タイタニックの感想文
まず、俺について。21歳、大学生の男。
映画は詳しいわけではないが、好き。ヒューマンドラマがかなり。それでは、感想。呼んでくれたら、嬉しい。
実を言うと、この映画をちゃんと観たのは初めてなのだ。幼い頃に転寝のBGMとして流れていたのをちらと観た事しかない。それにサブスクではあまり名作は観ない。初めてストーリーを知るのは個人で運営してるミニシアターだと決めていた。良い映画は良い環境で観たかったのだ。そんなある日、タイタニックが25周年記念で全国の映画館で観れるようになった。俺にとっては好きな人が俺のことを好きだった時のように運命的なことだった。2023年2月23日、タイタニック上映の最終日。俺は眠い目を擦りながら遠くのシアターに向かう。8時45分の回しかチケットが空いてなかった。それでも遠足の日の朝のように、バスケ部の時に初めての自分たちの代の新人戦に向かう朝のように、眠気もまた楽しみを助長する。カフェでモーニングを食べて、ロイヤルミルクティと座席に向かう。空いてたら後ろの方の座席を選ぶんだけど、前の方しか空いてなかった。映画が始まる。
この話はヒロインが昔を懐かしむ形で始まる。母親の政略でフィアンセと式を挙げるためにアメリカに渡るためにヒロイン一同はタイタニックに乗船する。主人公の画家の若い男(主人公という表現はこの映画にはあまり適さないが、これは後述する)は画家であり流浪の人生を送っている。ギャンブルでタイタニックの乗船券を得て、その豪華客船のデッキで2人は出会う。ヒロインが主人公の様に拘束されない生き方を望んでいたこともあり、2人の仲は急速に深まり、愛し合う様になる。2人は駆け落ちを決め込み船上での生活を謳歌していた。ある時、タイタニック号は大西洋上に浮かんでいた氷山に接触し、船の下部に穴が開いてしまう。この衝突も設計士や船長、その他船員の慢心が原因なのだ。船の下部、つまり労働階級の人々が滞在するエリアにはどんどん浸水が始まる。一等席の貴族階級だけがこの異変に気付かぬままである。次第に状況が明らかになり船内は混乱の渦になり、避難ボートへの誘導が始まる。優先順位は、貴族階級の女と子供、貴族階級の男、庶民階級の女と子供、庶民階級の男、船員の順番となる。
混乱に巻き込まれている時こそ、人は本性を表すのだろう。ヒロインの母のように非常時でも自身の快適さばかりに囚われている者、フィアンセの様にプライドの為に大切な物を全て失う者、船の設計士は責任感から逃げることを辞めて船内で人生の幕を閉じた。名前のあるキャラクターにもこれだけの多様性がある。俺がこの映画で涙を流したのは彼らのように劇中で深掘りがされた人間ではなかった。船室のベッドで最期の時を2人で過ごす老夫婦。彼らには台詞すら与えられなかったが、どんな会話をして、どんな思いで、その選択をしたのだろう。乗客を救助ボートへ誘導している名前も知らない船員。ある女性がボートに乗り込む時、彼女は恋人に最後のハグをした。彼はそのときに「急げ」という一言を発することができなかった。緊急時に急ぎ避難誘導をしなくてはならないという使命感と、死別してしまうだろう恋人たちの最後の時間を邪魔をする優しさから生まれた罪悪感。感情と理性の隙間に見える人間らしさに涙が出た。「もし自分がこの人だったならばどう思い、どう動いただろう」と混乱の最中に何度も、ほんとうに何度も考えた。全ての人間の行動に人間らしさが見て取れる。そういう意味でこの映画には主人公はいないと思う。最終的に若い男はヒロインを守り死に物語は終わる。この1つのエンディングに、幾つもの物語を見た。悪役も主人公もいない「人間らしさ」が交錯する、ドキュメンタルにも感じられる、これからの人生に影響を受けるであろう映画だった。