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影が見える


少しだけ本当の話をしようと思う。
言葉にして、自分の思考と感情を、あの時の記憶を、残すことにした。

もう私はSeventeenに頼らなくてもひとりで立てると思う。
ドームで彼らを照らす光になれることがわかったいま、よりそう思っている。

Seventeenを支えにしないと立っていられなかった2年前の6月。
私は新卒で入社した会社で、沈みゆく身体を必死に動かしてどうにか呼吸をしていた。
同じ頃、親戚がパワハラで自死した。

家で仕事の弱音を吐けなくなった。
仕事が原因で大切な人を失った家族は、弱音を吐く私を狂ったように庇い始めたからだ。
家族の私に対する選択肢に「励まして社会人として頑張ってほしい」がなくなって「ここで仕事を辞めないと親戚と同じことをしてしまう」だけがあるような言動だった。
そんなつもりは毛頭なかったのに、私は社会で頑張れない弱い人間になってしまった。

私が弱音を吐けば母親の叫びにも似た泣き声が響きわたる毎日だった。

だから弱音を吐くのをやめた。
私は家で笑顔でいる必要があった。
笑顔でいなくても、悲しい素振りを見せてはいけなかった。

気づいたらSeventeenしか見ていなかった。
ひとりでもがくには私の身体はあまりにも頼りなく、荒波は激しかった。
まるでベッドを囲む天蓋のように、深い水の底に差す光のように、彼らだけが現実を忘れさせてくれた。
ステージで輝く彼らが、笑顔で話す彼らが、私を世界に繋ぎ止め、目隠しをしてくれた。
Seventeenがいなければ、私はもう存在することも立つこともできなくなっていた。

時間が過ぎていき、少しずつ家族は前までの姿を取り戻していった。
負った傷が癒えたわけではない。
時間が経つにつれてその傷の上に絆創膏を重ねて、傷が見えないようにしていった。

今でもあの見晴らしのいいお墓へ行く度に私は絆創膏を貼っている。

そうして私は会社を辞めて学生に戻った。
きっとSeventeenと出会っていなかったら取っていない選択肢だと思う。
一瞬一瞬を妥協せず、全身全霊で打ち込む彼らにあてられたのだろう。
弱くてもいいから、レールから外れてもいいから、私も私に正直でありたい、後悔しない選択をしたい、と思うようになった。

そう思い始めると、境界が曖昧になっていた私と私にとってのSeventeenが少しずつ離れ始め、それぞれの形を成し、私は私として、私にとってのSeventeen は私にとってのSeventeenとして、互いの存在を認知し始めた。
今でもSeventeenは私のすべてだけれど、Seventeenがいなければ存在できない私ではなくなった。

そしていつしか健全に対等でありたいと思うようになった。
いつの日かの私の目だけを塞いでくれる彼らではなく、「その目隠しはもう要らないよ」と伝えられるような。
彼らが目隠しが必要になったとき私が目を隠してあげられるような。
一方的で利己的な、そんな関係はやめたくなった。

今まではすべてを理解しSeventeenと一緒になろうとして、自分の受け皿を無理に広げて、言語化しようとしたり意味を見出そうとしたりしていた。
けど、対等であろうと思ったいま、だんだんとそれをしなくなってきている。
別々の存在だと認識し、Seventeenと対峙したときの自分の立っている位置、姿が見えてきたからだろう。
自分の足で立ってSeventeenと向き合っている、それが分かる。

いま、この私で、Seventeenを照らす光になれることに喜びを感じている。
今でよかった。
私がSeventeenを照らすことができる。
私がSeventeenのエネルギーを受け取ることができる。
私が。

きっとこのツアーに参加することは、CARATとしての第一章が終わることを意味しているだろう。
区切りがついた時に私は何を思うのか、第二章は始まるのか、どんなものになるのか。
Seventeenのステージを直接見ている自分を想像すると足元がふわふわするけれど、楽しみで仕方ない。


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