【小説】私と推しと彼と解釈違い⑤(おわり)
「あー、まぁ言ってることはわかるけど」
「わかる?」
「まぁ、日本語としてはわかる。でも、全部に共感はできないかなー」
「…そっかぁ」
アイドル現場でもメイドカフェでもコンカフェでもない。2人で近所でお茶を飲むなんて、久しぶりだ。モーニングが有名なチェーン店のボックス席で、この前まきろんと話した、自分なりの「推しについて」の意見を彼に伝えた。まきろんには脅かされたけど、ずっと現場で見てきた彼なら、ちゃんと、丁寧に、心を込めて話せば、どこかでわかってもらえると思ったから。
「でも、ステージとお話って違うし」
だから、上手く伝えられない自分がもどかしい。
「ていうかそもそも、そんなに考えてないし。理由とか、必要だと思ったこともないかも」
「考えて、ない?」
「だって俺らだって、別に将来に向けて毎日努力してる? 別にしてないじゃん? 普通に生きてて、その中でまぁ楽しいことがあったり、仕事は面倒だけど、まぁ楽しいこともあればバランス取れるかな~って感じで」
「でっでも、ただ楽しいだけで遊んでると、疲れない?」
「あー、そしたら休めばいいし、遊びなんだし」
別に不機嫌なわけじゃないけど、噛み合わない会話がちょっとダルそうで、私はなんとか糸口を探す。
「たしかに、ひろくんの言うこと、そうだよなって思う。でも、」
「あとさ、亜紀はそんな行ってないから、知らないだけってこともあるじゃん。話メインとか酒メインの店だって、その中でさ~、亜紀の言うスキルとか、達成感とかあるよ、普通に。みんな見せないけど、しんどい思いもしてると思うし、独立して店長になる子だっているし、そういうのって応援したくなるじゃん」
「まぁ…それはそうかもだけど」
「そもそも会話メインの接客って、スキル磨けば最強のカードだよ。営業とか小売りって無くならない仕事じゃん。人と人が話すって絶対避けて通れないし、その能力が高いってめちゃくちゃ尊敬できるよ。踊りと歌で食べてけるようになるより、ずっと現実的だし。芸能のスキルって、人生の成長としては非現実的じゃん」
「……げんじつ」
段々しゃべりが滑らかになってきた彼の理論は、正論ベースにトッピングされた価値観の違和感が絶妙で。その上に「現実」を持ち出されたら、言いたかったことがどんどんふやけていってしまう。
「ひろくんは、小春ちゃんにもそう思うの?」
私達2人の、大事な推し。私達が大好きだった、歌って踊るあの子。引退しても、それは変わらない。そうだよね?
「…そう、思ってるかもしれない」
「え」
「まぁ結局さ、上の景色も見せてやれなかったわけだし。俺一時期まじで武道館行けると思ってたからね」
小春ちゃんのライブ終わりのキメ台詞。『もっともっとおっきなステージに、みんなのこと連れてくからね!』あの引退ライブの中堅どころの箱だって大成功だって思ってたけど、わかりきってる。ゼップも武道館も、はるか遠い。
ライブ中にチラッと見る、彼の横顔が好きだった。ペンライトを切り替えながら、大事なものは見逃さないぞ、って真剣にステージを見てる時の、真剣な目が好きだった。
ああでも、私と彼の見てるものは、見てたものは、違うんだ。
「亜紀の言うこともわかるけど、なんか正しいようで、優しくないよ」
「…優しく…ない?」
噛みしめなきゃいけない情報量の多さ。フル回転してた脳が、フリーズする。
「頑張ってる子を応援したい、って、それだけでいいじゃん。なりたい自分って言うけど、そんなの簡単じゃないよ。それでも頑張って稼いで生きてくのってさ…って、別にそこまで考えてないけどさ。俺は楽しかったら対価を払うことで応援したいし、そういうのが推すってことでいいと思ってる。亜紀は亜紀の推しを推す、俺は俺の推しを推す、それでお互いハッピーじゃん」
だろ? ってニコニコ笑う彼が、知らなかった人みたいに見えて。
「まーでも、お互いちょっとくらいヲタ活休んでも、たまにはいいかもなー。映画とか、そういうのも」
小皿の豆菓子をポリポリかじりながら、もう話は終わりみたいな顔されたら。
「……そう、だね」
私は、どうしていいかすぐには決められない。
「んーじゃぁさ、それ飲んだら帰ってどっか行こう。な?」
「ん…」
飲みかけのまま薄くなったバナナジュース。言われるままに手にして飲んで。
いい感じで話が終わった顔の彼と目を合わせるのが…ちょっと嫌な自分が、寂しい。
今日映画に行っても、行かなくても。
明日彼がコンカフェに行っても、行かなくても。
明後日私がメイドカフェに行っても、行かなくても。
多分私達は、ずっとは一緒にいないんだろうな。
……違う。私がもう、「ずっと」一緒にいる未来にワクワクできないんだ。……ずっと好きで、一緒にいて楽しくて、そういう関係だと思ってた。さらさらと、自分の足元にあった、あると思っていた前提が、音もなく崩れていく。グラニュー糖の山のように。
何も言えずにいた私に目を合わせずに、
「まー、推しとか推す推さないとか、そういうの真面目に考えるの、亜紀のいいとこだよ」
全然嘘のない顔で、誉め言葉みたいに彼は言う。眉をきゅっと寄せて、変な風に目を細めてくしゃっと笑った。
「うん…」
ズズッ
どんな顔をしたらいいかわからない。ストローを出迎えるように俯いて飲んだ最後のバナナジュースが、嫌な音を立てる。
「そう、かな?」
この気持ちは、くだらないかもしれないけど。
でも私は、私が推すことを守りたいんだ。それは、すごくすごく大事なことだから。嫉妬じゃない、この解釈違いは無理。
「…ありがと」
「ん? いや、本当に思っただけだし」
へへっ、と口元を歪める顔が好き。こういう、察しの悪いところが、好き。
でももし、わかってくれたら。
ずっと一緒にいられたのに。
どんどん心の中が過去形になっていく。バナナジュースの中の氷が傾いでいくその間に。好きだった、わかってた、楽しかった。まだ生々しく湯気を立てる感情は、私の心から取り出されてしまって冷えていく。だから、伝えなきゃ。べちゃべちゃに冷えて、気持ち悪くなる前に。
「でも、あのね、」
おわり