本物の「ダイヤモンド第3回単独ライブ『本物』」(本物)
「ちょっと長いかもしれないです…拍手が…」
半笑いの小野さんがそう言って、マスクの中でニヤニヤしてしまう。
∞ホールの最後列まで埋まった客席。ダイヤモンドをあまりにも好きすぎる人たちばかりが集まってしまったので、登場しただけで拍手がやまずに15秒ぐらいネタが始まらなかった。
オープニング映像の時点で”ダイヤモンドのやることなんでも笑えるモード”になった観客たちからすれば、ステージに現れたダイヤモンド(本物)の野澤さん(本物)も小野さん(本物)も、ほぼハリウッドスター(本物)のようなものと言っても過言(本物)ではないのだ。(本物)。
そもそも
「お笑い」を真面目に考察しようとか、咀嚼して文章化してしまうことをあまりにも野暮だなあと思ってしまうので(こんなレポブログばっかり書いてるくせに)、あと単純にちょっと恥ずかしいのでちょっとイヤなんですが、わたしがダイヤモンドの好きなところ、という視点で今回の単独ライブの感想(考察)を書いてみます。映画の考察ブログ的な感じで読んでもらえれば幸いです。
単独ライブの10本のネタ、幕間VTRも含めて、ダイヤモンドという「お笑いコンビ」の哲学が詰まっていて本当におもしろかったので、どうしてもそれは書いておきたいし、ダイヤモンドを面白いと思ってくれて、単独ライブを見てみようと思う人が少しでも増えてくれますようにと思いながら。
そもそも2(Ni)
”そもそも”に続編があると思わなかったでしょう。だって「前提として」って意味なのに、そもそもを言い終わって本編が始まらないって変だもんな。ちなみにそれが言いたかっただけで、この部分に特に意味はないです。ここは今すごいムダな空間(デッドスペース)です。もっと家具の配置とか工夫しましょう。なお、このとき「続・そもそも」としても可です。
・勝手にルールつくってくるな
例えば「スタバ」のネタのような「動いて教える」シリーズでいうと、今回の単独では1本目の「銅像のポーズ」のネタ。
”似てるけど違うもの”の形を体で表現して羅列していくというルールがまず敷かれて、だんだん”似てるけど違うもの”の種類が派生していく(奈良の大仏は?鎌倉は?牛久は?自由の女神は?クラーク博士は?)。その規則性を理解しはじめると、今度は小野さんが次になんて言うのかがわかる。
「自由の女神と一緒じゃない?」
ほらね!進研ゼミでやったところだからわかる!
ダイヤモンドのネタは、ほぼほぼそういうルールと派生(お題と大喜利)の連続だから、次はなんて言うんだろう?と思いながら振り回されるのがとても楽しい。
・様子が変だな
敷かれたルールが分かる状態で見ていると、今度はそのルールが過剰に適用されすぎていく。「進研ゼミでやってしまった」ばかりに、「次はきっとこうくるだろう」の予想から逸脱して、ルールがインフレしだすともういよいよわけが分からなくなってくる。単語本来の意味から切り離されてキモい文章になる。バグった翻訳みたいな感じ。
「この前、俺は【現実の】カレーを作ったんだ。【本物の】じゃがいもと、【実際の】ニンジンと、【真実の】たまねぎを、【事実上の】カレールーに入れて、隠し味に【名目上の】はちみつを足したんだ」
ネタ5本目「想像」の漫才より。「【実物】という言葉を使うな」というルールが過剰に適用されてしまって、普通のたまねぎが【真実のたまねぎ】という、なんかキナ臭い団体がつくってるブランド野菜みたいな名前になってしまった。
ダイヤモンドが好きな客は、もうこんなのが出てくると嬉しくってしょうがない。めちゃくちゃおもしろい。「名目上のはちみつはもう多分、はちみつじゃないやろ」
・しつこいな
「シークレットライブ、あるよ。」
ダイヤモンドフェスのときにも思ったことだけど「これってもしかして永遠に続くの?」という感覚の中で起こる笑いは、一度ハマってしまうと抜け出すのが大変だ。R-1のあと、お笑いオタク達がしばらくの間「大会近いもんな」から離れられなくなってしまったように。その強制的につづいていく気さえする「容赦なさ」はめちゃくちゃおもしろい。
2本目の「容疑者は近くにいる」のコントと、9本目の「ひとびと」の漫才、最後の「シークレットライブ」のコントは特に容赦なくしつこくて最高だった。それぞれ「容疑者が近くにいる」「”ひとびと”みたいに言ってる」「シークレットライブがある」を繰り返し言われ続けることで、いつも使ってるはずの言葉なのに、だんだん意味がつかめなくなって笑えてくる。
「60分ラッキー◯◯」でもそうだったけど、その永遠の中に閉じ込められてしまったときにしか感じられないこみ上げてくるおもしろさ、お笑い好きならわかるでしょ、と思っちゃう。みんな絶対好きだから見てみなよ。ね。大丈夫。本物だから。ウソじゃないよ!本物本物!
・こっち見てるな
「お笑い大喜利」もそうだけど、おもしろいが一周すると「メタ」になっていくらしい。メタ演出とは「画面の中を見ていたら、画面の中の人物が話しかけてきた」みたいなセリフとかのことだと思うんだけど、わたしはそういうメタ表現がたまらなく好き。だからダイヤモンドが「お笑い」「おもしろ」を概念として俯瞰してしまっている瞬間も、うれしくなっちゃう。
9本目の漫才中、野澤さんが客席に向かって話しだしたとき、たぶん野澤さんの視線の先らへんにいるお客さんが軽く悲鳴を上げていた。『ファニーゲーム』の犯人と目があったようなものだと思うと、そりゃたしかにビビる。
ときどき、アドリブ表現を「ネタを"降りる"」みたいな言い方するけど、ダイヤモンドだからこの”降り方”が成立してる気がしてかっこいい。幕間の映像で、映像上でテキストが出ている部分を振り返る小野さんも、単独ライブの大オチでの「裏切り」もそんな感じがした。
(あの裏切りオチすごく好きだったなあ。ダイヤモンドのお笑いのスタンスがその感じなの、めちゃくちゃ最高なんだよ〜〜。曇天三男坊で笑いが起こる客席も良いなあ〜〜。と思った。)
・ヘラヘラしてるな
「ヘラヘラすんな!」と野澤さんに向かって小野さんがツッコんだときにおもしろいのは「ダイヤモンドなんていつもヘラヘラしているくせに今更なに言ってんだ」すぎるからだ。台本から逸れれば逸れるほど、お互いの「おもしろ」に忠実なひとたちなので、ヘラヘラしながらメタをしつづけるのだ。ダイヤモンドのそういうところが本当に大好きだ。
7本目「整体師」のコントは、ただただ整体師がマッサージしてる側なのに「痛い!」って言う、ただそれだけのコント(これもとてもしつこくて良かった)。整体師という設定の野澤さん、その色々なバリエーションの「痛ってえ!!」を楽しむ小野さん、という光景を楽しむ、という幾重にもかさなる”メタヘラヘラ”を見ていると「ああ〜ダイヤモンドってめちゃくちゃ良いな〜・・・」とまた思う。
この光景をなるべく長く見ていたい。できればずっと見ていたい。あわよくば。もしよろしければ。差し支えなければ。ご都合よろしければ。問題なさそうでしたら。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
シークレットライブはあるのかどうか
月間芸人のインタビューでもダイヤモンドさん自身が言っていたけど「結局やってることは変わらなくて、どれだけ”内輪”を増やせるか」が売れるってことなんだと、わたしもそう思う。
全くゼロ知識で見るのと、どんなひとたちなのか知ってる状態で見るのとは違うと思うので、このブログがどうか誰かに届いてなにかしら良い感じに刺さってダイヤモンド好きになってくれたら超うれしいなあ。
という気持ちを込めて、もう一度チケットリンクを貼っておきます。
本当に「シークレットライブ」があるのか、だれなのか、いつなのか、なんなのか、どういうつもりなのか、きっと答えはここにあります。
たとえそんなことが気にならないという方でも「ダイヤモンド前から知ってるけどおもしろいよね〜」と言っておけばドヤれる世界になると思いますので、絶対に見てほしいです。少なくともわたしは最高にダイヤモンドが大好きなので、いつでもドヤる準備はできてます。