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ミステリー小説『神聖な国』第7話 事件解明

 2人の刑事が帰った後、達也は徒歩でJRの新宿駅に向かった。改札を通り、山手線に乗って、渋谷駅で降りる。
 渋谷駅は改装されたため、以前とはすっかり変わっていた。その渋谷駅の改札を出て、宮下公園の近くにある雑居ビルに向かう。
 ビルの3階に看板が出ており『春山佳代子料理教室』という文字が大きく書かれていた。受付に行くと、見慣れた女の姿がある。
正確な年齢は知らないが、今60歳位だろうか。
「竹岡(たけおか)さん、久しぶり」
「ああら。ご無沙汰してます。お元気そうで」
 竹岡久美子(くみこ)は、屈託のない笑みを浮かべた。
「母さんは今、料理教室の時間かな」
「今始まったばかりですのよ」
「最近会ってないんだけど、母さん元気?」
「あら。そんな事おっしゃらないで、もっと会ってくださいな。元気も元気、いつもはきはきしてますわ」
「変な質問するけど、最近母さん普通と違う何かがあったとか、心当たりないかな?」
 怪訝そうな顔になって、久美子が達也の顔を見た。
「何で、そんな事お聞きになりますの」
「ごめんなさい。竹岡さんには言えないけど、ちょっと内輪で色々あってね」
 久美子はいぶかしむ表情を変えなかったが、それでも何か、思いだそうとしはじめた。
「そういえばこないだの日曜に、名前を名乗らない男の方からお電話がありましてね。春山先生に取りついだんですのよ。会話の内容は聞いてませんけど、終わった後、先生真っ青になってましてね」
「そうなんだ……」
一体誰が、ここに電話したんだろう。母親は有名人だし、料理教室の電話番号はホームページに掲載されてるので、誰でも電話をかけられるけど。
「最初、その人が電話してきた時、どうして取りついだの? 母さんの友達? 友達なら、スマホの番号知ってるはずだけど」
「あたしも取りつぐつもりはなかったんです。でも、男の方が『大至急取りついでくれ。アンジェラの件と言えば、わかる』と言われてその件を先生にお話しすると、普段は落ちつきなさってる先生が、突風みたいに電話まで駆けてこられて」
 竹岡は、その時を思いだしたらしく、何度も目を神経質にパチクリさせた。相手の男は佳代子に何を話したのか。そして母親の反応はなぜ、そんな感じだったのか……。
                   *
 料理教室の時間が終わった。生徒が全員帰宅して、佳代子一人きりの教室に、受付の担当をしてる竹岡久美子が現れた。
「どうしたの? 怖い顔して」
 ゾンビでも見たような表情をした久美子に向かって、佳代子が尋ねた。
「男の方から電話があって……アンジェラの件で話があるって伝えればわかるっておっしゃってました。大至急電話に出てくれと。お名前聞いたんですが、答えてくださらないんです。機械で変えたような、変な声で」
 久美子の話が終わらぬうちに、佳代子は急ぎ足で受付に向かった。教室のある建物は閉館したので、受付の周辺には誰もいない。彼女は保留中のランプが点灯している電話の受話器を取りあげた。
「春山ですが。どなたかしら」
「殺されたアンジェラの知り合いです」
 久美子の話した通り、ボイス・チェンジャーか何かで声を変えている。
「アンジェラっていうフィリピン人の女、殺したのあんただろう。見ちまったんだよ。あの台風の夜、あんたが代田橋のアパートの庭から掘りだした拳銃で撃ったところを」
 佳代子は返答しなかった。どう答えていいのか、判断に迷ったのである。
「警察に通報されたくなかったら一千万円札束で用意して、今度の金曜の午後十一時に持ってこい。場所は**神社の入口だ」
 それだけしゃべると、一方的に電話が切れた。
                   *
 やがて脅迫者の宣告した金曜が訪れる。佳代子には、この日までの時間が恐ろしく長く感じた。彼女は現金で一千万の入ったキャリーバッグを引きずりながら電車に乗り、明治神宮前駅で降りて、そこから歩いて午後十時半に指定された神社の入口に到着したのだ。
 道行く他の人達は、まさかこのバッグの中に、多額の現金が収まってるとは思わぬだろう。そう考えると自分の行為は、奇妙に現実感がない気がした。が、これは、紛れもないリアルなのだ。危機の時こそ、落ち着いて冷静な判断を下さねば。
 脅迫者が誰だかわからぬのも不気味である。この世で一番怖いのは、相手の姿が見えない事だろう。外国が撃った核ミサイルがいっそ東京に激突して、つらい事も苦しい事も全部吹っとばしてくれればいいと身勝手な願望も抱いてしまった。その時背後で気配がして振り向くと、そこには意外な顔があった。
「あなたどうして……」
 そこには佳代子のよく知ってる顔……腹を痛めて産み落とした、一人息子の姿がある。その顔は、困惑と苦悩のために、歪んでいた。佳代子はムンクの『叫び』という絵を思いだす。ちょうど達也は、あの中にいる人物のように見えた。
「やっぱり母さんがアンジェラと額田さんを殺したんだね」
「何言ってるの。とんだ誤解よ」
 佳代子はすぐに否定したが、自分でも、自分の言葉が白々しく聞こえた。
「ここにお金を持ってきたのが、証拠でしょう」
 とても悲しそうな目で、息子が話した。
「そのキャリーケースには、銃も入ってるんだよね。アンジェラのアパートの庭で見つけた物でしょう。探偵の池松さんから『ピストルらしき物を見た』と聞いて、母さんはアンちゃんも額田さんもいないはずの土曜の夜に庭を掘ったんでしょう」
達也は、そうやって推理を続けた。
「それを警察に届ければ、アンちゃんも額田さんも逮捕されて、さすがにぼくが結婚を諦めると思ったんだね。ところが運悪く、風邪を引いて帰宅したアンちゃんと鉢合わせになり、思わず掘りだした銃で彼女を撃ってしまったんでしょう」
「その通りよ」
 永遠にも思える沈黙の後で、佳代子は答えた。
「でも、信じて。殺す気はなかったの。ちょうどピストルを掘りだした時、歌舞伎町にいるはずのアンジェラさんが現れて、反射的に引き金を引いてしまったの。事故だったのよ」
「それなら何で、救急車を呼ばなかったの。もしかしたら、助かったかもしれないのに」
「気が動転してたの」
「それで、慌てて銃をハンドバッグにでもしまいこんで、そこを離れた。その時これも偶然に、普段土曜の夜はいない額田が帰った。その時顔を見られたけど、額田はその時点では、アンジェラが死んだと知らなかったので、気にしなかった。その後額田はぼくを犯人と思いこみ、ぼくのマンションに乗りこんできた」
 息子の説明を、佳代子は黙って聞くしかなかった。
「その時額田に殴られたはずみで、ぼくと母さんの写真が落ちた。それを見た額田は写真の母さんの顔を見て、アンジェラの殺害現場のそばにいたのと同一人物と気がついて、強請る事にしたんだろうね。テレビで母さんの顔を見たんだろう」
「どうして、こんな真似したの。母さんせっかく額田を殺してせいせいしてたのに、また脅迫電話が来たからどうしてって思ったわよ」
 佳代子は、責めた。よりによって、息子におとり捜査をされるとは……。
「母さん、自首して。自首すれば、罪が軽くなる」
「冗談じゃないわ。あたしが捕まれば、あなたも犯罪者の子供になって、一生日陰者になるのよ。春山食品も、系列会社もイメージダウンじゃない」
「母さんらしい発想だね。いつも、そんなふうにしか、考えてない」
 達也がこっちに近づいてくる。
「さあ、一緒に行こう」
 佳代子はキャリーバッグから、拳銃を取りだした。自分でも、思いがけない咄嗟の反応だ。これがピストルの恐ろしさか。手にしただけで、気が大きくなるようだ。銃社会のアメリカで犯罪が多いのも無理はない。
 銃口は今、息子の顔に向けられている。さすがに、手が震えていた。佳代子の脳裏にアンジェラを撃った時の記憶があふれる。息子を奪った売春婦で外国人、浅黒い肌、つたない日本語、歌舞伎町、水商売……。
 どの要素一つとっても、自分には嫌悪を感じる存在だ。それは佳代子に、無限の恐怖をもたらした。彼女にとって受容可能な外国とは、旅行ででかけた北米やヨーロッパのような先進国だ。白い肌、彫りの深い顔、洗練された文明、強力な軍隊、高い経済力……。
 それに比べて日本以外のアジアやアフリカ、中南米は、発展途上の二等国だ。こんな国の人間が大勢移民として押しよせたら、日本はどうなってしまうのだろう。欧米の植民地になる災厄を免れた、神聖な国が台無しだ。
「こっち来ないで。本当に撃つわよ」
 震える声で、佳代子は息子に宣言する。それでも達也は近づいてきた。次の瞬間銃声が、大音響で鳴り響く。自分でも無意識のうちに、佳代子は引き金を引いていた。息子の胸から血が吹きでる。やがて達也はひざを降り、うつぶせに地面に倒れた。
 佳代子はそばに駆け寄って、倒れた息子をゆさぶったが返答はない。達也の胸から大量の血が流れている。素人目にも、即死しているとわかった。左右を見渡すと、いつのまにか周囲に人が集まっている。佳代子はヌードを見られたような激しい羞恥を味わった。
 彼女を見る人々の目に、恐怖や好奇や、様々な表情が映っている。誰かがしきりに『これドラマ?』と、聞いていた。スマホで画像を撮る者もいる。佳代子は思わず銃口を口にくわえた。
 それを見た周囲から悲鳴があがる。弾丸は、まだ残っているはずだ。
 佳代子は銃口を口にくわえたまま、引き金を引く。

#創作大賞2023

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