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柔道、それは近距離パワー型スタンドではなく、やりがい搾取型である。

昨日、小学生の練習会に参加した。

少なからず50人は居ただろうか、小学生。ウチの道場からも2名が参加。正直な所、自由参加にしてしまった影響かこの人数。まあ指導者1人に対しては適当な人数ではある。大半の指導者は僕より年上。昭和生まれの方々だ。
我々でギリギリ昭和なのだが、何でか知らないが、休みの日一日拘束されてもプライスレスに文句を言わない。
僕は常々おかしいと思っている。

基本的に指導者の「やりがい」におんぶに抱っこだ。
物事を割り切る僕らより若い世代が果たして同じようなやり方で続けてくれるだろうか。
柔道の競技人口は減り続けている。それは単に競技の魅力云々ではなく、大人になった時に金を稼ぐ手段としてならない柔道に魅力を感じられないのも一つの要因なのではないか。と感じる。

子供の習い事の月謝としても常軌を逸している。
周囲では空手や、MMA等のジムは五千円からとる時代に柔道は平均して2500円程度だ。
これは父母会を維持する程度に留まる。
貧しさにも手を差し伸べるとは聞こえがいいが、志だけでは食べていけない。なにより、ブラジリアン柔術を経験した際に感じた「技術」というのは売り物になり得るものなのだ。何十年もの蓄積は安くは無い。

練習を共にしている周りの仲間は気にも止めずに自分の持つ技術を渡している。逆にこんな事を考えてるのは僕ぐらいなものだ。
ロートルの独り言みたいなものだ。


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