硝子の小箱
失ってから綺麗に見える。
というか失う前、そのただ中にいても、過ぎた昨日が美しかった。
それを綴った記録があったら、喪失感が少し少なくなって、宝物みたいに抱えてこの先も生きていけるからいいなと思う。
でも、温度とか、匂いとか、音とか、そういうものを、忘れるのが、取りこぼしてしまうのが、すごく勿体なくて悲しくて寂しくていやだ。
振り返って美しかったと思えればいい。
こんな青春送りたかった、とかよく見るけれど、中学生から高校生にかけての期間、ほぼ男の子とのそういう関係を持たずに女の子に恋してばかりいたのは、私にとっては1番理想的な人生だった。終わりがあったから、氷の中に、あるいは硝子の小箱の中に閉じ込めて、時々取り出しては眺めることができる。氷解しないのだから、硝子の方が適切でしょうか。いや、今でもずっと手の内に込めていたら溶けだしてしまいそうですが。
脆くて美しくて儚い少女という存在の間、閉ざされた空間に毎日通う何人もの学生という異空間で、その時間だけ、一過性とされる時間を、女の子を盲目的に愛して陶酔する日々を送ったこと、美しい過去になったこと。
少し昔の話をしようかな。
あの子の歌で息をした。
いっとう肌が白い人だった。
ひとごみの向こうで腕を広げて待ってくれるような、マフラーを巻いてくれるような、小さな会話で小さな笑顔が弾けるような。
それこそひとつも取りこぼさないように、瞳を見つめ続けて耳をすましていた。
小さい頃の記憶、昼下がり、キッチンからのミキサーとかレンジの音、香ばしい香り、ワクワクしてキッチンに向かえば焼き上がったばかりのドーナツやクッキーに、胸をときめかせて口に運ぶその気持ちを、そんな日々を思い出したときでさえ、それをあの子に捧げたいと思っていた。
一時の気の迷いというなら、それが許される世界でずっと生きていたかった。
あの狭い世界で、閉じこもっていたかった。
あなたがいればなんでも良かったのに。
ずっとあなたの隣で。
あの頃はずっとそう思っていたのです。
今となってはもう、あれが恋だったのか何だったのかも判然としない。講義で、「チャムグループ」なるものを知った。そうか、理論で一過性のものとして説明出来てしまうものなのか。
いや、恋だった。たしかに。そう思う。そう思おう。
もう彼女を愛したように美しく人を愛せる自信がないの。
あなたの歌った歌は今でもまだ、あなたの声で私の中に響くのです。