コミュニケーションが怖くビビってた話
こんにちは。
私はnTech(認識技術)を学び、人並みにコミュニケーションを取れるようになりました。イベントでの司会を務めるほど、人の話を聞き、話を回したりできるようになりました。
近づきたいのに近づけない
しかし、nTechと出会う前の私はコミュニケーションがめちゃくちゃ苦手でした。できるだけ自分から話さず、聞かれたら答えるだけ。主義主張することなく、周りに合わせながら協調性があるように見せ、コミュニケーションが下手なことをバレないように隠すのに必死でした。
人と一緒にいたいのにオープンになれずコミュニケーションが苦手なことがバレなるのが怖くびびっていました。
なぜ、そこまでコミュニケーションが苦手になってしまったのか?
それは小学校3年生の時。
母子家庭で育った私は周りの家族との違いに気づき始めました。
友達にはお父さん、お母さん、兄弟がいるのに、自分の家族はお母さんと自分だけ。
そのことを気づき始めたら、お父さんや兄弟がいる友達が羨ましく思えて、自分は孤独感や寂しさを感じるようになりました。
なぜ自分にはお父さんがいないのか?
なぜ自分には兄弟がいないのか?
なぜ周りと違うのか?
聞いても無駄なことを薄々感じていましたが、もやもやに耐えきれず母親に聞きました。
「なんで僕にはお父さんがいないの?」
「ごめんね、ごめんね」と泣き出す母親
この母親の反応を見た瞬間、いろんな感情が出てきました。
・泣かせてしまった罪悪感
・こっちが泣きたいのにという怒り
・母親も気にしてたのかなという切なさ
・言わなければ良かったという後悔
自分の思ったこと、感じたことをそのまま表現したら相手を傷つけてしまう、悲しませてしまう、気まずい雰囲気にしてしまう。
そんな経験をしました。そこから自分の素直な思いを表現することを辞めました。
自分の感情に蓋をし、考えていることをないもののように消し、何も感じないようになっていきました。
そして、高校・大学・社会人とお付き合いする彼女には決まって振られ、
別れ際に「あなた何考えてるか分からない」と言われる。
同じことを繰り返してしまう自分に虚しさ、諦め、絶望感を感じていました。
無関心ではなく恐怖
生きていく中で当たり前に繰り返すコミュニケーション。点数で評価されることはなく、できるのが当たり前のようなコミュニケーション。
私から人に話しかけることができないので目の相手は“この人は自分に興味がないのかな”と思わせてしまう。
私は相手に興味がないのではなく、シンプルに質問することが怖いのです。
愛の反対は無関心と言いますが、無関心だから質問しないのではなく、質問して傷つけたり、悲しませたくないという気持ちから軽く質問ができないのです。
母親を泣かせてしまった時から自分の考えていることを辞め、質問することを辞めてしまったので、「質問することが怖い」と感じていることも無意識になってしまいました。
なので、なぜ自分が質問ができないのか分かりませんでした。そうやったら質問できるようになるのか。本を読み、知識を増やし、スキルを身につけようと頑張りました。
しかし、こんなスキルは諸刃の剣でした。全く応用が効かない。
悩みました。
そんな中、nTech(認識技術)と出会い、自分の取扱説明書をもらったかのように自分のことを理解することができました。
なぜ質問ができないのか?
なぜコミュニケーションが苦手なのか?
なぜ感情を表現することができないのか?
あらゆる角度から自分を構造で理解することができるようになりました。
エラーの原因がわかり、解消できる技術を得たので、理想通りに生きられるようになりました。
自分の人生を自分らしく
自分の人生を自由にデザインできる
そんな人生を多くの人と創っていきたいと思います。