辻田真佐憲@reichsneet「『戦前』の正体 愛国と神話の日本近現代史」
1.驚くべき時間軸
明治維新1867年から第二次世界大戦敗戦1945年までが78年。
1945年から本書が書かれた2023年までが78年。
現在、法律を学ぶ上でも大日本帝国憲法を知る必要はほとんどないし、一部分野を除いて法律学はどんどん更新されていくので、法律の分野で古さを求める事はそれほど希求されていない。皆様現在の法律に追い付くことで必死である。しかし、戦前の大学法学部の授業には「軍法学」があったということを母校の戦前の授業表を見て知った。明治維新後は「日本」というものはある程度現在に続く形であるように思ってしまうが、ひとつ法学部の授業をとっても全くの違いがある。
本書は、漠然と語られることが多く、その割に、右派にとっては回帰するべき指針となり、左派にとっては唾棄するべき障害である「戦前」とはどのような時間であったのか、割と中道に概観した著作である。
著者が軍事マニアであり、戦前マニアであることから、ともすれば右寄りな書物といった印象を持ちそうなものだが、読了したところそのような印象は一切ない。戦前の日本にはやたら詳しいけれども、2024年の良識をもった人なのだろうと思う。
2.「神武天皇」という起源⋀幻想
戦前の、しかも総力戦体制を本格化しなければならなかった1940年が皇紀二六〇〇年であることから、それが軍歌にまでなった。皇紀は神武天皇が即位してからの年数ということになっているから、
神武天皇はその実際がかなりあやふやであり、本書では九州南部から近畿地方に東征したとしている。これについても確か諸説あったと記憶しているが、各種古典には整合するであろう。
古事記や日本書紀を読んだ方は近頃は少ないだろうが、神武天皇の東征にあたっては、遠征先に現地豪族がいた。それらをボコしていったのである。
しかし、紀元前ではあろうかと思われるくらいに昔の事である。奈良時代でもすでに1000年近く前の事だったのである。正確なことなど分かるわけがない。だからこそ起源として用いられるだけの威厳があるし、いろいろとお話を盛ることができる。
明治政府が天皇陛下を担いで正当性を得たとしても、近代化のためには西洋的な諸制度を導入せざるを得なかった。それに対しては当時の反発は凄かった。徴兵制などは武士とは根本的に違うだろう。それらの諸制度の導入にあたって、「神武天皇のころから日本はこうだったのだ」といえること自体が重要だった。
起源は後付けである。これが起源だぜーー!!!と思って何かを起こす人はかなりイタい人だけで、それぞれの時代で皆さま必死だっただけである。後付け的に、歴史的にはここが起源といえるのではないか、ということがいろいろなことで起こるのである。
3.ネタがベタになる危険性
著者が繰り返すのは「ネタがベタになるのは危険」ということである。
明治政府の人間は、神武天皇が自分たちの提唱するようなことをやっていたのかどうかなどはどうでもよく、正当化根拠として利用していた。ある意味冷静に神武天皇を利用し、天皇制を利用していたのである(敬意はあっただろうが)。
しかし、明治維新から数十年が経ち、「不磨の大典」である大日本帝国憲法が施行されて時間が経つと、それは変えてはならないものになる。その結果としての第二次大戦の敗戦である、というのが本書の指摘である。
4.あれ、今の「不磨の大典」って・・・
歴史を見てから思うと、現在も「憲法を変えてはいけない勢力」という方々がおられる。
左右は逆転しているが、やっていることは戦前と変わらないのではない。
法律はあくまで法律であり、必要によっては変えるべきものである。日本国憲法にしても、左派にしても右派にしても変えるべきところはいっぱいあるだろう。護憲とだけ言っていい時代は終わりつつある。改憲勢力=右派という今の状況こそ不健全だなあと思う。
5.本書の良い点
本書は、「大東亜戦争」という言い方はするけれども、日本の戦前を「65点」と評する等(大学で言えばなんとか単位がもらえる点数)、右派的発想だけで書いてはいない。戦前は戦前で生きていた人がいるのであり、大正期にあってはリベラルな状況もあった。すべてを否定するのはあまりに短慮と考えていた私としては、本書の様に読みやすい分量で、戦前を総括してくれる本は非常によかった。
高校生レベルの日本史の知識さえあれば読めるので、ぱーーーっと読むのがおススメである。
なお、高校生レベルの日本史の知識のない方は、先に山川の日本史Bの教科書をポチることをお勧めする。世の中には順番というものがあるので。