新しい会社と手相
21歳の7月、パートタイムだけど事務のアルバイトをすることにした。
それほど忙しい会社ではなく、ちょうど良かった。
一緒に働いているのは、5人のおじいちゃん。
もしかしたら天下り先だったのかな??というほど、優雅な生活を送っているようなおじいちゃんばかりだった。
とても良い環境だったけど、なんせ皆耳が遠い。
「これ、ここで良いですか?」という質問。
「これ」
「え?」
「ここで」
「え?」
「良いですか?」
「なんて??」
とにかく通じない。
結局5年務めたが、その間で話の間合いが完全におかしくなってしまった。
「え?」という合いの手が入るから、構えてしまう。話す速度もかなり遅くなった。
声も低くなった。
事務所にポツンと残される日が割とあった。
その時に手相の本を読んだり、当時はチャットが流行っていたから、会社のパソコンでチャットをしたりしていた。
(サボってばかりでごめんなさい。今ならしません)
そのうち、チャットで毎日会話する架空の友達のような人も増えて、手相を試したりして、楽しく過ごしていた。
今はマッチングアプリがあるけど、当時は出会い系サイトとかチャットが主流だったと思う。
チャットの中で、韓国好きの年下の女の子と、大阪で営業をしている女の子と仲良くなった。
学生時代の友人には会わなくなったが、そのスペースを埋めてくれる存在には出会えた。
韓国好きの女の子に出会って、また少しずつ韓国にふれるようになった。
旅行社のあと、若干のトラウマのようになっていて蓋をしていた。
でも楽しむことは悪いことじゃないし、K-POPも聴くようになった。
韓国好きの女の子と、実際会うようになった。
私は当時歯科矯正を検討していて、彼女は既にやっていると聞いて、どんな感じか見せてもらうことも含めてだった。
こんな器具を使って、締める時が痛くてからなんてことを教えてくれた。
韓国語も上手だから、隠したい話は韓国語で話したりして、とても新鮮だった。
私も歯科矯正を実際するようになり、現状を伝えたり本当に共通点がたくさんで嬉しかった。
韓国語能力検定も一緒に受けようと勉強もしていた。
数カ月して久しぶりに会うことになった。
いつものようにランチをして、カラオケに行った。流行りの曲を歌っていると彼女の表情がだんだんと曇っていくのがわかった。
「◯◯ちゃんは早く歌を覚えられていいね」と言った。
読み書きに関しては朝鮮学校の日常で鍛えたから。
彼女は大人になってから独学で覚えたらしく、あっさりクリアしていく私に対して何か思っていたかもしれない。
カラオケを終えてお茶をしていると、
「なんで日本国籍に変えないの?」と聞いてきた。
なんでと言われても、日本人じゃないからだ。
「普通は帰化するんじゃない?」と。
正直、帰化するという答えは一度も考えたことがなかった。
こういったところが、朝鮮学校の教育に影響しているととても思う。
祖父母が韓国から渡ってきたことを、丸々無くしてしまう気がして、おじいちゃん、おばあちゃんの最善の先に私がいるよ、と思いたくて、帰化は考えていなかった。
「うーん、私は帰化は考えてなくて…」
というと、
「ずるくない?日本人じゃないのに日本に住まんといて!ここは日本やん?韓国に帰ったら良いのに」と言った。
一瞬、頭が真っ白になった。
彼女は私を理解してくれているとばかり思っていた。
私は特殊な人種だから、どう見られているかだけを考えていたけど、受け入れる側の気持ちを、本音のような正論を、はじめて直接聞いた気がした。
私がもし日本人だったら、彼女よりももっと嫌悪感を抱いていたかもしれない。
ニュースで在日の人が逮捕されるたび、「なんで日本で犯罪を…頼むからやめてくれよ…!」と思うからだ。
だから私なりに、政治家には文句を言わない(選挙権がないから従うの姿勢)、税金はしっかり払う、逮捕されるようなことはしない、国を嫌がる人はいても、個人では良い印象を与えられるよう頑張る!という部分を心がけていたけど、あぁ。そうか。そういう問題じゃないかもしれないと思った。
「私の叔母は朝鮮学校の生徒に追いかけられてトラウマみたいになってるねん」
うちの父親は日本人との争いを武勇伝のように話すことがある。
やり合った、あるいは勝ったエピソードだからあんな風に言えるんだと。
被害者なら?トラウマを抱えたら?
そんな想像、一度もしたことがなかった。
「そっか、私がやったわけじゃないけど、叔母さんは辛い思いしたね。朝鮮学校出身者として謝るね。これから心が穏やかに送れるように願ってる。」
こういうことしかできなかった。
一緒にいると楽しいけどわかり合えない深いものに触れてしまったようだ。
気まずく別れたあと、彼女から連絡が来た。
「本当はうらやましかった。韓国語も歌も簡単に話してるように感じて、突くところがそこしかなかった。完全に嫉妬だった」と。
それが本音か配慮かはわからないけど、私も直接「韓国に帰ってほしい」と言われたことははじめてで、そして最初で最後で、今もその言葉は刺さったままだ。
40歳になった今も、たまに思い出す。
その後も連絡は取り合ったが、会うことは互いが避けた。
当時流行っていたサイワールドという韓国のミニホームページがあり、そこでの情報だが、結婚し子供ができたところまでは知った。
その後は更新することが無くなって退会したが、彼女が今も韓国を好きでいてくれたら良いなぁと思う。