社会はなぜ左と右にわかれるのか

ジョナサン・ハイト著、高橋洋訳『社会はなぜ左と右にわかれるのか』紀伊国屋書店、2014年

道徳の主な源泉を合理的な思考に求められないのなら、残った有力な候補は、生得的な性質と社会的な学習の複合である。…私たちは、<正義心>を持って生まれてくる。しかし、何に関して正義を貫くべきかについては、学習しなければならない。(60ページ)

人間の道徳観は、遺伝子に組み込まれたプログラムに例えることができるほど、生まれながらに備わっていると言えるでしょう。正義感もまた、個人の体質や生まれ持った性質に根ざした、自然な感情の一つであると考えられます。私たちは、ある事象に対して「これは善である」「これは悪である」と直感的に判断し、その後に、その判断を合理的に説明するための理由を後付けする場合が多いのです。つまり、道徳的な判断は、論理的な思考よりもむしろ、直感や感情といった非論理的な要素に大きく左右されることが少なくありません。
さらに、人間は社会的な動物であるため、周囲の人々からの評価を気にする傾向があります。そして、自分が属する集団の価値観に同調しようとする心理も働きます。このため、道徳的な判断は、無意識のうちに所属する集団の意見に影響を受けることがあります。
結局のところ、人間の道徳観は、生まれ持った性質や育ってきた環境によって形成され、後天的な努力によって完全に変えることは困難であると考えられます。例えば、リベラルな価値観を持つ人々と、保守的な価値観を持つ人々の間の差異は、生まれ持った性質の違いに起因している可能性が指摘されています。

著者は正義を〈ケア/危害)〈公正/欺瞞)〈忠誠/背信)〈権威/転覆)〈神聖/堕落)〈自由/抑圧)の6つの基盤に分けています。
6つの基盤は、おおむね以下のようにまとめられるかと思います。

〈ケア/危害)=他者の不幸を回避すること
〈公正/欺瞞)=公明正大であること
〈忠誠/背信)=自分が所属する集団に貢献すること
〈権威/転覆)=階級や階層を重んじること
〈神聖/堕落)=合理性を超えた価値を信じること
〈自由/抑圧)=支配に抗うこと

リベラルは、ケアや公正といった基盤を重視するのに対し、保守は、すべての基盤を考慮することで、より複雑な社会の現実を捉えているという主張が展開されています。リバタリアンは、個人の自由を最大限に尊重することを重視し、他の両者とは異なる特徴を持っています。
本書の後半の宗教や思想の共存に関する議論は、もう少し説得力に欠ける部分もありましたが、正義や倫理に関する判断は、私たちが動物として生まれ持った感覚に基づいているという考え方は、非常に興味深いものでした。


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