Edmund Pettus Bridge, Selma, Alabama(血の日曜日事件の地)
Edmund Pettus Bridge
アラバマ州セルマ、セルマ川にかかる橋Edmund Pettus Bridgeがある。
南北戦争の旧南軍 准将であり、その後米国の上院議員となる、クー・クラックス・クランでもあったエドモンド・ペタスの名前をとった橋だ。
1960年代のアメリカの公民権運動の象徴のひとりだった、John Lewis下院議員が2020年7月17日に80歳で亡くなった。そして、26日にジョン・ルイス下院議員の遺体は、このエドモンド・ペタスを渡った。ぼくは深夜にFacebookで生の映像を見ていた。
彼がこの橋を渡ったことにはとても意味がある。1965年のBloody Sunday、そこでMartin Luther King Jr.らと闘っていたのがJohn Lewisだ。
この前年2019年5月にぼくはここに訪れていた。目的はいろいろとあったが、とにかくこの橋を渡りたかったからだ。
前提の話となるが、ぼくはSoulミュージックを子どもの頃から聞いてきて、この音楽に育てられたようなものだ。アメリカのルーツミュージックを産んだ彼らの、歴史、文化をもう少しでも知ることが必要とずっと感じていて、彼らを、音楽を、文化をリスペクトし、これからもソウルミュージックを聴き続けていくためにはDeep Southへの旅が絶対に必要と思っていたのだ。
Bloody Sunday
この橋の説明にはこの大きな事件の説明が必要になる。
白人とそれ以外を隔離する様々なルールを認めるジム・クロウ法が1964年に公民権法制定とともに廃止となった。それでも有権者登録を阻止しようとし公民権運動デモ中にも暴力事件などが起こる中、マーティン・ルーサー・キング牧師を中心に、このSelmaからMontgomeryへの行進が計画され、1965年3月7日にセルマのこの橋を出発した。が、しかし、それを州兵・保安官らが阻止し、多くの血が流れた。
Bloody Sundayだ。
詳細は、映画「グローリー/明日への行進 (2014)」にもなっているので、ここまで読んでくださった方は是非観てほしい。Netflixで観ることができる。
Selma to Montgomery March
さすがに大ごとになったBloody Sunday、当時のジョンソン大統領はデモ参加者を保護するようにとの命令を出し、キング牧師を先頭に、Edmund Pettus Bridgeを多くのアラバマ州国家警備隊、FBIに保護され、モンゴメリーに向けて3月21日に出発した。
モンゴメリーまでの行進は全米から支援もあり四晩のキャンプをし、3月25日にアラバマ州議会議事堂に到着、キング牧師が演説をした。
ちなみに、モンゴメリーにはキング牧師のDexter Avenue Baptist Churchがある。
そう、歴史的なセルマ大行進の出発地点がEdmund Pettus Bridgeであり、公民権運動でも特別な意味を持っている。
John Lewis Bridge Project
そして、現在、白人至上主義者の名前をとったEdmund Pettus Bridgeを、公民権運動の英雄の一人ジョンルイスの名前をとってJohn Lewis Bridgeに変えようという声が多く聞かれ、このようなプロジェクトも起こっている。是非、賛同する方は名前とメールアドレスだけでも登録してほしい。寄付も募っている。
John Lewis Bridgeになったらぼくは必ずまた行きたいと思っている。
Google Mapで調べると、53.8マイル、徒歩で17時間37分とでる。
※ 2019年5月のひとり旅
以下に何枚かSelmaの写真を。