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AIの時代にこそ、「変」を大切にしたい(高村真央)
2024年2月、アメリカ・フロリダ州に住む14歳の少年が自殺した。
彼は死ぬ間際まで、最も親しい友人であり、恋人のような存在でもあるAIチャットボットと会話していたそうだ。彼の母親は自殺の原因は「AIチャットボットの依存症になり、現実世界で生きる気力を失ったから」だとして開発会社などを提訴している。
私はこのニュースを読み、戦慄が走った。
私たちが便利だと賞賛し、生活の質を高めてくれるものとして受け入れてきたテクノロジーが、ついに人を殺したのだ。殺した、というと大袈裟かもしれないが、彼の自殺願望のようなものを肯定するようなやり取りがあったという。
誰もがスマートフォンを持ち、毎日パソコンと向き合いながら過ごす今の時代。作業や行動、意思決定に至るまでを、当然のようにテクノロジーに預けてきた。
しかし、今社会が向かっている方向は本当に正しいのだろうか? 形のないAIが全てを肯定してくれた結果、人生を豊かにするはずのテクノロジーが牙を剥いても?
テクノロジーやAIを盲信をする前に一歩立ち止まり、「自分自身」を見つめたい。人間としての私を豊かにするのは、私自身の個性であり、こだわりであり、人から見たらちょっと「変」だと思われるところではないだろうか。
ここで創刊の辞の主目的である、「『変人』とは何か」というテーマに立ち返ろう。
個人的な見解ではあるが、変人とは私たち人間が作り出した偶像だと思う。変人なんていう人は存在せず、見方を変えれば誰もが変人とも言える。
私たちは力を合わせなければ食料を確保できず、集団で社会生活を営んできた歴史から、「同じ」であることを求める習性がある。しかしそれは皆が違うことの裏返しで、誰もが違うからこそ、「同じ」を探そうとするのだろう。
昨今ではDE&Iが浸透し、多様性、違いを受容することがよしとされる風潮がつくられつつある。しかし、性の違いや人種の違いを受容するだけでは不十分だ。「私と家族」「私と友人」など、一見「同じ」部分が多く見える人であっても、全く別の人間であることがよく理解されるべきだと感じる。
誰もが当たり前に「変」であり、違いを当たり前に肯定する。そんな社会が構築できていれば、AIやテクノロジーに心の拠り所を見つける必要性も減らすことができるのではないだろうか。
情報が氾濫し自分自身を見失いそうになる時代だからこそ、自分自身の「変」と向き合うヒントを得られる場として。『Hen-zine』は、そんな誰もが自分の「変」を確認できる場になればと思う。
(NewsPicks Studios 高村真央)
※内容はあくまでも個人の見解です