「男性の多くは女性の”嫌だ”を無視する」という話を聞いて、女の私が思ったことを書く
何やら不穏な内容のネット記事を読んだ。
簡潔に書くと「男性の多くは女性が”嫌だ”と言ってもそれを無視(軽視)し、やめてくれない。そして、本当にブチ切れた時”嫌だったなんて知らなかった”と言う」という感じの内容だ。
まず、確かにそういう人間は存在する。
「自分がされて嫌なことは相手にもしちゃダメ」という言葉を「自分が嫌だと思わないことなら何でも相手にしていい」と捉え、
「自分が嫌だと思わないことは、相手も嫌がらないはずだ」と、自分の加害性にちっとも気付かないような人間だ。
実際には「自分はされて良くても、相手が嫌だと言ったらやめるべき」だと思うのだが。
ちなみに私の父などはその典型で、よく体形や趣味を馬鹿にしてくる父に「貴方が良くても私にとっては嫌な言葉なので控えて欲しい」と伝えても、
「俺は言われてもなんとも思わない、そんなんで傷つくお前がおかしい」の1点張りでなんらやめようとしない。
(もしそんな主張がまかり通るなら、この世にパワハラやいじめなんて言葉は存在しない…)
そんな経験もあり、私は「自分が良くても相手が嫌がったらやめよう」という話自体には賛同している。
それは対人関係において重要で、最も大切な倫理観のうちの一つだと私は思うからだ。
しかし、ただ一つ、一言目にある”男性の多くが”という文言は全く肯定できない。
そんな人間は女性にも一定数いるし、男性の多くがそうというのは決めつけがすぎる。
私は常々「女性の多くが○○(批判的文言)だ」なんて文章は差別的で嫌いだと思っているので、今回のように男性の多くが~や男は~という主語のデカい批判もまた、差別的で嫌いだと感じる。
だって、当てはまっていない男性が読んだらどんな気持ちか。
自分自身ネット上で女は~という主語で括られ、やってもいない、思ってもいないことで叩かれ続ける地獄絵図を見てきた分、想像に難くない。
そのため、私は絶対に”性別”などの大きすぎる主語でひっくるめて批判することだけはやらないし支持しないと決めている。
さて、ここからが難しいところなのだが、世の中には「嫌だと言われたらやめるべきこと」と「嫌だと言われてもやめなくていいこと」と「嫌だと言われる前からやってはいけないこと」の3つがあるのだ。
これは本当にケースバイケースで判断が難しく、一概にこう!とは断じれない。
この3つに対する個人的な感覚としては…
例えばリア友に「漫画の話題は苦手だから控えて欲しい」と言われたらその子の前では控えるが、
Twitterで知らん人から同じことを言われても別にやめる必要はない、
だがTwitter上でもあまりに過度に性的な推し語りを漫画の作者本人にリプする…とかは嫌がられる以前に最初からやっちゃダメだろと思うなど。
他にも、人が社会性を持って生きていく以上、色々な場で色々な判断をしなければならない。
そのためには、自分の感覚だけを過信しすぎず、周りを広くよく見て、時には法律を調べることで、嫌だと言った側も言われた側もその時々に応じてできる限りよき判断ができるようにしていかなければならないと私は思う。
当たり前のようだけど、咄嗟だったりすることもあって結構難しいよね。できるだけ平和な人間関係目指したい!…以上です。お読みいただきありがとうございました…!
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