推しのために

私には推しがいます。

まだ、オタクという概念が大手をふって歩く前。
まだ、自分がティーンエイジャーで、オタクといふものは恥ずかしいことなので、陰でいろいろコソコソやっていたころ。
その頃からの推しがいます。

ティーンエイジャーの私の将来の夢は、アメリカ永住者になることでした。赤いネクタイのお金持ちが大統領になるずっと前のアメリカは、私の中で憧れのマトだったんです。(まさか、自分の中のアメリカイメージが、10年かそこらで地に落ちるとは。残念です。)

でも、最近しみじみ思います。
日本にいて良かったって。

Twitterでいろんな情報が飛び交うようになって、特にコロナ後は配信も発達して、何処にすんでもあまり影響しない環境を選択できるようになってきました。

ただし、私の親愛なる推しは、日本にいるのです。

仕事はなんとかなるかもしれません。
ご先祖の墓参りも便利屋さんに頼むことができるかもしれません。

でも、推しとなるとそうはいきません。

私は現場至上主義です。
配信も悪くはない。音ずれもほぼない。技術の進化素晴らしい。
しかしいかに素晴らしかろうとも、自分が今、推しと同じ空間にいること、その臨場感にかわるものは無いのです。

そう考えると、日本を離れる選択肢はありません。

今、日本はもう終わりだから海外に就職した方がいいと意見が少なからずあります。

これは、私もまったくそう思います。
なので、若い方、コロナが落ち着いたら、どうぞ海を渡ってください。

ただし、私自身は日本にジトーっといます。
推しのために。

日本が沈むなら、共に沈む覚悟は出来ています。
遅くとも生きてあと20年くらいでしょう、自分。
それでなくても、聞くところによると今までの20年失われたらしいのでね。

もう日本社会には何にも期待はしていません。

私は何にも倚りかからず生きたい。
しいて倚りかかるとするならば、椅子の背もたれと推しくらいにしたい。
…雑な茨木のり子オマージュで失礼しました。

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