終わりを意識して生きるって難しさと虚しさ
私基本的にとっても陽キャってわけでもなく、普通な人間なんですけども。
それと同じレベルか未満のファッションセンスを持っています。
高校生の頃、当時仲の良かった友人にそれではダメだと繁華街へ連れて行かれ、とてもおしゃれな服を買わされたことがある。
それがおしゃれで、「対陽キャアーマー」と呼んでいるのは本編と関係のない話なのですが。
その「対陽キャアーマー」には英字が次の様にプリントしてある。
「Live as if you die tomorrow」
(明日死ぬと思って生きろって書いてある服着るのってレベル高いよね、、)
なんか倫理の授業で同じ様なこと習った様な気がするな確か知らんけど。
明日死ぬと思って生きるって結構むずかしいよな。
個人的にはこの言葉結構好きで、こういう言葉を見るたび、「後悔しない様に生きよう」と思う。
しかし、私の記憶力が悪いだけなのか、気が付いたら忘れていることが多い。
だから、精一杯生きようと思っていたはずなのに、気が付いたらYoutube見ていたり、TikTokを見ていたりで時間と脳みそが溶けている。
10000時間の法則という話を聞いたこともあるし、努力すれば何かしら自分のためにはなるけど、気がつけば楽な方向へ流れていってる私。人間だな。
明日死ぬ気で生きるって実は地味で、根気のいる地道な作業なのだと実感する。
で、これだけ明日死ぬかもしれないと思って生きることっていいよね〜って話をしてきたわけだが、これって結構虚しくない?
なんかさ、わかってるけど終わりを意識しながら生きるって冷めてるよなとも思う。
なんか生きてるんだからもっと自由にでっかくいきてえよなあ
すっごくアホらしい感想だけど、結果とか成果ばっか気にせずにいたい。
多分、「地球最後の日に何をしますか」って質問に、「何もせず日常を過ごします」って答えることに感覚似てるかも。
なんか今日の文章ポエムチックで明日読んだら恥ずかしくてしんどそ〜〜
絶対読まんとこ〜〜〜むり〜〜
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