スキャットが踊りだす
I.Still Lonly
II. Drift Away
III.SIMPLE
IV. BEAUTIFUL
V. Highlight
VI. Don’t listen in secret
VII. MYI
VIII. ROCKET
IX. Run to you
X. Oh my!
XI. Second life
XII.247
XIII.舞い落ちる花びら
XIV.MYMY
ついにSEVENTEENの好きな歌詞について書き上げました…。「好きな曲」よりも「好きな歌詞」に重きを置いています。ひぇ〜疲れた。疲れたけれど書いている間は頭を抱えつつ、まるで好きなものの輪郭をなぞるようで心が救われました。どうぞ〜。
Still Lonely 이놈의 인기
ゆるめのダンスと爽やかなメロディ。ちょっと真似をしたくなるような可愛いこの曲の歌詞は、決して可愛いとは言えない。
이놈의 인기は直訳すると「こいつの人気」。しかし調べてみるとあまりいいニュアンスではなさそう。自意識過剰な姿を笑っている感じというか、皮肉を言っている感じというか。
人気になっていく外側の自分と、それに置いていかれる内側の自分。そんな外側の自分を嘲笑っているようにも感じる。
それでもこの曲は海を連想させる。
そんな嘲笑うような気持ちを海に流すのか、その人気は波のようなものでいずれ流れて行くものなのか、虚しくなった気持ちも海の前では小さな事なのか。
この歌のいく先はわからない。
わからないから何度も聞いてしまう。
Drift Away 떠내려가
目まぐるしく流れる時間は無常だ。
そんな中で自分の思考は留めておきたいと、ときどきこんな風に書き起こしたりする。それは思考だけでなく感情も。
それでも辛い気持ちや否定的な考えを振り返るのは、自分の傷を抉ることと同義で、気づけば都合のいいことしか覚えていないこともある。
しかし、「いい気持ちだけが残った」と知覚することは「悪い気持ちがなくなった」と知覚することと同じだ。
そのなくなったことに対する未練も想像してしまうのが、この曲を一層深いものにする。
この曲は喜びも悲しみも戻ってきて欲しいと願っている。
なのに、何度も流されてしまう。
戻ってこないと気づいているから願っているのかもしれない。
だから時間という流れに逆らえず流されていく中で、例えるなら希望のようなものに出逢い大切にしていくのだろう。それは不変だから。
SIMPLE
この曲だけはどうしても飛ばせない。
まるで朝の清々しさを感じる曲の始まり。風が吹き、目の前には大きく開けた青空が想像できる。単純で純粋な青空。
もしかすると、そんな風景がウジくんのこの曲で求めたものなのかもしれない。
あぁどうか、誰の耳にも「間違えている」なんて言葉、入らなければいいのに。光のない夜を過ごすことがなければいいのに。
それでも、ありがとう。
ここでも共に夜を過ごしてくれて。
どうかお互い新しい朝を迎えられますように。
BEAUTIFUL
曲が始まった瞬間、「絶対楽しいことが始まる!」と胸の高鳴りを感じる。
こんなに一途に君を思っているのに、“My life is so beautiful”なんです、この曲。“Our life”ではなくて“My life”。
君のおかげで僕の人生は美しいのだと、”My life”にするからこそ、その事実は変わらないものになったと感じる。
一人称の視点で語られる歌詞によって「僕」の思考を通して、世界と「君」の姿を見ることができ、すでに変化は起きていたのだと、その変化は変わることのないものになったのだと知ることができる(読んでいる人に伝わってくれ〜)。
「僕たちの人生は美しくなったよね」という同調ではなく、「僕の人生は美しくなったんだ」という事実。まるでラブレターみたいだ。
この細やかさに頭を抱えてしまう。
Highlight
ステージの演出や曲名もあるかもしれないけど、夜の滑走路、都会の夜景を思い出す。
鋭く揃ったダンスが、無機質さを引き立たせる。
まるでSEVENTEENとCARAT を表現してるみたい、と思っていたら本当にCARATに向けたものだったね。SEVENTEENが届けてくれるものとCARATが届けるもの、それらが届いた時、私たちは互いに伝えたかった思いを知る。それが意味なんだ。
Don’t listen in secret 몰래 듣지 마요
この曲と向き合うのは本当に難しい。
몰래 듣지 말아요 「こっそり聴かないで」は、最初「悲しみに暮れたまま涙を堪えて聴かないでほしい、悲しいときは涙を流して聴いてもいい」と、悲しみに寄り添い肯定してくれている曲だと思っていた。
しかし、そのあと真の意味を語られるように感じてしまう。
どうやら「こっそり聴かないで」ほしい理由は、「僕のことを知らないふりをしないでほしい、僕から離れないでほしい」からのようだ。
無力な僕が、置いてかれる僕が、君と繋がっていると感じられるのは、君が歌を聴いてくれることなのだと切なく歌っている。
これをSeventeenとCARATに当て嵌めた時、この曲は悲痛な叫びにも捉えられる。
あぁ、どうしてこの曲が生まれたのだろうか。
MYI
大好きなハオちゃんが作った曲。「君の名は」にインスピレーションをもらって作ったそうだけど、彼の世界に触れることができる貴重な曲。
「肩甲骨は翼のなごり」という小説もある。なんとなく私の中にもこの表現がある。けどそれらはもう翼を失ったあとだ。
MYIの歌詞では、翼が羽ばたくその時を待っている。まだ小さく広げられはしないけれど、それでも「背中に翼がある」のだと歌っている。
肩甲骨は翼の名残じゃなかったんだ。
この歌詞では、まだ翼を広げられていないことに不安が滲み出ている。
けれど、翼があることにわたしは希望を感じてしまった。
ROCKET
肩の力が抜ける大好きな曲。
この曲には性別に関する言葉を入れずに「目的は分からないけれど、一緒にロケットを作ってどこまで行けるか試そうよ」という想いが込められているらしい。
この歌詞に辿り着くまで、「君であればいい」という考えに辿り着くまで、その道のりは長がかったと思うし、まだ道半ばだと思う。
この歌詞をなぞりながら同じ道を歩けるようにいたい。
この歌詞も好き。
出だしでどんな人物なのか、どんな状況なのかわかってしまう。ジブリと同じ手法だ…。
手元にあって日常に紛れ込んでいる自分を否定しまう瞬間。それの状況だけを切り取り、表現できてしまうその感覚が好き。
秘められた感情は暗く冷たいものかもしれないのに、それを感じさせない表現の軽やかさも好き。
思考がぐるぐるしてしまったときに聴いてます。
Run to you 지금 널 찾아가고 있어
きたね…。なんど救われたことか…。
確かこれが響いたとき、本当に忙しくてご飯もろくに食べずに、寝るためだけに家に帰っていた。忙しいと自分のことを蔑ろにしてしまう。そんな時に「元気でいなきゃいけないよ」と言われたらもう、元気でいようと、ちゃんとご飯を食べてちゃんと休もうと、だって彼らがそれを求めているからと、自分を大切にしようと思えた。この歌詞が繋ぎ止めてくれた。
特に2番のジョンハンさんのパートがすごく刺さる。いつもより声が上の方からでていて、鼻にかかるように絞り出して歌っている感じがする。
ジョンハンさんのシルキーボイスが最大限に活かされていて、それに疾走感が上乗せされて、わ〜〜大の字!!
日本語版もすごく良かった。聴いた人がギリギリ捉えられる範囲まで、削ぎ落として削ぎ落として、解釈を委ねてる。
原曲で想像した映像を、日本語版ではその映像だけを表してるみたい。心情と情景。
まるでこの二つが合わさったとき、この曲は完成するのではないかと思ってしまう。
涙が溢れて前に進めなかったDON’T WANNA CRY、涙を堪えて駆け出したRun to you、強くなれたんだね。
Oh my! 어쩌나
私はこの曲の日本語版に出逢ってなかったらCARATになっていなかったかもしれない…。
ごく稀に言葉に殴られる経験をする。殴られるというと乱暴だけど、それぐらいの衝撃とパワーを喰らってしまう貴重な経験。
この歌詞にも「どうしようもなくどうしようもない?!」と殴られた。
私が逆立ちしたって、3回生まれ変わったって「どうしようもなくどうしようもない」は出てこない。
出てこないということは、私の辞書にはない表現ということになる。なのに「どうしようもなくどうしようもない」が理解できる。
この塩梅がもう…あーすごい!!
Second life
※この曲に関する文章は2021年度深読み見当違いオブザイヤーを受賞する予定です。
通勤時間に聴いていた時「第九だ!」と気付きました。
ここですこしベートーベンの第九について私が持っている知識でお話しします。
ベートーベン『交響曲第九番』は聴けば「あ〜年末に流れるあれね」とか「エヴァで使われてるよね」となるはずです。
よく耳にする盛大な祝福を受けているような大合唱(歓喜の歌)は1番最後の第四楽章であり、第一楽章では不穏で迫り立てるようなフレーズが演奏されます。
そして第四楽章になると、あの有名なフレーズが一瞬演奏されるのですが、すぐに第一楽章の不穏な響きが再び演奏されてしまいます。そしてバリトン歌手が立ち上がり「おお友よ!この響きではない!もっと心地よく喜びに溢れた歌を歌おう!」と高らかに歌い上げ、あの大合唱が始まるのです。
この叫びとも取れるバリトン歌手の場面が、ウジくんの裂けるように歌うソロパートとリンクしたのです。
そしてSecond lifeは、第九のようにポジティブな方向に向かうでもなく、逆にマイナスな方向に向かうでもなく、何の変化もなく最初と同じパートが歌われて終わります。
「あ、何も変わらなかった」と思ってしまったのです。変わってもいいぐらいの盛り上がりなのに。
つまりは忘れられないという事実が変わらないことを、繰り返されるフレーズによって表現しているのかな…と思ったのです。
変化をした第九、変化をしなかったSecond life。それほどに忘れることは簡単ではなく、2回目の人生があったとしても君を追いかけると、繰り返すフレーズが痛いほどに教えてくれているのかもしれません。
ちょっと何を書いてるか自分でもわからなくなってきた…解散!
247
聴くだけで宇宙を想像させる、すごく美しい曲だと思います。
ハオちゃんが大切にしているのも頷けます。
特に日本語版のこの歌詞が好きです。「物語る」とすることで、外に出すつもりはなかった戸惑いが無意識に足跡に表れてしまった、ということが伝わってきます。そして寂しさを帯びている。涙が枯れ果てた土地を歩んでいるのでしょうか、それとも涙で溢れた足元から歩み始めたのでしょうか。
また、サビのこの一節が曲の最後になると変わるのもなんとも切ないです。「宇宙が止まる時」は、果てがないことを表現していると思いますが、あまりにも壮大で実感の域を超えてしまいます。だからなのか、最後に私たちが実感できる最大限の時間にすることで、本当の意味での「果てがないこと」を表現していると感じます。
この変化もなんとも切ない。「宇宙が止まる時」までと言いたいけれど、それでは伝わらないから「ぼくのいのちが止まる時」に変えたのかな。それとも本当に決心がついたから「ぼくの命が止まる時」になったのかな。
それまでは表現的美しさを求めていたのに、最後にまるで手紙のようになる、ある意味メタ的な変化がこの曲の輪郭をはっきりとさせていると思います。
曲の雰囲気からが丁寧語になってしまった。
舞い落ちる花びら
この曲に出会えたことは、奇跡のひとつだと思う。儚く美しく、エッセンスとしての希望。
悲しみだけではない、けど「悲しみ」としか表せない笑顔は、主観なのか客観なのか。
何よりも「ゆらり」が不思議。
舞うと言われたら「ひらり」、風にのり軽やかに空に舞う情景が浮かぶ。
しかしここは「ゆらり」、決して軽やかではなく舞うことにすら戸惑いがあるよう。そして舞ったモノの重さを感じる。
たった一文字が違うだけで「舞う」に対する印象がこれだけ変わってしまう。
それまでの冷たく悲しい心の重みがそこにあるのかもしれない。
どうして「ひらり」でなくて「ゆらり」になったんだろう…。歌った時の音のニュアンスもあるのかな…。
Seventeen 13人が一輪の花であり、花びらであったこの曲は、どこを切り取ろうとも美しく儚い。この曲に出会ったとき、彼らは私の元に舞い落ちてきたのかもしれない。
MYMY
人生を旅と表しているこの曲は、人生の主導権は自分にあるのだと痛いほどに歌っている。
何事も決定権を他人に委ね、指示に従っている方が楽だ。だから自由とは時に自分を苦しめる。自分の目の前には無数の道が開けているが、どの道を選ぶのか自らで考え、進む先にある苦楽は全て自分に跳ね返ってくる。
自由であるということは、責任は全て自分にあるということだ。
その方がいい時もあれば自分の首を絞めることもある。
しかしMYMYにその苦しみを感じない。
タイミングとは難しく、よく後悔するのは出遅れた時だ。世の中にはそれを慰めたり、励ましたりする言葉がよくあるような気がする。
しかし、この歌は、早かったことにも目を向けてくれている。
時期尚早だと、後戻りができずがむしゃらに進むしかない。気がつくと自分が傷だらけであり、振り返ると十分とは言い難い、おざなりな結果が見えることがある。
しかし完成はしてしまっているから、「早かった」という後悔を大きく外に出すことは難しい。
そんな僅かな心のわだかまりをも、この歌は連れ出してくれる。
だから、何もわざわざ苦しく考えなくてもいい。
自分の人生なのだから、鼻唄を歌いながらドライブするようにハンドルを切っていい。だって幸せはポケットの中にしまってあるから。
そう「充分」なのだ。
何も足りないものはないし、欠けてもいない。足りない、欠けていると思うのは比較をしたときだろう。けれど旅は自分のものなのだから「自分がいる」、それだけでいい。
そして、アクセルを踏むことに迷っても焦る必要はない。自分の足で踏むことに意味がある。
どんなスタートを切ろうとも、この旅は自分のものだ。
自由とは、責任がすべて自分にあることだ。
自由とは、全てが自分のものであることだ。
私と同じように、何かと考えすぎてずるずると思考の沼に落ちていき、気づいたら生きづらさを感じている人も、このnoteを読んでくださっている中にいるかもしれない。
きっとそのなかには、手放していいものもあると思う。
大丈夫、生きていることに意味なんてない。
失くしたくない大切なものと幸せを助手席に乗せ、気楽に鼻唄でも歌いながらアクセルを踏もう。
私もまだまだ道半ば。
どうかそんな風に生きられるように。
追伸
SEVENTEENさんの歌詞に関する文章を残すにあたって、年代別にひたすら印象に残っている歌詞を書き出しました。
見境なく書き出してしまってこのままではひとつひとつが荒くなってしまうと思い、Heng:garaeで一旦区切ることにしました。
その上で気がついたことは、Heng:garaeあたりから、SEVENTEENさんが変わったことがわかるようになったということです。
それまでは(特に初期)は、自分を抉り曝け出すような生々しい曲が多かったように感じます。
苦しみを歌詞に昇華しているような感じです。
ある種、儀式のようなものだったのではないでしょうか。
しかしHeng:garaeあたりの曲から、矢印は確実に聴く人に向きつつ、そのメッセージは今SEVENTEENさんも自分に向けたいもの、というふうに変化したように思います。
一方通行だったメッセージが対面通行になった。
これはSEVENTEENさんと曲を聴く人、CARATとの信頼関係が確固たるものになったからだと思います。
これはまるで、思春期の少年から青年になるような変化です。
アイドルとファンダムが一緒に成長していく。
その仲間になれたことを光栄に思います。
通話中