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〔史料2〕に記されていることは,誰の代始めに起きたものか。1つ選べ。(早稲田大学 社会科学部 2024年)

問題

〔史料2〕 

 正長元年九月 日,一天下の土民蜂起す。徳政と号し,(  )・土倉・寺院等を破却せしめ,雑物等恣にこれを取り,借銭等悉くこれを破る。管領これを成敗す。  
                        (『大乗院日記目録』)

〔史料2〕に記されていることは,誰の代始めに起きたものか。1つ選べ。

イ 足利義教  ロ 足利義勝  ハ 足利義政  ニ 足利義尚
ホ 足利義量




解答

イ(足利義教)



解説

代始めの徳政とは…?

新しい将軍が就任する=新しい世なので前世(前将軍の治世)での負債もリセットされる
という考え方である。
……なんと都合の良い世界か!借金し放題じゃないか!

さて、〔史料2〕は徳政一揆の史料であるが、どの徳政だろうか。
①正長の徳政一揆
②嘉吉の徳政一揆
③永享の徳政一揆
の3つが思い出せればよいだろう。

史料1行目の「正長」「一天下の土民蜂起す」の語句から①と判断できるだろう。

ちなみに元号と年代、為政者は繋げておくことをおススメする。史料問題を解くためにはその史料がそもそも「いつ」のものかを確定しなければならない。場合によっては元号しかヒントが無い場合もある。
例えば…
寛平=宇多天皇=菅原道真による遣唐使の停止が894年
という感じだ。

正長の徳政一揆は1428年に起きている。選択肢を見てみよう。

ハの足利義政とニの足利義尚はまず外そう。義政といえば応仁の乱(1467)である。
日野富子との間になかなか子供ができず、「もう生まれることはないだろう!」と判断して弟の義視を養子にして後継者に据える…
生まれちゃうのである…富子との間に義尚が…
これが応仁の乱の原因である。

つまり、時期が合わない!

他をみてみよう
ロの義勝とホの義量(よしかず)は覚えていない人も多いとおもう。かなり影の薄い将軍だ。影というか空気だ。
義量は5代将軍であり、父の義持から将軍職を譲るが義持より先に亡くなる。義勝は7代将軍で、イの義教の子である。

覚えておくべき代始めの徳政は、ずばり①と②だけで十分だ。

足利義教の将軍就任=正長の徳政一揆
足利義勝の将軍就任=嘉吉の徳政一揆(1441)

である。
嘉吉の徳政一揆は覚えやすいであろう、同年に嘉吉の変によって赤松満祐が足利義教を暗殺しているので、もちろん将軍の交代が起きたはずである。

回りくどく消去法的に説明したが、この問題はとてもシンプルな問題なので、史料が正長の徳政一揆と判断できた段階でまよわずイの足利義教を選びたい。ここから足利義教の将軍在位期間まで導き出せてお得だ。

実は足利義教の将軍就任には面白いエピソードがある。
この話はまた後日。


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