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【D-100】「りんごのホームランを打ちたい」と、春とヒコーキのグピグパグポと、小松海佑。

毎日noteを書いて100日目になりました。
100日目を小松海佑の単独の感想にしようと思ったのは、やっぱり特別だからです。

100日も書き続けて分かったのは、人生には連続ログインボーナスとかはないってことです。

でも、書いてなかったらもらえなかった言葉をたくさんもらいました。どれも本当にうれしかったから、ときどき見返してそのときの気持ちを再生します。わたしだけの宝物です。ありがとう。


・勝手すぎる漫談

芸人限定でゲリラ開催されたライブの感想で、フランツ馬場の「勝手すぎる」が一番しっくりくる感想だった。小松海佑は勝手だ。勝手で理不尽でおもしろい。そして自由で羨ましい。


・グピグパグポを聞こう

春とヒコーキのグピグパグポ小松海佑ゲスト回。
あの単独見た後に聞くと小松海佑の言葉の端々から解釈の糸口があってとても良かった!

ラジオの本編で、ぐんぴぃが小松に抱く嫉妬と劣等感みたいなものを何一つ隠さないのがおもしろかった。たぶん小松海佑を好きな人間のほとんどが持ってる感情だと思うけど、あんなに真っ直ぐ言葉にできるぐんぴぃはやっぱりすごいと思う。

むきだしでかっこよくて、そんなぐんぴぃに憧れる人はたくさんいるし、わたしもそうだ。

土岡のネタに関するコメントとか質問とかも全部共感した。土岡って相手の言わんとしてることを瞬時に理解して噛み砕く能力が高すぎると常々思う。

春ヒコ本当にありがとう!!!!

単独の話に戻ると、小松海佑本人は自分の漫談において聴衆を置いてってやろうとか、わざと突き放そうという意識はなく、むしろみんなが気づいてないだけで分かるあるあるを言ってるつもりらしい。

この感覚伝わるよね?と思いながら言ってみても、相手にとってはなんのこっちゃ分からんみたいな現象、なんかわかるなぁと思う。

もちろんわたしのようなただのファンと小松海佑とではレベルが違うだろうけど、ある意味小松海佑も【伝える-伝わる】の間にジレンマを抱えてるんだなと思った。


・日常のイラつき

ラジオ(↑)で「俺の漫談はもう説教」と言っていた。
たしかにそう思う。

小松海佑はいつも細かいところに引っかかって理不尽にキレている。

尖りといえば尖りだけど、それは高円寺の駅前で誰にともなく虚空に向かって怒鳴っているアル中のオヤジと同じ鋭角かもしれない。(これ書いた後にラジオ聞いたら同じこと言っててちょっと感動した)

「先輩に挨拶をしなきゃいけないというガシマン」
「才能がないから生活の泥臭さ誇ってる」
「クジラの口のかたちになってる下品なデザイン」
「大人の自覚が強すぎるだけなのに子供みたいな目で見られる」
「紙ヒコーキ飛ばしたいだけなのに雨降らす勉強しなきゃいけない」

ここまで具体的に言葉にできたことがないから一瞬意味不明で困惑するけど、噛み砕くとめちゃくちゃ身に覚えがある。

それは「無意識に強いられてること」への怒りだ。

誰か知らん奴が勝手に決めたルールを良しとしなきゃいけない“しがらみ”や、それに疑問を持たずに順応する奴らの“視線”へのムカつき。

特に「挨拶はガシマン」のくだりとか分かりやすい。オナニーなら人に迷惑かからないけど、ガシマンはかなり迷惑だ。AVの見過ぎでそれやんなきゃ気が済まない人間になって、それを後輩に強要させて文句言ってるの、ある意味オナニーよりも悪質なオナニーだ。

そしてこんなことを真面目な顔して舞台で1人で喚いているというバカバカしさがめっちゃおもしろい。


・独居老人になりたくない

"自分のやりたいお笑いを突き詰めすぎて独居老人になって死ぬんだろう"

ぐんぴぃの想像する小松海佑の最期(お前はたぶんこうなるだろという情景)が、あまりにも鮮明でおもしろかった。

小松海佑も、どの話題よりも力強く「俺はそれだけは本当になりたくないんだよ」と抵抗していてもっとおもしろかった。小松自身が一番その未来を身近に感じて危険視してた。

漫談のなかに、「俺のファンが全部言おうとするところも可愛い」という皮肉があった。

全方向に刃を向けていて、この人は本当に全部見過ごさないんだなと思った。(だから独居老人とか言われる)

痛ファンのよくわからん長文のコメントはなんでキモいのか。それは全部自分本位でしかないからだ。

好きな人を褒めようとするときに自分の経験の中にしか比較できるものさしがないから、お前誰だよみたいな高飛車な目線が気になる文章や、ポエミーすぎて何言ってるか一つも理解できない怪文書ができあがってしまう。

でもそれは、他人が知るよしもない自分の内面を表に出すときの副作用のようなものなんだと思う。熱心なファンほど真面目で、真面目なほど自分の心に正しくあろうとするから。

表現の仕方は気に食わなくてもその熱量は否定しないところが小松海佑の真面目さでもあるなあと思う。

小松海佑のそういうところも含めて好きなファンがついてるから独居老人にはなることはないと思うけど、今のところ全然なりそうでもある。

〜〜〜〜〜

漫談してる声が止んで、何かが倒れる音がした。
心配になったヘルパーが部屋に入る。
壁一面にびっしり並んだ観客らしき人影の絵、
その前に倒れ込む老いた細い体。

「…小松さん、幸せだったんですね」

↑最悪


・KIMOCHI/ZAZEN BOYS

小松海佑の説教には熱量がある。

「“ふつうのボケ”をするとウソつきだと言われたから本当に思ってることを言うようになった」とラジオで言ってた。

どんだけ不器用なんだよと思う反面、本当に思ってることならこんなに言葉で心動かせるのかよと思う。

言ってる内容は瞬時に理解できるものじゃなくて「あ〜なんかわかるかも」というまだ焦点の合ってない共感だ。

でもそういう共感覚みたいなものが小松海佑らしい言葉に乗って、頭で分かるより先に心にブッ刺さる瞬間、ZAZEN BOYSみたいでほんとにカッコいいんだよなあ。

笑ってるのに鳥肌立って、面白いのに震えるんですよ。すげ〜〜!って。だから好き。


・切なさもまとっている

わたしが素敵だと思うものの多くには「切ない」の成分が含まれている。小松海佑が語る景色の断片にもそれがあって好きだ。

「人間とかけおちしたアンドロイド/永遠に続く余生」
「くらげとクジラの絵が描いてあるトンネル」
「ガソリンスタンドの料金看板の点滅で不安になる」
「古びたキックボード/ガビガビの音」
「俺も上京するわ」
「89点のテスト」

小松海佑が話すスピードに合わせてこれらの場面を想像していると、早すぎて理解が追いつかないのになんとなく寂しさだけが残り香みたいに香ってくる。

そして辿り着いた先に、

「もう俺っていうのは、この文面にへばりついた焦燥感をホームにしているんだ」

という言葉があった。

自分の人生に関わるデッドライン(例えば未来の独居老人の影とか)が背中ギリギリを追ってくる。

そんな焦燥感の中に常にいるから、小松海佑のそばには切なさがあるのかもしれないと思った。


・映画の最初の15分

「映画って最初の15分とか、何か分かんなくてもおもしろいじゃないですか」

(↑ラジオより)

この感覚ってなんとなくみんな共有できるものな気がする。
あと、これぐらい分かりやすいことも普通に言ってくれるんだというドキドキもいまだにちょっとある。

ネタの最後の1分ぐらい、それまで辿ってきた情景を一気に駆け抜けていったとき、なぜかめちゃくちゃ笑えた。

小松海佑の喋る言葉から自分の最大限の想像力を使ってイメージしたその映像を、ものすごい勢いで逆再生される感じ。
おもしろいというより、迫力とか驚きで笑った。

(こう書いてて気づいたけど『ファニーゲーム』で犯人の男が突然カメラ目線になって映画を巻き戻ししてきたときの衝撃に似てる。)

小松海佑の漫談の、「漫談」という言葉の印象をガラッと変えてしまうほどの「映像体験」的な時間は不思議でおもしろい。

言葉だからこそ、映画以上に見た側の解釈に委ねられすぎているところも勝手だなあと思う。


・イギリス行くらしい

11月からイギリスに住んでスタンドアップコメディの修行(?)をするらしい。

なんとなく、日本語だから・日本人だから分かるという限定されたお笑いのように思ってたから、英語でもできること自体に驚いた。

11月からしばらくは小松海佑の漫談が見れないんだなと思うと少し寂しい。

でも全く環境の違う場所でストイックに漫談やり続けて、1年ぶりとかに見る小松海佑、マジですごいんだろうな。そう考えたらめちゃくちゃ楽しみになってきた。

ネタとか舞台での立ち振舞いとかだけじゃなく、こちら側に見せてくれる人生まるごと勝手で、ちょっとかっこよすぎる。かっこよすぎることに少し抵抗しているところも含めて。

やっぱり、小松海佑という芸人が大好きだ。