35年も生きてるともう僕のアイデンティティの一部を知らない人も出てくる。と言うよりかわからない人が多くいるって事は後遺症に関しては…
話も直近の話になってきて言える事言えない事と微妙なラインになって来たので、後援会長たる僕の身の上話を少々。
僕は小学6年生のある日、日常は粉々に砕けました。
日付だけは忘れもしない2000年2月7日。
柔道の練習に来て…
病院?入院?
って状況でした。
柔道だけじゃないけど、コンタクトスポーツにおいて人がよく死ぬ。
「急性硬膜下血腫」
本当に僕は運が良くて死にませんでした。なんなら後遺症もよりスケベになったくらいなものでした。これの幸運さは後々ネットを調べて知りました。
大半の人が死に、生き残っても重篤な後遺症の中生きる事になる。そんな残りの数%のラッキーボーイでした。
しかし、小学六年生に鏡に映る自分の姿が頭蓋骨の右半分が無くて酷く醜いというのはとても酷なことであった事は言っておきたい。
そして、何よりこの一件で誰かを恨んでるなんてことはない。そもそも直前に練習してた相手が誰かも覚えていないから怨みようがない。
怪我をさせるリスクもあるけど、怪我をするリスクだってある。悪意がない限りお互い様だと思う。
褒められた事ではないが、結局今でも柔道始め格闘技を続けてる。柔道は指導者までしてる。
こんな僕だから出来る指導もあるんじゃないかと信じてる。
本筋からズレたが、某氏を応援するのも、結局武道に出来ることの新たな可能性を垣間見ている気がする。