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花橘の香

古歌に、花橘の慣例がある。
花橘の袖の香で、昔の想い人が蘇る。


香りって、あまりにも重い。
記憶との結び付きの強さの点で。

塩素の匂いは、遠い青い日々、キラキラした太陽、暑い炎天と涼やかな校内、まだ今より少し高かった私たちの声を呼び覚ます。
雨の森の匂いは、幼い頃、母の腕の中に守られた森で、家族との談笑の昼下がりを呼び覚ます。
金木犀の匂いは、金色の星々に彩られた足元、それを踏み歩き、ときに摘み上げる、秋だねぇ、という同級生の微笑みを呼び覚ます。
人混みで一瞬香る匂いが、知っている誰かと同じ匂いで、その人に耐えがたく会いたくなることも。

プルースト効果というものがあるらしい。私が女子高生だったころ、敬愛する先生が口にした。記憶が、それと結びつく香りによって呼び覚まされる。小説から取られているらしいが、綺麗で、そしてたいそう実感のあるものだった。

現代社会に生きていて、頼りにするのは視覚と聴覚が多いように思う。逆に、視覚や聴覚以上に匂いを頼りにする生き物は多い。記憶との結び付きが強くて、ふと、その重さが感じられるのは、その名残だろうかとも考える。

隣で寝ているとき、座っているとき、不意に、あの人が私のおなかのあたりに、その美しい鼻をうずめることがある。そして、匂いが好きだという。

自分自身の匂いはどうしても分からない。きっと多くの人がそうで。

ただ、私にとってのいい香りがあの人であるように、あの人にとってのいい香りも私であることが幸せだと思った。


それだけで、いいと思えた。

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