アイドルマスターシャイニーカラーズのミリしらやるぞ!

表題の通りである。ちょっと嘘ついた。ARuFaの芹沢育成実況は見た。あと、まず初めに私は情緒がないことを謝罪しておく。これを読むあなたはここから先、あなたの望む初見特有の予想や勘違いや興奮などは欠片もない可能性を覚悟するべきだ。


イルミネーションスターズ

櫻木真乃

彼女の役割は「シャイニーカラーズというゲームの象徴」であることは間違いないと予想する。というのも、耳聡いとは程遠い自分にさえ「シャイニーカラーズ」という作品の特異性の情報がいくつか伝わっているのだから。すなわち、アイドルマスターという巨大な流れでのなかで各作品の中心物、例えば「天海春香」や他の存在とは何らかのズラシを行うはずだ。まず、シャイニーカラーズという作品がリリースされ期待値が高まる中、サイト内のデザインで「おそらくこの人が作品全体としての中心」(もしくはそう見せかけたい人)という動線になっている。ここで思いつくのは主人公性の排除であろうか。主人公性とは物語の推進力、個性等の種々の観点がある。安牌的な予想をするならば積極性の乏しさとそれを合わせた成長が描かれるキャラクターではなかろうか。

風野灯織

彼女はぱっと見で「クールさ」という側面がキャラクタープロフィールで強調されすぎた印象がある。クールという言葉はあまりに便利だ。これは第一印象では「感情が表にでないキャラクター」という情報から先を隠匿するものなのだから。世の中のあまたある、有名作品の四コマスピンオフではクールキャラがどれだけボケに回されてきただろうか、激しいツッコミをやらされてきただろうか。クールという情報はあくまで前振りに使用される言葉の一種と私は思っている。既に現在では「クールだけどやさしい一面がある」というキャラクターすら手垢が付きすぎているのだ。加えてストイックな性格の持ち主、「如月千早」との過剰なオーバーラップを行っている。これはまるで違うキャラクターであることを大声で喧伝しているかのようだ。櫻木真乃との対比で考えるならば積極性とその空回りが描かれるのかもしれない。

八宮めぐる

あっ、積極性のやつキャンセルで。八宮めぐるは明るさ・天真爛漫さというキャラクターと被せはさすがにしないだろう。プロフィールは、今度はかなりデフォルト設定かのような明るさの強調とその背景の理由付けを行っている。だが、特筆すべきボイスの方だろうか。3つ全てが「好き」という表現に注視したものだ。言い換えると寛恕は「好き」という言葉キーワードの存在なのだ。「好き」という言葉は「愛」と同じように手軽に使われるが細分化を行って考えるべき存在でもある。彼女にとって「アイドルをすることが好き」というものが。周囲が彼女に望む「アイドルをすることが好き」とは異なるものになってしまうだろう。簡単な予測をするならば「好き」という考え方の違いに苦しむということ、それは他人とのすり合わせではなくいかに自分の「好き」を周りに強要できるかという「好き」とは対極の態度が求められてしまう。そのあたりの葛藤が描かれそうだ。

アンティーカ

月岡恋鐘

ある種、普通ならこうだろうという「外しのノルマ」を簡単に消化したキャラクターであろう。ここまで方言キャラクターぽくない方言キャラというのは、私は勉強不足ながら知らない。方言キャラというのは深ぼりが放置されるという傾向がある。すなわち「方言」という要素のみで存在強度を十分に証明してしまうあまり、よほどの主要キャラではない限りは、キャラクターの思想の輪郭がなぞられることは後回しにされていく。彼女は方言を持つというのはあくまで彼女の仔細なパーツであり、「ポジティブ」で「ドジっ子」というベーシックなキャラクター性が裏切り少なく生かされていくのではないか。加えて注目すべきはアンティーカのメンバーの中心にいることからリーダーであることが推察される。基本的な「天海春香」的な要素は実は「櫻木真乃」ではなく「月岡恋鐘」に継承されているのではないか。

幽谷霧子

私はダンガンロンパ狂いなのでどうしても「罪木蜜柑」が脳裏に浮かんでしまうが、そこを踏まえたりうんぬんは流石にないので置いておく。プロフィール上の印象はこれまでのメタ的な視点とは異なり真正面に「真意を隠そうとしている人間」に見受けられる。あまりにもストレートに「ミステリアス」で深くを語ることを避けているのだ。ミステリアスから先の真意というものが「狡猾」であれ「純朴」であれ、重視すべきものは「秘匿」という行為をする動機自体が重要であると私は考えている。もっとギャグ性やフィクション性が高い世界観であれば「実は吸血鬼で」「実は月から来て」という秘匿的な性格であることを裏付ける要素を持たせうるが、現実的な人間に寄せた場合、そこに簡単な理由付けはゆるされなくなる。「秘匿の動機」、それが明かされることを私は期待する。

三峰結華

アイドルのプロフィールに「美人」って書いていいんですか?客観の「三峰結華」と主観の「三峰結華」の切り分けを行っているような印象がある。そこは深淵さとかではなく、単純なファン気質とプレイヤーとしての自分、それぞれを楽しんでいるというような片鱗が見受けられるからだ。しかし、逆に考えれば彼女にとってネックになってくるのは「ファンとしてアイドルに求めるもの」が「アイドルとしての自分ができること・求めるもの」と乖離してしまうということだろ。もう一つ気になるのが彼女が評価を「自己評価」と「他者評価」のどちら優先するかという点だ。「プロデューサーのため」なのか「自身の考え」なのか、2つのはざまに揺れることや、それこそ自分の考えが知らず知らずのうつに蔑ろにされてしまうことが、彼女の障害になるだろう。

田中摩美々

このレベルのスローテンポしゃべり、ボイス付きのゲームとしてギリギリ。ダウナー系のキャラクターというものと「アイドルになる」という夢への積極的な行動というものはぱっと見は相反する行為として捉えられてしまう。だが、多かれ少なかれ彼女の意思でアイドルという道を選ぶのだから「自分の興味を持ったこと以外には無頓着」はアイドルという面には向けられず、他の側面に働いていくのだろうか。例えばグループメンバーとの活動やアイドル性が低い仕事へのモチベーションの低さという面で。安易な物語であれば彼女の存在は、グループのメンバーの衝突の装置へとして消費されてしまうだろう。いいかえれば「シャイニーカラーズ」という作品では、その彼女のダウナーなスタンスがグループへの良い効果を表すものとして表現されていきそうだ。

白瀬咲耶

余裕があるというよりかは目線が引いているというタイプ、という印象だ。これは何らかの事情とかではなく「引いた目線にどうしてもなってしまう人」のようなイメージだ。芝居がかったしゃべりもあくまで地であり、そこに深い背景があるというより、そういう性格なのだろう。同性から持てるタイプのアイドルというのは現実フィクション通してかなり中心的な属性の一つである。彼女においてその「王子様気質」というのはあくまで地ではあるが、彼女が追い求めているものは「その先」にあるかもしれない。私が聞き及ぶ範囲の「菊地真」はきゃぴきゃぴしたアイドルでありたいように、白瀬咲耶にはプロフィール上では明言されていないが「王子様」的ではない「アイドル像」を持っている人のだろう、これは直観的すぎる想像かもしれない。さらに裏をかいて、アイドルをしたいが具体的なビジョンはなく、偶然にも地の「王子様気質」がかみ合ってしまったという方向性もありそうだ。

放課後クライマックスガールズ

小宮果穂

彼女が物語に課されている性質は「幼さ」と「大人」とのギャップなのは明らかであろう。「ヒーロー」とは過剰な期待であり民衆からの横暴な要求を飲み込み続ける苦悩性と表裏一体の願望だ。スーパーマンやオールマイトという全てを安心して任せられるようなヒーローは昨今の物語表現では主軸に置くことは望まれず、要求との板挟みを表現するための存在に落とし込まれてしまった。ただでさえ、「アイドル」というものは、偶像をみせるものと古びた言い回しでいわれているものに、アイドルという要素を重ねてしまった彼女の道は、ファンとの声にいかに答えるのかにスコープが当てられる。逃げる道はありえない。なぜなら彼女はヒーローアイドルを望んでしまったのだから。

園田智代子

自分が定めた「チョコ付き」という設定に振り回されそう(単なるワンエピソードで終わりそうですが)。漫画の中のちょっとだけ出てくる安直なアイドルキャラクター度が一番高いかもしれない。つまり、彼女は、彼女が自覚する範囲で明確な強みが存在していないと考えているのだ。これは強烈なコンプレックスへと紐づく。意図的に自分で味をつけなければ何もない(事実としては異なっていても)と彼女が固執してしまっているのだろう。彼女とプロデューサーは、「彼女にしかないものを彼女に気づかせる」という展開が主軸になりそうだ。物語の世界では、彼女が「無個性なキャラクター」というのを徹底するのはあり得ないのだろう。「無個性キャラクター」へ振り切れず、「安直なキャラ付けのキャラ」の否定が行われ、最後に彼女は答えを見つけることができるのか。

西城樹里

自分だけの感覚かもしれないがかなり現実のアイドル的な名前だ。ここまで目を通してきたアイドルたちの名前はフィクションでのアイドルの名前性が高いが「西城樹里」は現実に寄っているようだ。さて性格面なのだが、これが難しい。ベタだ。ボーイッシュでクールな言葉遣いが乱暴な女の子という性質をまんまなぞった雰囲気とボイスなのだ。され、考えてみるならば、「白瀬咲耶」との対比がどれだけなされるかという点だ。白瀬咲耶は自身の王子様性を完全に乗りこなしているが、対比だけでいえば彼女はまだ彼女の性格を乗りこなせていないのだろう。そして、気になる点は「どのようなアイドルを望んでいるか」が同グループの二人と違い明らかになっていないというのもの気になる。現時点での彼女は「アイドルであることを望んでいない」というアイドルが描かれるのではないか。彼女がグループのメンバーと通じて真にアイドルになることを望むまでの物語が描写されるだろう。

杜野凛世

彼女、とてもアイドルを目指しそうにない。これは言い換えるとアイドルを目指さないが手段としてアイドルを目指す理由があるということだ。「プロデューサーさまについて参ります」というかなり明確なプロデューサーへの意識が表記されている(このようなメンバーは今までのところ何人かいたかが彼女の場合は特に露骨と感じる)。すなわち、彼女の原動力はプロデューサーへの好意というものではないか。物語では、真に目指すべ主題の前にこのタイプの感情が間に挟まった場合は多くの場合は喜ばしい結果は迎えない。それならば、その手段としてのアイドル願望を、寛恕は目的としてのアイドル願望へと自覚的に修正する必要があるのではないか。恋愛感情を捨てること自体が、恋愛感情の成就のための唯一の成功の道であり、それはプロデューサーへは打ち明けられない彼女の心の中でのみの葛藤でしかなしえない。物語の苦悩の代表である感情を胸に、正解の道を歩めるのか。

有栖川夏葉

このグループ、年齢差すごいですね。自らを律し、やる気もある裕福なキャラクターというのはアイドルマスターの得意とするところみたいな印象がある。多くの金持ちキャラクターは高慢と油断がワンセットなものであり。そうでなければ既に完璧な存在のどちらかだ。その中間点で成長する存在として描き始めたのがアイドルマスターの水瀬伊織が契機なのではないか。よって彼女に求められるのは「水瀬伊織」のオルタではないか。なお私は水瀬伊織という人に生じた物語を知らないのでその観点では大きな掘り下げはできない。例えば努力のオーバーワークや家族との軋轢などは簡単に思いつく範囲ではあるが、それはとっくに通り過ぎた領域だろう。気になるのは彼女がアイドルになるモチベーションだ。私が固執しているだけかもしれないが放課後クライマックスガールズはアイドルになる理由に力が置かれているようだ。彼女には私の予想の範疇外の「金持ちのやる気がある人」のアイドルになる理由が提示されそうだ。

アルストロメリア

桑山千雪

アイドルの世界のお姉さん的存在、いうて、若がち。プロフィールがやはり過剰に「ゆるふわお姉さん的」すぎるんですよね。これは裏を返すと、それだけではない人間だということの表明をしたにすぎないのです。ただ、このお姉さん的存在は、地球上で味がなくなるまで噛まれた筆頭であり、そこから「あえて実はだらしがない」「腹黒」みたいな逆張りはいくらでもあるのだ。では、彼女はそのさらに逆に行くのだろう。それは「完璧すぎるお姉さん」であるということだ。センターを張っておりリーダーだと予測されるが、彼女は牽引というよりも強烈に後ろからバックアップするというスタンスを取っていくのではないか。他のキャラにも言えるが真意が読みづらく、その裏があるタイプか、あえて裏がないのかの差は現時点で見極めていくのは中々に困難だ。また、プロデューサーに対してもサポート性が高くどっちがプロデュースしてるかわからないなどの一幕もありそう。

大崎甘奈

これは事前知識で知っていたのですが、見た目似てるタイプの双子で声優が違うの、強いこだわりを感じます。双子で性格の対象性が高いの従来2億%軋轢を生じさせるのですが、すなわちシャイニーカラーズではそれは生じないと高らかに宣言しているのと同値なのだ。あえて明るい方を妹としているのも、ありがちなやり口でありミスディレクションが露骨だ(さらにその裏があるのか?)。天真爛漫は良いがで今を楽しむタイプというのは、物語にはおいて「事情」が必要となる。つまり「今」を考え「未来」を重視しないと考えるようなきっかけが本人の中にあるのではないか。それは「姉」が関連しているのではないか。姉のために明るくふるまっているのではないか。姉の現状を打破したいのだろうか。それとも逆に・・・。彼女の感情に姉が絡んでいるのは間違いないだろう。(まったく姉と絡みがなかったら逆張りしすぎなので)

大崎甜花

わかりやすい「アイドルであることを拒絶している」というパターンだ。彼女はおそらく「妹」に半ば強要された結果アイドルになったという経緯であろう。インドア趣味で人と話すのが苦手な彼女がアイドルにさせられてしまった現状の背景には「アルストロメリア」の居心地が過剰に彼女に良すぎるという点だろう。(実は才能があったをやるには、事前のネックが大きすぎる)。すなわち、緩くのんびりやる環境として自宅と同価値に、「アルストロメリア」が存在してしまったのが彼女の不幸にちかい。なぜならプロデューサーはその居心地の良さには直接起因していないのだ。アイドルグループに所属することは彼女にとって幸福だが、アイドルとして活動すること、プロデューサーに導かれることすら彼女にとっては苦痛になっているのかもしれない。この状況非常に目新しい。プレイヤーはアイドルの敵であることを必要以上に自覚しながらプロデュースする必要があるのだから。

ストレイライト

芹沢あさひ

ARuFaさんの実況で目をとおしてはいる。あなたの望む初見ミリしらを私はつむげないだろう。そのうえで、綴るのならば、イレギュラー性の塊であり、あえて物語には登場させづらいキャラクターである。肌感覚でいえば、感覚的な人間を極限まで表現化された存在と言える。複雑な思考の持ち主のわかりづらい側面を描くことは、キャラクター性を描く方向性としてはベクトルを伸ばすだけで良い。だが、感覚的な人間を描写することは従来の基本的な物語表現では追い付かない箇所が多く、表現のベクトルを伸ばすではなく方向性を思い切って変える必要がある。本人が語らない感覚を言葉を・・・、それを文面に起こしているのがシャイニーカラーズなのではないか。


黛冬優子

一番最初に知られるタイプの彼女の裏を私は既に知っている。そのさらに先を考えてみよう。彼女は強烈なトップ思考のアイドルであり、プロフィール欄ではその表しか言及されないうような面だけで活躍しているのだろう。コミカル性を高めるならファンの前でもそれが見え隠れするといった手法に逃げてしまいがちだろうが、現実強度を高めた場合、彼女は決してそういうへまをしない。むしろその問題グループ間の関係に及ぶのではないか。つまり彼女のプロフェッショナル思考の衝突である。それはプロデューサーやグループのメンバー、はたまた彼女自身へと向けられるに違いない。他者へのハードルの高さとそれの許容が描かれそうだ。また、このタイプの楽屋裏での2面性なキャラクターは現実でいえば小倉ゆうこのコリン星人まで戻れるだろうか。あくまでコメディ性によったスタンスのアイドルをここまで昇華したのも驚嘆である。

和泉愛依

彼女のファンに見せる表の顔を私は既に知っている。こう書くと「和泉愛依」と「黛冬優子」という存在はちょうど真逆の見せ方をしているんですね。黛さんのプロフィールは楽屋での彼女の姿を隠し、和泉さんのプロフィールでは、舞台の上の姿を隠している。ボイスで気になった点は彼女はあくまで明るく、表へ出ることの挫折の片鱗を欠片も見せていないのだ。彼女が舞台へ出ることの挫折は計り知れないだろ。それは彼女が経験したことがないものだから。こう書いて感じるには、和泉さんの視点からでは黛さんが既に舞台の上のプロフェッショナルであり尊敬すべき対象となるのだろう。そして、さらにその範疇を越えてしまったのだが芹沢さんなのだ。こう書くと、グループの不均衡さ、危うさが埋め込まれており、放置すれば爆発する未来が約束されている。あんまり和泉さんに焦点があたってない文章になってしまった。彼女の場合は最初に挫折、そこからの奮起なので物語的な興奮点の高さがたかそう。

ノクチル

浅倉透

ボイス3の「学校と変わんないね」。このセリフは彼女の物語を象徴してきそうだ。ここまでのグループたちが既存の裏切りに力を入れているならば、彼女はまったくもって新しい。物語では「舐める」→「挫折」→「成長」ではあるが、ボイスとしてそれが組み込まれており、しかもそれがマイペースなキャラクターを行うのは危険な存在に感じる。マイペースなキャラクターは周りを認識しないという傾向が高いが、彼女の場合は「周りを拒絶する」というタイプのマイペースなのではないか。彼女のもつ雰囲気としてのオーラとは別軸で、彼女の世界が存在しており、その拒絶許容のみで生きているのではないか。「ゆっくり思い出してよ、私のこと」というのは、むしろ私浅倉透は浅倉透以外への興味を持っていないことの示唆なのではないか。

樋口円香

ノクチルって敵で出てくるグループ?アイドルをすることを舐めるということってアイドルを描く物語においては、プレイアブルな方向には通例置かれないはずなんですよね。つまりこれはアイドルマスターが、既にその通例を打破するほど「アイドル」という概念の輪郭を磨ききったということにもなるのだろう。また、彼女は何周か回ったアイドルという観念をさらに昇華させる存在だ。彼女を描くことは一筋縄ではいかない。つまり、通常ならこれで良いという無思考なアイドル感を彼女に露見させようものなら、アイドルマスターの歴史を通じて、彼女のはその見え透いた考えを否定を否定してくるに違いない。彼女はアイドルでありながらアイドルを否定するもの。そして、あなたとアイドルマスターとの戦い。

市川雛菜

あれ、天才肌の敵?幸せ至上主義者って怖いですよね。朝倉さんも樋口さんも市川さんもプロデューサーの判断をぐらつかせる発言をしてくるのですよね。多くのキャラクターって「おそらくはこれがすべきアドバイスだ、こうなるべきだ」という方向を感づかさせてくれるのですが、そのゲーム感自体を否定にかかるっているように見えます。市川さんの目標の中にはアイドルであることよりも「しあわせ」であることが重点を置かれてしまった場合には、それを否定する手段はプロデューサーにはないのだ。なぜなら「市川雛菜はそれでしあわせだから」。いままでのゲームにその答えはない。答えは今からボタンではなくあなた自身の脳で考えろ。

福丸小糸

ノクチルらしくない。それはプロフィールやボイスからも、「アイドル」という概念への敵対性が存在しないからだ。(どんなイメージを私がノクチルに持ってしまっているのだ)。つまり、ノクチルとしてアイドルになろうと言い始めたのは彼女福丸さんではないのだろうか。つまり、福丸さんはみんなでアイドルという活動を、まるで部活動の延長線上のようにノクチルのみんなとすることを望んでおり、物語としても基本的なアイドル願望だ。問題点としては周りのメンバーがアイドルであることを心からは望んでおらず、一緒に活動することだけを望んでしまっているのではないか。ノクチルという集団においてプロデューサーが出来ることは、福丸小糸さんを味方につけることが必要そうだ。いや、もしかしたら福丸小糸さん自身も他のメンバーと同じようにあアイドルの観念を揺るがせる思想を持っているのだろうか。

シーズ

緋田美琴

仕事アイドル・趣味アイドル・生活アイドルのようなプロフィールだ。彼女には強いフックが何点かある。一つ目は「アイドル経験者」という事実だ。ここまでひたむきなアイドル探求者が1回はアイドルをやめたということだ。アイドルという夢がここまで強いのは止めさせられたからなのか、それとも止めていた期間に何か心が変わる出来事があったのか。2点目はボイス3「びっくりした」だけなである。ボイスサンプルの後半に来そうな発言が、公式サイトにすら載ってしまうのは、彼女がなんらかを許容できずに驚いてしまう状態にあるのではないか。彼女は「何かを望みつつも本能としては許容できない状態にある」「夢はあるがそれを挫折したことがある」ということなのか。一心に目標に向けて生きており、その全力を尽くしたうえでの、どうしようもない障害。努力では解決できない問題が彼女を襲っており、それを克服する物語がここにあるかもしれない。

七草にちか

アイドル時のウィッグなげ~。ボイス3、怖すぎる。アイドルへの憧れが強いというのは緋田さんと同じだが何かが対照的となっているならば、ボイス3と絡めると才能という側面になってしまうのではないか。緋田さんは才能も努力もできるがどうしようもない支障があったのかもしれない。それを踏まえるならば、七草さんにはどうしようもない「才能」「努力」の問題が彼女の目の前に現れるのかもしれない。緋田のせいで七草は努力なら負けないのようなアピールすらできない。彼女は最初から逃げ道が許されていない。思い出作りにきたんじゃないというセリフからも、才能面では期待されていないのだろうか。そして、緋田の相方という立場を対となれるか引き立て役となってしまうのか、それを打破することはできるのか。道はあるのか。

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