
テクラ・バダジェフスカ「乙女の祈り」
こんにちは。
日本では、とても有名な「乙女の祈り」。可憐で明るく、上品なイメージで、馴染みのある名曲ではないでしょうか。
作曲家は、テクラ・ボンダジェフスカ=バラノフスカ(ポーランド: Tekla Bądarzewska-Baranowska、1834年/1838年 ~ 1861年9月29日)、ポーランド出身の作曲家、ピア二スト。日本ではテクラ・バダジェフスカ、またはテクラ・バダルジェフスカとして有名です。
彼女は、本格的な音楽教育は受けてはいなかったものの、サロンでのピアノ演奏家、作曲家として活躍していたとされています。
18世紀末、ポーランドではピアノは、良家の子女の結婚前のたしなみとして普及し、人気の楽器であったようです。
1851年、ワルシャワで出版された「乙女の祈り」( 波:Modlitwa dziewicy, 仏: La prière d'une vierge)がパリの有名な音楽雑誌「La Revue et Gazette Musicale」に付録として楽譜が転載されたことがきっかけで、世界中に広まり、その中でも、メディアの影響により、この曲にとりわけ注目度が高かったのは日本だといわれています。
バダジェフスカは、この曲を作曲後に、J・バラノフスキと結婚し5人の子供をもうけ、小品を35曲ほど作曲したといわれていますが、1861年に病弱でワルシャワにて23歳or27歳頃に生涯を閉じました。ワルシャワには、夫のヤンにより、楽譜を携え立つバダジェフスカのお墓が建てられています。
彼女は、ポーランドで活躍したピアノの詩人ショパン(1810年~1849年)の20歳年下の年代にあたります。
彼女が活躍した時代背景が、ロシア・ドイツ・オーストリアの3国による分割統治の下にあった時期で、当時のワルシャワ地域は、第二次世界大戦でナチスにより壊滅的な状態だっため、彼女に関する記録が極端に少ないとも言われています。
1830年頃は、ポーランドはロシアからの独立に失敗し、多くの国民が亡命を余儀なくされた時代であり、ショパンは、ウィーンを経てパリに亡命、後にフランス社交界で才能を認められたため、対照的に多くの記録も残っています。
ピアノ曲としては、華々しいオクターブでの始まりと、7連符や10連符の優美なメロディーの旋律、トリルを重ねた高音域が可憐で美しい曲です。リズムも一定でシンプルさゆえに、表現力豊かに美しく仕上げたい曲です。
ぜひ、楽しんでみてください♬
今日もよい一日を。