歩道は右側を歩け
こんにちは、ベイシーです。
皆さんは道路を歩く際に
何かを意識していますか?
例えば
歩き方を意識したり
歩く速さを意識したり
何歩歩いたとか
どのくらいの距離を歩いたとか
いつもと違う道を歩いてみるなど
おそらく意識して歩くのは
この程度かと思います。
右側を歩くか
左側を歩くか
このようなことはおそらく
誰も意識してないと思います。
自転車であれば原則
左側通行で走行しなければなりません。
これはほとんどの方がご存知かと思います
むしろ知らなければ違反をとられたり
重大な事故に繋がる可能性があります。
自転車もバイクも車も日本では全て左側走行
だから歩行者も左側通行だろう
大体の人はそう思ってるかもしれません。
しかし歩行者は
原則右側を通行しなければなりません
これ実は道路交通法でも定められています。
自転車や車は左側で
歩行者だけは右側って
ややこしい…。
そう思う人も中にはいるかもしれません。
ただ何故に歩行者だけ右側通行なのか?
それは自転車や車が左側通行だからです。
ん……それ、答えになってる???
では詳しく解説します。
例えば、歩道と車道の仕切りがない道路があるとします。
但し、車道と歩道の境界線を分ける白線はあります。
街の商店街や住宅地に多いですね。
そのようなシチュエーションの場合
左側を歩くとします。
するとどうなるか?
自転車、バイク、車は後ろからやってきます
つまり
死角から自分より速いものがやってきます。
これって危険ではないでしょうか?
逆に同じシチュエーションで
右側を歩いてみましょう。
自転車、バイク、車は前からやってきます。
これは危険でしょうか?
捻くれた思考の人でなければ
左側を歩くほうが危険性が高いことは理解できたと思います。
つまり速くて危険なものが
前からやってくるのと
後ろからやってくるのと
どちらが回避できないかと言ったら
目がついてない後ろのほうになります。
なので歩道は原則
右側通行と定められているのです。
さらに運転手目線でも考えてください。
自分が車を運転してることを認識している歩行者と認識してない歩行者がいるとするならばどちらが厄介ですか?
認識していない歩行者のほうですよね。
運転手側にとっても
自分を認識してない歩行者が
前を歩いていたら
気づかなくて急に横に飛び出すかもしれない
という予測を立てなければなりません。
ドライバーとして危険を予測するのは
当たり前の義務とは言え
何人も何人もそれを気にするのは
気疲れしますよね。
右側さえ歩いていれば
歩行者は車を認識できるし
車は歩行者の目線を認識できる
つまり理に適った規則なのです。
左側を歩くか右側を歩くか
それを知るだけでも
ケガや死亡の確率、リスクも変わるのです。
そして右側を歩くメリットは
ひったくりもそうです。
ひったくりとは死角から
バッグや中身を奪って逃走することですよね
。
と言うことは
左側を歩いていると後ろから
バイクや自転車が来るので
ひったくりされる確率が上がるのです。
左側で通行するということは
事故に巻き込まれる確率だけでなく
犯罪に巻き込まれる確率も上がるのです。
なので右側を歩くということは
そのような観点でも理に適っているです。
率直に言うと皆さんは
知らず知らずのうちに
事故や犯罪に巻き込まれる確率を
自分で上げちゃっているのです。
さらに危険性の確率を上げるのが
歩きスマホです。
例え右側を歩いてリスク回避をしても
歩きスマホをしていれば
事故も犯罪も巻き込まれる可能性大です。
歩きスマホが原因で
車が横切ってることに気づかず
衝突してしまった事故例もあれば
自分が踏切の中にいることに気が付かずに
電車に轢かれ死亡してしまった例もあります。
ここで皆さんにもう一つ
覚えて欲しいことがあります。
それは
【便利なものほど悪用もされやすいこと】
【便利を知った者ほど愚かにも疎かにもなれること】
この言葉は是非
心の中にでも頭の片隅にでも刻んでください。
人生はたまた命に関わることですからね。
スマホは便利なものですが
電車の移動中でも
会社や学校の休憩時間でも
なんなら仕事中でも
お風呂に浸かってる時でも
歯磨きしながらでも
大便の最中でも
どこでも隙あらば見ていませんか?
もう寝てる時以外なら
いつ何時もどのタイミングでも
見たり触ったりしていませんか?
今から30年前の日本は
そんな事は誰もしていませんでした。
この30年で随分と変わりましたね。
携帯電話というたった一つのアイテムで
人間の習慣が大きく変わったのです。
逆説的に考えてみてください。
30年もあれば人間なんて
容易に変えられるということです。
日本は幸いにも
しばらく戦争のない時代が続いていますが
あと何十年いや何年か先には
戦争に巻き込まれているかもしれません。
戦争をせざるを得ないかもしれません。
戦争や災害など関係なくても
自分の生まれ育った故郷が年月経ち
気がつけば跡形もなくなくなってるかもしれません。
人間とはその程度の生き物なのです。
社会とは常に変化し動く生き物なのです。
失敗を糧に改善や改良を重ねても
時代と共に様式が変われば
無意味に近くなることだってあるのです。
最近で言えばコロナで騒いだ時期ですね。
あのままコロナ禍が続いていたら
今までの習慣や伝統と言ったものや
社会的常識でさえも
180度変わっていたことでしょう。
事実その片鱗くらいは見えましたよね。
話は逸れましたが、人間というのは
誰かがつくった社会という川に
見事に流されています。
僕もその一人ですし、あなたもそうです。
そして歩きスマホなんてものは
その川に流されて溺れてるようなものです。
命が最優先の生存ゲームなのに
スマホ如きで命を落とすなんて
その死因は『社会の川で溺死』なんですよ。
そもそも自分の人生すら
思い通りに操縦できない大半の人間が
社会の川を上手く泳げるわけがありません。
抵抗しようが泳ぎ方を変えようが
流されて流されて
生きるも死ぬもそれは運のみ。
でも人間には意思がある。
意思を変えれば
事故も犯罪も遭遇する確率を変えられる。
歩きスマホもしなくなる。
意思さえあれば
社会という川に流されない。
話が壮大になったところで
今回の話をまとめますと
読んだ人の中で
新たな意識や気づきがあればいいと思ってます。
右側通行は事故や犯罪のリスクを回避する上で理に適っています。
歩きスマホは社会という川に溺れてる状態です。
スマホの画面に意識を持っていかれたら目の前に危険が迫っていることも誰かに尾行されることも狙われたりすることにすら気づかないかもしれません。
30年もあれば人間の習慣も常識も変わります。
ましてやコロナ禍というたった3、4年ですら人間の生活は容易に変えられました。
この先もたった数年で容易に変えられることも可能ということです。
正義とは善と悪の間に存在するのではありません。
本質的なことが人間の正義なのです。
今回はその本質的な部分を書いたまでです。
それが僕にとっても人間全体にとっても正義なのですから。
おわり