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ミステリー小説『神聖な国』第3話 訪問者

 眠りから目覚めると、車の外に額田が立っており、笑顔を浮かべていた。達也は全身がばねになったかのように上体を起こす。そして、恐る恐る窓の上の方だけ開けた。
「あわてなくていいよ。あんた、アンジェラの彼氏だろう……コインパーキングでサングラスにマスクの変な男を見かけたから、念のため来てみたのさ」
「彼女に聞いたんですか」
 こっちの質問に、額田は首を横に振る。
「あの子とは時間的にもすれ違いで、ほとんど口きかないから。以前おれの留守中に、うちのアパートに君ら2人が入ってくのを見てたのよ。その時たまたま業務の都合でアパート前の道路をワゴンで走ってて、君ら気づいてなかったけどさ。おれとあの子の関係が気になるなら、心配ねえよ。指一本触れてねえから。正直フィリピンの女に興味ないんだよね。やっぱ女は日本人でしょ。あんたには悪いけど」
「ぼくも外国人とつきあうなんて予想だにしなかったです。たまたま会社の先輩に連れてかれたフィリピン・パブで知りあって、不思議と仲良くなったんです。年齢が近いのもあったのかな。お客さん年配の方が多いですし。正直ぼくも、最初は偏見ありました。でも実際接してみると、言葉や顔つきは違うけどやっぱり同じ人間だなって」
「なるほどそんなもんかねえ。昔はおれも大和撫子と結婚してたけど、別れちまってね。結婚はこりごりなんて話してたら会社関係でつきあいのある家崎(いえさき)さんから偽装結婚頼まれてさ。小遣い稼ぎになるって言うんで、ついつい受けちゃったんだよね。それも今度の12月で終わるけど。あの子苦労してるからあんたと2人結婚して、幸せになってほしいのよ」
「ありがとうございます」
 深々と、達也は相手に頭を下げた。
「いいって別に」
 額田は、目を細めた。どんな人物かわからなかったが、思ってたよりも良さそうな人で良かったと達也は思う。
 その後達也は車をレンタカー屋に返却すると、自分のマンションに戻った。しばらくすると、インターホンを鳴らす音がする。
「どなたでしょう」
 達也はインターホンのモニターに映った見知らぬ男に向かって質問した。
「アンジェラの知りあいです。チェーンかけたままでいいので、玄関先でお話できませんか」
 丁寧だが、有無を言わせぬ口調である。達也はしばらく考えた末、相手の要求通りにした。
 チェーンの長さだけ開いたドアの隙間に、鋭い目をした、体のごつい男がいる。見るからにヤクザだとわかった。
「家崎と言います。あんた、うちのアンジェラとつきあってますよね」
 達也の背筋を戦慄が走った。
「こっちは証拠握ってるんだ。会うのはいいが、結婚を解消する12月までは、間違っても駆け落ちなんかされたりすると困るんだよね。こっちは監視してるから。万が一逃げたりしたら、後悔するよ」
 それだけ言葉を残していくと、風のようにその場を去った。心臓が早鐘のようになっている。
 ドスの効いた声が、耳に残った。

 それから2ヶ月が経過し、暦は7月になっていた。
季節はすっかり夏である。松濤の街を行きかう人達も、すっかり薄着になっている。
地球温暖化のせいで、今年も暑くなりそうだ。
 そんなある日、呼び鈴を鳴らす音がして、佳代子はインターフォンのモニターを見る。アンジェラの顔が映っていた。
「何の用? 達也と一緒?」
 自分でも、声が不機嫌なのがわかる。
「お母さんと話したくて……タツヤいません」
 一瞬門前払いしようと思ったが、中に入れる決意をした。自分は日本人なのだ。
がさつな外国人と違って、礼儀の何たるかを知っている。
「ちょっと待って。今、行くから」
 玄関まで行き、ドアを開いた。そこにはアンジェラ1人だけの姿がある。
 念のため周囲を見たが、他の人物の姿はない。確かに改めて見ると、綺麗な女だった。
 黒い目は、まるで2つの宝石みたいな輝きを帯びている。こんな女の色香に惑わされた息子が、本当に情けない。
「中に入って。悪いけど、飲み物は出ないわよ。緑茶なら、出してもいいけど」
「いらないです」
 2人はこないだと同じようにリビングに入り、テーブルをはさんで椅子に腰かけた。
 椅子もテーブルもイタリア製の高級品だが、フィリピン人にその良さを理解できるか疑問だと、佳代子は思った。
「タツヤ駆け落ちしようって言うの。でも、反対してる。お母さんの許可欲しいから」
「無理な話ね」
 間髪を入れず、佳代子は答えた。
「それにあなた、あたしに嘘ついたでしょう。家政婦だなんて。本当はフィリピン・パブのホステスよね。歌舞伎町の『クラブ・セブ』って店でしょう。探偵に調べさせたの」
 佳代子は『クラブ・セブ』の名刺をテーブルの上につきつけた。
 中央には源氏名の『マリア』という文字が大きく印刷されている。その横にアンジェラの、笑顔の写真が載っていた。
「嘘ついたのは、ごめんなさい。そうじゃないと、結婚許さないと思った」
 トーンダウンした声で、アンジェラが返答した。
「どっちにしても許さないわよ」
 佳代子は思わず大声をはりあげた。
「達也は1人息子なの。ゆくゆくは、うちの一族が経営するどこかの会社を継がせるつもり。あの子にはちゃんとした家の日本人のお嬢さんを、あたしが探す。あなたフィリピン人なんだから、同じ国の男と結婚しなさいよ。そうしないのは、うちのお金が目的なんでしょう」
「お金なら、あたし稼ぐよ。あたし農民で貧乏だった。貧乏慣れてるから、春山さんちのお金いらない。結婚できればそれでいい」
「口でなら、どうとでも言えるわよ。そもそもあんた、偽装結婚してるでしょう。それも調べさせたのよ。京王線の代田橋駅近くのアパートで額田ってヤクザと一緒に住んでるわよね」
「それも、タツヤ知ってる。今度の12月契約切れるから、離婚する。そしたらタツヤと結婚できる。それにヌカタ、ヤクザじゃない。トラックの運ちゃん」
「探偵から聞いたわよ。額田がピストルをアパートの庭から掘り出して、また隠してたのを目撃したって。証拠の動画も見せてもらったわ。そんなのヤクザに決まってるじゃない」 
 佳代子の口調は昂った。
「その話は、知らない」
「偽装結婚を通報したっていいのよ。こっちは」
 切り札とばかりに、佳代子はぶつけてみた。
「警察に言っても平気。あたしとヌカタ同居してるし、新婚旅行も行ってる。その時の写真も撮ってる。警察来ても、逮捕できない」
 偽装婚で告発するのは難しいと、彼女が雇った探偵の池松(いけまつ)も話していた。
ピストルの件も池松が張りこみした時拳銃らしき物を埋めているのを遠くから見ただけで動画も撮ってないし、別の物と誤解した可能性もあるので、警察に持ちこむのは難しいと言われている。
 動画を観たとアンジェラに話したのはハッタリだ。
どっちにしても今帰せば、ピストルを別の場所に隠すだけだろう。
結局アンジェラとの話は平行線に終わってしまい、憮然とした表情でアンジェラは帰宅した。
アンジェラが何を主張しても、結婚話は断るつもりだったから、当然のなりゆきだが。

 やがてさらに月が替わって8月になり、12日の土曜が訪れた。
大型台風が関東に上陸し、都内にも激しい雨と強風が、宇宙から来た侵略者のように、怒涛の勢いで襲ってくる。
アンジェラは歌舞伎町のフィリピン・パブ『クラブ・セブ』での業務が終わり、午前2時に送迎用の黒いベンツの後部座席に乗りこんだ。
 『クラブ・セブ』店員の若い男が運転するベンツは、ゆるやかに始動した。30分後、車はやがて京王線の代田橋駅から徒歩十分の所にある五階建てアパートの近くに到着した。
車から降りて腕時計を見ると、ちょうど午前2時半だ。
 彼女を送ってきたベンツは去り、真夜中の豪雨の海に溶けこんだ。
アンジェラの帰宅時刻は、いつもこのぐらいである。
同居中の額田は毎朝6時運送会社に出勤するため家を出るので、すれ違いの生活だ。無論、その方が良かった。
 以前額田はアンジェラの体にさわり肉体関係を求めた事がある。
彼女は拒否し、翌日運送会社の社長の家崎に言いつけると、それ以降は2度とやらなくなった。
 アパートの部屋は10畳1間で、中央をカーテンで区切られており、片方で額田が生活し、もう片方でアンジェラが暮らしていた。
食事は店で済ませている。彼女は水商売用の派手な衣装を脱ぎすてると、ユニットバスでシャワーを浴びた。
 シャワーを終え、バスタオルで体を拭い、清潔な下着とパジャマに着がえると、ベッドに倒れこむ。
やがて彼女は泥のような深い眠りに落ちこんだ。
それから時が流れていき、やがて、同じワンルームで寝ている額田のセットしたスマホのアラームが鳴り、彼が起きだす物音がする。
 アンジェラは眠い目で、自分の枕元のスマホを眺めると5時だった。その後1時間程して、額田はドアを出ていったのだ。
階段を2階から1階まで降りる靴音がして、アパートの庭にあるワゴンに乗って外出する時のエンジン音が聞こえてきた。
 この後彼女はいつも夕方5時頃まで寝て、夜7時に迎えにくるベンツに乗って歌舞伎町の店に向かう。
額田の帰宅は夜7時半頃なので、ちょうどすれ違いだ。土曜の夜だけ額田は外で飲んでから帰るので、翌日日曜の朝か昼にワゴン車で帰宅した。
おそらくどこかで一晩眠り、アルコールが抜けてから帰るのだろう。

その日の午後五時、今度はアンジェラが設定したスマホのアラームが鳴り、それを止めた彼女はベッドから起た。
顔を洗ったり化粧して、出かける準備を済ませ、夜7時、迎えに来た黒いベンツに乗りこんだ。
ベンツは甲州街道を走って歌舞伎町に行き、『クラブ・セブ』に到着した。

 そしていつものようにアンジェラは勤務についたが、途中で熱っぽくなって、激しく咳きこむようになる。
どうやら風邪を引いたらしい。客にうつしてはいけないので、店長の判断で午後11時半に早退し、送迎用の黒いベンツの後部座席に乗りこんだ。
 ベンツは30分かけて代田橋のアパートへたどりつく。腕時計を見ると、ちょうど深夜の零時だった。
 長い針と、短い針が抱きしめあって一緒になる、大人の時間だ。
アンジェラはソニア・リキエルの傘をさして、車外に出る。滝のような豪雨が傘に襲いかかった。
「マリアちゃん、お大事に」
 運転手の若い男が、源氏名で呼んだ。
「ありがと。1日休めば、治るよ」
「お互い働きすぎっしょ。この仕事なかなか休めないから。いい機会だと思って、ゆっくり寝なよ」
 茶髪の運転手は、ウィンクを投げてくる。アンジェラがドアを閉めると、車はやがて、荒ぶる風と滝のように落ちてくる豪雨の中、タイヤで水を切りながら、夜の大海に姿を消す。
 それを見送った後、彼女は自分のアパートに向かった。その時である。誰もいないはずのアパートの庭から、物音が聞こえた。アンジェラは何かと思い、庭に向かって歩みを進める。

#創作大賞2023

https://note.com/calm_cosmos667/n/nb8e326e11332

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