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夏の頃

ある人がこの世を去った。

人望もあり たくさんの人から愛される人だったという。面識はない。ただ、有名人なので顔と名前と活動の断片は知っている。でもファンという訳でもなく、苦手だとすら思っていた。

彼がいなくなったあと、たくさんの人が「あんなに努力家で気配りもできて、才能もある人が」と口にした。有名人も私の知り合いも。電車で隣に座った人も。近所のおじさんまで「あんな綺麗な目をした若者は他にいない」と言っていたくらい。

彼のことを語るさまざまな人たちが発した言葉を聞いて初めて、自分がその「清廉な美しさ、強さと優しさ」に怯えていたと知った。さらに驚いたのは、さらに続々とでてくるニュースのなかで、舞台裏でも裏表のない透明な美しさを持っていたということ。私たちがみていたのは全て本物の彼だった。

あまり彼の出演作品は観たことがないけれど、青春映画での爽やかな少年役は特に印象に残っている。宣伝で観ただけで、彼の役どころは十分に分かった。きらきらの人気者。その演技とは思えない嘘のような実在感を、ひねくれ者の私は直視できなかった。物語を平気で生きる、あのきらきらした人、画面から出てこない人。

幾度となく彼をドラマや映画のポスターでみかけたけれど、正直、特別気にも留めなかった。ああ活躍してるんだなと。だけどNHKで、何の役も背負っていない唯の彼が、物を食べて美味しいと笑ったりお茶目に戯ける姿をみて、「この人は人間だったんだな」と思った。相手と同じ目線、同じ地面に立って真剣に話す姿をみて、画面の中で生きているだけと人じゃないんだと。

だから、いなくなって、驚いた。あのきらきらしてるひとが?

気付かれずに。弱音も吐かずに。笑顔をふりまいたまま。はっきりとした変化も理由も分からないまま、身近にいる人にもほとんど怪しまれずに。完璧主義だといわれる彼が、意欲的に取り組んでいた舞台のこと、撮影途中だったドラマのこと、公開間近の映画のこと、披露予定だった音楽のこと、出したばかりの本のこと、全部、突然手放した。自分のことさえも。こんなことってある?

なぜ、なんて、すべて彼が持って行ってしまったので最早わからないし、顔しか知らないような人たちが邪推して理解できるような次元でもないだろう。だから「なぜ」なんて考えたって意味がない。「どうやったら」も私たちには言うことができない。近しい人ですらその問いに正解することができないのだから。ましてや「生きてさえいれば」なんて。傲慢ではないか?それが最も難しいからこそ選べなかったのに。

でも、それでも、

生きていて欲しかったんです。ただ、生きてさえくれれば。

*****

彼だったかもしれない、または彼が一部を持って行ってしまった、この世界のどこかのあなたへ。

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