう。それから、ここで「Birth of a new witch」が流れるのが本当にニクい。ニクすぎる。思い出しただけで叫びだしたい衝動に駆られてしまいます。
この作品の良さはBGMの素晴らしさも大きく関わっていると思います。本当にBGMが良いです、うみねこ。サントラがアマプラにあります。多分アップルミュージックとかスポティファイとかにもあると思うので是非DLして聴いてください。毎日。

ベアトリーチェの動機は、「戦人に思い出してほしいから」。殺人劇とかそういうのは全部戦人のため。かわいいね。
いわば「私がどうしてこんなことしたか分かる?」と言いながらこちらの気を引いてくる少しめんどくさい所のある彼女をミステリー要素で塗装した存在、真相が分かった瞬間に彼女がラブ・ロマンスであるということが分かるでしょう。いじらしくて可愛いですなあ。

正直白馬の件はいろいろ間が悪かったなって感じがあってやるせないですね。戦人が忘れてるのはまあ無理もないことだと思いますが、安田紗代の自己責任と言い切るには彼女の境遇が特異すぎる。かといってそれを罪と言い切ってしまうのはかわいそうな気もしますし、一家心中は許されないことだとも思います。
まあ戦人が罪だと認めたのならば、それでいいんじゃないかと思います。

右代宮縁寿(もう一人の主人公について)


もう一人の主人公である右代宮縁寿について話そうと思います。
原作の立ち絵はあんまりかわいくないという評価を受けているらしいですが、CS版は普通にかわいいと思います。あと太ももがムッチムッチでエッチです。
幸が薄くてひねくれた性格。家柄の複雑さも相極まって、聖ルチーア学園では陰湿ないじめを受けています。
テストで点数をとれなかったから拘束して・・・というシーンは、胸糞が悪すぎてキレ散らかしてしまいました。というかEP4は真里亞の虐待シーンといい、全体的に胸糞が悪すぎる。竜騎士07先生の十八番である真に迫ったいじめと虐待描写のフルコース。楼座のフルコースよりキツいです。

真里亞の話になりますが、楼座を殴りながら泣くところが本当に大嫌いで大好きです。あの拷問の稚拙さが彼女の幼さを表しているのですが、それがいっそう悲壮感と不気味さを醸し出している。そして声優さんの熱演。すごい。すごすぎる。

そこもキツかったですが、個人的には寮のルームメイトの友達がいるとき居場所がなくなるのが地味に一番キツかったです。寝室で安息できないの、辛すぎる。私だったら三日も耐え切れずに、


死ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


と怒鳴り散らして暴れた後に脱出して葛西に迎えに来てもらおうと思うことでしょう。

詩音は逃げなきゃいかんかったのに沙都子が普通に自主退学を脅されてたところを見るに、「本物」のお嬢様じゃない連中はただ学校の偏差値を上げさせるための道具なんでしょうね。ダンガンロンパの学費払わせられるために存在する予備学科の偏差値バージョンみたいな。恐ろしいですわ・・。

ところで、私はこの物語は縁寿のための物語でもあると思っています。あくまで戦人とベアトリーチェの攻防も六軒島事件も過去の話。全員死んでしまったので、もう彼らは還らない。唯一の生き証人であった右代宮絵羽も死んでしまいましたし、右代宮戦人の精神もすでに消えていました。
もう縁寿には真実を知る術はありません。右代宮絵羽がたとえ事実を言っても、彼女は多分、心の底から絵羽を信じることはもうできないと思います。確かにいろいろありましたが、彼女は最後まで現実の絵羽と喋ることはできなかったからです。
何故なら、彼女が【魔法】を悟る前に絵羽は死んでしまったからです。生きている絵羽の心は、もう縁寿にはわからないんです。
それでも、縁寿は前を進んでいく。起きたことに、自分にとっての「真実」を信じる魔法エンドか、自分の納得するような「現実」を追い求める手品エンドか、その違いはあれど、彼女は未来へと進んでいくわけです。

物語としては、魔法エンドの方が「真エンド」っぽさはあります。右代宮戦人の真相も明らかになりますし、縁寿は記憶がないとはいえ兄と再会することもできます。絵本作家になり子供たちに囲まれ、穏やかで幸せな未来を手に入れるわけです。戦人との再会で涙を流す縁寿は、こちらもめっちゃ泣いてました。
一方で、手品エンドは、見るからに待ち受けているのは破滅です。天草と運転手を殺害し、自分の求める「真相」を追い求める道を選ぶ。古戸ヱリカはそんな姿に自分を重ね、「グッド」と声をかけるーー。破滅的ながらもどこかハードボイルドな雰囲気があり、こちらはこちらで好きです。

どちらにせよ、彼女は(プレイヤーの意志の介入はあるとはいえ)自分で生き方を選択したわけです。真実が分からないのなら、自分の思った過程を好きに当てはめて、それを信じる道を選ぶか。それとも、それが分かっていながらも、なお真実を追い求めるのか。
私はベルンの言っていた「戦人は故意に自分たちの道へ誘導しようとしている、自分で決めるべき」という言葉にも確かに一理あると思っていたので、結果的にあのバトルはどちらの選択を選んでいたとしても無駄ではなかったな、と思わされました。
あれを経てもなお「それでも真実が知りたい」と思うのは特におかしなことではないと思いますし、あのまま魔法に転ぶのもそういう流れだったとも思います。結局どちらの選択が「真実」なのかという部分においてもやはり猫箱に閉ざされているのもいいなと思います。

でも縁寿には幸せになってほしいです。

好きなんで。


その他キャラ


個人的に好きなキャラについてざっとまとめます。

古戸ヱリカ


・最悪で最高で可愛くてかわいそうなヤバい女。スク水で窓をつたったり、子供を泣かせたりします。だんだん好きになってくるけど、途中改心するとかはあんまなくて最後まで割と最悪。肖像画が別人だけどこっちはこっちで可愛いのでこのビジュで登場して欲しい。声優さんの演技がすごい。
途中で探偵役を放棄する戦人の代わりに事件の真相を追い求めてくれるキャラクターです。ですがそのためには手段を選ばず、被害者を全員殺しなおしたり嵐の中部屋の窓全部にガムテープを貼って密室を確認したり無意味に人を煽ったりします。なんだこいつ、とみんな最初は思うでしょう。
でもなんか可愛い。
あの憎たらしさが一周まわって好きになる。あとベルンからパワハラを受けまくっているのもヘイト軽減に一役買っていると思います。でも自分は部下にパワハラする。うみねこのテーマの一つである不幸の連鎖はここにも含められているようです。

右代宮楼座


・EP2の楼座無双がカッコいいけどEP4で想像以上の毒親っぷりを見せつけられて泣いてしまった。かわいそうなところはあると思うが、それにしたってあんまりすぎる。でもかわいそう。どうすれば彼女たちを救えるのだろうか。小清水亜美さんの演技がうますぎて引き込まれる。彼女と結婚して真里亞と三人で暮らすのが夢。女子高校生時代が可愛すぎると評判。ロングスカートの下にガーターベルトをつけていて欲しい。

右代宮絵羽

・三四と同じ声だし怪しすぎて逆に何でもないやつだろうなと思ってたけどそこそこ罪のあった人。いい人ではあったが狂ってしまった。かわいそうすぎる。EP3の弱ってるときの姿色気があって好き。エッチですね。

ラムダ


・単純なので最後味方してくれたところでまんまと好きになってしまった。ファンクラブに入りたい。

源次

・割と最後の方まで源次ベアトリーチェ説を提唱していたが、ただの使用人だった。金蔵との関係がブロマンスでいいですね。

右代宮蔵臼


・純愛エピソードが好き。騙されやすいのがそこはかとなくエッチでいいですね。

右代宮譲治


・留弗夫に撃たれた時のスチルが大変エッチでいいですね。

魔法について


魔法の概念についての話も欠かせないですね。
この世界の【魔法】とは、「事実」に至るまでの「真実」を自分が知ることができないのであれば、たとえ荒唐無稽であろうと自分にとって幸福な「真実」を構築し信じるべきであるという思想を表しています。
作中では、どう考えても男と熱海旅行に行って遊んでた楼座。だがそれを、仕事で忙しかったからなかなか帰ってこられなかったと解釈しそれを信じている真里亞という例があります。これが「魔法」です。

あまりにも悲しい。
そして虚しい。


真里亞がこの思想に至るまでの間に、どれだけの苦しみと悲しみがあったのでしょう。そう考えると怒りすら沸きます。

この「魔法」という幸福論は、作品の根底とも呼べるメインテーマになっています。この作品は全編を通じて、「自分の信じたい真実を信じるべきだ」という自己暗示と現実逃避とも呼べる思想について説いていくのです。「愛がなければ見えない」というのも、「自分の愛している人たちを美しい思い出のまま寝かせよう」という考え方が関わっています。ベアトリーチェのトンデモ魔法バトルが教えたいこともそれです。

真実なんてどうせ分かんないんだから、自分にとって都合のいいように解釈した方が良くね?

ある種暴論ではありますが、確かに一理ある考え方です。

この「魔法」の創設者のひとりである真里亞の話をしようと思います。
真里亞は、シングルマザーの子で人と比べて少し変わっている部分があります。興味のあることに対しては抜群の記憶力を発揮しますが、学業などにはそれらは一切生かされていません。おそらく母親が相手をしてくれない悲しさからでしょうか、人形遊びの癖や幼い言動などもあり、周囲からは浮いていていじめを受けています。

母親は確かに愛もあるかもしれないが、自分を内心疎ましく思っている。友達もいない。彼女の周りには「愛」がないのです。

だから彼女は、自分で「愛」を見つけようとした。要するに、妄想の世界に浸る道を選んだわけです。彼女が魔法に傾倒した理由も、自分を特別な存在と思い込みたいが故であったりします。

ですが、果たしてそれは「悪」なのか?と言われると、「悪ではない」とは思います。

実際、誰にも迷惑は掛かっていません。例えば中古で買った誰もが認めるオンボロ車に乗っていたとしても、その乗っている本人が「これはランボルギーニなんだ!」と言い張っていて、「いやどう見ても違うだろ」とツッコミを入れても、「これはランボルギーニだ!ランボルギーニ!」と主張しているとすればどうでしょう。

ヤバいなこいつとは思うでしょうし関わり合いにはなりたくありませんが、別にそう主張されるだけなら迷惑というわけではありません。大体の人は「そうだね、ランボルギーニだね」と言ってその人と距離を置くと思います。
周りから見たらオンボロ車をランボルギーニだと思い込んでいるやばい奴ですが、本人からしたらどうでしょう。自分はランボルギーニに乗っているわけです。たぶん幸せでしょう。

「幸福」とは、主観でしかないです。たとえ周囲から幸福だと持て囃されても自分が不幸だと感じているならば不幸だし、逆に周囲から不幸だと罵られても自分が幸福だと思えば幸福です。そこに他人の意見が介入するとするならば、「周囲から幸福だと思われていることが幸福」であり、「周囲から不幸だと思われていることが不幸」というだけです。

そういう意味で、【魔法】という概念は最も手っ取り早く「幸福」を手に入れることができます。親からも友達からも愛されない少女が愛に溢れた世界を手に入れ、オンボロ車をランボルギーニに変えることもできる。死んだら「黄金郷」でみんな幸せに暮らせて、事故で死んだ家族は死してなお自分の傍にいてくれる。
私はやっぱり悲しくて虚しいところもあるなと思いますが、それと同時に優しくもあって、だからこの考え方が好きだな、と思います。

ネットでの評価について


次は漫画版の話をしようと思いましたが、漫画版の話に入る前に、これについて触れておこうと思います。

まず「うみねこのなく頃に」をプレイしたことのある方の殆どがご存知であると思いますが、「うみねこのなく頃に」はネットでの評判がめちゃくちゃ悪いです。

実際、人を選ぶというか、尖った作品ではあると思います。

私はプレイ前「うみねこ」というのは「ひぐらし」の作者が作った作品(名前が似てるからもしかしてスピンオフとかスターシステムなのかな?)ぐらいの認識だったので(そもそも「ひぐらし」をちゃんと見たのもつい1~2年前だったりします)ネットで批判されているのはツイッターのフォロワーさんに教えてもらうまで知りませんでした。なので、批判されていることを知らずにゲームをクリアした方も中にはいると思いますし、今の今まで知らなんだという人もいるだろうと思っています。何せこの私が知らなかったのですから。

そういう方向けにざっくりとまとめると、主に推理ものと謳っているにも関わらず事件の真相を明かさないことと、後半に登場する黒山羊(六軒島事件の真相を興味本位で暴き立てようとする野次馬という存在。敵キャラ)と白山羊(物語を読むうえで思考放棄し、ただ作品を享受するだけの怠惰な存在。敵ではない)が「うみねこ」読者のメタファーであり作者からの宣戦布告であると捉えた元ファンの怒りが主な議論になっているようです。

これに対する私の所見を語らせて頂こうと思います。

前者に関しては、最初は「推理もの」として世に出して、途中で「実はこれミステリーじゃなくて『ファンタジーで成長物語でラブロマンス』なんスよ・・」とのたまい出しているので、怒る人が出るのも当然だと思います。
私は「ひぐらし」のトリックよりもキャラクターの精神性やメッセージ性に焦点を当てる作風(余談ですが、羽入などの超常存在をトリックに組み入れるについては「ひぐらし」をプレイしたときに「そういうのアリなんだ」と思った記憶があります)、どこだか忘れたのですが右代宮戦人くん(主人公)が「よくわかんねえけどこんな密室トリックなんて本屋においてる推理小説でも探せばそれっぽいのがいくらでも出てくる」的な発言をしていたこと、あと評判が悪いという前情報から「多分トリックには期待しない方がいいんだろうな」と身構えることができたというのもありそこまで気になりませんでしたし、EP4で真里亞の語る「魔法」という存在の定義(「事実」に至るまでの「真実」を自分が知ることができないのであれば、たとえ荒唐無稽であろうと自分にとって幸福な「真実」を構築し信じるべきである)について考えると、「真相を明かさない」という終わり方は妥当であったように思え、作品の構造としても美しいと感じることができました。

トリックに関しては紗音と嘉音は同一人物、使用人は全員グル、右代宮家の大人たちは全員買収できる、なんなら子供たちも取り込める、金蔵は死んでるという前提がある時点でもう逆にできないことなんてほぼないだろと思うので、この前提を知った時点でただでさえに近かったトリックへの興味が完全なる無になっていました。

まあ要するに、作者の意図する部分にまんまと引っかかって物語を楽しんでいた、つまり「うみねこ適正」が高かったのだと思います。
ですが「魔法」の定義は、あくまでも作者の思想であり価値観です。誰しもがこの思想に同意するわけでもなし、反目する人もいるでしょう。また、言っていることはわかるがそれはそれとしてちゃんと白黒はっきりつかねえと気持ち悪いという人も当然いると思いますし、推理と銘打ったんだからちゃんと答えは明かせよというのは当然の意見です。
また、インターネットの文化として「考察による交流」というものが存在するので、それによって期待値が高まりすぎていた、というのも原因の一端を担っていると思っています。

余談ですが、最後まで答えの明かされないミステリーというのは他にも存在します。例えば、東野圭吾先生の「私が彼を殺した」「どちらかが彼女を殺した」です。

ですがこちらは最初から「犯人が明かされず、読者が犯人を推察する作品である」という趣向が明白であり、巻数も一巻なので、うみねこリアルタイム勢のように待たされた末に謎が不明、ということではありません。
ちなみに文庫本には重要な記述が削除されて難易度が上昇している代わりに袋綴じの解説が(犯人の名前は書かれていませんが)付属されています。この例を踏まえて「うみねこ」が議論を生み出してしまう理由を考えると、「最初から物語の方向性を明かさなかった」という点が大きいように思えます。

話が少し逸れましたが、私のように「ミステリー要素に期待をしていない」「急な方向転換を受け入れた」「『魔法』の概念が好き」という人間は好意的に、「ミステリー要素に期待をしていた」「急な方向転換を受け入れられなかった」「『魔法』の概念が好きではない」という人間は批判的に捉えているのだと思います。勿論個人の感想・考察ですので、それに当てはまらなくても好き・嫌いという人もいると思いますので悪しからず。

後者に関しては、自分もプレイしていた時にそのテの人間が嫌いなんだろうなあというのをひしひしと感じました。露骨すぎてちょっと笑っちゃうぐらいには。
新参者の想像ですが、竜騎士07先生は「読者の皆様にはキャラクターの動機や心情、感情の重きに視線を向けてほしい。そして彼らを愛してほしい」という思いがあったのかな、と思いますそして事件の謎はそのための踏み台、エッセンスでしかなかった。

トリックのその先にある、「ベアトリーチェはなぜ事件を起こしたのか?」「なぜベアトリーチェは、魔女を騙るのか?」という部分が、たぶん本当にみんなに考えてほしかった部分なのだと思います。
だから、EP8の時点でもう「答え」を明かしたので、「もちろんファンの皆は黄金郷でみんなが幸せに暮らしてほしいよなぁ!?踏み荒らしていくやつら、許せねえよなぁ!?」という「自分の考える大多数のファン」考えから、推理を大事にしていたファン層への想定が甘かった結果なのではないかと思っています。

あと黒山羊白山羊は、トリックを頑張って解き明かそうとした人を対象にしているというよりは「事件や死体など過激な描写ばかり取り上げて下世話な想像をする人や、キャラクターに愛情も抱かずただ物語を流し読みしているニワカ」を批判しているんじゃないかなと個人的には感じました。
事件の真相を暴こうとしている描写になったのは、物語の構造的に「かつてベアトリーチェと戦人が行っていたような赤き真実・青き真実のバトル」になるわけで、そうならざるを得なかった感じなのかなと。
実際、EP8で実際に彼らと実際に応対し、精神を揺さぶろうとするシーンでは事件の真相に対する推察よりも「紗音は金目当てで譲治に近づいた」「楼座は虐待するビッチ」「夏妃は蔵臼を愛していなかった」などの人格否定・捏造が主でしたし、縁寿を攻撃する言葉は「お前が縋っているのはただの妄想、全員死人」というもので、事件のトリックそのものはまったくもって無関係です。
そうでなければ、主人公に「よくわかんねえけどこんな密室トリックなんて本屋においてる推理小説でも探せばそれっぽいのがいくらでも出てくる」なんてミステリーを舐め腐っているとしか思えないセリフを言わせないと思います。
このセリフはあまりにも雑すぎて笑ったので何回も擦っていますが、もしかすると少しニュアンスが異なるかもしれない。

「妾の謎を解いてみせろ!」という宣戦布告を英訳すると「I LOVE YOU」という意味になる素直になれないツンデレヒロイン・ベアトリーチェと同じく、伝えたいメッセージが最初の段階で非常に回りくどく分かりにくいので結果的にミスリードみたいになってしまうのはひぐらしの時から変わらないですね。

それを踏まえると、竜騎士07先生の感情表現と言語化のヘタクソな部分は、かぁいい外面で自分の気持ちを素直に言い表せず溜め込んでしまうレナや自分の気持ちに気づいてほしいばかりに殺人ゲームに招待するベアトリーチェらメインヒロインに引き継がれているのかもしれません。

むろん、私は愛をもって見ようとした解釈でありますので(愛がなければ見えないのか、もしくは愛なんてものがあるから余計なものが見えてしまうのかはわかりませんが)もちろん「それは違うよ!」と否定される方もいるかもしれません。
ですが私はこういう風にずっと思っています。なのでここは、個人の「解釈」によって別れると思います。

ちなみに私は一週間ぶっ通しでプレイしてクリアしたので、自分では読み込んだつもりであっても細かい箇所に対する解釈の甘い部分があるのかもしれません。
なのでリアルタイムで追っていた方や時間をかけてクリアされた方とはどうしても認識の齟齬が出てしまうとも思いますし、議論されている二点を「好み・解釈の問題」という雑なくくりで解釈しているため「そんな簡単な片づけるな!」「ただただ結論が雑」とお怒りを買ってしまうしれませんが、そうでなくても好きな方が私の周りにはたくさんいるので敢えて乱暴なくくりにさせて頂きます。

ちなみに私は、当然ですがこの作品がめちゃくちゃ好きです。


【俺は好き】。これは作品を鑑賞する上で、最も大事にするべき黄金の真実であると常々考えていることであり、この物語の本質であると考えています。
この作品には、ふたつのメッセージがあります。「愛がなければ見えない」というメッセージ。それから、「愛なんてものがあるから、余計なものが見えてしまう」。この二つは、まさしくこの作品を表していると思うのです。私はこの作品に愛を持っています。だから、「愛がなければ見えない」部分が見えていると思っている。けれどいわゆる、この作品への愛のない人にとっては、私の見えているものは「余計なもの」にしか見えない。果たしてどちらが正しいのか?「愛がなければ見えない」というメッセージは、それこそテーマとして公式ホームページやパッケージにデカデカと書いてあるぐらいには重要視されているものですが、「愛なんてものがあるから、余計なものが見えてしまう」というもう一つのテーマに対して、明確な否定がされていないのもまた事実。
作中の真実のみならず、作品への向き合い方の境界線さえも曖昧である、想像の余地が広く、ある意味どんな向き合い方をするのも許されている。それこそがこの作品の魅力であると思っています。


漫画版の話


さあ、漫画版の話をします。といってもちょこちょこしていたので、少し軽い。あらかじめいうと、漫画版は、EP7とEP8しか買っていません。
なぜ漫画版の話の前にネットの評判の話をしたかというと、「漫画は良い」という評価がインターネッツ上にはあるからです。
そういわれている理由は、先ほど挙げた「真相が明かされない」という部分がバッチリ補完されていて、EP1~6までのトリックがすべて解説されているからですね。それから夏海ケイ先生の絵がめちゃくちゃ良すぎるというのもポイントです。

まあ私は上記の通りCS版も大好きですし、BGMとキャラクターボイスも良いし文章も引き込まれるという点を押したいところですが、まあそれは良いとして。

漫画版ももちろん最高です。


これは、原作・CSしか読んでいない方にも読んで欲しいです。一番好きなエピソードはもちろん、安田紗代ちゃん(現実)のシナリオ。前述した通り、彼女の心情の描き方がすごいうまくて引き寄せられます。
紙媒体だと手に入れるのが困難なので、電子書籍で買うのがオススメです。

さいごに


うみねこ、サイコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



おわり

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