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“今日も都合よく生きる”
【2025/02/05(水)】
配信リリースされて毎日狂ったように聞いている、aikoの新曲「シネマ」。
先日あったLIVEでも披露され、いっそう好きが増した曲。
初めて聴いた日に、今回タイトルにしたこの一節が特に心を抉った。
それからずっと生活の中で感情が必要以上にぶれ動きそうなときに、
ずきん、っと痛みがよみがえる。
なかなか治らない逆剥け、忘れてたのに、
ふとそれに水が触れたときみたいな感覚に、ハッとなる。
“今日も都合よく生きる”
誰かのために生きてないのに、誰かを理由に心を消耗させる。
そうやって人の顔色を窺ってさもそうしたかったみたいに、
明るく振る舞ったり、おとなしく過ごしたりする。
そのくせにそれがうまくいかないと、自分を責めてしまう。
うまくいって人が笑ったら、嬉しくなってホッとする。
“今日も都合よく生きる”?
そんな考え、なかったから。
都合のいいことは偶然で、まぐれの幸運で、
雨だった予報がたまたま晴れたくらいの奇跡で。
“都合よく生きる”はなんだかとても
幸運への舵は自分が握っているみたいに感じる。
そんな考え、なかった。
昨日と今日は運気が良かった、はずだった。
占いを丸ごと信じているわけじゃないけれど、
日々、なんとなく気にしている。
今は時期じゃないとか、ここぞというときとか、
うまくいえないけど自分ではどうしようもない
心と体を整えてなんとかなるとかじゃない
空気の流れみたいなものが存在するとは思ってる。
運気の流れは、四季の養生や風習に似ている。
冬至の日は南瓜を食べるといいとか、
節分は恵方巻きをその年の方向へ向き黙って食べ切るとか、
その個人バージョンみたいなものだ。
運気が良い日に買い物や重大な決断を、と意気込んでいたが、
もうそんな気持ちぱったり失せるほど、
短期間に起こった様々な出来事に心奪われ落ち込んでいた。
気にしないと表向きは笑っても、寝ても醒めても、
もう戻らないささいな過去を掘り返し、
そのたびに笑顔の裏の、黒い気持ちを消せずにいた。
そして、「シネマ」を聴く。
初めの頃の感動を同じように得られなても、
聴く度に歌詞が暗闇にひかりをくれる。
都合よく。人は傷つけないまま、私の都合よく。
気持ちをまっさらにはできなくても、
うえから色を足してちょっと見えないくらいにはなる。
聴きながら、Threadsを開いた。
本も音楽もいいけど、顔も知らない他人のやさしさに
今すぐふれたかった。
目についたのは、心の中にジョイマンを飼ってるという投稿。
ははは!、っとデカめの笑い声をひとりであげた。
くだらなくて、かるくて、最高だ。
好きなだけ自分を責めて反省したら、
あとは世の中を都合よく解釈して生きていこうと思った。
できない日もあるだろう。
そんなときはまた、曲を聴いて、SNSを開こう。
ちょっと元気になった甘いものでも。
見たくないニュースや聞きたくない言葉は遮断。
浮上し始めたらこっちのもん。
それにしてもあと何回、いや何十回、
私はこんなこと繰り返し投稿するだろうね。
自分で辟易するったら。
でもでも、同じように音楽やSNSに救われて、
息の仕方を思い出す私みたいな人もいるはずだから、
共感よ届け。
日記という名目で、ここに記す。