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娘の記録その1「アレルギーが出た!」

「娘の記録」シリーズでは、娘が食物アレルギーだと分かってから
これまでの22年間を、少しずつお話ししていこうと思います。

正直、ここまで来るのには長い長い道のりでした。
時間ももちろんなんですが、大変だったのは私のメンタルです。
「イバラの道」というのは、こういうことを言うのかなぁ。。

娘のことを話し始めると、
今でも涙が出て話せなくなってしまうことがあります。

だからnoteで少しずつお話ししていこうと思います。



娘がアレルギー体質だと気がついたのは、
すでに生後2−3ヶ月の時でした。

私の母乳だけで育てていたのに、ほっぺたが赤くなり、
薬を塗ったりしてもどんどんと悪化していき、
ほっぺたから浸出液まで出るように。


単なる乳児湿疹ではないと思い、
病院で先生と相談して血液検査を受けることになりました。

 「生後3ヶ月ではまだはっきりとした結果は出ないかもしれない」


と言われたけれど、
結果は、乳と卵のアレルギーの値はしっかり出ていたのです。


娘にすでにアレルギーが出た!



そこから私の母乳除去が始まりました。
母乳除去とは、
「お母さんがアレルゲンとなる食べ物を食べない」ことです。

つまり、母親である私が、
乳成分の入ったものと卵が入った食品を
いっさい食べてはいけないということ。

乳と卵…

実はこの2つ、私の大好きなもので、
私の食べるほとんどのものに入っていました。


 クッキー、ケーキ、菓子パン、アイスクリームなどのデザート。

特に甘いものを好きだった私には、
乳と卵の2つを除去するのは本当に過酷でした。


またレトルト食品の多くにも乳と卵はかなりの確率で入っていました。


私は初めて食べ物が食べられない強いストレスを受けました。
乳と卵が入っていない食べ物を探しまわり、
和菓子ならいいだろうと、
甘いもの欲しさに和菓子をどんどん食べるようになっていったのです。



和菓子には大量の白砂糖とが使われています。
白砂糖は血液を酸性にし、体を酸性にしてしまいます。


今思えば、
これが娘の体調不良の始まりだったように思います。


母乳生活に疲れ、甘いものばかり食べていても
私は痩せていきましたが、
娘は逆にどんどんと体重が増えていきました。

娘は生後6ヶ月で
すでに10キロ近くあったように記憶しています。

見た目には元気な大きな赤ちゃんに見えますが、
実はこれは単なる水ぶとりでした。


その頃から娘は少しずつ便秘になっていきました。

(次回につづく)

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