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「遊び」を失った現代社会に(小西公大)
僕らの生きている世界は、随分と「遊び」を失ったな、と思う。この場合の遊びというのは、非生産的で、役に立たないし理解されにくいものなんだけど、なぜか没頭してしまうような、個人的で自律的で深い夢中状態のことだ。テーマパークやスマホで得られる手軽で消費的なものではなく、何か自身の奥深いところから静かに躍動が生まれるような「遊び」。
心理学者チクセントミハイを出すまでもなく、このような忘我の時空間(フロー)にこそ、人間の心の扉を開き、世界と接続するための根源的な力を蓄え、創造的な活動を可能にする契機が潜んでいる。残念ながら僕らの生きる世界は、効率性と生産性、合理性と俊速性が最も重視されていて、何も生み出さないし役に立たない没頭の世界は、随分と排除されてきてしまった。
そして、その単独性の豊かな世界を大事にしている人々には「変人」のラベルが貼られ、周縁化されるようになったしまった。僕らの小さな「変」は、この世界を揺り動かす大切な種子なのだけれど、それに水をやり、発芽させ、身を結ぶまでじっくりと向き合うような文化は、もはや忘却の彼方へと押しやられてしまったようだ。
アートや音楽、アカデミックな実践などにその残滓が残っているようなこの「遊びの文化」を、どうやったらメインカルチャーとして取り戻すことができるだろうか。そしてどうやったら僕らは他者の異質性を受け入れることのできる、包摂的で活力にあふれた世界へと舵を切ることができるだろうか。子どもたちの持つ野生的であふれんばかりの「変」の力を潰さずに、先の見えない閉塞的な世界の羅針盤とすることができるだろうか。まだ旅は始まったばかりである。
変人學会の活動と機関誌Hen-Zineは、僕らが忘れてしまった遊びの世界をもう一度取り戻すためのヒントが盛りだくさんで、周縁化されてしまいがちな人々の共感(ヘンパシー)を呼び起こすような活動・媒体となっていくことを、心から祈念している。
東京学芸大学 変人類学研究所所長 小西公大