小学校受験を決断した理由
我が家の教育方針
昨日の自己紹介でも少し触れましたが、我が家は夫婦そろって「海外思考が強めの家庭」です。理由は簡単で、夫婦ともに海外での仕事経験があるからです。「英語で会議?ええい、やるしかない!」と奮闘した日々のおかげで、海外での暮らしや働き方が自然と身近になりました。
外資系企業で働く中で、多くの日本人や外国人と一緒に仕事をしてきたのですが、そこで感じたのは、「論理的な文章を書く力」や「論理的な会話をする力」はもちろん重要。でも、それ以上に必要なのは、「多様な価値観を理解し、協調性を持ちながら、英語と日本語で自分を表現できる力(要はコミュニケーション力)」だと痛感しました。
この経験を踏まえて、妻と相談し、娘たちの教育の目標をこんな感じで決めました:
1. ちゃんとした基礎学力をつけること(理解できる力、論理的な力)
2. 英語を身につけること(就労できるレベルで)
3. 非認知能力を高めるために、いろいろな実体験を積むこと
具体的には、「日常英会話ができて、早慶、上智、ICUあたりの大学に進学できる学力があればいいかな~」と、わりとざっくりした目標を立てています。とはいえ、娘たちにはまず「自分の足で人生を歩ける力」を身につけてほしい、というのが夫婦共通の願いです。
幼少期からプレスクール、バイリンガル幼稚園、そしてインターナショナルスクールに通わせているのも、英語と日本語の両方に自然に触れてほしいから。そして、いろいろな人種や文化が共存している環境を「普通のこと」として感じてほしいからです。将来、どんな道を選んでも、多様性を理解し、自分らしくいられる力を持ってほしいと思っています。
インターナショナルスクールの功罪
長女がインターナショナルスクールに通い始めて約1年半が経ちます。入学当初、8月始まりの学年で、7月生まれの長女はクラスで最年少。そのうえ英語力も最低レベルでした。先生から出される英語の課題が難しく、最初の頃は「できない!」と泣く日も少なくありませんでした。
しかし、毎日少しずつ努力を重ねた結果、1年後には担任の先生も驚くほどの成長を見せ、クラスでも5本の指に入るほどの英語力を身につけました。親の私たちもびっくり!今では、中学3年生レベルで英語を読み書きし、話すことができるようになっています。子どもの吸収力は本当にすごいですね。
ところが、小学校受験を始めたことで、新たな課題が見えてきました。それは、日本語能力の低下です。長女は同じ年齢で幼稚園に通うお友達と比べて、語彙力や表現力が明らかに劣っていました。それだけでなく、インターナショナルスクール特有の自由な環境で育った影響か、「人の話をきちんと聞けない」「注意力が散漫」といった一面も目立つようになってきました。
さらに気になったのは、インターナショナルスクールの上級生たちの様子です。基礎学力の定着が、日本の学校と比べると明らかに遅れているように見え、「このままインターに通わせ続けた場合、中学受験や高校受験は厳しいのでは?」という不安が頭をよぎりました。
いろいろ調べていく中で、インターナショナルスクールで取得できるバカロレア(IB)のDP資格についても考えましたが、日本国内での進学ルートは想像以上に狭いことが判明。英語力だけを追求するあまり、日本人としてのアイデンティティや文化を失うのは本末転倒ではないか、と思うようになりました。
私たちが社会で実感しているのは、英語ができるだけでは十分ではないということ。日本人として、日本語や日本文化を深く理解し、それを土台にして英語を使えるからこそ、社会での存在感が生まれるのだと感じています。子どもたちにも、そうしたバランスを大切にしてほしいと思っています。
小学校受験を決意した理由
娘をインターナショナルスクールに通わせ続けるべきか、それとも他の道を選ぶべきか。小学校3年生くらいで公立に転校し、そこから塾通いという選択肢も考えていました。そんなとき、たまたま参加した早稲田実業初等部の学校見学会が、私たちの考えを大きく変えるきっかけになりました。
学校見学会では、先生方がとても感じが良く、保護者や子どもたちに対して一人ひとり丁寧に接している姿が印象的でした。そして、生徒さんたちの展示を見たとき、その完成度の高さや教育の丁寧さに感激しました。「ここなら、娘を安心して預けられる」と直感的に思ったのです。
準備期間が短く、無謀な挑戦だということはわかっていました。でも、娘がインターナショナルスクールで英語の課題に取り組んできた努力や、担任の先生との面談で感じた娘の精神的な成長を思い出すと、「この子なら頑張れるかもしれない」と思い、受験に挑戦することを決意しました。
そもそも、準備期間はたったの3ヶ月。正直、受からなくても失うものはないし、小学校受験を通して娘と私たち家族に何かしらの経験が残るなら、それだけでも価値があると考えていました。そう楽観的にスタートしたのですが……結果的に、その考えは甘かったと、あとで心から反省することになります。(この反省点については、また別の機会に書きたいと思います。)