決別、遺る物
※一部北村薫『太宰治の辞書』のネタバレが含まれます。
積読していた北村薫『太宰治の辞書』を漸く読んだ。
以前、呟きで『女生徒』の中のこんなセリフを引用したことがあった。
今回の『太宰治の辞書』の「花火」中で登場する、「近代文学とロココ」という組み合わせで、すぐに『女生徒』が浮かんだ。ついでに言うと、芥川の作品で『舞踏会』は私も非常に好きな作品だった。孫引きになるが、「わたし」が引用する三島が書いた『舞踏会』についての文章に、このようなものがあった。
もしこれが真だったのなら、そして「皮肉と冷笑の仮面」を外した作品ばかり芥川が残していたら、私はもっと彼の作品に傾倒していただろうと思う。
話を戻して、『女生徒』に、元となった日記があることを私は知らなかった。それを突き止めに行く「わたし」に、私は敵わない。文学に学んでいる身で、大学図書館も自由に使わせてもらえるなのだから、もう少し探究心と行動力を身につけたい所だ。けれど、偶然とはいえ小説の中で明かしてもらえて有難かった。思いがけない出逢いだった。
「太宰治の辞書」の中で、太宰が奥さんを残して心中する遺書に「お前を誰よりも愛してゐました」とあったことが触れられていた。
太宰は、客観的に見れば身勝手だったかもしれない。けれど、繊細で、臆病な人だったのだ。
あの人と、同じように。
可哀想な人だった。初めはそれも全て受け止めてあげたいと思っていた。
でも、それほどの力は私にはなかった。
ただ、それだけなのだ。
今この季節にこの小説を読むことになったことに、何か運命めいたものを感じてしまった。
私に残ったのはあの人ではない。最後に残してくれた、きっと、《本当》の言葉だけ。
私の元にはもう、あの人の連絡先も、写真も、声も、温度も、ない。
私は、生きていける。