見出し画像

転職活動はレジャー🥥⛱️

 三十手前になって、また仕事を変えようと考えた。
 必要に迫られて始めた転職活動だから、きっかけになった理由らしい理由はあるのだが自分自身がその理由にどこまでもしっくりこなかった。だからかどうにも他人事のようで、はっきりした意思のないまま漂うように面接を取りつけ、それに向かう。来てほしい、と言われても、今回は見送る、と言われてもどちらもああそうですかというくらいの関心しか持てない。
 つい先だって車を処分したので、電車やバスを使って面接に向かう。いつだか面接地に向かうバスに乗っている時にふと内田百閒が借金の利息を払いにいくのにも人力車を使ったというのを思いだした。私はそれを思い出しながら、見知らない風景と昼間のバスの車内の様子を目で楽しんでいる。吊り革を持って立っている老女の二の腕の白さ。シャッターをしめている商店が目立つ通りをバスは走っている。全体に煤けているが故郷に似ている。もしくは、似ていない。黒沢清の映画「CURE」で役所広司の乗るバスの車窓はもっと曖昧だったか。

車の中は異界につながっている🚌))

 乗り物は乗った途端に時間の流れがするりと変わるような気がする。しっかりと目的地に向かっているが、その間何もする必要がない快適さがあるばかりだ。ただぼんやりとシートに座っている。乗り物に乗っていると手段と目的が逆さになる。すんなりと目的地に着くつまらなさが際立つほどに、移動している時間は面白い。
 面接の場ではもっともらしい顔をして、もっともらしいことを話す。向こうももっともらしいことを聞いてきたり、仕事についての説明をし始めたりする。これは礼儀というものだと思う。
 私は初めからしっくりときていないままこの場にいるが、目の前にいる人には誠実であるべきだと考えている。この態度は不誠実なのかもしれないが、礼儀というのは便利から出たもので便利というのは誰にでも便利ではない。

ベイスターズのファーストには長身の選手が似合う。オースティン然り✨


 面接をおえると特に何もしていないが腹が減るので、腹を満たしに向かう。革靴は歩きづらくて、他人の靴を間違えて履いているようでおかしい。17歳の時に作ってもらったスーツも同様で胸や腕や太腿にあたる布の部分が突っ張ってしまい、スーツを脱ぐと擦れてしまっている箇所が赤くなっている。
 日の長くなった18時頃の昼間のままの色をした空気を掠めるように燕が飛んでいる。私はそれをみて、小説家磯崎憲一郎は燕が飛ぶのを、二羽の夫婦の燕が光を分け合うように飛んでいると書いた。磯崎憲一郎の小説を久しぶりに読みたいなと思った。
 おれも燕や季節で移動する鳥のように、ここよりも暖かい場所に行くように仕事を変えたいと思った。それかシベリアのような寒さの大陸に帰っていく鳥のように仕事を変えたい。今はこんなようにあれこれ考えて遊んでいるが、そのうちどうにもならなくなって決まるだろう。

 私の尊敬する同郷の野球選手駒田徳広は「野球はレジャーだから。投手はスポーツだけど、打者はレジャー。スポーツだったら、週に6試合なんてできない。ボーリング、ゴルフ、そして野球なら週に何回でも試合ができる。そんなものに引退があるなんて、考えてもみなかった。」と言った。

人の来し方にも当てはまるように感じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?